アジアの街角 一枚の写真から

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 カトマンズの街の中を歩いていると、よく野次馬集団に出会うことがある。
 ちょっとした事件が路上で起これば、すぐさま人が集まってきて、事件を眺め、
 中には 事件の仲裁役を勤める人も出てくる。

 何年か前、カトマンズの小さなレストランで食事をしているとき、そのレストランの
 近くのネワール族の人が 私のところにやってきて、
 「誰か分からないけれど、あなたの自転車を持っていっている人間がいるが、すぐに
 確かめたほうがいい」と教えてくれた。
 私が自転車を停めて置いたところを見ると、自転車がない。
 鍵もかけておいたにもかかわらずである。
 
 すぐさま、そのネパール人と一緒に 私の自転車を盗んだ自転車泥棒を追いかけると、
 鍵のかかっている後輪を持ち上げながら 泥棒は何知らぬ様子で歩いている。
 ワイシャツとスラックスを穿いた普通の若者であり、服装も貧相には見えない。
 一緒に泥棒を追いかけてくれた近所の人が
 「その自転車は お前のか」と問いかけ、私が「私の自転車だ」と言って、その男を
 捕まえると、すぐさま人が集まってくる。
 食事をしていたレストランのネパール人のグルン族の若い従業員など 私以上に
 興奮して自転車泥棒の胸倉を掴み、パンチを2,3発 見舞ってしまった。
 普段は温和に見えるこの若者、いざとなったら やるものだなと感心してしまった。

 20人近く集まったネパール人に囲まれてしまえば、自転車泥棒も逃げようはない。
 わいわいがやがやと騒ぎながらも警察に引き渡すという話は出てこない。
 グルン族の若者のパンチが お仕置きで 二度とこんなことをするなということで
 ことは収まった。
 私もそれでいいと思った。
 皆の前で恥をかき、もうこのあたりを歩くことが出来ないだろう。
 人々の対応には どこかに人間に対する優しさを感じさせるものがあった。
 警察などは庶民の味方ではないといった感情がどこかにあり、お仕置きを済ませれば、
 それでいいというおおらかさ、これはネパール人の良さでもある。

 この野次馬という現象は どこか庶民の好奇心の強さ、心の健康さを示しているように思う。
 何か起こっても無視を決め込む日本とは 正反対の庶民の姿である。

 カトマンズでよく見かける政治運動やデモ、ゼネストもこの延長線上にあるように
 思われる。
 世の中で何が起こっているのか、それに対する好奇心があることは、心の動きが 
 健全な証拠である。

 この記事に載せた写真は 王制廃止が決定された次の日に、王宮に掲げた王室の旗を
 降ろさぬことに対する抗議に集まったデモ隊を 木に登って眺める野次馬たちの姿で
 ある。
 デモ隊の人数は数百人規模のものであったが、それが 夜のテレビニュースでは 
 大変な数の人が集まったかのように報道されていた。
 しかし、野次馬たちは その報道には騙されない。

 政治的な報道というものは どこかで政治的な意図的なものが含まれ、ある出来事は
 大げさに ある出来事は過小に取り上げることになる。
 しかし、野次馬根性を持った庶民たちは 簡単には騙されない。
 彼らは 何が本当で、何が嘘かを見極める生活姿勢がある。

 この野次馬根性を失わずに持ち続けていることは、社会の健康さを生み出す力のような
 気もしてくる。
 野次馬根性を失い、世界の出来事を テレビや新聞などのマスコミを通して知ること、
 それを容易に信じ込んでしまう、そんなところから 民衆の活力、健康さが失われて
 いく。
 こうなると、支配者はマスコミを使って、民衆や庶民の感情など、いくら操作出来る
 ようになる。
 まさに今の日本がそうである。



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 日本に帰国して 10日近くも経つと、無性にカトマンズやバンコクが恋しくなり、
 心は カトマンズやバンコクに飛んで行ってしまう。
 今の日本よりもカトマンズやバンコクに住む人々のほうが より人間らしく生活して
 いるように思えるからだ。

 昼過ぎに カトマンズの中心のアカス・バイラブ寺院のあるインドラ・チョークから
 外国人旅行者の溜まり場であるタメル地区のほうに向かって歩いてみる。
 夕方近くになると 野菜・果物売りで賑わう交差点がある。
 夕方を過ぎると この交差点は人々の行き帰りで オートバイ、自動車、リキシャ、
 人で混み合い、動きが取れなくなる場所だ。

 夕方には混み合うこの場所も昼過ぎの午後のひと時は ゆったりと時間が流れ、
 人々は交差点のすぐ脇にある小さな寺院の上に座り込み、あるいは粗末な御茶屋さんに
 座り込んで午後のひと時を過ごしている。
 仕事があるのか、ないのか わからないけれど、座り込んでいる人々の顔を見ても
 それほど深刻な表情はない。

 ネパールは バングラディッシュなどと並んで アジアの最貧国の一つであると
 いわれているが、人々の生活を見ていると、アジアの先進国といわれている日本よりも
 はるかに豊かな時間があるように感じられる。
 合理的に効率的に目的的に時間を使うという点では 
 確かに日本人のほうが勝っているだろう。
 しかし、それは人間にとっての、あるいは自分にとっての時間を豊かに過ごすこととは
 別物だろう。
 『時は金なり』という発想から考えれば、まさに無駄に時間を使っていることになるが、
 心と身体を自分のために使うための時間という意味では より人間的な時間の過ごし方である。
 お金がなければ、物に囲まれた贅沢な暮らしは出来ない。
 毎日美味しいものを食べることも出来ない。
 しかし、便利な電気製品に囲まれること、毎日、とっかえ ひっかえ 洋服を
 着替えること それは本来人間らしい生活とは別物である。
 結婚式などの特別な行事に着る余所行きの服が いくらかあれば充分で
 普段の生活では 何を着ていても構わないのである。
 美味しいものは 行事の際にたまに食べれば、美味しさも倍増するものだし、
 喜びも大きい。
 飽食の中で太り、ダイエットに苦しむ先進諸国の人々に比べれば、全うな姿である。

 仕事に追われ、家族や地域をないがしろにしていて、どんな楽しみが生まれると
 いうのだろう。
 アジア人の本来の生活は 合理的効率的に時間を使うというものではなく、
 豊かなのんびりとした時間と自然と共存しながら、地域と家族を大切にするといったもので
 あったはずだ。
 今の日本では それがすっかり忘れられてしまっている。

 アジア人にはアジア人の体質に合った生き方があるはずで そのためにアジアの多くの
 国々が欧米の植民地化を許してしまったが、だからといって、アジア文明が 精神的に
 欧米文明に劣っているとはいえない。
 今 地球規模で起こっている環境異変は 変化・発展を求め続けてきた西洋文明の
 結果であることは忘れてはならない。
 より人間らしく生きていくために もう一度 アジア文明の価値を見直しても
 いい時代になってきているのではなかろうか。
 それは文明という大げさなものではなく、アジアの国の人々のささやかな日常の営みと
 いったものだろう。


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 季節は 冬から春へと 確実に移っているが、それでもまだまだ明け方には
 寒さが残っている。
 人々は 朝靄の中から、暖かい陽射しの訪れるのをひたすらに待ち、陽射しが
 射し始め、大気を暖め始めると、三々五々、家の外に出てくる。
 顔を洗い、歯を磨き、口をゆすぎ、朝の目覚めを促す。
 女たちは 朝餉の準備、子供たちは水場へ水を汲みに行く。
 水を汲み終えた子供たちは 母親の朝餉の用意できたという声を待って
 うろうろとあたりを動き回っている。

 人々の動きも寒さのためか、ゆっくりとしており、身体もまだまだ本調子では
 動き出していない。
 自然の時の流れに身を任せた人々の朝の姿、こんな人々の姿、そして光景は
 もう東京やバンコクでは見ることの出来ないものだ。

 時間に追われ、仕事に追われ、人間の持っている本来の朝の目覚めを犠牲にしながら、
 人々は働き、より多くの欲望に捉えられて、自分の生活のリズムを失っていく。
 朝の目覚めとともに 自分を取り戻すこともないままに…。

 カトマンズの川辺の朝、古いレンガ造りの建物の小さな広場、朝靄の中で
 1日の始まりをゆったりと味わいながら、緩慢に動き出す人々、
 これが本来の朝の始まりなのだ。

 25年前に住んでいたカトマンズ郊外のキルティプールの朝もこんな光景だった。
 日が昇り、朝靄が晴れ、陽の光が差し込み、寒さに震えて縮こまっていた身体と
 心が背伸びを始める。
 昔、旅をしたインドの村にもこんな朝があった。
 人々は家の前に出てきて、歯を磨き、顔を洗う。
 朝日とともに起き、夕陽が沈み、暗闇が迫ると、夕餉を済ませ、眠りに入る。
 それはケララの小さな村パイヤヌールの朝だった。
 井戸から水を汲み上げ、その水で顔を洗い、口をゆすいだ。
 電気など来ていないオイルランプの中での村の生活の日々だった。

 ラクソールからビルガンジへのインドからネパールへの国境越えの早朝にも
 人々の朝の息吹を感じさせる朝があった。

 そんな朝があったことを バグマティ川の岸辺で生活する人々の姿の中に
 思い出した。

 今の都会では 当たり前のことが何なのか、人々はすっかり忘れてしまっている。
 朝 自然と調和した自分のペースとともに目覚め、夜は眠りに就く。
 今 カトマンズは 1日14時間の計画停電の真っ最中だ。
 停電の中の生活は 確かに不便なものだが、人々は何かを取り戻している。
 文明によって、進歩によって 人間が何を得、何を失ったのか。


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 近所の通りを歩いていると サトウキビを担いで歩いている男に出会った。
 いかにも山の村からやってきたという風貌の男である。
 ちょうど 私の目の前で 一休みのために立ち止まり 煙草をふかし始めた。
 写真になる男である。
 何族かと訊いてみると ライ族だと言い、ソル地方から遣ってきたと言う。

 ライ・リンブー族というのは 今から2千年以上も昔、カトマンズ盆地に
 小さな王国 キラティ王国を作り上げた民族である。
 その後、ネワール族のリッチャビ王国、マッラ王国が成立する過程の中で 再び
 地方へと散らばり、ソル・クンブー地方など東ネパールを中心として住んでいる。
 ダージリン、シッキムあたりまで彼らの移住地がある。
 ブータンあたりも住んでいるだろうと思われる。

 古い昔に中国あたりから南下してきた民族ではないかと思っている。
 ネパールでは、高度な織物の技術を持ち、綴れ織り、刺繍などに秀でている。
 独特の土着宗教を持ち、キラティという神様を敬い、その神様の好む豚を
 捧げるために豚を飼う民族である。
 ライ族もリンブー族も多くの部族に分かれ、部族が違えば、言葉も違い、
 理解し合うことも難しく、まとまるのが難しい状況になっている。

 ライ・リンブー族といえば、イギリス傭兵のグルカ兵でも有名で 
 死を恐れぬ果敢ぶり、命令に対する従順さを買われている。
 しかし、第1次世界大戦に始まるイギリス軍のこの百年の戦いの中でいかに
 多くの命を落としてきたことか。
 それは、グルカ兵としてともにその役割を担ってきたグルン族、マガール族に
 ついても言えることだ。

 狩猟を得意とするライ族は グルカ兵の中でも主に狙撃兵として活躍したようだ。
 視力が素晴らしいのである。

 山岳部に住む彼らは グルカ兵としての職を得れば 別だが、大半は苦しい生活を
 強いられている。
 サトウキビを担ぐこの男も お金を得るためにカトマンズにやって来て、
 力仕事をしているのである。
 油や布、塩、砂糖を買うためには現金が必要なのである。

 真面目で真っ直ぐな気質の彼らは 人に媚びるようなことはしない。
 どこかにキラティ王国の末裔であることに対するプライドが 残っているのである。
 そんな片鱗を彼の顔つきに見たような気がした。


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 1週間前の肌寒さが まるで嘘のような暑いバンコクになってしまった。
 日増しに気温は上がっていくばかりで、日中に戸外を歩くのも億劫になる。
 しかし、これが1月の本来の気候である。

 MBKセンターの前に 現代美術館が完成してから、半年ばかりになる。
 もともと公園のあった場所に建てられたものだ。
 いろいろ反対運動もあったようだが、結局建てられてしまった。

 タイルを敷いた美術館前の広場には 今 二つの鉄製の彫刻物が置かれている。
 この暑さの中で ますます暑さを感じさせる鉄製の彫刻である。
 道行く人は 関心を示すことなく、通り過ぎてゆく。

 その彫刻物のちょうど後ろに 以前の公園の名残のように 枝をしっかり広げて
 日陰を作っている1本の樹が立っている。
 その下には オートバイで客を運ぶ運転手が 座り込んで客待ちをしている。
 彫刻物の中では 鉄で造られた人間が 外へ出ようともがいている。

 この二つの光景を眺めながら、一体どちらが人間的なものなのか、文化的なものなのか、
 人間の知恵の産物なのかを考えてしまう。

 人に潤いを与えるという意味ではどちらが勝っているのだろうか。
 自然というものは 長い年月に渡って 人間に 潤い、食料と多くのものを与え続けて
 来た。
 公園をつぶし、樹木を伐採し、近代的な美術館が出来た。
 美術館の横で 細々と生きながらえ、それでもなおかつ 人間に恵みを与えようとする
 あの1本の樹木ほどの価値を 恵みを この美術館は人々に与えているのだろうか。
 民衆のもとめているものと 政府、国家の与えようとするものは いつでもすれ違ってしまう。

 政府というものがお金をかけて 何か施設を作ると 大半はこんなものになり、
 国民にとっては無用の長物になってしまうことが多い。

 戦後 多くの近代ビルディングが建てられたが、百年、2百年後 
 その姿を残していくものがどれだけあるのだろう。
 民衆に愛されない建造物は いつか古くなれば 壊されるだけである。
 人間的なにおいのしない建物は 人に愛されるはずもないし、
 人々に潤いを与えることもない。

 このバンコクの街も いたるところで 建築ラッシュである。
 この勢いの中で 街と自然を共生させようという視点はない。
 樹木より派手なイルミネーションの方が 人を集めやすいからだろうが、
 そんな中で人々の心は 潤いのない殺伐としたものになっていくのだろう。
 近代への誤った憧れは 人々をますます孤独な世界へと追いやっていくことになる。
 工業生産のものに囲まれた生活、消費を謡う社会は 人々を どんどん自然から
 遠ざけていくだろう。
 その先には 一体何が待っているのだろう。


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