ビエンチャンへの旅

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 ゲストハウス近くの外国人租界にいても、何も面白くはないので、
 街の中心部の裏辺りを歩いてみることにする。
 ビエンチャンの街はどこを歩いていても人通りが少ない。
 地元の人間より、歩いている外国人の方が多いくらいだ。

 裏通りを歩くと、外国人の姿もなく、ひっそりしている。
 家の中には人の姿はあるのであるが、通りを歩いている人が少ないのである。
 裏通りといってもとりたてて、昔風のラオス特有の家があるわけでもない。
 バンコクあたりであれば、裏通りに入り込めば、朽ちかけたタイ風建築の住居を
 見つけることも多いのであるが、ビエンチャンでは、そういうものがないのである。
 長いフランスの統治、貧しい下層労働者に仕立てられたラオス人には、
 伝統的な家屋を造り出すゆとりはなかったのかもしれない。
 街全体に豊かさが感じられないのである。
 コンクリート造りの立派な家はあるが、ただ今風で、歴史が蓄積した豊かさ、
 そういったものが感じられないのは悲しいことである。
 フランス統治時代の建物もあるが、
 それは、ラオスの歴史を象徴するものではあっても ラオス固有のものではない。
 植民地化されるとは、こういうことかもしれない。
 自国の文化的発展が 植民地化によって分断され、
 伝統を失ってしまうことかもしれない。

 そんなことを思いながら、歩き回っていると、
 1本の裏通りで鶏肉を大量に焼いている屋台があり、
 その先に麺を売っている屋台に出くわした。
 カオ・ピアグと呼ばれるベトナムうどんである。
 日本のように小麦粉ではなく、米粉で作ったうどんである。
 それを豚の骨付きあばら肉で味を出し、そのスープと一緒に煮込んだうどんである。
 米粉のうどんのとろみでスープもどろっとしている。
 お腹が空いていたので、ちょうどいい。
 注文すると、愛想もよくよそおってくれる。
 話をしていると、『コン・ラオ テテ』100%ラーオ人だという。
 日本でも同じような麺があるけど、小麦粉から作るよと言うと
 興味深そうに聞いている。
 なかなか気さくなお姉さんだった。ラーオ人らしく気取ったところがない。
 うどんの値段も5000キップ タイバーツで20バーツ、日本円で70円
 地元プライスである。
 ラオスの麺類を注文すると、必ず香菜とサラダ菜、そして覚ました中国茶が
 ついてくる。
 なかなか、美味しいうどんスープだった。
 機会があれば又、この場所に来て カオ・ピアグ、米粉うどんを食べたい。



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 メコン川の岸辺に行ってみるが、乾期のため、中洲が出来て、
 遠くにメコン川の細い流れが見えるだけである。
 悠久のメコン川から程遠い有様である。
 川岸には、こんなにあって商売になるのかというほど、屋台が出ている。
 地元の人間相手というより、旅行者を当て込んだものだ。
 屋台でありながら、レストラン並の値段になっていることは考えられる。
 何も高いお金を払って、砂地ばかりのメコン川を眺めながら、
 ビールを傾けることもない。

 レストランといい、旅行者用の屋台といい、それだけの規模に見合う旅行者が
 ビエンチャンの街にいるとは思えない。
 観光ブームに乗せられているとしか思われない。
 ローカル色の全く感じられない外国人租界、
 ベトナム戦争当時からアメリカ兵、各国の記者、様々な組織から派遣された外国人を
 相手に商売をしてきたベトナム人の知恵であろうか。
 彼らにとっては、ラオスは祖国ではないのである。お金が手に入ればよいのである。

 観光によってお金を手にするのはベトナム人や中国人であって、ラオス人ではない。
 ウェーター、ウェートレス、ホテル、レストランでの下働き、
 給料はしれたものだ。
 日長1日 客を待ち続ける乗り合い3輪自動車の運転手、
 旅行者からぼるより 生活が成り立たない様子である。
 だんなは、ベトナム人か、中国人では、何のためにこの国に生まれてきたのか。
 1党支配の独裁制、政府役人は賄賂をベトナム人、中国人からもらっているのだろう。
 なんとも侘しい姿のラオス人である。
 川向こうのイサン(東北タイ)のラオス系タイ人も同じような姿である。
 フランス統治時代からの付けは大きいのだ。

 まだまだ人口密度の低いラオス、ベトナムの1/10である。
 政府がしっかりしていて、自国の民を愛していれば、どうにかなる国である。
 生粋のラオス人が観光客相手に儲けるというならわかるが、
 これではあまりに情けない。

 チェンマイ周辺にチェンマイ王国(ランナー王朝)、
 そして今のラオスの基礎となるラーンサーン王国を築き上げた歴史あるラーオ族
 今1度奮起して、ラーオ族のために理想的な国づくりをしてもらいたいものである。
 それにはフランスの統治によって低下させられたラーオ族のプライドを
 取り戻すことが大切だ。
 ラーオ族の伝統文化を再生させることだ。
 そんなことを、今のラオスに期待してしまう。


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 一眠りして、すっきりしたところで、メコン川周辺を散策してみることにした。
 この辺一帯は、外国人旅行者と外国人相手の商売をする中国人、ベトナム人の
 場所である。
 当のラオス人といえば、ウェーター、ホテルの掃除、乗り合い3輪車の運転手などの
 仕事をする人たちである。
 10年ばかり前は何もなかったメコン川岸辺周辺が1大外国人租界になっている。

 1893年ラオスはフランスの保護国になり仏領インドシナ連邦に編入されてしまう。
 第2次世界大戦中は日本に占領され、日本軍支配下、1945年独立を宣言するが、
 実際は1949年、フランス連合内のラオス王国として独立を果たしたが、
 それはフランス連合内の枠の中で、防衛権、外交権は持つことは出来なかった。
 1953年10月22日 ラオスはラオス王国として
 フランスから完全に独立することが出来た。
 しかし、その後は政権も安定せず、長い内戦の混乱状態を経て、
 1975年王制が廃止され、ラオス人民共和国へと移行し、その後は安定した政権を
 確立している。

 ラオスには多くのベトナム人と華人がいる。
 ラオスの経済的実権を握っているのは彼らのようである。
 フランスの統治時代 ラオス人にはほとんど教育の機会はなく 就学率は3%以下、
 その3%もフランスの植民地支配の手先として働いてくれるラオス人下級官吏を
 養成するためのものだった。
 教育を与えれば、反仏運動が起こることを怖れたのである。
 それだけでなく、フランスにとってラオスは重要ではなかったことから、
 直接統治はせず、フランスの植民地経営にベトナム人を使って 
 ラオス人を最下層労働者として管理させる『愚民政策』を行ってきたのである。
 更にベトナム人の移住を積極的に進めたことにより、
 ベトナム人、カンボジア人の混血が進み、複雑な上下関係を生み出していった。
 それと同時にラオスの伝統的な生活習慣、様式が失われていったのである。

 狡猾なフランス人の植民地政策は、ラオス人を自国に住んでいながら最下層の人間に
 貶めていったのである。
 こうしたフランスの統治によって、ラオス人は教育に対する関心を失い、
 整った教育制度が生まれてくるのは、1975年のラオス人民共和国の成立以降の
 ことになるのである。
 
 その影響は今なお残っているのである。
 旅行者の集まる地域のレストラン、ホテルの経営者が、ほとんどベトナム人であり、
 表通りに店を出しているのが、ベトナム人か、中国人であることからも
 そのことが覗えるである。
 人の良い素朴さだけでは、商いが出来ないラオス人、自国に住んでいながら、
 ベトナム人、中国人に富を奪われてしまうラオス人、そこにラオスの暗い影が
 あるようである。



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 タイ大使館でビザの申請を済ませ、
 明日の午後1時以降パスポートの受け取りのために来ることになった。
 パスポートの申請時間を調べずにやってきて申請できずにいた日本の若者に
 大使館で出会い、ゲストハウスのある地域へと一緒に帰ることにした。

 大使館前の乗り合い3輪車の客引きが何人もやってくる。
 ビエンチャンの乗り合い3輪車は、ぼったくりである。
 2000年以後、観光に力を入れ始めたラオス政府であるが、交通機関の管理、
 開発には力を入れていない。市内の路線バスもないし、路線小型自動車もない。
 市内であれば100,200バーツから、交渉が始まる。
 これが面倒で若者と二人で歩いていくことにする。
 10年前には周りには何もなかった革命記念塔も、周りはきれいな公園になっている。
 この革命記念塔と大統領官邸を結ぶ道路が市内を走る主要道路である。
 日本の援助で出来たという話である。

 暑いビエンチャンの陽射しを受けながら、歩き続けると、タラード・サオ(朝市場)に
 ぶつかる。ビエンチャンで1番大きな市場で、生活に必要なものはここで手に入るし、
 ラオスの布、銀細工などラオスの工芸品もここで手に入る。
 この市場を通り過ぎ、右に曲がると サムセンタイ道路、この道路沿いが
 市内の中心部になっており、ホテル、レストランの数が増えてくる。
 以前泊まったホテルもこの地域にある。エイシアン・パピリオンホテルだ。
 以前より小奇麗になっている。10年前は1泊20ドルであったが、
 今はもっと高くなっているだろう。
 ホテルの対面にあるフランスパンのサンドイッチ屋さんは昔ながらの形で
 営業している。
 近くにあるタートダムという名の古い仏塔の周りもしゃれたレストランだらけ、
 メコン川岸辺周辺のゲストハウスへとつながる噴水広場もすっかり様変わりして
 周りは高級西洋レストランになっている。昔の面影は残っていない。
 10年という歳月はこれほどまでにビエンチャンを変えてしまったのかと
 驚いてしまう。

 今日の宿泊場所を探すためにメコン川周辺地域に入っていくと、
 レストラン、ゲストハウス、ホテルがひしめき合っている。
 メコン川の岸辺には、旅行者のための屋台、全くのラオスのカオサン通りである。
 ここにはラオスのローカルなものはない。
 外国人租界である。のんびりとアジアを味わうというものではない。
 これでは早くラオスを逃げ出した方がよいと思えてくる。

 値段と清潔度の折り合いのつくゲストハウスを探す。10軒以上回って、
 やっと1泊10ドルの清潔な部屋を見つけた。
 冷房・ホットシャワー付きのツウィンルームで 
 ベッドメイキング、掃除も行き届いている。
 
 まずは一眠り。お休みなさい。


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 1月9日 午前9時30分、列車は予定通り、タイの果ての町ノンカイに到着、
 頭の中には、ビエンチャンのタイ大使館のビザの申請時間の終了時刻午前12時に
 間に合うであろうか、そのことしかない。
 写真を撮っているゆとりなどない。
 小さなノンカイの駅を出ると、タイ・ラオス友好橋行きの乗り合い3輪自動車が
 客を待ち構えている。一人につき30バーツだという。7人を乗せて走る。
 1回、橋まで行くのに210バーツのお金が手に入る。距離にしても2,3キロ、
 暴利である。
 いくら値段交渉しても値段は下がらない。
 バンコクのタクシーの料金なら、50バーツの距離である。
 途中、旅慣れない旅行者をかもにするようなビザ代行業者のところに停まる。
 2000バーツの手数料だと事務所の人間が英語と日本語で話しかけてくるが、
 旅行者たちも私も必要ないと言うと去ってゆく。
 かもにされていた日本人もいたようだ。タイ側の入管の1分ほど手前のところである。

 午前9時50分、タイ側の入管に到着するが、
 入管の係員はのんびりと作業をしている。全くいらいらしてくる。
 やっと、入管の手続きを済ませ、
 15バーツのラオス国境まで走っているバスの切符を買い、バスを待つ。
 10時10分、バスに乗り込み、橋を越えて、ラオス側へ、メコン川が、悠々と
 流れている。時間に追われている私を笑いながら。

 ラオス側の入管にバスは到着、途中渋滞で時間がかかり、10時15分。
 入管で日本人は14日以内の滞在であれば、ビザはいらない。
 入国のための書類を手に入れようとすると、20バーツで代書すると言う。
 時間がない。速ければ、それも良し。20バーツを支払うと瞬く間に、書き上げる。
 どうも役人ではない。これを生業にしている私設業者のようだ。
 彼の書き上げた書類を持って、入管に並ぶ。ここでものんびりと作業している。
 外国人旅行者はビザの申請が必要なことから、時間がかかっている。
 入管の手続きが終わり、10バーツの入国手数料を支払うと、
 やっとラオス領内に入ることが出来た。

 時間は午前10時30分、
 ビエンチャンのタイ大使館には午前11時30分前には入りたい。
 外にいた乗り合い自動車と交渉、ビエンチャンのタイ大使館までと言うと
 200バーツだという。交渉して100バーツまで下げさせる。
 11時半までには到着しなければならないぞと念を押すと、大丈夫だと言う。
 ここでも客待ちで、すぐには出発しない。
 やっと、10時45分に自動車は出発、乗客のラオス人が、
 12時には、タイ大使館は閉まるぞ、速く行けよと、運転手をけしかけてくれる。
 都合のいいことに道路は空いている。
 乗合自動車は何にも邪魔されることなく、道路を走っていく。
 まずは、ビエンチャンの中心部タラード・サオに到着、普通はここが終点、
 11時10分になっている。
 ここで私以外の客を下ろすと、今度は、ラオスの革命記念塔の向こうにあるタイ大使館へ、
 途中パスポートのコピーをして、再び大使館へと向かう。
 11時20分 タイ大使館到着。間に合った。

 タイ大使館の中に入ると、敷地内の東屋のような建物で書類をもらう。
 まだビザの申請が終わったわけではないのだ。
 ビザ申請書類を書き上げ、写真を2枚貼り付け、受付へ、一人の外国人がいるだけで、
 他に並んでいる人はいない。ついている。
 パスポートを預けると、本館に行けと指示される。
 本館で20分ほど待つと、パスポート受領書と引き換えに1000バーツを払った。
 12時50分、申請終了である。
 ちょっとしたスリルのあったパスポート申請劇であった。
 
 ビエンチャンの街を やっとのんびり眺めることが出来る。


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