バンコク 古き時代の名残を求めて

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 ラーマ5世が創設したフアランポン駅の横を通り過ぎて、ラーマ4世道路を渡り、
 バンラック方面と向かっていく。
 このラーマ4世道路を渡ってすぐの運河沿いは、昔は怖い場所だった。
 昼間でも中華街側の運河沿いには、仕事にあぶれた人間や娼婦がたむろしていた。
 その場所もきれいになって、ベンチが置かれていて、
 中華街を走る路面電車を模した小型バスなども駐車している。
 しかし、それでもどこかいかがわしい雰囲気がある。
 ベンチに座り込んでいるのは娼婦らしく、
 男が娼婦に向かってなにやら交渉している姿も見られる。
 夜には今でも旅行者は近寄ってはならない怖い場所だ。
 駅の近くのこんなところは、夜には仕事にあぶれ、お金のない連中がやってくる。

 運河を眼にしながら、運河の河口まで歩きたいと思うと、途中で道が切れていて、
 運河の両側を行ったり来たりでなかなか大変だ。
 運河沿いの道の主要道路の方に移り、運河の向こうに眼を遣ると
 20年以上前にもあった木造の家屋が、
 そのときと同じように朽ちかけた佇まいで 今なお健在だ。
 家というものは、人が住んでいる限り、どうにか維持できることがよくわかる。
 よくもあれから、20年以上も変わらず、
 この場所に存在していることに驚きを 覚えてしまう。
 フアランポン駅から僅か徒歩5分の場所である。

 昔は良くこのあたりの道を歩いた。
 この先に中央郵便局があり、その横には電話局もあった。
 局留めの手紙の受け取りや日本への電話のために足繁くやってきたものだ。
 その頃の自分のこと、自分の気持ちが鮮明に思い出されてきて、
 やりきれない思いになる。
 全くあっという間の20数年だった。
 そんなことを思い起こさせるようなこの辺りの風景だ。
 変わるもの、変わらないもの その分岐点はどこにあるのだろう。
 変えたくても変わらないもの、変えたくなくても変わってしまうもの、
 時代の流れ、時間の流れは不思議なものだ。

 歩き続けていくと、一本の橋までやってきた。
 運河の右にも左のも 運河を見渡すことの出来る道がなくなってしまった。
 運河ぎりぎりまで家が建てられ、運河沿いの道はない。
 運河の家並みの内側の路地を歩いていけば、再び運河にめぐり合い、
 チャオプラヤ川とこの運河が交わる河口に行き着くだろうと思って、
 歩き続けたが、その探していた河口を見つけることが出来ない。
 
 運河の流れはどこに消えてしまったのだ。
 チャオプラヤ川の岸辺にやってきてもパドゥン・クルンカセーム運河の河口は
 見当たらない。
 地図の上には書かれていてもその場所を見ることは出来なかった。
 一体どういうことなのだ。道を間違えてしまったのだろうか。


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 フアランポン駅のすぐ横に流れる1本の運河がある。
 旧王宮を中心として半円状に囲む3番目の運河パドゥン・クルンカセーム運河だ。
 この運河はラーマ4世の時代の1851年に造られた。
 この時代までにパッド運河、そしてラーマ1世によって造られたバンラムプー運河、
 そしてこのパドゥン・クルンカセーム運河の三つの運河が王宮を護る外濠となった。
 このパドォン・クルンカセーム運河によって囲まれた地域が現在の中華街の境界線に
 なっている。
 ラーマ4世の時代までにここまで中華街を膨らんできたことを示している。
 それだけでなく、バンコクという都市がここまで拡がってきたと考えてよいかも
 しれない。

 ラーマ4世の時代に入り、列強の国々が入り込み、タイは不平等な友好通商条約 
 ボーリング条約をイギリスと1855年、フランスと1867年に結ぶことになる。
 それによって治外法権を認め、関税自主権を放棄させられて自由貿易を
 認めさせられることになる。
 それら外国との貿易が始まり、その中心的な場所が、
 あの有名なサマーセット・モームの滞在したオリエンタルホテルのある
 バンラックなのだ。

 その名残を確かめてみたくなり、パドゥン・クルンカセーム運河沿いに 
 フアランポン駅近くからバンラックに向けて、歩いてみることにした。

 運河の水を眺めると以前に比べると、きれいになってきているがまだ充分とはいえない。
 しかし、運河沿いは随分整備されてきている。
 20年前には見かけなかった見栄えのよいいくつかの橋が、
 フアランポン駅に向かって架かっている。
 昔から柄のいい通りではなかったが、今でも薄汚れたこじきが路上で寝ていたり、
 柄の悪い人間も何人かふらふらしているのは、昔と同じだ。
 それでも数は減っているようだ。
 そんな連中を横目に見ながら、歩いていると、
 運河に接するように建っている事務所のような建物に出会った。
 なんとなく気になるので、事務所の中を覗いてみると、3人の人影がある。
 一人は、タイの公務員が身につける制服を着ている。
 一体何をする事務所かと訊いてみると、このパドゥン・クルンカセーム運河のゴミを
 取り除く仕事をしている政府の事務所だと云う。
 来年にはこのフアランポン駅から、
 バンラムプー運河方面に定期船が運航される予定だと云っている。
 もし事実であれば、楽しみである。
 運行がされれば、バンコク市民の運河に対する関心も高まり、
 運河の水ももっときれいになるかもしれない。
 そんなことを思いながら、この事務所をあとにすると、
 一艘のゴミ収集船が、エンジンの音を響かせながら、通り過ぎていった。


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 澱んだ運河の水の中に浸かりこんで、なにやら探し物をしている一人の男がいる。
 ざるのようなもので 水をかき回し、何かを探している。
 半身が水の上に出ているのだから、それほどの深さはないようだ。
 それにしても汚い水である。

 この運河はチャオプラヤ川のサファン・プット(仏陀橋)の横から、中華街を通り、
 カオサンロードの裏のバンラムプー地区、
 ここでマハナーク運河(この運河の延長にセンセーブ運河がある)と交わり、
 バラムプー運河になって、再びチャオプラヤ川につながる。
 旧王宮を中心として、半円状に囲む二つの運河、
 ポッド運河とその外側に造られたバンラムプー運河が、
 王宮と都心部を 外的から侵入を護る強固な外濠となったのである。

 それにしても、汚い運河の中に入ってあの男は何としているのだろう。
 20年も昔、フアランポン駅のすぐそばの真っ黒い運河の水に入って、
 何かを探している男を見たことを思い出した。
 その頃はバンコクの運河の水は、黒く濁り、悪臭を立てていたものである。

 この運河は ラーマ1世の時代に水深2.5mの運河が掘られたとあるが、
 チャオプラヤ川からの二つの河口の水門を閉じているせいで 充分に水が
 流れ込んでこないで半分の深さになっている。
 中華街のこのあたりからサファン・プット(仏陀橋)近くの運河の河口までは
 人口密集地域で、この男のいる場所は運河にかかる橋の袂であり、
 いかがわしい猥雑な運河沿いのマーケットの始まりである。
 この橋の向こうには運河に沿って迷路のように入り組んでいるゲーム・ゲームソフトの
 マーケットが 雑貨市場のサンペンレーン市場まで続き、
 そして、インド人街の食堂街につながる。
 この一帯は光の当たらない運河沿いの地域で 外からは運河を見ることは出来ない。
 全く怪しげな運河沿いなのである。
 昔は泥棒市場のような場所で、訳のわからないものがこのあたりの路上でも
 売られていた。それがマーケットに姿を変えたのである。

 他国からの侵入、侵略の危機のなくなった今のバンコクでは、
 無用の長物と成り果てたバンラムプー運河、何とか生かして使えないものかと思う。
 ラーマ1世の時代には、この運河が、人口40万のバンコクの都心部の境界線に
 なっていた歴史的遺産である。
 第一の外濠ロッド運河、第二の外濠バンラムプー運河 この二つをきちんと整備し、
 定期的な水上バスでも運行させれば、バンコク市民にとっても、観光客にとっても、
 楽しめる場所にもなるし、交通渋滞の緩和にもなる。

 都市交通を陸上交通に頼るのか、今ある運河を再生していくのか、
 発想の転換が必要であるが、いつも利権がからんで事が進んでいくタイの政治では
 再生という発想は生まれてこないようである。
 市民優先より政治家、企業家の利益を優先するのがタイ社会なのだ。
 中産階級以上は、水上バスなど使う必要もない。自家用車を使う。
 交通に関して言えば、昔の方が余程平等だったのだ。


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 昔は、旧王宮に近いロッド運河沿いの中華街が 
 中華街への入り口であったように思われる。
 チャオプラヤ川と運河に物資の輸送を委ねていた時代であれば、
 物を買い求めてくる人々にとっては、こちら側のほうが、近いし便利である。
 川向こうのトンブリ地区からチャオプラヤ川を渡ってきても、
 容易に中華街へと入っていくことが出来、荷積みも簡単である。

 観光ずれしていない中華街を見てみたいと思われる方は、この入り口から入って、
 フアランポン駅方面に抜けていく方が楽しめるかもしれない。
 中華街の広がっていった様子を眼で確かめることが出来る。
 余計なことであるが、この中華街の裏玄関に行く1番良い方法は、
 東急MBKセンターの横の国立競技場の近くのバス停で47番のバスに乗り、
 終点まで行くとポッド運河のすぐ横にバスは停まる。
 この運河を越えると、中華街の裏玄関だ。
 この47番のバスはよく利用しているのだが、中華街の裏玄関近くが終点であることを
 知ったのはつい最近のことである。

 この中華街の裏玄関のすぐ裏の通りに入っていくと、木造の古風な建物が眼に入った。
 古い昔の中華街の面影を残しているような建物だ。
 古くてもきちんと建物の維持に気を使っているのがわかる。
 そこまでゆっくりと足を進めていくと、そこは中国人の経営する飯屋だった。
 その店の横にある路地にふと目を遣ると、何人かのタイ人がのんびりと座り込んでいる。
 このせわしい商業地域の中で、あたりの情景とはかけ離れた不思議な雰囲気だ。
 一人の老人とその家族たちのように見受けられた。
 その路地に入り、その人たちと話をすると、100%タイ人で中国人ではないと言う。
 表の木造の店は、タイ人と中国人の混血の店で、その裏が彼らの住居になっている。
 家の主人は70歳を超え、退職して仕事はしていない。当然といえば当然だが、
 70歳を超えているようには到底見えない。

 昼間から、ビールを傾けているのはタイ人といえばタイ人らしい。
 娘なのか、奥さんなのか そばにいたタイ人女性も呆れ顔である。
 それでもそれを許容している様子は見られる。
 食べていくことが出来れば、それ以上に努力はしないというタイ庶民の典型だ。
 周りに住む中国人たちは、少しでも上に上がろうとあくせくしているのに、
 全く我関せずである。
 孫、子供に囲まれ、悠々自適の生活、精神的に贅沢な老後の生活だ。
 中華街のこの都心部でこうした生活が出来ることは幸せなことである。
 昼間から家族に囲まれて 文句も言われず、ビールを傾けることが出来れば、
 これ以上楽しいこともない。
 こんな中華街の一角でこんなタイ人の家族に会うとは思っても見なかった。
 人生、いろいろである。


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 チャオプラヤ川から 旧王宮を囲むように造られた1本の運河がある。
 ラッチニー船乗り場の横から始まり、花市場で名高いパック・クローン市場の脇を抜け、
 中華街の西の端に沿って、王宮広場近くまで続くものである。
 本来はそこからピンクラオ橋の下まで続いていたものと思われるが、
 今は埋められてしまったのか、運河の姿はない。
 この運河は、昔は王宮を外敵から護る外濠だったのであろう。

 1782年 トンブリ王朝のタークシン王から王位を奪った
 マハーカサットスック(ラーマ1世)はトンブリからバンコクに王都を遷都し、
 ラッタナーコウシン島にチャックリー王朝を開いた。
 当時、この地域に住んでいたのはチャオプラヤ川の水利を利用して、
 商いを生業とする中国人たちである。
 その中国人たちに土地を与え移住させた場所が今のヤワラート、サンペン地区だった。
 旧王宮地区とヤワラートを隔てる運河が、ポッド運河である。
 王宮のすぐ近くに多くの中国人たちを住まわせたのは
 よほど中国人をよほど信用していた証だろう。

 今の中華街は、フアランポン駅に近いあたりが賑やかであるが、
 昔はむしろ、この運河沿いが中華街の商いの中心だったように思われる。
 1910年にラーマ5世によって、バンコクに鉄道が敷かれ、
 フアランポン駅が出来たことから発展していったのが、今の賑やかな地域だろう。
 この場所も観光客を意識した地域で中国食材、中華料理店が中心で、
 タイ人相手の雑貨、工業製品の卸売市場は、今でも運河に近いほうの地域にある。

 そんな運河に近い中華街を歩き回ってみた。
 運河沿いにはチャオプラヤ川から運河に運び込んできた商品を扱ったと思われる
 長屋風の商店が建ち並んでいる。
 その裏には、音響製品、工具、雑貨を扱う店が、建ち並び、
 仕入れに来たタイ人たちでごった返している。
 迷路のような路地に商店がひしめき合い、入り込んでしまうと出てくるのも大変だ。
 
 そんな場所とは別に昔ながらの商いをしている地域に入ると
 5,60年以上経ているような古い建物が並び、
 商店主たちは昔ながらの のんびりとした商いを細々と行っている。
 このあたりは、熱気、混乱、混雑とは無縁の場所だ。
 古い建物を見ているだけでも飽きない。観光客の姿もない。
 昔ながらの顧客を相手にする商いをする地域である。
 フアランポン駅に近い中華街が表の顔であれば、ここは裏の顔だ。
 中国人の居住地域で、ホテルなどどこにもない。

 時にはこんな場所に紛れ込んでみるのも、中華街の新たな発見があるかもしれない。
 ふらふらとあてどもなく歩き続けることが多くなると、
 地図上の点として理解していたそれぞれの場所が、
 突然 面としてつながりを持ってくる。
 そうすると、王宮を中心として発展してきたバンコクの姿が、
 有機的にはっきりと見えてくる。
 バンコクとチャオプラヤ川、運河、船乗り場の結びつきもわかってくる。
 霧が晴れたように行政・権力の中心であった旧王宮、
 商業の中心であった中華街の地形の意味が、体を通して見えてくる。
 そしてバンコクの庶民たちは、その外側の運河沿いに住むことになるのもわかる。
 そんなことが見えてくると、バンコク歩きも楽しくなる。


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