バンコクの運河

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 運河沿いの歩道を正装したイスラム教徒たちがモスクに向かって歩いている。
 眼が合えば、挨拶をし、私は川下の方へと歩いていく。
 イスラム教徒の数は増える一方である。

 歩き続けていると 花や観葉植物が見事なまでに並べられた家の前に着いた。
 そこはイスラム教徒の小さな集落の入り口だった。
 イスラム教徒特有の入り組んだ路地に従って家が建ち並んでいる。
 その集落を突き抜けると、そこは野原だった。どこまで続いているのかわからない。
 野原の入り口の小屋の前には2頭の茶色のヤギが飼われている。
 イスラムの祭儀に使われるのだろうか。バンコクでヤギを眼にするのは初めてである。
 それとも現金収入のためであろうか。
 このあたり一体に広大に広がる土地は、王家財産管理局のものらしい。
 再び、運河沿いの歩道に出ようとすると、
 ミシンを踏んで縫製をしている女性と眼が合い、不信そうな顔をして私を見るので
 日本人であることを伝え、タイのイスラム教徒に興味を持っていると伝えると
 安心したようだ。
 話をしていると、この集落の土地は、王家財産管理局のもので、
 月々200バーツの地代を払わなければならず、住む権利を売ることはできるが
 土地を売ることはできないという。


 ラーマ3世も ラーマ1世の政策を引き継ぎ、マレー半島の諸国から多数の人質を
 バンコクに連れ帰った。
 バンコク周辺に強制移住させられたマレー系ムスリムの人々は、
 今のバンコクの東側に土地を与えられ、彼らと彼らの子孫は強制労働に従事させられた。
 バンコク中心部から東北に延びるセン・セーブ運河の建設に従事し、
 農地拡大のためのほかの運河建設にも従事した。
 そのため、セン・セーブ運河沿いに多くの集落が広がっていった。
 このプラカノン運河も同様のことであったのだろう。
 バンコクにあるモスクの70%以上が、マレー系ムスリムのモスクである。
 バンコクに移住させられた人々のうち、王族はバンコク中心部に、
 職人などは王宮の外側に、農民は中心から外れた地域に土地を与えられた。
 国王は米、金銭、住居の建築資材を与えてその定住を助け、戦争捕虜奴隷は、
 定着後、頭領を互選して秩序ある生活を送り、やがてタイ人と変わらぬ利益を
 享受するようになったと書かれている。

 実際には土地は与えられておらず、住むことを許されただけである。
 大半のイスラム教徒の住む地域は 土地の借地料を払うことになっている。
 住む権利はあっても、土地を売る権利はない。
 何か開発でも持ち上がれば、どうなるかわかったものではないと心配にもなる。
 このプラカノン運河沿いもその地の利の良さから、早晩 開発されていくことは
 見えている。
 ペチャブリ側の運河の後ろには、広大な土地が広がっているのだ。
 この運河沿いには多くの豪邸も建てられている。昔からのタイ人仏教徒の家である。
 彼らは土地持ちだし、イスラム教徒たちの土地は借地である。
 開発の波が今後イスラム教徒たちの行く末にどう係わっていくのかはわからない。
 そんなことを思いながら、イスラム教徒の住む地域を後にした。


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 どういうわけか、多くの正装したイスラム教徒が乗り合い船に乗り、
 モスクを目指してやってくる。
 理由を尋ねると イスラムの指導者の葬儀のためにやって来ているとのことである。

 マレー半島北部・タイ南部には古くにはランカスカ王国があり、
 今のマレーシアノクダ州、クランタン州、トレンガヌ州 そしてタイのパッタニー県、
 ヤラー県、ソンクラー県、サトゥーン県を領有していた。
 この王朝の初めの頃は、ヒンズー教を国教としていたが、
 13世紀初めにはイスラム化し、その後パッタニーに遷都し、パッタニー王国が成立した。
 マレー半島の中では1番古いマレー系王朝である。
 マレー半島東部にあったパッタニー王国は古くから南シナ海貿易の要所であり、
 多くの中国船が来航した。
 このパッタニー王国が脚光を浴びてくるのは、1511年のマラッカ王国陥落以後である。
 マレー半島の海洋貿易の中心がパッタニーに移るにつれて、
 インド人のムスリム商人が頻繁に訪れるようになり、
 16世紀17世紀になるとポルトガル、オランダ、イギリス、ペルシャ、日本なども来航し、
 商館なども建ち並び、スマトラ島北部のアチャと並んで重要な貿易港となっていくのである。

 それに目をつけたのがタイのアユタヤ王朝である。
 海洋貿易による富の独占をねらい、パッタニー王国を属領化してしまう。
 そして、17世紀までマレー系住民の強制移住は続けられていく。
 しばしば独立を主張したが、アユタヤの派遣した軍隊に鎮圧された。
 そして、17世紀のアユタヤの攻撃の結果、パッタニーの1家族あたり、
 1人の子供が人質として連れ去られたという記録もある。
 アユタヤ王朝滅亡により、独立を達成するが、
 1785年には再び、チャックリ王朝によって支配されてしまう。
 ラーマ1世はたびたびパッタニーを侵略し、4000人以上のマレー系ムスリムを
 バンコクに連行し、その中には王族や高級官僚も含まれていた。

 どうもこの時期には王都建設のための労働力を必要としたようだ。
 その労働力確保のためにビエンチャン王国も滅亡させ、
 ラオス人を戦争捕虜として連れ帰っている。
 あるいは弱体化したカンボジア王国に戦争を仕掛け、
 ここでも戦争捕虜を連れ帰るということがしばしば行われている。

 1857年当時の記録によれば、戦争捕虜奴隷の内わけは 
 マレー系 5000人、 カンボジア系 10000人、 モン族 10000人
 ラオス人 20000人、 ビルマ人(戦闘員のみ) 1000人となっている。

 それらの戦争捕虜奴隷の大半は国王に直属した。

 強制移住の目的は
 (1) 戦争によって不足した労働力の補充
 (2) 相手国から労働力を奪って 国力を弱める
 (3) 功労に対する褒美として 自軍の兵士に分け与える 

 ラーマ1世の時代はまだ国としても安定しておらず、
 自国民に無理な賦役をしいると反乱の原因になることを恐れ、
 都市の建設にはこうした戦争捕虜奴隷を使うという方法が採られたのだろう。

 この運河沿いに住むイスラム教徒の人々もこうした目的の下に
 強制移住させられたのだ。
 国同士が地続きであることは、過酷な運命を人間に強いるものである。


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 昔ながらの船着場から、今回で2度目になるプラカノン運河を航行する乗合船に
 乗り込む。午後3時半を過ぎたせいか、学校帰りの生徒たちも乗り込んでくる。
 今回の予定はというと、この乗合船の最終地点 タラード・イアムまで行き、
 帰りは歩いて帰ってくるというつもりだった。
 運河沿いに生活する人の生活を船の上からではなく、陸からじっくり見てみたかった。

 行きの船の上から、運河沿いに作られている歩道を注意深く眺める。
 道はところどころで切れている。
 途中途中で船を乗りついで行かないと無理のようだ。

 どうも天候が良くないようだ。空を見上げると曇り空である。
 船の中からも「フォン チャ トック(雨になるかもしれない)」
 という声が聞こえてくる。
 なるようになるさと思っているうちに船は 終点のタラード・イアムに着く。

 工事現場の脇を通り抜け、運河沿いに設けられている歩道を歩き始める。
 1.5メートルばかりの幅の歩道だ。
 ぼんやり歩きながらカメラを構えていると運河に落ちてしまうことだってある。
 そのことを頭の中に刻み込んでおく。

 少し先に運河の両岸を結ぶ橋がかかっている。
 その向こうにはイスラム教のモスクが見える。
 このあたりはイスラム教徒たちの集落である。

 トンブリ地区のイスラム教徒はアユタヤ王朝時代に
 ペルシャ、アラブ、インドから商人としてアユタヤにやってきて、
 アユタヤ滅亡後に、バンコクのトンブリ地区に移ってきたイスラム教徒の末裔である。
 時の王朝によって優遇され、権力中枢の中で力を蓄えてきたイスラム教徒だ。

 ここのイスラム教徒は違う。
 アユタヤ王朝、チャックリ王朝との独立のための戦いに敗れ、
 戦争捕虜としてバンコクのこの地に連れて来られたパッタニー人々の末裔である。
 ラーマ1世、2世の時代には数千人以上のパッタニーの人々は100年近くにわたって、
 奴隷として働かされたのである。
 もう一つの運河センセーブ運河は彼らの手によって造られたものであり、
 その運河の周辺にもパタニーから連れて来られた人々のモスク、集落がある。
 ラーマ5世の奴隷解放によってやっと奴隷の身分から解放されたのである。
 こんなところにタイ政府のイスラム教徒に対する2面性が見えてくる。

 外国貿易でアユタヤ、チャックリ王朝に富をもたらした
 トンブリに住む西方のイスラム教徒の末裔たち、
 パッタニー王国の独立のために立ち上がり抑圧され続けてきたパッタニーの
 イスラム教徒たち、その戦いは、南タイでは今でも続いているのだ。


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 今日、48番のバスに乗ってプラカノンに行ってきた。
 BTS スカイトレインがプラカノンまでいくせいか、
 バスの本数がやたらに少なくなっている。
 この頃はスカイトレインを利用することはないので
 はっきりしたことはわからないが、運賃はプラカノンの近くのオンヌット駅までだと
 30バーツは越えるだろう。バスで行けば8バーツである。
 バンコクの中流階級以上であれば、30バーツを越えていても
 大したことはないだろうが、少ない収入で生活しているものにとっては、
 30バーツを越えるといいのはかなりこたえることである。

 便利で快適な生活を求めれば お金が必要だ。
 それは当然のことだが、そのために安いバス路線を少なくしてしまうのは
 納得が行かない。
 低所得者をなおざりにしたまま、地下鉄だの、スカイトレインにと向かうのは如何なものであろう。
 不便さを強いられるのはお金のない貧しい人たちである。
 今のタイという国は、富裕層、中産階級ばかりに眼が向き、
 彼らのための政策ばかりを優先しているような気がしてならない。
 貧しい人たちが貧しいなりに生活することが昔のタイであったが、
 今のタイは、貧しい人間が貧しいなりにも生活できなくなっているような気がする。

 長く待たされて乗り込んだバスの中でそんなことを考えていた。

 バスは エカマイバス乗り場を過ぎ、プラカノンに到着した。
 バンコクの場末の雰囲気を持つこの地域が私は好きだ。
 気さくで気の置けない街なのだ。
 運河を越える橋の下には、床屋だの、屋台などが店を並べ、
 いかにも安く生活できるといった感じなのだ。
 運河沿いの如何にも古くて今にも壊れてしまいそうな住宅も赴きがあって楽しい。
 チャオプラヤ川からこの運河を通って、たくさんの品物が運ばれていた時代には
 きっと栄えていたに違いないのだ。
 プラカノンからチャオプラヤ川に向かう運河は 今は 残念ながら、使われていない。
 そのためにこの街は寂れてしまったのであろうが、その寂れ方がいいのである。
 運河には水上生活者の船も浮かんでいる。時代遅れの代物である。
 崩れ逝く街の様子、市場を見ても一時代前の建物、
 売られているものも現代風のものでなく、庶民の使うものばかりである。
 流行など関係のないものばかりである。それが嬉しい。

 このプラカノンの古い街の中を心行くまで歩き回った。
 流行を追わない街の姿は、人の心を落ち着かせてくれるものだ。
 この街もバンコク都心に近いということで開発が急ぎ足でやって来ている。
 運河沿いの空き地にも、多くの建築現場が見られる。
 見ておくのは、今のうちだろうし、来年にはかなり姿を変えてしまうだろう。


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 しばらく、帰りの船を待ち続けていると、船はやってきた。
 船は、私のいる船着場の対岸に着き、
 プラカノン市場へと向かう乗客を乗せ始めている。
 手を振って帰る私がいることを合図すると、
 私のいる船着場にも船を寄せてくれる。
 乗るのなら、どっちの岸にいてもいいのだ。

 帰りは、運河の様子、行き先もはっきりしているから、
 のんびりと風景を楽しむことも出来る。
 川面を吹く風は、涼風で行きと同じように気持ちが良い。
 新年を気持ちの良い運河めぐりで始まったことに感謝しよう。

 これから、この運河がどう変貌していくのかはわからないが、
 今日1日は、十分に楽しませてくれた。
 
 岸辺を歩く人々、小船を操り、運河を行きかう人々、
 皆幸せそうな生き生きした顔をしている。
 世の中、なるようになるさというタイ人の楽観主義が生み出すものだ。

 バンコクを横断する二つの重要な道路、ニューペチャブリ道路とスクムビット道路に
 はさまれるように走るこの運河、バンコクの主要な開発地域であることは確かだ。
 建売住宅、高層マンションが建ち並ぶのも近い将来のことだろう。
 そうしたときにこの運河がどういう姿に変貌していくのかは
 予測はつかない。
 開発の遅れている川向こうのトンブリ地区を流れる運河、
 そして都心に近い地区を流れる運河、
 これらの運河がどう生かされていくのか、あるいは打ち捨てられていくのか、
 それを見つめることでバンコクの環境に対する姿勢を知る指標になるだろう。
 東南アジアの中で急速な人口増加の進むバンコク、
 バンコクはますます巨大化していくには違いない。
 環境の保全、そこに住む人々の安全な生活の保障など
 大きな課題が バンコクには問われているのだ。

 夕日を追いかけるように船は、右へ左へと蛇行しながら進み、
 プラカノン市場に着いた。


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