ネパール パタン

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 パタンの旧王宮から少し離れた地域に ネワール族の素焼きの陶芸職人カースト 
 アワレと呼ばれている人たちの住んでいる集落がある。
 バクタプールでは、アワレといえば、左官の仕事をし、陶芸の仕事はプラジャパティと
 呼ばれる人たちの仕事だ。
 カーストの位置からすれば、農民カースト マハルザンの下に属する。
 農業にも従事することから、マハルザンの住んでいる集落に接している。

 近頃は、素焼きの陶芸の仕事は、バクタプールとその近くにあるチミという街が
 中心的な産地となり、パタンではあまり盛んではない。
 むしろ、マハルザンと同じように左官や大工の仕事に精出すことが多くなっている。

 カーストの低い人たちの住む場所に行くと、やたらにお金をくれとねだる人たちに
 出会う。
 特に中年以上の教育を受けていない女たちにその傾向が強い。
 カーストが低いということで、絶えず下に見られ、プライドを失わされている結果の
 ようにも思われる。
 駄目もと主義を盛んに発揮する人たちでもある。
 自分たちの生活を少しでも努力して向上させようとするのではなく、時代の流れに
 身を任せ、良ければよい、悪ければ仕方がないという諦めの姿勢だ。
 この集落の中を歩いていると そんな風にも思えた。
 中年以上の男も女も昔ながらの習慣を維持しているようにも見えるが、それは、時代の
 流れに乗っていけない適応力のなさのようにも感じられる。

 人間としてのプライドを失ってしまえば、人間としての正当な権利にも気がつかず、
 要求することすら忘れてしまう。

 バクタプールの素焼きの陶芸職人のプラジャパティの集落では、集落全体で 生活を
 向上させようという姿が見られたが、ここでは、人々はただただ座り込んでいたり、
 おしゃべりをしているだけだった。

 この集落から表通りに出たところに、素焼きの土産物を売る店があったが、店の中で
 昼寝をしているだけで、商いに打ち込んでいるとは到底思えない。

 ネワール社会をいうのは 各地域によって 大きな違いがある。
 まとまりのある地域、雑然としている地域、その地域のリーダーによって、違いを
 見せるのだろう。
 本来の仕事を失うことは、仕事に対するプライドを失うことであり、ただのカーストの
 低い人間となってしまう。
 これだけは 他の人には負けないという気位は プライドを生み、向上心を育てる
 だろう。
 それを失ったのがこの集落の停滞の結果だろう。


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 パタンの旧市街をどんどん歩き続けていくと、農民カースト マハルザンたちの
 住む地域に入り込んだ。
 レンガと泥の壊れかかった古い民家に目にした。
 その民家の写真を撮っていると、
 ― どうして壊れかかった家の写真を撮るんだよー
 と声がする。
 後ろを振り向いてみると、四人のマハルザンの女たちが私のほうを見ている。
 いかにもたくましそうな女たちである。
  ― 古い家が好きなんだよー
 と答えると笑っている。
 どうもこの中の一人の女の家らしいので
  ― あなたの家か
 と訊くと 
  ― そうだ と云う

 どうも建て替えの最中らしく、今ある壊れかけた家を壊して新しい家を建てるらしい。
 75年前の大地震のときに建て替えた建物は老朽化しており、その時期のものは、
 建て替えの時期に入っている。
 中には建て替えるお金がなく、そこには住まず、出稼ぎの地方からの人たちに 
 貸間をして貸し出している建物も多く見られる。

 ネワール族の農民カースト マハルザンの場合、ネワール族の他のカーストの者より
 建て替えが容易である。
 というのは マハルザンの場合、男は 左官や大工を職業にしている場合が多く、
 家の建て替えのときは 親戚一同が協力し合って家を建てるからだ。
 必要なのは、建築材料と食事の用意ぐらいのものだ。
 一族総出の協力体制が、ネワール族の世界にはしっかりと残っている。
 人手の必要な時には、20,30人の人間などすぐに集まる。
 細かい仕事は、自分の仕事を終えた大工、左官の男たちが夕方からやって来て、
 家造りを手伝う。
 まずは 1階部分を仕上げ、お金が貯まると 2階部分、3階部分と建て増していく。
 お金のある連中は一挙に3階、4階建ての家を建てあげる。
 マハルザンの中でも土地持ちであれば、土地のいくらかを売って、そのお金で新しく
 家を建てることも多い。
 建築材料、大工、左官の手間賃などの高騰から、一般庶民が家を建てるのは 
 簡単なことではない。
 カトマンズの外からやって来た人たちであれば、土地を買い、家を建てる費用の
 ことを考えれば、夢のまた夢である。
 それが可能なのは、賄賂が容易に手に入る政治家と官僚だけである。

 そうした世界とは無縁なネワール族のマハルザンの家造りである。


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 カトマンズ盆地の中の三つの王国の一つ パタンには 多くの仏教徒が住む。
 その代表的な人々が、仏教徒の祭事を行うバジャチャーレと仏教徒の高カースト
 サッキャである。
 パタンでは 彼らは 金・銀細工、仏像の鋳造などの仕事を行う。
 カトマンズ、バクタプールに比べると、その数ははるかに多い。

 パタンの街の中を歩いていると、大小様々の仏教寺院を見かけることも多いし、
 大きな広場にはそれに見合う仏教寺院が、そして 小さな中庭に石造りの仏陀の像が
 置かれていたりする。
 広場や中庭を囲むように 人々の住居が建ち並ぶ。
 サッキャの人々は彼らの広場、中庭を中心にして住み、バジャチャーレの人々も同様で
 あるが、彼らは一緒の広場、中庭と中心とした集落に一緒に住むことはない。

 ネワール族の生活を知ろうとすれば、表通りだけを眺めていたのではわからない。
 表通りに面した建物に小さなトンネルのような入り口があり、その入り口から中に
 入っていくと、中庭に出る。
 中庭の中央には石造りの仏陀の像を彫りこんだ燈籠も様なものが置かれており、
 その正面にビハールと呼ばれる建物がある。
 そして、そのビハールをはさむように仏教徒 サッキャの人々の家が建ち並んでいる。
 この中庭に住む人々はすべて親戚であり、血のつながりを持つ人々だ。
 1つの家系から何世代にもわたって増え続けてきた一族の集落である。
 家族は増え、収容できなくなると二階、三階、四階と建て増し、それでも足りなくなると、
 新たに家を建てることが繰り返されてきた結果だ。
 土地がある限り、その中庭の後ろ、横にも同じように中庭を造り、家を建てる。
 それが、小さなトンネルのような通路で結ばれている。

 このような集落の中心になるのが、仏陀の像を納めているビハールという建物だ。
 グッティといわれる一族の行事はビハールを前にした中庭で行われたり、ビハールの
 二階部分が使われたりする。
 我々日本人の仏壇、仏間のようなものであるが、古い時代のネワール族の仏教徒たちは
 一族の繁栄のためにビハールを建て、得を摘んだ様だ。
 規模の大きさからすれば、日本など到底かなわない。
 寺は王が建てるものだが、ビハールは一般民衆が自分の敷地内に建てるものだ。

 ネパールの仏教は、インド、スリランカ、タイ、カンボジア、ビルマ、ラオスなどと
 同じテラワーダ仏教である。得を積むことによって、より良い来世が期待できる。
 古い時代のネワールの仏教徒たちは、競うように一族の集落の中にビハールを
 建てていったのだろう。
 富める者は富める者なりに 貧しい者は貧しい者なりに 一族のビハールを
 建てていったのだろう。
 タイなどとは異なり、寺や僧侶に喜捨するということは、あまりなかったようだ。
 サッキャやバジャチャーレの住んでいる集落には必ず、ビハールがあり、
 マッラ王朝時代には ネワール族が如何に豊かであったかを物語っている。
 ネワール族にとっては マッラ王朝時代は古き良き時代なのである。


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 パタンの旧王宮近くに 時を経た木造の寺院がある。
 古めかしい雰囲気の漂う寺院だが、訪れる人はほとんどいない。
 門をくぐって入り込んでみると、三人のネワール族の女たちが世間話をしている。
 一人は年老いた女性、二人は30世前後の女性だ。
 年老いた女性は 仏教徒カーストのサッキャで彼女の家族がこの寺を管理している
 ようだ。
 この寺の名前は スリーラーズ・スリーマハ・ビハールであるが、所謂 寺とは違う
 ようだ。寺らしい仰々しさは少しも感じられない。
 仏陀の像は安置されているようだが、寺というより仏教徒に仏陀の教えを伝える場所
 らしい。
 
 一階、二階には中庭を囲むように回廊のようになっており、その場所が
 小部屋のようになっている。
 どこか学校のような構造にもなっている。
 仏陀の教えを学ぶ場所、そんな感じがする。昔はこの場所に仏僧を呼び、仏僧から
 人々が 仏陀の教えを学んでいたのではないだろうか。
 サッキャの管理するこのようなビハールにはすべてそんな雰囲気がある。
 ビハールとは、そんな場所で、御参りをする寺院とは違う。
 様々な仏教行事の際に 地域の住民が集まる場所でもあるようだ。
 だから、仏教徒の住む中庭、広場には必ず、ビハールと呼ばれる建物がある。
 そして、一階に仏陀の像を納め、二階が寄り合い所になっている。
 仏教行事があるたびに人々はビハールに集まり、行事の相談、行事のあとの会食などを
 行うようだ。
 それを通して、地域の仏教徒同士のつながりも深めていったようである。

 しかし、このビハールは ヒンズー教徒の金物職人カースト タムラカールの居住区の
 中心にあることから、今はあまり使われてはいないようだ。
 昔は タムラカールも仏教徒であったらしいが、時の権力者の信仰する宗教に合わせて、
 仏教からヒンズー教へと改宗したようである。

 このビハールは、1時期小学校として使われていたようだが、その後、荒れていた建物 
 を改装し、現在の姿になったようだ。
 ネワール族の仏教徒 サッキャの管理する他のこうしたビハールはかなり痛みが
 激しいが ここだけは昔ながらの姿を保っている。
 しかし、このビハールには人々の信仰の名残りはあっても、生き生きした信仰の姿は
 ない。

 寺にいた三人のネワール族の女性の写真を撮り、三人に撮った写真を見せると、
 年老いた女性の前歯のない口元が映り、他の二人にそのことをからかわれている。
 もう一枚、彼女の写真を撮ると、今度はしっかりと口を閉じていた。


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 パタンの旧王宮のすぐそばには モンゴル・バザールと呼ばれている通りがある。
 パタンのメイン・バザールである。
 カトマンズであれば アッサン・バザールのようなものだ。
 その中の路地に タムラカールと呼ばれる金物職人カーストの人たちが
 手造りの金物を売る通りがある。
 タムラカールと呼ばれる金物職人カーストであるが、パタンのタムラカールは
 ヒンズー教徒、カトマンズのタムラカールは仏教徒である。
 一体どうしたわけで パタンのタムラカールは ヒンズー教徒に改宗したのか、
 興味が湧いてくるが、当人たちに訊いても 昔からそうなっているというばかりで
 わからないようだ。

 このあたり一帯は、様々の金物であふれている。日用品、祭儀に使うもの、外国人
 旅行者の喜びそうなものと多種多用だ。
 銅製品、真鍮製品を古くから造っている地域であり、金物を叩く音を手がかりに
 小さな中庭に入ってみると、職人たちの作業場がある。
 こうした銅製品、真鍮製品は パタンが中心的な生産地である。
 バジャチャーレと呼ばれる仏教徒の祭儀を執り行うカーストの人たちと、
 仏像などを鋳造する。
 銅製品、真鍮製品はネパール人にとっては、なくてはならないものだし、
 インドでも同じであり、宗教的な祭儀には欠かせないものだ。

 私が日本での生活の中で、記憶に残っている真鍮製品といえば、仏壇の中の
 朝晩 ご飯を入れて備えていた小さな器である。
 それと、私の小学校時代の集団給食のアルミの器類だ。
 それ以外に工業製品を除けば、記憶にはない。

 インドあたりでも聖なる河 ガンガ(ガンジス河)の水を入れる水差しも真鍮製だ。
 インド、ネパールでも 素焼きの焼き物を除けば、陶磁器は一般的ではない。
 最近は中流以上の家庭では、陶磁器を使うようにはなってきているが、
 一般庶民は相変わらず、金属製品に頼っている。
 何よりも壊れず、長持ちをするというのが、一番の理由だろう。
 日本人のように季節による色とりどりの色彩を楽しんで食事をするという習慣は
 ネパールやインドにはない。
 だから、器の色にはこだわらない。

 それでも店先に並んでいる金物製品を眺めていると、きらきらと輝く品々は
 異国風で魅力を感じてしまうが、飽きてしまうのも早いだろう。

 食生活の中での金物文化と陶磁器文化、インド文化と中国文化の影響力の大きさの
 違いによって 生まれたものだろう。
 ネパールでは 目で楽しみながら食べるというより、手の触感、混ぜ合わせを楽しみ
 ながら 食べる文化だ。インドもそうである。
 汁物以外のものであれば、1枚の大きな皿があれば、事足りる。
 料理の色も香辛料の黄色を基調としたものだ。
 だからあまり容器にこだわらないのかもしれない。
 ステンレスの色か、真鍮の色かの選択のみだ。
 そんなことを思いながら、この横丁を歩いていた。


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