ネパールの不思議

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

 カトマンズ盆地の中のパタン、バクタプール、キルティプールの旧市街地を歩いていると、
 パティと呼ばれている寄り合い所や、家の軒先に老人たちの姿を見かけることが多い。
 近くに住んでいる老人たちが 遠い昔のことを思い出しながら、午後ののんびりした
 時間を過ごしている。
 悠々自適のときを楽しんでいるような感じがする。
 彼らはカトマンズの古くからの民 ネワール族の人々である。
 それも特に農民カーストマハルザンの人たちが多い。
 楽しむべき場所を失い、語り合う友とともに過ごす時間を失った日本の老人たちとは
 異なる姿である。

 寄合い所に座り込んでいる老人たちには、何一つ老後の保証もなければ、医療の援助も
 ない。
 頼りになるのは、息子たちであり、その嫁であり、孫たちである。
 ネワール族の社会は 昔から集合家族である。
 男兄弟の家族は、1つの家に一緒に住むか、家族が増えて手狭になれば、すぐ横に家を
 建てまして行く。
 そのため、中庭の周りには、兄弟・親戚の住居が建ち並ぶ構造になる。
 だから、年老いた親を見るのは、中庭の周りに住む兄弟・親戚の仕事になる。
 地域全体がそれを当たり前のこととして受け入れている。
 日本のように充実した贅沢な医療・介護は受けることは出来ないにしても、
 家族とともにいる満足感、心の安らぎを得ることは出来る。
 カトマンズの街には こうした村のような共同体が、今でも生きている。
 ネワール族のそれは1つの生活の知恵でもある。

 日本は村の共同体を壊し、村の人々を都市へと引き寄せ、街の中に共同体を作ることなく、
 人々をばらばらの状態で生活させてきた。
 深いつながりのない地域社会は すべての負担を個人に押し付けていった。
 老いた親の面倒すら見ることが出来ないようなゆとりのない社会を作り上げてしまったのだ。
 これが経済大国 日本の実態である。
 経済論理、企業論理を優先させ、生き生きした人間生活に目を向けず、邁進した結果である。

 その責任は 国民にもないとはいえない。
 政策を実行する政府を無批判に受け入れてきたのは国民なのだから。
 どういう社会を作り出したいのか、そうした視点がきちんと国民の側にない限り、
 満足のいく社会が生まれてこないのは当然のことである。
 実際に困った場面に出くわした時には、もう遅いのである。
 政府に期待しても 人間に対する認識が違うのだから、期待しても満足のいくものを
 得ることは困難だ。
 教育にしても、老人問題にしても、年金問題にしても、凶悪な犯罪にしても、
 政府任せにしていた結果なのではないか。
 自分はそれにどう係わっていたか、もう一度 問い直す必要があると思うが、どうだろう。

 ネパールの人々は貧しくて生活は大変であるが、政府が信頼できないのだから、
 自分たちの生活は、自分たちで護るという知恵はまだ残っている。
 政府に頼り、他人の力に頼る今の日本人は、自衛すら出来なくなっている。
 生き生きした人間らしい社会を作り出さない限り、生き生きした老後などないのは
 当然のことである。


   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

イメージ 1

イメージ 2

 私の住んでいる大家の家族に85歳になる一人の老人がいる。
 今、家主は この老人の息子の嫁である。息子は13年前に癌で亡くなった。
 この家、彼が建てたものでなければ、息子が建てたものではない。
 この家は、嫁の父親が、カトマンズにある土地をすべて売り払い、娘と一緒に住む
 ことを条件に建てたものである。娘は一人娘だった。

 この老人、今から60年前までネパールを専制支配していたラナ家の親戚筋にあたり、
 若い頃は、多くの地所、屋敷を持っていた大金持ちだった。
 若い頃から遊び好きで、地所、屋敷を売っては遊びまわっていたという人間だ。
 二人の息子とひとりの娘をもうけたが、息子たちの代には、すべて財産は売り払って
 おり、何一つ財産は残っておらず、息子たちは借家住まい、まだ生きていた母親の
 つてで息子たちもどうにか人並みの職につくことができた。
 母親は王族系のサハチェットリぞくである。

 昔、息子たちの二家族は、一軒家を借り、共同生活をしていたが、うまく折り合いが
 つかなくなり、別々に住むことになった。
 長男であった息子(現大家の夫)が、父親である彼に 「自分たちは別々に住むことに
 したが、どうする」と尋ねると、性格の強い次男との生活を嫌がり、さっさと長男の
 もとにやってきてしまった。病弱の妻を残して。

 私がここに引越してきた当時は、まだ元気で、毎晩のように酒を飲んでは、くだを
 巻いていた。
 道で酔いつぶれて寝込んでいたり、近所の人に連れてきてもらったりで
 なかなか大変だった。
 今は歩くのもままならず、酒を飲むことも出来なくなったが、朝夕の散歩は日課である。
 通りを歩いていても、道の中央を歩き、人の迷惑などお構いなしである。

 家は嫁の父親が建て、その父親も同居している、日本なら行いが悪ければ、とっくの
 昔に追い出されているだろう。
 訳のわからないことを言うから、嫁とはしょっちゅう喧嘩である。
 嫁も我がまま放題に育っているから、大変な騒ぎになる。

 長男が生きていた当時は、長男の一喝で静かにしていたが、長男の死後は言いたい
 放題だ。
 それが通るネパールでは 彼も幸せである。
 誰に尽くすことなく、好き勝手に生きてきた人生、それでもどうにかなっていくと
 いうのがネパールの不思議なところである。
 次男夫婦のところに行けば、いじめられ、ないがしろにされることがわかっているから、
 決して一緒に住もうとはしない。
 又、こういった性格だから、次男も一緒に住もうとは言わない。

 若い頃の習慣、身をこぎれいにして、街を歩く習慣は昔ながらである。
 きちんとプレスしたズボン、ワイシャツ、ジャケット、そして良く磨かれた靴、
 ラナ家の御曹司という幼いときから成人するまでの習慣は、そのまま残っている。
 ラナ家による専制政治の崩壊は 1951年 彼が29歳のときである。
 ラナ家のものであれば、何をしても許される時代を29歳まで生きてきたのだ。
 そして、あとは坂道を転がるように落ちぶれていったのだ。
 それでも長男の嫁の家の財力で、どうにかわがままを押し通すことが出来るのは
 全く運の強い人間といえる。
 一度も働くことなく、85歳になって どうにか生き続けていくことが出来ることは
 全く持って幸いなことである。


   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

 ネパールと係わりを持つようになってから25年になる。
 最初の3年はネパールとインドを往復し、ヴィザの延長を繰り返しながら、住み続けて
 いた。
 その後は、ネパールのヴィザのルールも変り、ツーリスト・ヴィザでは、年間5ヶ月が限度のなり、
 年間4,5ヶ月すむことを目安に居座り続けてきた。

 今住んでいる場所を借りて、住み始めて15年以上になる。
 実際正確に何年住んだのか、定かでないくらいだ。
 引っ越してきた時、小学生だった大家の息子も今では26歳になっている。
 私の住んでいるところの大家はチェットリ族である。
 その前はネワール族の大家でそこには、4年近く住んだ。そのネワール族の大家も、
 つい先日亡くなった。
 私にいろいろなエピソードを残してくれたちょっと変わって大家だった。
 それば、ブログの中のエピソードのカテゴリーの中で書いた。

 25年経っても、日本人の私からすれば、理解しがたいことも多い。
 こうして、長くネパールに住み着くと、大家との係わりも深くなり、その家族を見ていると、
 まるでネパールという国の縮図を見ているような気持ちになってしまう。

 今のところに越してきた当時は、2階が出来上がったばかりで、大家は1階に住んでいた。
 大家の家族は中学1年の長女、小学5年の長男、大家夫婦と、だんなの父親、
 奥さんの父親の6人家族だった。
 だんなはネパール航空の会計の仕事をしており、年に1度ネパール航空から配給される
 無料航空券で夫婦して香港、バンコクに行くのが楽しみの一つだった。
 そのだんなも13年前、癌でなくなり、大家は家賃収入だけで生活している。

 そもそもこの家も、奥さんの父親が一人暮らしだったことから、奥さんの父親が
 一緒に住むということで、パタンの郊外の土地をすべて売り払い、建てたものだ。
 土地を売り払ったお金の残りで、近くにもう1軒 賃貸しのための家屋がある。
 今の住んでいる建物は、3階建て半で4階部分に奥さんの父親の部屋が一部屋ある。
 家賃収入はすべて奥さんのもので、父親は1銭も手にしない。
 以前はインドでトラックの運転手をしていたが、彼の両親が年老いたということで、
 カトマンズに帰ってきた。
 そして、政府の大臣付の専属運転手の仕事を20年近く勤め、今は、そのわずか
 ばかりの年金が彼の収入のすべてだ。

 この奥さんの父親という人、まことに良くできた人で、ネパール人には珍しいくらい
 欲のない人である。もう85歳に手が届くが、家のごみ捨て、鉢植えの草花の水遣り、
 政府の水道水が来る時はモーターで水を汲み出すといった具合で 体の動く限り、
 なにかしら仕事をしている。
 食事も自分で用意し、ロティと茹でた野菜に塩をかけて食べる完全な菜食主義者だ。
 健康上心配なので、時々豆腐を買ってきて、彼に上げるようにしている。
 今唯一の楽しみといえば、近所のヒンズー教のババのところに行って、宗教の話を聞くことだ。
 ネパールがこんな人ばかりであれば、ネパールもさぞかし素晴らしい国になるのであるが、
 こんな人物は、全くまれである。
 何より いいのは謙虚であることだ。
 この大家の家族の中で信用できる人間といえば、このおじいさんだけだ。


   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

全2ページ

[1] [2]

[ 前のページ ]


.
hikaruno
hikaruno
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

標準グループ

美術・工芸

日本の政治

海外情報

ニュース

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(5)
  • ミーヤー
  • yag*o*ama
  • はーちゃん
  • ピタル…☆
  • アジアや世界の歴史や環境を学ぶ
友だち一覧

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事