アジアの街角 一枚の写真から

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 ネパールでは 家族の中で 一番下の子供のことを 男の子ならカンチャ、女の子なら
 カンチーと呼ぶ。
 そこから来たのだろうか、ローカルな食堂や裕福な家庭で細々した下働きをしている
 子供たちを カンチャと呼ぶことが多い。

 10歳ぐらいから田舎の村から出てきた子供たちが ローカルな食堂や裕福な家庭で
 した働きをするというのは ネパールの古くからの習慣である。
 日本でも昔は丁稚奉公のような形で 貧しい家庭の子供たちが働いていたし、
 4,50年前までは 中学を卒業した子供たちが集団就職し 金の卵と言われ、話題に
 なっていた。

 私が25年前に初めてカトマンズを訪れたときも 滞在した宿の近くにあった
 貧乏旅行者のよく行くチベット人が経営する食堂でも 12,3歳の子供たちが
 働いていた。
 レストランの名前は 『ロースト・ホリズン』(失われた地平線)、中年過ぎの
 チベット人夫婦が経営していた。
 そのレストランでは ネパール人とドイツ人の混血の12,3歳の男の子が働いていて、
 その子の名前は 確かラムという名前だったような気がするが、ネパール人と外国人の
 間に生まれても こんなところで働かなくてはならないのかと不思議に思ったものだ。
 あれから25年経ってしまったが、あのラム君も40歳を過ぎているが その後
 どういった人生を歩んだのだろう。

 カトマンズにやって来たときに知り合った王族とのつながりのある家庭でも 
 10歳ぐらいの男の子がいて、その家の子供だと思っていたら、その子も下働きをする
 カンチャだった。

 昔、よくタカリ族の経営する安宿をよく利用したが、そこでも12,3歳前後の
 カンチャが働いていた。
 当時はこうした子供たちが下働きをして 安食堂や安宿を少なからず 支えていたの
 だった。
 当時は 給料なんて すずめの涙程度で、三度の食事と食堂の経営者の家族の子供の
 服のお古、寝る場所も 後片付けを済ませた食堂の机を並べ、ベッド代わりにして
 寝ていたり、安宿であれば、廊下の端っこに布団を敷いて寝ていたのをよく見かけた。
 それでも 村の貧しい家の子供たちが 米の飯にありつけるのは 贅沢なことで、
 村ではとうもろこしやひえ・粟のつぶした粉に湯を入れて作るディロ(蕎麦がきの
 ようなもの)に比べれば、数段に美味しく感じられただろう。
 米のご飯など 何か行事でもなければ、口にすることは出来なかった。
 ネパール最大の祭り ダサインの時には まとまったお金と新しい服が与えられ、
 里帰りはしていたようだった。

 私の住んでいる家の近くにも 12,3歳のカンチャが働いている。
 バウン族の家だから、働くカンチャもバウン族の子供である。
 洗濯、掃除、野菜を洗ったり、食後の後片付けは 彼の仕事である。

 私が 時々 屋上に上がると 雇われている家族の洗濯物を干している姿を
 よく見かける。
 このバウン族の家主は 私立大学の経営に参加しており、瞬く間に家を増築、土地も
 買い増ししたが、このカンチャを学校に通わせているかどうかはわからない。

 良心的な家庭で働けば、学校に通わせてもらえることも多い。
 近くに公立小学校を見学したことがあるが 朝6時から10時まで働き、10時から
 夕方の3時、4時まで学校で学び、家に帰って、再び、雇い主のした働きをするという
 子供たちが多かった。
 雇い主の子供たちは有名私立学校へ カンチャやカンチーは その家の下働きを
 しながら、お金のかからない公立学校へ通う。
 中には学校にも通わせてもらえないカンチャやカンチーもいるから そういう機会を
 得ただけでも良かったのかもしれないが、貧富の差、教育の機会均等からは程遠い
 ネパールの現実が カンチャ、カンチーの姿から伝わってくる。


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 雨期の激しい雨の後のぬかるみを 家財道具を荷車に積んで、引越ししていく人たちが
 通り過ぎてゆく。
 汲んできた水を貯めておく黒いポリタンク、バケツ、たらい、ガス台、布団などが
 積み込まれている。
 カトマンズの外の村から出稼ぎにやって来た人々の平均的な家財道具である。
 1部屋 6畳ぐらいの広さの部屋に家族3,4人が生活するための必要最低限度の
 家財道具である。

 水不足の深刻なカトマンズでは 水を汲み貯めておくポリタンクは必需品である。
 自炊が当然のネパールの生活では ガス台、もしくは灯油を使うコンロも必需品である。
 お金に余裕があれば、ガスボンベとガス台が利用できるが、お金に余裕のないものは
 灯油を使うコンロを利用する。
 私も25年前にカトマンズで生活を始めた頃は 灯油を使うコンロの世話になった。
 当時 カトマンズでは プロパンガスは普及していなかった。
 燃料費を考えれば、ガス器具を使うほうが安上がりであるが、ガスが切れたときに
 千ルピー以上のガスの交換は 難しい。
 灯油であれば、1リットル 60ルピー、無くなれば、買い足すことも出来る。
 近所の知り合いの雑貨屋の前に座り込んで 品物を買いに来る人を見ていると、
 大半の人は 米 1,2キロ、豆500グラム、香辛料を少しといった具合に
 その日に必要なものを買うだけで、纏め買いするだけの余裕はない。

 この荷車に載せた家財道具を見ると 戦前、戦後のどさくさ時代の庶民の生活が
 思い起こされる。
 夜の暗闇に紛れて、夜逃げをする庶民たちの姿は こんなものだったのだろう。
 皆が貧しければ、それを当たり前のものとして受け入れ、耐えていくことも
 出来たはずだ。
 又、そんな生活が出来る社会的なシステムも出来上がっていたに違いない。
 このカトマンズでも 店主と親しくなり、信用されれば、普段は付けで買い、
 月末にまとめて支払うということも出来る。
 タイの田舎あたりでも それが 昔は普通のことだった。

 貧しいもの同士が融通しあい、助け合うという習慣は 貧乏人にとっては 
 優しい人間関係をつくり、それに支えられて、皆どうにか生活していたのである。

 その時代に比べれば、今の日本は物質的にははるかに豊かになっているはずなのに
 皆 助け合うこともなくなり、近隣に対する関心もなく、隣近所で人知れず、餓死
 したり、病死する人も出てくる有様だ。
 寒々とした都市生活の日本である。
 こんな社会を目指して 戦後60年間 日本人は 頑張り続けてきたのだろうか。
 生き生きした共生できる社会であれば、多少貧しくても助け合って生きていけるはず
 である。
 カトマンズの地方からやって来た人々の生活は 決して豊かなものではないが、
 路上生活者をあまり見かけることもないし、餓死した人の話を聞くこともない。
 切羽詰れば、どこか救いの手が差し伸べられるのである。

 カトマンズでは 昔から村を逃げ出してきた子供たちが多かったが、夜遅くなると、
 レストランや食堂の主人が 子供たちに残り物を与えているのをよく見かけたものだ。
 家で飼われていない路上の犬たちだって、食べ物にありつき、どうにか生きていける
 世界である。

 いくら豊かになっても 優しさを忘れてしまえば、社会は地獄の様相を見せてくる。
 それが 今の日本である。
 貧富の格差が拡がり、分け合うことを忘れ、支えあうことを忘れてしまえば、
 人にとって 社会は 地獄でしかない。
 勝ち組、負け組みを当然のことにしてしまう社会に未来はない。



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 私が パタンのクポンドールのこの地域に住み始めてから、20年近くなる。
 その当時 南インドからやってきていたインド人の知り合いが住んでおり、
 そのつてでこの場所に住むようになった。
 まだまだ 住宅も密集していなかったし、通りも全く舗装されていない泥道だった。

 そんな中で やたら目立つ当時にしては あまりに近代的な装いの家が 
 2軒建っていた。
 話を聞くと インドのマルワリ商人の事業家兄弟が シンガポールから家の設計図を
 取り寄せて、建てた豪華な家だった。
 部屋数も15部屋ほどありそうな3階建ての建物である。
 今では この家より立派な家が カトマンズに数多く建ち並んでいるが
 20年前は この地域に住む人も驚くぐらいの近代的な家だったのである。

 ネパールでは ネパール国籍を持っていなければ、土地を買って、家を建てることは
 出来ない。
 このインド人のマルワリ商人は インドとネパールの二つの国籍を手に入れていたに
 違いない。
 ネパールは 賄賂しだいでインド人が簡単にネパール国籍を得ることが出来る。
 最近のように いん度と国境を接する南ネパールのタライ地方のインド系住民なども
 二つの国籍を持ち、いざとなったら、インド国籍を利用する。
 ネパール国籍は 商売を容易にするため、そして、ネパールの土地を簡単に手に入れる
 方便だ。

 この家を建てたマルワリ商人も 事業に失敗し、銀行のローンの担保にこの家を
 入れていたせいで、競売に出されてしまった。
 そして、莫大な負債をネパールに残し、そのまま、インドへと とんづらしてしまった。

 競売に出たこの家を安く買ったのは ネワール族の仏教カースト サッキャ・カーストの人である。
 ネワール族のサッキャ・カーストといえば、2千年前から、このカトマンズ盆地に住み、
 ネパール・チベット貿易に従事していた人たちで、ネパールから米や生活必需品を運び、
 チベットから金を輸入していた人たちである。
 今でも 金関係の商売は サッキャ・カーストの人たちの大きな商売である。
 競売でこの家を買ったサッキャ・カーストの人も 金の商売を手広く行う人である。

 このサッキャ・カーストの人には 別の持ち家があるらしく、すぐさま、この家は
 貸家になり、月5万ルピー(約6万円)で別のインドのマルワリ商人に貸し出された。

 私の住んでいるところは 月6千ルピーの家賃である。
 一部屋を借りての間借り生活者の家賃は 部屋の大きさによって違うが、
 1200ルピー(約1500円)から2000ルピー(約2500円)円というのが
 相場である。
 部屋にはトイレも水道もなく 他の間借り生活者との共同使用だ。
 洗濯用、水浴用の水は 路上の手押しポンプ、バグマティ川沿いの水場を利用している。

 つい最近のことであるが、このネパールにしては豪華だったこの家の門のまえに
 ネパール兵が立っている。
 どうしてなのだろうかと近所の人に尋ねてみると、この家に ネパールの法務大臣が
 住み始めたと言う。
 月の家賃は 7万5千ルピー(約10万円)である。
 大臣が住むようになったから、この地域の水事情が改善するのではと期待している
 ようだが、政府から供給されたこの家、そして警備の兵隊、運転手付の三菱パジェロ、
 水はタンクローリから購入というのでは どれだけ、カトマンズ庶民の苦しみが
 わかることやら。
 贅沢に慣れた議員や大臣たちは そのうち この家よりも立派な家を持つようになると
 いうのが、いつものネパールの姿である。
 そのお金の出所はといえば、どこの国でも同じだが、賄賂によってである。

 カトマンズ庶民は 深刻な水不足、昨年の2倍、3倍に高騰した野菜の値上がりで
 青息戸息である。



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 パタンのクポンドールの大通りに出る手前の道の脇で いつも見かける果物売りの
 おばあさんがいる。
 私がこの地域に住み始めてから 20年近くの時が経っているが、その間、ずっと
 見かけているような気もする。
 果物といっても ネパール産の果物で 季節によっては スモモ、小さな桃、ギャバ
 であったりするが、今の季節には 梨を売っている。
 梨といっても 日本の今どきの豊水、幸水といった甘くて柔らかい梨ではなく、
 日本の昔の長十郎に近い梨だ。

 今日も路上で商いをする彼女のところに行って、甘くない少し酸っぱくて硬い梨を
 買うことにした。
 その積み上げられている梨の中から、形のよいものを選び出し、1キロほど買った。
 1キロ40ルピー 日本円で約50円である。

「時々見かけるおばさんのだんなは元気かい。この頃あまり見かけないけれど」

「そろそろ起きだしてくる頃だよ。(もう午後2時過ぎである)
 年をとっているからね。」

「ネパールでは 男が働かないから 女は大変だね」

「そうだよ、全く」

「ネパールでは 男は楽でいいね。男の天国だね」

 そんな会話をしていると そばにいた女の人も一緒に笑っている。
 この果物売りのおばあさん タマン族の女性である。
 彼女の商いで 年上のだんなを養っている。
 子供もいるようだが、一緒には生活していないと言っている。
 子供たちには期待できない老後のようだ。

 ネパールでは 共同体のしっかりしているネワール族を除けば、貧しければ、
 このおばあさんのような状況になってしまう。
 財産があれば、ある程度 子供をコントロールすることも出来るが、それがなければ、
 子供に期待は出来ない。
 特にタマン族の場合、貧しい家庭の場合、子供には余り手をかけないし、かけられない。
 子供の教育にも熱心ではない。
 この頃は、ずいぶん変わったと思うが、一時代前には 子供たちは12,3歳になると
 勝手に村を飛び出し、ローカルな食堂やお茶を飲ませる店で 皿洗いや料理やお茶を
 運ぶ仕事をしているのをよく見かけた。
 今でも マガール族やタマン族の子供たちが ローカルな食堂で働いているのを
 目にする。

 子供に手をかけない分だけ、親たちも 子供には自分たちの面倒を見てもらうと
 いうことは期待しないようだ。
 親も子供も自分たちの面倒を見ることで精一杯なのである。
 年金制度などないネパールでは 貧しい家に生まれたものは 死ぬまで自分の面倒を
 見るというのが当たり前の姿である。

 この240年にわたるチェットリ族、バウン族の支配は 富を 支配者に集中させて
 きたのである。
 字も読めず、書けず、その上複雑な計算も出来ないとなれば、バウン族、チェットリ族 
 の意のままの240年間だったのだ。
 借金のかたに うまく土地を奪われる、農業に適した土地は バウン族、チェットリ族 
 に独占されるという歴史だったのである。
 マオイストの中に タマン族、マガール族、ライ・リンブー族が多いのも 240年間 
 の理不尽な扱いに対する反発からである。

 この果物売りのおばあさんの顔に刻まれた皴の多さは この歳に至るまでの苦労の証である。
 厳しい肉体労働に耐えてきた印しである。
 梨を売り、大きなきゅうり(カンクロウ)を売って どれだけの利益があるのだろう。
 病気にでもなって、寝込んでしまえば、食事を摂るすら難しい。
 彼女の肩には 彼女より年老いた夫が 乗っかっているのである。
 働けど、働けど 我が暮らし 楽にならざるといった世界だ。
 とにかく、死ぬまで生きるという苦しい生活の連続なのである。
 別に怠けて生きてきたわけではないのである。


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 夕方近く バグマティ川の工事中の橋造りの現場に行き、そこから対岸にある
 スクムバシ(スラム)を眺めていると すぐそばの工事現場で働く人のための
 粗末な小屋から 二人の若者が出てきて 私に話しかけてきた。
 この橋造りの現場で働いている若者たちだった。

 話をしているうちにわかったことは 彼らは南ネパールのタライ地方のビルガンジに
 近いスルケットという小さな町周辺の村からやってきている。
 ネパールの学校制度の中では 9年生で 日本では中学3年生という計算になる。
 顔つきを見ると ネパールでは大人びた顔つきをしているから、学校に入る時期が
 遅かったのだろう。
 来年は 彼らも10年生になり SLC 高校卒業資格試験の年になる。
 この工事現場で働き始めて1ヶ月、あと1ヶ月 ここで働いたら、自分の村に帰る
 予定だ。
 給料は 月にして6千ルピー 寝泊りできる部屋はただであるにしても どのくらい
 お金を残すことが出来るのだろう。
 貯めたお金は授業料や教材費などに当てると言う。

 25年ほど前は ネパールでは 大学生といえば、国立大学 トリブバン大学に
 通う大学生だけだった。
 大半の学生たちは アルバイトをしながら、大学に通っていた。
 朝6時から10時までの学ぶグループは 授業が終わると 大急ぎで仕事場に
 出かけていた。
 学びたいから 苦労しても学んでいたのである。
 タライからやってきたこの二人の若者もそうである。

 こんな若者もいれば、同じタライ地方からやってきて 彼らの給料以上の仕送りを
 受け、1日2,3時間の授業の授業が終わると あとは遊び歩いている大学生もいる。
 学びたいから わざわざ南ネパールのタライからやってきたのでなく、大学卒業資格を
 得ることが出来れば、少しは楽な仕事を得ることが出来るといったそんな程度である。
 私立大学に通っている大学生の姿は 皆こんなものである。

 ネパールは貧しい、貧しいと言いながらも 富める者たちの子供たちは 何一つ
 苦労することもなく、青春を謳歌している。
 この2割の富める者たちのために 8割の貧しい人たちが どんなに苦しい思いを
 しているのか、そんなことは 2割の富める者たちの息子にとっては 関係のない
 話である。

 私の住んでいる部屋の下に そんなドラ息子たちが住んでいるが、この水不足の中、
 他の人間のことなど考えず、ある水をすべて使い果たしても平気、
 自分たちも努力をして この水不足の危機を乗り越えようとはしない。
 口は動かしても 身体は動かそうとしない。
 自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの、自分さえよければ、
 それでいいというネパールの中産階級のわがままをそのまま表している。
 
 橋の工事現場で出会った若者には 謙虚さが感じられたが、階下に住む大学生
 中産階級のドラ息子たちには 自己本位なわがままがあるだけである。
 自分の要求ばかりを主張し、人の話に耳を傾けようとしない。
 バウン族(高カーストの僧侶階級)の特性そのままである。

 近所にも多くのバウン族が住んでいるが 彼らも自分の主張ばかりで、
 人の話をきちんと聴こうから、議論にも話し合いにもならない。

 タライ地方は カトマンズ以上に身分制差別の多い地域である。
 タライからやってきた貧しい若者は 低賃金の肉体労働で国を支え、
 タライの富める者たちの息子は 大声を上げて、街中で騒ぐ。
 静かなカトマンズがどこかに行ってしまった。
 謙譲と謙虚さを持つ先住民族の醸し出す穏やかなカトマンズは 
 いずこへといった今のカトマンズである。



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