バンコク ある記録

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バンコク 家族

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 私が生まれたのは 瀬戸内海の小島である。
 9人兄弟の末っ子として この世に生を受けたのである。
 父親は造船所の工員として、母親はその傍らで蜜柑農業を営んでいた。
 いわゆる兼業農家である。

 1950年代でも9人兄弟 11人家族というものはやはり大家族であった。
 兼業農家だったから どうにか生活が成り立っていた訳で、父親の収入だけでは
 家族を支えることは困難だっただろう。

 家族、兄弟が多いのは賑やかでいいですねという人がいるが、一番小さい末っ子の
 眼から見て、兄弟が多くて 得をした、いい思いをしたという記憶はあまりない。
 むしろ、次から次へと問題が起こってきて、心を悩ますことの方が多かった。

 いくらたくさん子供を産んで育てても 助けあいの精神や兄弟間の思いやりを育てる
 気がないなら、兄弟が多いというのは 子供にとって大きな負担になるものである。
 不幸な生い立ちの中に生まれた父親は 助けあいとか人間同士の思いやりといった
 面では 欠けていた人だった。
 彼の一生の中では 子供の心の中に入ってくることは 一度もなかった。

 そんな問題の多い家族を末っ子として 下から絶えず見つめているというのは 
 どうも人間に対する猜疑心、人間に対する信頼感を失わせてしまうものである。
 私にとって 家を離れることは そうした家族のしがらみから逃れることだった。

 ネパールのカトマンズで 親兄弟や幼なじみ同士の関わりを見ていると、素朴で
 暖かく、その人間関係を大切にしていることが そばで見ていてもよくわかり、
 貧しく、経済的に豊かでない家族ほど 家族間のつながりを大切にしている姿には
 こちらの心も暖かくなってくる。

 家族というものが 人間の何を育てるのかが 本能的にわかっているのである。
 ただ家族の中にいても 両親や祖父母が 家族の絆をどう育てて行くのか
 わかっていなければ、家族は 大きな争いの原因になるし、憎しみを生み出す
 ことだってある。
 今の日本社会は 家族の持つ負の力の証明にすらなってしまっている。



    夕御飯です  
             
               高木護

   灯がゆれると
   私の胸に想いがいる
   想いを 箸でつつくと
   おまえらの瞳の中に
   遠い湖があり
   青い魚が跳ねている
   呼ぼうよ 遠い日を

   ここには父が座っていたね
   そこには母が座っていたね
   今その暗い影に
   私が座り
   お前らが座っているね

   時の流れ
   それは 哀しみのぎっしり
   敷き詰められた小径だった
   私が歩いていく
   どんどん歩いていく
   お前らは手を振っている

   私が引き返す
   お前らは泣く
   時の流れ
   みんなもう遠い湖だ
   跳ねている青い魚だ
   屋根はひおり
   天は星の冷たさ



 今から20年前 9歳のタイの子供を育てることになった。
 ストリートチルドレンで 9歳になっていても学校に通っていなかった。
 その頃は ガリガリに痩せていて 太り気味の今の彼からすれば、嘘のような
 姿だった。
 
 最初は知り合いのタイ人の家に預けながら、学校に通わすことから始まったが、
 結局は 私が育てることになった。
 家庭という温もりを知らない彼に少しでも家庭らしさというものを伝えるのに
 家では出来るだけ 自炊し、市場への夕食の材料の買出しは 二人出一緒に行くのは
 いつものことだった。
 私がタイにいる間は 彼の服の洗濯、学校へ来て行く制服のアイロンがけは 私の
 仕事だった。
 二人の人間が 一緒に生活していれば、それは 家族だと思っていたからだ。
 早く自立出来るように 厳しく育てたが それが 彼にとっては負担だったようだ。
 いろいろ紆余曲折の中で 20年の歳月が流れた。
 この20年の中で 二人の間にあったものが 何かが少しずつ、見えてきた。

 そして 私が最後に与えることが出来るものは 厳しいかもしれないが、私の死である。
 だから、私は 死に場所をタイのバンコクにしなくてはならない。
 このバンコクに 意地でも戻ってこなくてはならない。
 私が 彼にとって少しでも大切な存在であるとしたら、私の死を 彼はしっかり
 見極める必要がある。
 その時に 初めて一人前の大人になるのではと期待している。
 それが 私の彼に対する最後の愛である。



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バンコク 義理の息子

 
 3ヶ月振りに 義理の息子に会った。
 ストリートチルドレンだった彼を彼が9歳の時引き取り、小学1年から中学3年まで
 学校にやり、20歳過ぎまで育てた子供だ。
 私の40代は彼の養育のために ほとんどのエネルギーを注いだ。
 親に育てられたことのない彼を育てるのは、並大抵のことではなかった。
 私にとっては、苦労ばかりが思い起こされる。
 20歳過ぎても落ち着かず、仕事が長続きせず、絶えず仕事を変えている。
 彼も今年で27歳になるけれど、落ち着かないのは相変わらずだ。
 私としては、罪を犯す、犯罪に巻き込まれる、そんなことがなければいいと
 思っているが、今のバンコクでは、そんな誘惑は山ほどあるから、いつも気にかかる。

 彼を見ていると、乳幼児期を家族とともに過ごす大切さがよくわかる。
 彼を見ていると、人と人とのかかわりの中で、相手を信頼すること、
 信頼して我慢することが出来ない。
 そして、将来のことを見据えて努力することが出来ない。
 中国人と違って、タイ人の庶民にはそういうところはあるが、
 彼はその典型的なタイプで、それが私を悩ました一番大きな障害だった。

 母親はいても、子供にはほとんど関心がなく、絶えず連れ合いを変え、三人いた子供の父親は
 すべて別で、三人の子供のうち、長女は10歳で病死、長男は12歳で行方不明
 残っているのは、彼だけだ。
 私が彼を育てている10年以上の間も、洋服一つ買ってやるということもなく、
 たまに会わせると迷惑そうだった。

 9歳から10年以上に渡って育てると、まともに仕事をしているのだろうか、
 犯罪に巻きもまれていないだろうかと、どこにいても気になるから、
 今回も酒でも飲もうと呼び出した。
 その日はタイの上院議員選挙の日で、アルコールは禁止の日で 酒を一緒に飲むことは
 出来なかったが、まあ元気にやっているようで安心はした。

 家庭環境に恵まれない彼の将来を考えて、ピアノを習わせたが、ショパン、ベートーベンの
 初期のソナタ、シューベルトの即興曲ぐらいまでのレベルまではいったが、
 遊びまわることにばかり興味を持ち、結局は続かなかった。
 あと1,2年頑張れば、タイではピアノ教師ぐらいにはなれたのにと、いまでも悔しい思いは
 残っている。
 ピアノのレッスンのために日本にも何度か行き、費用もかかったし、労力も要したのだ。

 これからの彼の人生がどうなっていくのか、心配ではあるが、もう私の力ではどうにも
 ならないところにいる。
 部屋の片隅で、弾き手を失ったピアノが、寂しげにたたずんでいる。


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