ビエンチャンへの旅

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 ビエンチャンには私のようにタイ・ビザ取得のためにやって来ている日本人が多い。
 タイに長期滞在している日本人たちだ。
 大半はチェンマイ、チェンライからウドンタニまでツーリストバスに乗り、
 ウドンタニからビエンチャン行きの直通バスに乗ってやってくるようである。
 タイのビザルールが変わり、トランジット・ビザの取得がチェンマイ、
 チェンライ周辺では難しくなったためだ。
 チェンマイとウドンタニを結ぶツーリストバスは、
 名ばかりであまり快適なものではない。それに乗って12時間のバスの旅、
 私も昔、コンケン・チェンマイ行きのツーリストバスを何度か利用したが、
 バスも古く 停車するところが多く、時間のかかること、かかること、
 いつもうんざりしたものである。


  日本人−1

 まだ30歳前の日本人、彼もチェンマイからやって来ている。
 チェンマイに住み始めて5年近くなると言う。
 1か月の生活費は15000円、部屋代も含まれているということだ。
 タイの若者ですら、平均月給5000バーツ(17000円)、
 しかし、田舎のタイの若者は親元に住んでいる。
 タイ人以下の生活ということになる。
 いくら、バンコクより物価の安いチェンマイとはいえ、1日150バーツでは、
 食べるだけの生活である。
 日本の本はただで貸してもらえるところがあるし、新聞もただで読める。
 それが楽しみであるという。
 働かないでお金は大丈夫なのと訊くと、今の生活水準であれば、一生大丈夫だと言う。
 チェンマイから来るのにどのくらいお金がかかったか、そればかりを気にし、
 為替レートのことも気になって仕方がないようだ。
 好奇心も覇気も失った若者、ただ生きているというだけの生活だ。
 そんな生活に退屈しないのであろうか。


  日本人−2

 60歳前の日本人とパヤオ在住の25歳前後の若いタイ人の奥さんのカップル、
 奥さんは、美人でいかにも水商売上がりといった感じである。
 奥さん名義で投資のつもりでパヤオに農地を買い、タイ人の奥さんの家族、親戚に
 勧められて、ゴムの木と自動車燃料(パーム油)になる椰子の木の栽培を始めたと言う。
 タイ語は全く話せず、奥さんが、タイ人との通訳になっている。
 パヤオのタイ人の言いなりで、両方とも値上がりが期待されていると言われ、
 投資している。
 娘の歳ぐらいの奥さん、美人、調子が良い、なにやら先が見えているようである。
 どんどんお金を投資し、いつかは放り出される。土地の名義はタイ人の若い奥さん、
 この二人のカップルとは、ウドンタニまで一緒だった。
 トヨタの乗り合いハイエースでは、彼女の隣に南タイからやってきていたタイ人の
 若い色男が座ると、色めき立ち、楽しそうに二人しておしゃべりを始める。
 日本人の夫のことなどお構いなしである。声音が、日本人の夫と話すときとは
 全く違うのである。
 いい男を見つければ、日本人など放り出してしまうのは見えている。
 それがわからぬほど、鈍感な日本人も多く、金の切れ目が縁の切れ目と言うケースが
 チェンマイ、チェンライ、特にパヤオでは多発している。
 この二人の行く末はどうなのだろう。


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 1353年にファー・グムによって建国されたラーンサーン王国も
 18世紀になると、王位継承の混乱から、1706年ルアン・プラバン王国が建国され、
 タイのアユタヤ王国に援軍を求めるが、援軍はやって来ても動こうとはせず、
 ルアン・プラバン王国の独立は既成事実になる。
 逆にアユタヤ王国の策略によって、
 チャンパーサック地域もチャンパーサック王国として分離・独立され、
 ラーンサーン統一王国は終わりを遂げ、3王国時代を迎えることになる。
 ビエンチャン王国、ルアン・プラバン王国、チャンパーサック王国の
 三つの王国に分かれたために 国力を三分してしまうことになる。
 アユタヤ王国の計略にまんまと嵌ってしまったのである。
 その後、力を三分された三王国は18世紀後半にはシャム王国の属領に
 なってしまうのである。

 1807年ビエンチャン王国の王位に就いたチャオ・アヌウォンは、
 その英知からビエンチャン王国を纏め上げ、
 1827年チャオ・アヌウォンは、ビエンチャン王国の独立のために
 シャム王国の王都バンコクへの派兵を進めていたが、
 副王、ルアン・プラバン王国の手によってシャム王国へ密告され、作戦は失敗し、
 シャム軍に捕らえられ、獄中で死亡した。
 1828年シャム王国は、ビエンチャン王国の再攻を懸念し、
 王都ビエンチャンを徹底的に破壊した。
 1828年ビエンチャン王国は滅亡してしまう。
 
 1828年のシャム王国のラーマ1世時代のシャム軍の徹底的なビエンチャン破壊の中で
 唯一残った寺が、ワット・シーサケットなのである。

 ワット・シーサケット 1818年、ビエンチャン最後の王チャオ・アヌウォンによって
 建立される。ビエンチャンに残っている寺の中で1番古いものである。
 チャオ・アヌウォン、シャムからの独立を目指し、志半ばでシャムに捕らえられた
 ビエンチャンの英雄なのであろう。その名は、通りの名にも使われている。

 その因縁のワット・シーサケットへ行ってみる。
 ラオスの大統領官邸のすぐ近くある。
 カラフルなビエンチャンの寺の中では古色然とした趣があり、それが眼を惹く。
 今は博物館にもなっており、入り口で5000キップの入場料を払わなければならない。
 本堂を囲む建物のなかには無数の仏像が並べられている。
 あまりの多さに、有難みも失せてしまう。
 1828年のシャム王国によって破壊された廃墟の街の中から集めてきたのであろうか。
 タイ、ラオス、カンボジア、ビルマと領土拡大のための侵略、破壊の歴史
 街を燃やし、破壊し、街に住む人々を戦争捕虜として連れ去る。
 何ともおぞましい歴史の姿である。

 タイとラオスは、両方とも中国南部に住んでいたタイ族が南下してきて、
 王国を築いてきたのである。タイでは、タイ族、ラオスではラーオ族と
 言葉の違いから区別されてはいるが、ルーツは同じだ。
 どうも両者には近親憎悪的なわだかまりがあるようだ。
 歴史の初期には華々しい活躍を見せたラーンサーン王国も、タイ側がスコタイ、アユタヤ、
 チャックリ王朝へ時が流れていくにしたがって、活躍の舞台を奪われていく。
 歴史とは過酷なものである。



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 タイのビザを取るためのビエンチャン滞在、ビエンチャンの食べ物を食べ歩くには
 時間がなさ過ぎた。
 メコン川周辺の外国人租界を見たとたんに、
 もっと滞在しようという気持ちがうせてしまった。
 洋食は食べる気もしないし、何軒かある日本食レストランに行くのもお断りだ。

 朝ごはんに何を食べようかとあたりをうろうろと、歩き回っているうちに、
 噴水広場まで来てしまった。
 10年前は 全く整備されておらず、隅っこに軽食を食べさせる店があっただけだ。
 噴水などもあったという記憶はない。ただ広場があったと憶えているだけだ。
 その店の前に座ってコーヒーを飲んだ。

 今は丸い広場を囲むように洒落た洋食レストランが建ち並んでいる。
 旅行者相手の商売は、はしっこいベトナム人の仕事で、ヨーロッパ人の喜びそうに
 体裁を整えている。
 彼らにとって母国はベトナムだから、根っからラオスらしくという気持ちはない。

 噴水広場にいたる路地に、ラオス風の食堂が見える。
 粗末なつくりの店で、いかにもラオス人相手の店のようだ。
 近づいていくと、麺を食べさせる店がある。
 丸っこい顔をしたラオス女性が麺を湯がいている。
 東北タイのイサン地方からラオスでよく見かける牛肉麺、
 タイ語でクイティアオ・ラーオ、ラオス語でカオ・ラーオと呼ばれている。
 麺はセンミー(ビーフン)、米の細い麺センレック、バーミー(ラーメン)の中から
 選べばよい。
 ラオスでは、麺はセンレックが好まれるようだ。
 私もセンレックを注文、センレックの牛肉麺だ。
 煮込んだ柔らかい牛肉、牛肉を入れて作った丸い練り物が入って、
 あっさりした味付けのスープで美味しい。

 食べ終わると、カオ・ラーオの店の女主人が、国はどこかと話しかけてきた。
 日本人だと言うと、懐かしそうに
 「若い頃、日本の栃木の足利の工場で5年間働いていた。」と話す。
 彼女の年齢が35歳過ぎのようだから、随分前のことだろう。
 「お金は貯まった」と訊くと、
 「全部使ってしまった」と言う。
 人のよいラオス人、そのお金を元手に新しく商売でも始める気も回らず、
 家族、親戚に頼まれれば、使ってしまう。やはり農民なのだ。
 ラーオ族は基本的には農耕民族なのだ。
 そんな人のよさが、麺の味付けにも現れていた。

 一つだけ気になることは、ビエンチャンでは麺類がやたら高いことだ。
 一杯1万キップ、40バーツ、120円だ。バンコクでも同じものが25バーツである。
 どうもこれだけは、外国人価格があるような気がしてならない。
 タイに比べて、はるかに所得の低いラオスで、一杯40バーツでは、
 ラオス人にとっては気軽に食べられる値段ではない。
 今回は時間がなくて、ラオス人居住地での麺類の値段を確かめることは出来なかった。
 次回の課題にしておこう。



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 夜になると時間を持て余してしまう。
 ちょっとビールでも飲んで、寝入りを良くしよう。

 夜9時過ぎに宿を出て、川沿いを走っているファー・グム道路に出てみる。
 甘いロティのお菓子を路上で焼いて売っているラオス人の若者と話をしている若者が
 日本人のようなので声を掛けてみる。やはり日本人だった。
 ラオス人の若者に片言の日本語を教えているようだった。
 ビエンチャンの大抵の市民はタイ語がわかる。衛星アンテナを利用して
 タイのテレビ番組を見ているからだ。
 路上のささやかな商いはラオス人の仕事だ。
 店は広げているが、お客は少ない。
 ロティ菓子の焼き方は、インド人に教えてもらったと言う。
 バンコクあたりでもよく見かけるロティにコンデンスミルクをかけ、
 それをたたんだ甘いお菓子でバンコクでは5バーツだが、ここでは20バーツだ。
 駄目もと主義なのだろう。
 10バーツぐらいならもっと売れるとは思うが、
 これがラオス人の商売のやり方なのかもしれない。

 日本の若者と立って話し続けるのも疲れてきたので、
 二人ですぐそばのラーメン屋に入り、ビールを飲むことにする。
 飲むのは当然、ラオスのビール ビア・ラーオ、この若者、酒は駄目のようである。
 私はビール、彼はコーラである。
 若者の年齢は28歳、高校を出てからずーと、アルバイトで生活し、お金が貯まると
 旅にでてくるらしい。両親と一緒に暮らし、一人息子である。
 素直で明るい若者であるが、行く末は心配である。
 親元にいるから生活できることに依存し、甘えているのであろう。
 家を出て独り立ちする気はないようだ。
 両親のほうもかわいい子供には旅をさせる気もないようである。
 別の意味で子供は旅をしているが。

 話し込んでいると、店の奥で女主人は、何か美味しそうな物を食べ始めている。
 
 「何を食べているの」と訊くと、

 何か言っているが、よくわからない。
 近くに行ってよく見ると、パパイヤサラダのソムタムである。

 「食べるか」と訊くので、「食べたい」と言うと、

 別の皿に盛り付け、大半を分けてくれる。

 「娘が作った」と嬉しそうに言っている。

 ビア・ラーオの摘みになる。なかなか美味しい。
 中国人の作るソムタムだから、辛くないのがいい。
 ソムタムが手に入ったから、ビールをもう1本、どういう訳か、
 酔いがちっともまわってこない。口当たり、のど越しはいいビールなのだが。
 タイのシンハービールであれば、大瓶1本飲めば、いい気持ちになる。

 「ソムタムは美味しいか」と女主人が訊くので
 
 「美味しい。パラーは入っているの」と訊くと
 
 「熱を通したパラーをいれている」と言う。

 やはり、ラオスである。パラーなしでは料理は成り立たない。
 女主人、50歳くらい、両親が中国からやってきて、彼女はラオスで生まれたらしい。
 昔は、潮州出身の中国人が多かったらしいから、彼女の両親もそうだろう。

 ソムタムをご馳走になった以上、少し高いが、ラーメンを食べないわけには行かない。
 鴨入りラーメンを注文する。悪いが やはり、バンコクのほうが美味しい。
 ビール大瓶2本、鴨入りラーメンで、ちょうど100バーツ、安い。日本円で330円。
 酔いはあまりまわらなかったけれど、適当な寝酒にはなった。

 11時過ぎに宿に帰ると、玄関には鍵がかかっている。
 ラオスの夜は、早い。大半の店は、10時になると閉ってしまう。
 働き者の中国人のラーメン屋は、遅くまで頑張っている。
 宿屋の人間を起こして、部屋に入り、気持ちよく寝てしまった。



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 サムセンタイ通りあたりはビエンチャンの中心地と言ってよいだろう。
 この通りの周辺がベトナム人、中国人の居住区である。
 サムセンタイ通りには、ベトナム人が住み、チャオ・アヌ通りが、昔からの中華街の
 メインストリートのようだ。
 1947年のラオスの中国人は3175人、1959年46830人、2001年172933人という
 統計があり、現在ビエンチャンに住んでいる中国人は約70000人、
 ビエンチャンの総人口が65万人であるから、10%以上の中国人が住んでいることになる。
 ベトナム人はそれ以上だろう。

 このサムセンタイ道路沿いにはベトナム人の経営するフランス風のサンドイッチの
 店がいくつかある。
 小さめのフランスパンを炭火で温め、横半分に切り目をいれ、その間に
 パテをぬり、ベトナム風ハム、焼肉、サラダ菜、ピクルスなどを挟み込み、
 サンドイッチに仕上げてくれる。
 やらずぶったくりの植民地政策を行っていたフランスの唯一の置き土産かもしれない。
 ベトナム人が、ベトナムあたりから持ってきた食べ物のようで、
 ラオス人の経営するフランス風サンドイッチの店を見かけることはない。
 小振りのフランスパンでサンドイッチを作ってもらうと、
 8000キップ(30バーツ、100円)、バナナシェイクが5000キップ(20バーツ、70円)
 で、素敵な食事になる。
 エイシアンパピリオンホテルの対面にあるベトナム人のフランス風サンドイッチの店は
 十年前に来たときもあり、佇まいも同じで、懐かしくなって食べてみた。
 この近辺は、昔とほとんど変わっていない。

 このサンドイッチ屋のそばにラオスの手織り布を売る店があった。
 ラオスの北部で少数民族の北タイ族などが織っているシルク布が所狭しと
 並べられている。それほどアンティークなものではない。
 アンティークなものは20年ほど前にラオスからタイに流失し、売られてしまっている。
 ラオスのラーオ族も、そしてタイ側に住むラーオ族 イサンの人々も織りの名手である。
 ラオス北部の山岳民族は、浮き織り、紋織りを得意とし、ラーオ族は絣を得意とする。
 布文化の発達した地域の人々は、一概に穏やかな人々のような気がする。
 気が短ければ、布を織ることなど出来ない。
 安定した落ち着いた生活を求める民族だけが、
 布文化を発達させるのではないだろうか。
 それは、権力を求める世界とは 無縁の世界である。


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