バンコクの運河

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 あまり代わり映えもしない寺巡りも 日中の暑さの中では耐えがたく、帰りは
 定期水上船に乗って帰ろうと思い、運河のそばに造られている船着場の方へと
 歩いていくと、大勢の人たちが 参拝している木造の建物を目にした。
 建物の中に入っていく人は女の人が多い。
 一体 何を祀っているのだろうと近づいてみると 建物の正面に 女性の写真や絵が
 飾られている。
 その脇には映画のポスターのようなものもある。
 そして、その女性の名前 メー・ナーク・プラチョーノンが書かれている。

 以前、この女性の名前は耳にしたことがある。
 プラカノンに女性のピー(幽霊)を祀った有名な場所があることを。
 ピー好きのタイ人目当てに この女性のことをテーマにした映画やテレビドラマも
 多く作られ、タイの人であれば、知らないものはないくらいに有名なピーである。
 私もテレビをつけているとき、何気なくその映画を目にしたことがある。
 140年前の不幸な出来事を基に作られた映画らしく、そのためにこのワット・
 マハブットは有名になり、今のような規模のお寺になったのだろう。

 140年前 まだ村でしかなかったプラカノン村で二人の男女が結ばれ、
 男は 身ごもっている妻を残して戦争に出かけていく。
 男は戦争で大怪我を追い、家に帰ることができない。
 そうこうするうちに出産の時期が来るが、難産のために母子ともに死んでしまうが
 女は夫への想いが断ち切れず、ピー(幽霊)になってしまうという話だが 
 詳しい話は 次のホームページを読めば よくわかる。

 「タイ北部の女性たち」から タイ映画の紹介「ナン・ナーク」
  http://maesai.main.jp/page013.html

 この物語を読んでいると 小泉八雲の怪談小説『和解』とよく似ている。
 よく似ているが 愛する男に対する怨念の強さは タイ女性には敵わない。
 とにかくピー(幽霊)になった女性の激しさは 生半可なものではない。
 不幸に対して 日本女性のような受身の態度ではない。
 とにかく激しいし、感情的なのである。
 とかくタイでは 男女の愛情問題がこじれて 殺人沙汰に発展することが多い。
 くわばら、くわばらである。
 
 この場所にやってくるタイ女性など 恋人が彼女を捨てようとすれば、ナン・ナークの
 ように化けて出てやるという気持ちで ここに参拝しているようにも思われる。
 男女一緒にやってきているアベックなど、女の方はともかく 男の方はどんな気持ちで
 一緒にやってきているのだろう。
 物語では 男が裏切ったわけでなく 変わらぬ愛を誓っているが、心変わりの多いタイ 
 男に対する恨み辛みを持って、ここにやって来ているタイ女も多いことだろう。
 寺の船着場の近くには 多くの占い師が タイ女性相手に運命相談をしていた。

 タイのピーをテーマにした映画やテレビドラマでは ピーの大半は 女性のピーである。
 身売りをされたり、男に騙されたりで 苦しい思いをし、泣かされてきたのは 
 タイでも女性である。
 未だに 男が 2号、3号を持つというのは当たり前のように通用している社会である。
 だから、タイ女性は強く激しくなるより仕方がなかったのかもしれない。
 タイの田舎では 入り婿制をとることが多い。
 田畑の仕事、子供の世話は女に任せ、男は都会へと出稼ぎに出て行くことも多い。
 出稼ぎに出たのはいいが、そのまま 男は 失踪してしまうことも多いらしい。
 こんなところからも 新しいピー(幽霊)が生まれてくる。


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 午後3時 バンコクの暑さも 頂点に達している。
 汗が流れ出てきて 着ていたTシャツも汗まみれ、
 持っていたタオルもぐっしょりだ。
 
 ワット・タイからプラカノン運河沿いの次の寺院を目指す。
 このあたりでは目立つ大きなマンション、賃貸しか分譲かわからないが、
 そのマンションを通り過ぎていくと いつごろ建てたものなのかわからないが、
 20年前にはよく見かけた 崩れかかったような食堂が何軒か並んでいる。
 食堂の裏手にある密集した集落の人々相手の食堂らしい。

 そのあたりを過ぎると 寺院へと入っていく参道のような路地がある。
 寺院の入り口まで百メートル近くにわたって みやげ物屋のような店が多く立ち並んでいる。
 先のワット・タイとは明らかに違っており、参拝者の数も多い。
 寺院の前にある案内板を読むと ワット・マハブットと書かれており、
 現在のラッタナコウシン王朝の前、アユタヤ王朝時代に建てられた寺院だ。
 今から、250年近く前 一人の僧侶が寺院を開き、それが現在の規模になったようだ。

 参拝者も多く、寄進も充分にあるせいか、火葬場もその他の建物も ワット・タイに
 比べると 一段と豪華で規模も大きい。
 この寺院、ご利益が大きいのか 一大観光地化しているようだ。

 寺院の裏手に行ってみると ここにもタイの仏教建築ではよくお目にかかる太鼓を
 備え付けた豪華な塔が建てられており、その塔を囲むように 白いチャディと呼ばれる
 仏塔が並んでいる。
 その仏塔には 死者の写真が貼り付けられていた。

 ここの写真を撮っていると 24,5歳のタイ人の若者が 母親らしい女性と一緒に
 通りかかる。
 「写真をとって、どうするの」と訊くので 「日本人に見せる」と応えると
 「日本人なの」と驚いた表情を見せる。
 この頃は 日に焼けて 顔の色も黒くなり、日本人に見えないこともあるらしい。

 連れの母親らしい女性が 高い塔の周りにある白い塔 チャディについて 説明して
 くれる。
 話によれば、この寺院にこうしたチャディを造るには 50万バーツの寄進が必要で
 あり、チャディの中には 死者の遺骨も納められていると言う。
 貧しいものなど 遺骨の一部は 一旦 家の中に置き、時期が来れば、川に流すのが
 普通であるが、どうも金持ちの方が 死者に対する未練が大きいようだ。
 この白いチャディを建て、寺院に寄進することで 大きなタンブン(徳を積む)を
 することになり、より良い来世が用意されるというタイの仏教思想からくるもの
 らしいが、どうも私の感覚とは相容れない。
 生きている間も不平等に苦しみ、死ぬときにも不平等がある。
 平等ということは 富めるものも貧しいものもともに死を迎えることである。

 タンブンの一番大きなものは 寺を建てることであり、寺や僧侶に対する寄進を
 多くすれば、大きなタンブンを得ることが出来、それが来世の地位や身分に影響を
 与えるというのでは これはどう見ても平等とはかけ離れており、貧しいものは
 タンブンの量が少なく、再び、貧しいものに生まれつくことになる。

 私などは 死ねば 遺骨を海でも川でもいいから、撒いてくれればそれで充分だ。
 死んでしまえば、何も残す必要はない。
 白いチャディを見ながら、人間の持つエゴの現われだろ思い、人間の業の深さを
 感じるだけだった。
 寺もこうした人間のエゴ、業の深さを利用して、上手に商売をしている。
 これは日本も同じである。



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 日本は寒さがぶり返しているというのに バンコクはこのところ うなぎのぼりの
 暑さだ。
 午後になれば 部屋にいても暑い、外へ出ても暑い。
 外へ出かければ、たとえ暑い中でも 気分転換になると パラカノンまで行ってみる
 ことにした。

 ラーマ1世通りに出て、バスの停留所で プラカノン方面に向かう48番の冷房なし
 バス、508番の冷房つきバスを待つ。
 BTSの高架電車もプラカノンの先 オンヌット駅まで行くが お金の節約のために
 バスを利用する。
 しばらくバスを待っていると 冷房なしの普通バス 48番のバスがやってくる。
 運賃は 8バーツである。
 今日は プラカノンでバスを降りずに オンヌットまで行く。
 プラカノンへ行けば プラカノン運河を走る水上定期船に乗り込んで、のんびりと
 運河の周りに広がる自然あふれる景色を楽しむことが多いのであるが、今日は
 スクムビット ソイ77の道側から 運河の方に歩いていくことにした。

 バンコクの街の中心部から見れば、昔はプラカノン運河の手前が バンコクの街の
 果てあり、場末にあたり、その向こうは全くの田舎だったのだろう。
 東京でいえば、江戸時代の隅田川の手前とその向こうといった感じだったように
 思われる。

 20年以上前 パタヤからバンコクに帰ってくると、このプラカノンあたりに入って
 くると バンコクに到着したという実感があった。
 今で はプラカノンのずっと先 バンナー辺りまで開発され、場末といった感じは
 薄れたが それでも プラカノン運河の船着場周辺の市場や古い木造住宅に 
 昔ながらのプラカノンの風情が残っている。

 プラカノン運河を越え、このプラカノンを過ぎると すぐにオンヌット スクムビット
 のソイ77の道にぶつかる。
 バスを降り、このソイ77の道を歩き始める。
 ソイ77の道の入り口周辺には 大型スーパーマーケットが建ち、モダンな建物が
 並ぶが 5分も歩けば、昔ながらの姿が残っている。

 ソイの脇に入った路地には 小奇麗になった市場がある。
 プラカノンの船着場にある昔からの市場に比べると 面白みがない。
 その市場の脇には たくさんの種類の銘柄の米が売られている。
 タイの米の値上がりは 激しく 大抵の米は 1キロ40バーツ近い。
 20年近く前は1キロ 14,5バーツだった米が、2倍、3倍以上になっている。
 タイで売られているタイ産の日本米が 1キロ50バーツから60バーツで売られて
 いるから 結構タイ米もいい値段である。
 市場の中の食料品の値段は プラカノンの古い市場より高めである。

 再び表通りに出て、熱い太陽の照りつける中を歩き続けていると プラカノン運河へと
 つながるような黒く濁った細い運河にぶつかる。
 この運河沿いに道が続き、その奥には集落があるようだ。
 こんな路地をみると ついつい奥まで行ってみようとするのが、私の悪い癖だ。
 運河沿いに続く細い路地を入っていくと、小さな古めかしい雑貨屋の前で 二人の
 年老いた男女が 世間話に花を開かせている。
 「この運河沿いに歩いて行けば、プラカノン運河に出るか」と訊くと
 「そうだ」と応えてくれる。
 運河の水は すっかり黒く汚れてしまっているが、運河の周りの木々は豊かで、
 タイの夏を告げるブーゲンビリアの花も咲き始めている。

 運河沿いの木々や草花を見ながら、あたりに漂う静けさに浸りながら、奥へと進んで
 行くと 道はなくなり、民家の庭に入り込み、犬が吠え掛かってきた。
 プラカノン運河までは至らず、ここが行き止まりだった。
 プラカノン運河への道筋を訊くが 寺院の中から行けると教えてくれるが、その寺院が
 見えない。

 再び、雑貨屋の前にいた二人の年老いた男女に訊くと 寺院への道を詳しく教えて
 くれる。
 曲がりくねった細い路地を歩き続けているうちに やっと寺院の裏に出、
 寺院の姿が見えてきた。

 この寺院は ワット・タイという名の仏教寺院である。
 バンコクでは どこでも見かけることの出来るような平凡な寺院である。
 プラカノン運河の定期水上船の上からはよく見かけていた寺院であるが、出発点から
 あまりに近く、この寺院に運河側から降り立つことはなかった。
 寺院の中の壮麗な火葬場の脇では この日の死者の火葬のためか タイの人々が
 集まっていた。
 日本の味気ない火葬場とは大違いだ。豪華絢爛な火葬場である。
 火葬場の後ろには大きな高い煙突が 聳えている。
 死者に対する畏怖が タイでは色濃く残っている。
 死者を蔑ろにすれば 死者は悪意を持って甦ってくるという恐れを
 感じているタイの人々である。
 死を蔑ろにする社会では 人間の生すら 蔑ろにされる。
 今の日本が その典型である。

 再び、ソイ77の大通りへと戻り、次の寺院へと歩き始めた。
 このあたり、運河沿いには歩くことが出来ない。



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 人口増加の著しいバンコクの中で、このプラカノン運河一帯は、多くの自然の残る
 バンコクの中のオアシスといってもよいくらいの場所だ。
 特にペチャブリ道路側は、不便さから開発も進まず、運河沿いには亜熱帯樹木が茂り、
 その奥には、沼地なども残り、葦やトーイが生え、空き地がいたるところに見られる。
 ペチャブリ道路側からの道は少なく、運河を利用する以外に交通の便がないことが、
 こうした場所を温存することになったのだろう。

 のんびりと遊歩道を歩いていると、様々の植物に出会う。庭先には、ざくろ、マンゴ、
 ギャバ、マクルアなどの果実が実り、多くの草花が家々を彩るように植えられている。
 ここに住む人々の心のゆとりのようなものも感じられる。
 運河が人々の生活の中心であった時代には、ごく当たり前の生活だったのだろう。
 バンコクの人口増加が始まる1970年以前は、まだバンコク都心部でも人々の生活は
 運河とともにあったに違いない。

 今のバンコク都心部の運河 センセーブ、オン・アン、マハナーク、クルン・カセーム
 運河の水は、黒く濁り、乾季ともなれば悪臭が漂い、昔からの住民たちは郊外に逃げ、
 その集落は、東北タイからの出稼ぎの人々の住処になってしまっている。
 ここには東洋のヴェニスと呼ばれたかつてのバンコクの姿は残っていない。

 トンブリ地区には バンコクヤイ運河、モン運河、バンコクノーイ運河が、今でも人々 
 の交通の足として、今でも生き残っているが、定期船といえば、朝の上り船、夕方の
 下り船のみの運航で、一般の旅行者がそこを見ようと思えば、チャーター船を
 利用するしかない。
 特にバンコクノーイ運河のバンヤイに至る水路は、昔ながらの家屋が 運河の水の上に
 建ち並び、古きよき時代を感じさせてくれるものだが、途中で下船は出来ず、船の上から、
 人々の生活を眺めるだけだ。

 それが、このプラカノン運河では どこでも好きなところで下船でき、遊歩道も完備されており、
 運河沿いの散策を楽しむことも出来る貴重な運河である。
 のどが渇けば、運河沿いの雑貨屋で冷たい飲み物を飲めばいいし、小さな食堂もある。
 タイの仏教寺院に興味があるなら、運河沿いの七つの寺院を訪れればいい。
 植物や自然に心惹かれるのなら家々の庭先に咲き誇るタイの草花を楽しめばいい。

 船に乗って楽しみ、歩いて楽しむことの出来るこのプラカノン運河は、昔ながらのタイ 
 の人々の生活を垣間見るには絶好の場所だ。


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 プラカノン運河が造られたのは、ラーマ3世の時代といわれているから、19世紀初頭の
 ことらしい。
 イアム市場に近い一帯はイスラム教徒が多いことから、この運河も今の南タイ、
 北マレーシアのパッタニ王国の戦争捕虜もこの運河の建設には従事させられたに違いない。
 センセーブ運河沿いにも イスラム教徒の集落が多く、彼らもセンセーブ運河の建設に
 従事させられたパッタニ王国の末裔たちである。
 運河建設終了後、運河沿いの土地に住むことを許されたらしい。
 しかし、あくまで住むことを許されただけで、土地は与えられず、借地権のみを与え、
 今も、地代を、王室管理局に支払っているようだ。
 
 チャオプラヤ川沿いのクロントーイ港の東の端あたりにあるプラカノン・サファン仏教寺院から
 スクムビット道路のプラカノンに至り、途中から二つに別れ、一つはタン運河を経由して、
 センセーブ運河へとつながり、もう一つはイアム市場を抜けて、再び、
 チャオプラヤ河に向かうようだ。
 タン運河からセンセーブ運河へは定期船は運航されていないし、プラカノン運河のイアム運河の
 先からも同様に定期船はない。
 パラカノン運河、タン運河のある地域は、昔は 沼地であった場所で、農業にも適さず、
 土地に塩分も含まれ、生えているものといえば、葦やトーイと呼ばれている雑草ばかり
 だったようだ。
 そんな沼地に商業目的で運河が建設されたのだから、人々の住む場所はといえば、
 運河沿いだけだった。
 交通機関といえば、船に頼るより仕方がなかった。道というものは作られていなかったのである。

 それが クロントーイ港が1937年に造られ、第2次世界大戦後、クロントーイ港が
 拡張され、1980年以降、タイが経済成長期を向かえると、クロントーイ港のある
 チャオプラヤ河からプラカノンまでは、工場や倉庫が作られ、出稼ぎの港湾で働く人々のスラム、
 クロントーイ・スラムも形成されるようになる。

 しかし、プラカノンから先のプラカノン運河一帯は、陸上交通の不便さから、開発の波の影響は
 受けず、昔ながらの姿を残すことになったのだ。
 だから、今もここで生活する人々にとって、定期船は必要不可欠なものだし、
 用事で 対岸に渡る手漕ぎの小船も人々の生活の必需品である。
 昔ながらの運河の生活が、今も途切れることなく続けられている貴重な場所だ。

 プラカノン運河には、運河から内側の集落へと続く細い水路もある。
 運河の路地のようなものだ。その細い水路沿いにも人々はひっそりと生活している。
 不便な場所ではあるが、静寂、平和、安全を好めば、格好の地である。
 運河を吹き渡る風は、バンコクの夏の暑さも忘れさせてくれるだろう。
 その細い水路沿いの遊歩道で そこに住んでいるタイ人に声を掛け、会話を交わし、
 水路の奥まで行った帰りしなには、そのタイ人に ここで休んでいかないかと声を
 掛けられた。
 氷水を用意してくれようとしたが、そこは何でも屋の雑貨屋だったので、
 悪いと思って、ジュースを買い、話をしながら、のんびりと会話を続けた。
 40歳前後のタイ人の男性であったが、ここで生まれ育ったという。

 休ませてくれたお礼を言って、再び散策を続けた。
 人々の住む家の庭先を見ても、この運河沿いの生活を楽しんでいることがわかる。
 それぞれに家の周りに工夫を凝らしている。
 時間が止まったようにも思われる運河沿いの生活は、人々に心のゆとりを与えているのだろう。
 遊歩道を歩けば、出会うのは犬ばかり、人間はどこにいるのだろうと
 疑ってしまうような静けさだ。
 午後4時近くになり、学校帰りの小学生を乗せた特別仕立ての水上船が、
 音を響かせて過ぎてゆく。
 手漕ぎの小船も 暑さの峠を越えたこの時間には行き来を始める。
 定期運航船もその回数を増やし始めたようだ。
 私も帰路に向かって足を進めた。


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