バンコクの運河

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 運河の反対側の岸辺の船着場へ行くと 一人のタイ人女性がいた。
 「この運河のもっと先まで行けるか」と訊くと
 「乗り合いの船はここまでで、この先は船をチャーターしなくてはならない」
 と教えてくれる。
 いろいろと話しているうちに
 この30代過ぎの女性は、イスラム教徒であることがわかる。
 そういえば、ここに来るまでの運河の途中にモスクが二つあった。

 今から200年前、チャックリ王朝の時代、シャム王国がパッタニー王国を
 支配下に置くために争いが起こった。
 それは、アユタヤ王朝時代から続いていたものであるが、
 力をつけてきたシャム王国は、争いに打ち勝つたびに、
 パッタニー王国から戦争捕虜として数千人のパッタニーの人々を
 バンコクに連れ帰っていたのだ。
 そして、国王の奴隷として、あるいは褒美として王族や官吏に与えていた。
 センセーブ運河を建設する際には、このパッタニーの人々を使い、運河を完成させた。
 そのためにセンセーブの運河沿いにはイスラム教徒の集落が多い。
 運河完成後に 運河周辺に彼らを住まわせたのだ。
 奴隷として農作業に従事させたのだろう。
 このプラカノン運河も、パッタニー王国から戦争奴隷として、
 人質をして連れ帰ったパッタニーの人々の手によるものだろう。
 そのためにこの運河沿いにはイスラムの集落が多いのではと思う。
 チャックリ王朝のラーマ5世の奴隷解放まで
 バンコクのパッタニーの人々の多くは戦争奴隷として働かされていたのだ。

 船着場にいた女性に訊いてみた。
 「あなたは、パッタニーからきたのか」と
 「いや、私はバンコクのイスラム教徒だ、パッタニーから来たのではない。」
 パッタニーという地名は今のバンコクでは、南タイの紛争を思い起こさせ、
 バンコクにいるイスラム教徒は、南タイのイスラム教徒に結び付けられるのを
 好まない。
 「200年前のことです。
 パッタニーから多くのイスラムの人々がバンコクに移住してきている。」
 と私が言っても、自分にはよくわからないという。

 タイのイスラム教徒の移住は数百年前から始まり、
 古くはアユタヤ王朝にさかのぼる。
 イスラム教徒のペルシャ商人、インド人、マレー系、インドネシア、
 カンボジアからやってきたチャム族、ここ百年では、パキスタン、ビルマ、
 バングラディッシュからと多くのイスラムが移住してきている。
 タイ人との混血を繰り返す中で、
 先祖がどこから来たのかはわからなくなっているのだろう。
 唯一ついえることは、アユタヤ時代からやって来ているイスラム教徒は
 今でも政府の中で優遇されているが、
 戦争捕虜をしてバンコクにつれてこられたパッタニー王国の末裔たちにとっては
 この200年は、悲哀に満ちた歴史であったことだろう。

 帰りの船を待ちながら、そんなことを考えていた。


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 古風な渡し場のようなプラカノン船着場には、1艘の船が停泊し、
 乗客を待っている。
 バンコクノーイ運河、モン運河を運航している船と同じ型のものだ。
 センセーブを走っているものに比べると、
 細めのもので20人も乗り込めば満員になる。

 今日は新年の祭日のせいか なかなか人が乗り込んでこない。
 やっと、運賃の徴収が始まり、チアム市場までの10バーツの運賃を支払うと
 7,8人の乗客を乗せた船は岸辺を離れた。
 さあー、出発だ。

 曲がりくねった運河の流れにあわせ、あるときは速く、あるときはゆっくりと
 船は進んでゆく。
 川面を吹き抜けてゆく風が 心地よく私の頬をなでていく。
 両岸に建てられた家々を眺めていると、新旧の家々が混ざり合っていることがわかる。
 昔からの家は、粗末な木造、新しく建てられた家は広い敷地の豪邸だ。
 ここは、バンコク都心に近いということで、ベッドタウン化しているのだ。
 スクムビット道路に近い岸側には、マンションや建売住宅が並んでいる。
 空き地にも高層住宅が建設中だ。
 ここでもはっきりと貧富の差が生まれようとしている。

 それでも両岸の風景は、のんびりとした生活が感じられ、開放された気分になる。
 両岸の岸辺には遊歩道が作られ、ゆったりと歩いている人の姿も見える。
 向こう岸へと渡る小船が各家に備え付けられ、
 この運河が岸辺に住む人々の生活の舞台になっていることが伺われる。
 家々の前には小奇麗に花々は植えられ、
 岸辺に住む人々の心の安らぎになっていることもわかる。

 各家のところどころには、プラスティック製の大きなゴミ箱がおかれ、
 運河を清潔に保つ心遣いも感じられる気持ちの良い運河である。
 住んでいる人々の環境に対する意識も高いのであろう。
 バンコク市も新しい住宅地の開発にあわせて、
 運河の保全には力を入れ、協力しているのだろう。
 政府の姿勢も、川向こうのトンブリ地区とはどうも違うようだ。

 岸の右には仏教寺院、岸の左にはイスラムのモスクがいくつか建てられている。
 心地よい風と風景に心を休ませているうちに、船は終点についた。

 プラカノン市場と同じようにチアム市場があるのかと思ったら、
 そこは建設現場だった。きっと高層住宅が建つのであろう。
 意外な終点にがっかりもした。

 船着場には、数人の若者も休日なのか、たむろしていた。
 建築現場で働く出稼ぎの若者たちであろうか。
 建築現場の中には、出稼ぎの作業員のためのトタン屋根のバラックが建ち並んでいた。
 人気のない船着場で 彼らと一緒に 一人帰りの船を待つのは、嫌だったので
 反対側にある船着場に移った。
 運河を越えるバイパスの道路は長く、車が行きかう歩道のない道路だった。


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 トンブリ地区が川向こうであるなら、バンコクの中心部側は、川のこちら側である。
 今日は、こちら側の運河を探索してみることにした。
 センセーブ運河と並んで、川のこちら側で水上バスが行き来する運河 
 プラカノン運河 チャオプリヤ川からプラカノンそしてサムットプラカンまでつながる
 運河であるが、水上バスが運行されているのはタラード・プラカノンから
 タラード・チアムまでの区間だ。

 プラカノンには 20年前から何度か よく訪れている。
 一つには、ネパール大使館にビザを取るためだった。
 その他、用事があって何度か来ることもあった。
 そのときの印象はといえば、場末の街で ここがバンコクの果てといった感じがし、
 なんとも泥臭い町並みだった。
 パタヤあたりから帰ってくる時、この街までやってくると、
 ああー、バンコクに到着した、終点のエカマイバス乗り場ももうすぐだと思ったものである。
 運河を越えるバイパスの下が、屋台の溜り場になっていて、今も変わっていない。

 東急MBKセンターの前で48番のバス(8バーツ)のバスを待つが、
 今日は新年の1月1日、祭日、バスの本数は少ない。
 20分近く待つと、やっと48番のバスは やってくる。
 今日は祭日、走っている車の数も少なく、いつもは混んでいるスクムビットの通りを
 バスはスムーズに走っていく。15分でプラカノンに到着。
 バスはプラカノン市場の手前で停まるので、運河の船着場には 大通りに沿って
 前方に向かって歩いて行けば、突き当たる。

 私は、市場を見てみたかったから、市場の中を歩く。
 昔ながらの市場だ。近代化のにおいなど少しも感じられないところがいい。
 正月にもかかわらず、もう商売をしている店も多い。
 タイ人の正月は、4月のソンクラン、中国人の正月は2月、
 今更、新しい正月など持ち込まれても面倒なこったという意気込みだ。
 商いを広げているのも年配の人間が多い。
 市場の中が、なんとも懐かしい雰囲気があって、心が和んでくる。
 昔ながらの人が、昔ながらのやりかたで、時代の流れなどに乗らないで
 のんびりと商いをしている場所だ。
 バンコクは都心から離れれば、離れるほどいい。

 市場の中を散策して、船着場へと向かうと、なんとも古風な船着場があった。



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 バンコクは東洋のベニスといわれたくらいの運河の街であった。
 しかし、近頃では、実際に使われている運河は、数少なくなっている。
 大きな運河は今も生き続けている。
 センセーブ運河、プラカノン運河、バンコクノーイ運河、モン運河、
 バンコクヤーイ運河などは、市民の足として大きな働きをしている。

 ただ、問題なのはそれらの運河から人々が住む集落へと結ぶ支流の運河が
 ほとんど使われなくなってしまったことだ。
 そのために大きな運河へとつながる支流の運河の水門は閉じられ、
 どぶ川に姿を変えてしまった。新しい水は入ってこないのだ。
 流れを失った川は、再生の機会を失ってしまった。

 運河の発展とともに増え続けてきた支流の運河に住む人々の集落は
 流れのないどぶ川と顔を合わせて生活しなければならない。
 交通の中心が運河から陸上交通に移っていくと、
 都心に住んでいても、支流の運河のそばの集落は僻地のような有様だ。
 ゴミだしもままならず、ゴミは目の前の運河に捨てられることになる。
 集落は細い路地が錯綜し、車が入ってくることは不可能だ。
 運河の交通を中心に生活が成り立っていたのに、
 運河が用を成さなくなれば交通の手段はなくなってしまう。

 運河を愛した人々は去り、そこを借家にし、地方からの出稼ぎの人に貸す。
 出稼ぎの人々にとっては、目の前の運河は、ただのどぶ川に過ぎない。
 運河への愛情など湧くはずもない。不便な場所だから、家賃は安い。
 それだけの理由で住み着いた人々なのだ。
 そして、その集落はスラム化してゆく。批判・不満の声を上げる人はいない。
 陸上交通のバス通りから、隠されたこうした集落は、誰の眼にも留まらない。

 バンコクにはこんな集落が、数え切れないくらいあるようだ。
 水の流れが死ぬことで、水の流れとともに生きていた人々の生活も死んでゆく。

 華々しい発展の姿を示すバンコクの表の顔の裏側には、
 こうした発展が生み出した取り残された生活があること、
 こうしたことも忘れてはいけないことだろう。

***
 チャックリ王朝創立時代から、チャオプリヤ川から内陸部に向かって、
 多くの運河が造られてきた。そうした主流の運河から、各集落、各家庭へと向かう
 支流の小さな運河も網目のように作られてきた。
 この支流の運河が人々の交通の役目を果たし、バンコク庶民の生活を支えてきたのである。
 今日ではこの支流に向かう水門が閉じられ、交通の用をなさなくなっている。
 我々が、よく眼にする運河は、主流の運河で、細い支流の運河は、なかなか眼に留まらない。
***



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 バンコクノーイ運河へ運行船に乗って行ってきたのと 同じように
 チャン船着場からモン運河行きの運行船に乗ってみた。
 船は、船着場を離れ、チャオプリヤ川を横切って、対岸のトンブリ地区に向かう。
 運行船に乗っている人たちといえば、運河沿いに住む人たちで、
 仕事帰り、通学の子供たちが多い。
 船は、チャオプリヤ川から、細い運河の水路へと入ってゆく。
 バンコクノーイ運河と違って、幅15メートルくらいしかない。
 後で知ったことだが、バンコクノーイ運河は、本来はチャオプリヤ川の本流で
 後に掘られた運河が今のチャオプリヤ川に姿を変えたという話である。
 そのためにバンコクノーイ運河の水路は広いのだ。

 モン運河の両岸に建ち並ぶ家々は、水上住宅ではなく、
 陸のうえに建っているものが多く、庶民の家といった感じで優雅さはない。
 地域的にはバンコクノーイ運河の方が古い歴史を持つのであろう。
 運河は、バンコクに王朝を建てたチャックリ王朝が、農地の拡大のために
 造られたものであり、運河の完成と同時に人々が移住していったものだ。
 運河が延びるにしたがって、新しい住民が移住したせいか、生活のにおいが強い。
 その風景は上流に上っていってもあまり変わらない。
 花を育てる農家も多く、バンコク都心に運ばれていくようである。

 運河のそばで生活する人々を眺めるには、興味深いモン運河ではあるが、
 昔ながらのバンコクの生活を見てみたいと思えば、期待はずれに終わる。

 船に乗っていた乗客たちも、自分の家の近くに船を停めてもらい、
 どんどん下りてゆく。
 一体どこまで行くのかは、全く知らない。
 船に残っているのは、私と、二人の小学生を連れた母親だけだ。
 そして、船は終点を迎えるが、船はバンコクへとは帰ってはいかない。

 三人の親子連れとともに船を下りる。45分の道のりであった。
 船賃は15バーツ、タイ人価格だった。
 当然、彼らにバンコクへの帰り道を訊かねばならない。
 船着場から、道上に上がると、道幅の広い道路がある。

 二人の小学生の母親が 「タクシーで帰るのか。」と訊くので
 「バスで帰る。」答えると、
 「バス停がすぐ先にあるから、146番のバスで帰るといい。」と言う。
 お礼を言い、バス停へ、そして、ピンカオへ、
 バスに乗り、マーブンコン(東急MBKセンター)へ行くにはどうすればいいかと
 所掌に訊くが、わからないと言う。
 とにかく、ピンカオに行けば、どうにかなるだろうと思い、ピンカオに向かう。
 ピンカオに到着、ピンカオに来たのは初めてだ。
 ピンカオのセントラルデパートの前でマーブンコン行きのバスを探す。
 誰に聞いても知らない。どうもマーブンコンに直接向かうバスはないようだ。
 アヌサオリ(戦勝記念塔)行きはと尋ねると、252番のバスで行くとよいと言う。
 252番のバスを見つけ、乗り込み、アヌサオリへ、アヌサオリに着き、
 今度は54番のバスで、マーブンコンへ、ここまで来るのに2時間の道のりであった。
 バス代は、8.5バーツ + 14バーツ + 7バーツで29.5バーツだった。

 バスより船の方が速いのである。時間も手間もかからない。
 ピンカオから、チャン船着場へ帰るとしても同じくらいの時間がかかるであろう。
 バスを使えば速い、便利だというのは、ことバンコクに関しては嘘である。
 そのことが、しみじみとわかった体験であった。
 冒険心にあふれている人には是非お勧めのモン運河の船旅ではあるが、
 そうでない方は、8百バーツを払って、観光用の船を使ってください。
 バンコクに帰れなくなりますよ。もしくは終点でタクシーを拾ってくださいね。



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