ネパールにあるハンディクラフト

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 『アジアの布展 インド刺繍の世界』の展示会まで、
 残すところ数日になってしまった。
 6日にはギャラリーへの展示品の搬入、7日には会場の設営と 
 気持ちばかり、あせってくる。

 値札をつけ、ダンバールに入れ、アイロンがけの必要なものにはアイロンをかける。
 今までのんびり構えていたから、ここに来て大忙しである。

 今回の展示会で ネパールのウールセーターも展示しようと思っている。
 手紡ぎ、手編みのウール100%のセーターである。
 羊毛は チベットウールとニュージーランドウールの混毛の手紡ぎ糸だ。
 編みも カラフルなものでなかなか凝った編みこみ模様である。
 ネパールでは 品質の1番優れている店のセーターである。

 昔はネパールのセーターといえば、チベット毛だけの毛糸で織られていて、
 弾力性のないチベット毛で編まれたセーターは 着ているうちにどんどん伸びてきて、
 Mサイズが、いつの間にかXLサイズになるといったセーターであったが、
 今回、展示するセーターはそんなことのない1級品である。
 少し、厚手であるが、暖かさは保障済みである。


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 ネパールでチベッタン・カーペットが織られるようになったのは、中国によるチベット
 侵略によって、難民となったチベット人がネパールにやってきてからのように思われる。
 25年前に私がカトマンズにやって来た頃には、チベッタン・カーペットはネパールの
 重要な産業のひとつになっており、パタンのザウラケルあたりの作業場でも、チベッタン
 ・カーペット を織っている人たちの姿をよく見かけたものである。

 このカーペットビジネスで大金持ちになったチベット難民も多い。
 手に確かな職を持っていれば、どこでも生きていけるという証明だ。

 その頃は、まだ決まったパタンのものしか織られていなかったが、この頃では
 ヨーロッパ人業者がデザインを持ってきて、モダンな図柄のものを織らせることが
 多くなったようだ。
 畳3畳大くらいの大きさだ。値段も結構張る。

 湿気の多い畳のある日本の住居には、ダニなどもわき易く、合わないようだ。
 寒い田舎の冬場には 畳1畳大のチベッタン・カーペットは重宝するかもしれない。
 最近のマンションの板敷きのモダンライフには、ネパールのモダンな図柄も合うかもしれないが、
 すぐに飽きが来るような気がする。
 伝統の図柄には 適わないだろう。

 高価なものを好む日本の金持ちの眼は ペルシャ・カーペットの方に向いてしまうようだ。
 織りの細かさ、カーペットの耐久性では、どうしてもペルシャ・カーペットには敵わないようだ。

 私のカトマンズの部屋にもチベッタン・カーペットを敷いているが、カトマンズの
 住居の床は、大半コンクリートだから、絨毯なしでは、冬場はしんしんと冷え渡り、
 とても生活できたものではない。

 街中では、チベッタン・カーペットを肩に担いで売り歩く村の人たちの姿も よく
 眼にする。
 寒さ避けに使用するには、タメルあたりのカーペット屋で売られているものより安いし、
 充分である。

 近頃では、カトマンズ郊外の村に行くと、カーペット用の毛糸を紡いだり、
 カーペットを織っている農民たちも多い。ほとんど女たちの仕事だ。
 生活するためには、現金の必要になってきた村の生活では、貴重な現金収入になっている。
 昔から機織の盛んだったネワール族の里では、カーペットを織る音がよく聞こえてくる。
 布を織ることから、カーペット織りへの転換はスムーズに行われたようだ。

 25年前のキルティプールの街の中は、機織の音がいたるところで聞かれたが、
 今では それがカーペット織りに変わってしまった。
 寂しい気もする。
 それでなくても乏しい布文化のネパールである。


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 20年以上前、インドの砂漠地方のラジャスタンによく行った。
 バールメール、ジャイサルメールには良く通ったものだ。
 砂漠地帯の風景、民族衣装を当たり前のことのように身につけた砂漠の男や女たち、
 ラクダ、砂漠の中の宮殿、今でも眼に浮かぶ。
 楽な旅ではなかったが、貴重な想い出だ。

 カトマンズのジョッチェン、フリーク・ストリートの入り口に グジャラートから
 やって来たインド人の商うインド、パキスタンのアンティーク刺繍布の店があった。
 これも20年以上前のことだ。
 もともと彼らは、デリーの路上に露天を開き、商いをしていた人たちだ。
 今でも、コンノートプレスあたりの路上では、刺繍布、ペインティングなど品物を
 拡げ、商いをしている女たちを見かけることも出来るはずだ。

 一家の主は、パキスタン国境のラジャスタンまで出かけ、布を仕入れていたようだ。
 片足の少し不自由な男だった。売る仕事は娘たちの仕事だった。
 私はよくラジャスタンに行き、彼らの売っている品物を安く買うことが出来たので、
 この店で布を買うことはなかったが、からかい半分に良く立ち寄ったものだ。

 そんな時代から20年の歳月が流れた。
 フリーク・ストリートは、旅行者の溜まり場所をタメル地区に奪われ、刺繍布を売る
 彼らの店もタメルへと移っていった。
 1軒だった店も 孫、甥が商いに加わり、いつのまにか4,5軒へと増えていった。
 そんな彼らの店の何軒かを訪問してみた。
 1軒は甥の店、1軒は娘の店、昔に比べると随分こぎれいになっている。
 もう1軒の店には、あの足の不自由な一家の主が店の前に座り込んでいた。
 もう84歳になるという。少し痩せたようだが、当時の面影はそのまま残している。
 中には1番下の娘がいた。
 彼は私のことを忘れているらしいが、私は覚えている。
 彼はいつも仕入れにインドに出かけ、カトマンズにいることが少なく、出会う機会が
 なかったせいもある。
 彼の長女とは出会えば、声を掛け合う。

 カトマンズにもインド、パキスタン刺繍の店は増えてきた。ネパール人もこの商いに
 手を出すようになったからだ。
 しかし、30年近い彼らのキャリアの持つ力には適わない。
 布の値段は昔に比べると何倍にもなっているが、置いてあるアンティーク・刺繍布は
 かなり質の高いものだ。

 久しぶりにインド、パキスタンの刺繍布を見るにつけ、あの熱いラジャスタンの砂漠の
 大地が懐かしくなった。
 一緒に刺繍の仕事をしたマルワリ商人の若者ラビ・シャンカールはどうなっただろう。
 もう50近くなっているはずだ。
 親に頼らず、自分の力で自分の商いを開発すると頑張っていたが。
 もう1度、バールメールの街を訪れてみたくなった。


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 ネパールにはネパール・ライスペーパーと呼ばれるネパール紙(ネパーリー・カガット)
 と呼ばれる日本の所謂 和紙のようなものだ。
 何でライス・ペーパーと呼ばれているのか、ネパール人に訊いても知らないと言う。
 木の皮を煮出し、繊維を取り出し、細かい網上の木枠を使って、紙を作り出す製法は
 日本の和紙作りと同じようだ。

 25年前に初めてネパールにやってきた頃、旅行者のお土産として売られていたものは
 このネパール紙を使って、印刷されたカレンダー、シルクスクリーンで刷られた仏像の 
 絵、ネパールの山の人々の生活を描いたものなどが中心だった。

 それがいつの間にか、手帳、葉書・ビンセンセット、写真のアルバムなどと商品の種類 
 も増えてきているし、紙のそのものにも趣向が凝らされるようになり、木の葉などを
 紙の内側に入れた洒落たものも出回るようになっている。

 このネパール紙、本来は公文書として用いられていたものだ。
 25年前キルティプールに住み始めた頃、親しくしていたネワール族の農民カースト
 マハルザンの人に 建築代を援助するということで、3年分の家賃分として10万円を支払い、
 小さな家を造ってもらったことがある。
 途中で追い出されることがカトマンズではよくある話だと耳にしていたので、正式に
 契約を交わすことにしたのである。
 そのときに契約書としてネパール紙を使わなくてはならないことを初めて知ったのである。
 土地売買契約書、登記所など、正式の書類といえば、すべてこのネパール紙の使用が
 義務付けられていた。
 そのネパール紙を扱う店は土産物屋でなく、ローカルなバザールで10枚いくらという形で
 売られていた。
 その紙にタイプをして公文書を作るのである。
 ネパールでの紙の製造がいつ始まったのか知らないが、古い商人の商いの書付などにも
 使用されていたというから、マッラ王朝時代から使われていたらしい。

 近頃は、ランプシェードが流行らしい、昔は四面の中国風のランプシェードが
 よく売られていたが、この頃が凝ったデザインのものが増え、提灯のような形の洒落たものも
 多くなってきている。
 竹と紙の組み合わせという日本的なものである。

 ネパールでは、渋柿もあるから、柿渋を作り、柿渋を塗り、紙を補強したり、色合いに
 変化をつければ、面白い商品が生まれると思う。
 和紙を使った調度品、雑貨などにも利用できるはずである。

 私が育った田舎の家の近所で、渋柿を使って柿渋を作り、生活の足しにしている農家があった。
 その柿渋の臭い匂いの幼い頃の記憶が今でも残っている。

 ネパール紙を使った商品を扱う店には、70歳を越えた老人が座り込んでいた。
 この商いを続けて19年になるという。
 一時代、ネパールを支配したラナ家の末裔である。
 タメル地区は 昔は畑ばかりの土地で、その土地にラナ家は豪邸を建てていった。
 今でもその豪邸のいくつかは 残っているはずである。
 そのラナ家の末裔もネパール紙の土産物屋の店主におさまっている。
 時代は変わる、人の生活も変わる。


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 パタンのクッポンドールに 東ネパールのダッカ布とイラクサのショールの小さな店が
 ある。
 私がこの店と出会ったのは、20年近く前のことだ。
 当時 ネパールのダッカ布に興味を持っていたことから、東ネパールのダラン、ダンクッタ、
 ヒレ、バソンタプールまで行き、ダッカ布の生産地 テーラツムまで行くつもりであったが、
 自動車の行く道がバソンタプールまでで、それから2,3日歩いていかなくてはならないと
 聞き、諦めてしまったことがある。

 そんなことから、クッポンドールの通りを歩いていて、ダンクッタ・シスターという名が
 目に留まり、この店に入った。20年近く前のこと、ダッカ布、イラクサ製品もまだまだ、
 洗練されておらず、イラクサ製品などは、繊維を柔らかくするために漂白した白い糸で
 編んだストールやショールが置いてあった。

 今回、懐かしくもあり、ダッカ布やイラクサの商品がどんな風に変わっているのかを、
 確かめてみるために店の中に入ってみた。
 20年の月日の経過はたいしたものである。
 随分 洒落たものが多くなっている。イラクサで編んだショールやカーディガンも見栄えが
 よくなっている。
 ダッカ布のスカーフやショールも木綿でなく、シルクで織られるようになっている。
 細いシルク糸を使うと、時間がかかるせいか、ダッカ布の複雑な文様のものはない。
 どこからの援助もなく、店の経営を考えると、インドからシルク糸を大量に買い入れる必要があり、
 多様なシルク糸の買い付けは難しいという。
 タイあたりであれば、質の高いシルクの布など、王族や金持ちがこぞって買うだろう。
 ネパールではあまりそうした形はないから、ダッカ布の更なる発展も難しい。
 シルク糸を使っての素晴らしいショールなど作る技術があっても、外国からの注文がないと
 積極的に織ることが出来ないと言う。

 こつこつと絶え間なく努力している店ではあるが、村の人たちが中心になって運営しており、
 資金力がなく、大きなプロジェクトは組めないようである。
 ここで頑張っている女性たちは、ダンクッタの出身者や、その周辺の村の出身者のようだ。
 応対してくれた女性も、ダンクッタ出身者で、先住民族とチェットリ族との混血であると言う。
 キラティ(ライ、リンブー族)の流れを汲む先住民族らしく、本来はキラティと同じ宗教だったと
 いう話だ。

 ライ、リンブー族では死者が出ると、イラクサで織られた布で死者をくるみ、土葬にする。
 シェルパ族などは火葬にする。
 イラクサ、ダッカ布などは もともとは らい、リンブー族の仕事である。
 カトマンズのリチャビ王国の前には、ライ・リンブー族の祖先が キラティ王国を築き、
 カトマンズ盆地を支配していたと言われている。紀元前のことだ。
 彼らが東ネパールに辺境の地に住みながらも、高度な布文化を持っているというのも 
 そうした歴史を持つ民族であったからなのかもしれない。
 今から20年も昔にどうして、キラティ王国の子孫 ライ、リンブー族の布文化に惹かれたのか、
 不思議でならない。
 ネパールにきたら、是非 この店に立ち寄ってください。
 山から来た誠実な人たちが、誠実で良心的な織物を見せてくれるはずですから。


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