アジアの街角 一枚の写真から

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

 私の住んでいるアパートのすぐ裏にセンセーブ運河が流れ、その運河を水上バスが
 走っている。
 そして、アパートからすぐのところに水上バス乗り場 サファン・フアチャンがある。
 この乗り場の先には タイのシルク王として有名なジム・トンプソンの住んでいた屋敷があり、
 その対岸にはジム・トンプソンのためにシルクの布を織っていたイスラム教徒チャム族の集落 
 バーン・クルアがある。
 この集落は 家々が密集しているが、いわゆるスラムではない。
 このバーン・クルアにチャム族が住むようになってから150年以上住み着いた人々の
 歴史が残る場所だ。
 だから、この地区には古いタイスタイルの木造の魅力的な建物が今でも残っている。
 私もこの集落のことを1年近く前に知り、この集落の中をよく散策した。
 そんなことから、私にとっては親しみのある場所になっている。

 25年もネパール、インド、タイとうろつきまわっていると、
 いつの間にか忘れることの出来ない場所が生まれてくるものだ。

 カトマンズ郊外のキルティプール、インドの砂漠の街 バールメール、南インドの
 ケララ州のパイヤヌール、コバラムビーチ、タイならウタイタニの村、パッチョン、
 コンケンなどがある。
 これらの場所の風景は いつまでも心に残り、私の心を慰めたり、時には苦しめたりも
 する。
 それが生きていたという証なのかもしれない。

 このイスラム教徒の住むバーン・クルアの集落とセンセーブ運河、そして水上バス
 この風景は バンコクの生活を思い出すときには 必ず浮かび上がってくる風景の
 一つになるだろう。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++
   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

イメージ 1

 私が タイによく行き始めた1987年頃、バンコクでの滞在先といえば
 中華街の安ホテルだった。
 その頃、安ホテルの1階は食堂になっていて、そこでは小学校を出たばかりの
 子供たちが働いているのをよく見かけた。

 その頃のタイの中学へ進学率の統計を見てみると、全国平均で38%、貧しい地域と
 言われている東北部では、24%であったが、バンコクではその当時でも中学への
 進学率は96%にも達していた。
 現在は 中学への進学率は 90%近くまでなっているようだが、バンコクと地方との
 格差は未だにあるようだ。
 高校への進学率は 50%近くになってしまう。
 地方によっては20%以下だろう。
 お金にゆとりのない家庭の子供たちは 高校への進学も、大学への進学も
 かなり難しいというのが現実である。
 タイ人の人生の分岐点が 中学から高校への進学の有無で決まってしまうようだ。

 タイでは学歴の違いで 就職の機会、給料の違いがはっきりしてくる。
 同じ職種でも学歴によって 給料は違うし、昇進の速度も違う。
 これは日本でも同じであるが・・・。

 1970年代前後の日本のことを思い出してみると、今のタイと重なってくる。
 私の育ったのは田舎であったから、高校への進学率は 70%ぐらいだった。
 クラスの14,5人は就職組で 大阪を中心とした地方都市へと旅立っていった。
 職種といえば、工場や店員のような仕事が多かったのだろう。

 バンコクの中学卒業の給料は 月収6千バーツ強程度である。
 大きな企業であれば、寮などもあるかもしれないが、大半は住むところは自前である。
 食べるのが精一杯で 貯金も仕送りもほとんどできるはずもない。
 映画を見れば、70バーツ、1日の給料の3分の1がなくなる。
 15歳から30歳近くまで仕事を続けたとしても どれだけの昇給が期待されるの
 だろう。

 大学が集中しているバンコク市民には高学歴を得る機会もあるし、
 それに伴う財力もある。
 短大、4年制大学卒は合わせて20%以下である。
 タイの東大のような存在のチューラコン大学の学生の顔を見ても、
 大半は 中国系タイ人である。

 どこに生まれるか、どんな家庭に生まれるかで その後の一生が決まるのが、
 発展途上国の現実である。

 タイはここ20年で大きな経済成長を果たしたが、その恩恵を受けているのは
 大学に進学させることの出来る財力を持っている家だけである。
 反政府運動の団体 連合(PAD)には そこがみえていない。
 どう見ても バンコク市民が 既存の利権を護るために運動しているとしか見えない。
 彼らの口から、貧富の格差、教育の機会均等の声は聞こえては来ない。
 未だに プー・ディー(特権階級)とプライ(庶民)との溝は埋まっていかない。
 地方農民が 我が子のために高教育を与えるのは至難の業である。
 頑張っても中学進学が精一杯である。
 中学を卒業すれば、出稼ぎに行くより道はないところに 
 生活水準の格差は生まれてくる。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++
   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

イメージ 1

 カトマンズの街の中を歩いていると、道の端っこに座り込んで靴の修理の仕事に
 出会うことがよくある。
 カトマンズはまだまだ使えるものは、最後まで使い切るという習慣が残っているから、
 まだ充分に修理の仕事は成り立っている。
 電気製品の修理、自転車、オートバイ、自動車の修理の店はいたるところにある。
 日本の粗大ごみなど、ネパールに持っていけば、修理されて、売りに出され、
 いい商売になるだろう。

 私も靴の修理などよく世話になる。
 ビニールのサンダル、皮のサンダルの縫い目がほつれてしまうと、
 応急処置として役立つ。
 カトマンズのように埃が舞うような道路事情の悪い場所では、
 高い靴を履くよりは、修理品で充分である。
 5ルピー(7円)、10ルピーほど払えば、簡単に修理してもらえるが、
 見た目はそれほどよくはない。
 それでも1ヶ月ほどは使える。そして、又修理すればいいのである。

 路上で靴直しをしている人々は サルキと呼ばれる皮職人のカーストの人たちである。
 技術のしっかりしている皮職人なら、靴店の専属にもなるし、自分で小さな店を持つ
 こともあるが、路上の靴直しは 気楽にやっていて、技術の向上などという考えはない。
 昔からのやり方をそのまま踏襲しているだけだ。
 この頃では 靴の材料は中国やバンコクあたりから輸入され、
 新しい技術も必要になるが、路上の靴職人には関心のないことである。

 サルキと呼ばれるカーストは動物の皮を扱う職人ということで、
 ヒンズー教のカーストの中で最下層カーストのダリットに属する。
 何千年にも渡って差別されてきたカーストの一つである。
 与えられた仕事とこなすというだけで、それ以上の意欲を育てることもなかった。
 そのために技術の向上という意識を持つことはなかった。

 カーストという制度は 人々の身分を固定して、社会の変化、変容を避けるために
 取り入れられた制度であるともいわれている。
 技術の進歩、社会の発展を望まなかった時代の産物である。

 現代はそれとは反対に 社会の変化・発展を是とする価値観の下に進んでいる世界で
 ある。
 そのため、社会は絶えず変化しており、人々はその変化・発展についていくために
 四苦八苦して フラストレーションを募らせている。
 自分のペースで生活するというより、周りのペースに合わせることに必死にならざるを
 得ない社会である。
 カースト制度という上下関係を持った制度を認めるつもりはないが、
 近頃のあまりに変化の多い不安定な社会はどうにかならないものかとも思えてくる。
 カーストはなくても、貧富の差という別のカーストが生まれてきているようにも思える。

 歩道に座り込み、昼間から酒の臭いをさせながら、靴直しをしている彼らの姿を
 見るにつけ、日本であくせく働いている人より、生活を楽しんでいるのかもしれない。
 そんな気もしてくる。
 少なくとも、無理だけはしていないようである。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++
   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

イメージ 1

 ネパールに行けば、必ず耳にする言葉は マオイスト(ネパール語でマオバティ)、
 正式にはネパール共産党毛沢東主義派のことであり、その最高指導者は 
 プラチャンダ議長である。
 そして、現在のネパールの首相である。

 1996年に バブラム・バッタライは統一人民戦線ネパールを代表してデウバ首相に
 40ヶ条の要求を突きつける。デウバはこれを拒否する。
 その中の主な要求は次のものである。
 
 ・ネパールとインドの不平等条約の撤廃。
 ・ネパール・インドの国境のコントロール。(自由に往来できていた)
 ・新憲法の制定。
 ・国王・王族のすべての特権の廃止。
 ・軍などの文民統制。
 ・ヒンドゥー教国教の廃止。
 ・カースト制に伴う差別の廃止。

 要求が デウバ政権に拒否されると 人民戦争を開始することになり、2006年の
 和平合意による停戦までの11年間に1万3千人以上のネパール人が死亡したと
 言われている。
 その後、暫定政府に加わり、制憲議会選挙により 議席の3分の1を獲得して、
 第1党になる。

 この写真は第1回制憲議会の際にカトマンズに動員されたマオイスト支持者たちの姿で
 ある。
 デモに参加したマオイストの大半は カトマンズ近郊の村人たちやカトマンズで
 生活する貧しい階層の人たちだ。
 中には強制的に動員された人たちもいるだろうが、大半の人たちは、マオイストによる
 社会の変革を期待する人々である。

 制憲議会選挙が終わり、新しい政府が出来たが、国民の期待通りに改革が進んでいる
 とは思えないのが現実である。
 電力の供給は充分ではなく、 乾期に入った現在 1日10時間の停電が始まるという
 話が噂されているし、来年には1日14時間という話も出てきている。
 水道の水の供給もひどいままだし、物価高は進行する一方である。

 国軍とマオイストの人民解放軍の統合も思うように進んでいかない。
 命を懸けて 反政府活動をしてきた人々の願いは 一向に実現されない。
 マオイストの内部でも意見が分かれ、上層部 プラチャンダ首相やバブラム・
 バッタライ財務大臣などに対する不満も噴出してきている。
 戦いの現場で戦ってきた人間と安全な場所で支持だけ与えてきた上層部の人間たちの
 意識の違いが 露わになってきている。
 マオイスト上層部には 従来の支配層 バウン族、チェットリ族が占め、危険な戦いの中にいた
 人民解放軍は、未だにキャンプ生活の中にあって生活の保証もない。

 富めるものと貧しいものとの格差は ますます広がっている。
 期待がしぼみ、上層部のいい加減な甘い言葉ばかりが飛び交い、政府に対する信用も
 失われてきている。
 制憲議会選挙、集会、デモのときの人々の勢いと裏腹に、人々の期待も希望も挫折へと
 変わり始めている。
 マオイスト上層部が今の状況を真剣に見つめないなら、ネパールは再び混乱の時代に
 入っていくのではと 心配になる。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++
   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]

イメージ 1

 カトマンズに滞在しているときのいつものバグマティ川の川辺の散策のコースにある
 古い寺院に行くと、いつも一人の年老いたタマン族の老女に会う。
 私は老女と言ったが、見た目よりも本当はもっと若いのかもしれない。
 寺院を囲む建物の一部屋に 息子、そして孫娘と一緒に住んでいるようだ。

 タマン族というのは チベット仏教を信仰する仏教徒であり、シェルパ族、
 マナン地方に住むマナンギーも彼らと同じ仏教徒である。
 カトマンズの先住民族 ネワール族は 仏教徒であるが、インド、スリランカ、
 東南アジアの国々と同じテラワーダ仏教を信仰している。

 住んでいる地域はカトマンズ周辺の山間部、ツルスリ、そして ポカラ周辺にも多くの
 タマン族が住んでいる。
 バウン族、チェットリ族を除けば、マガール族と並んで、多くの人口を占める民族で
 ある。

 カトマンズ周辺の山間部に住んでいても 教育水準は低く、カトマンズにやってきても
 ネワール族の農繁期の手伝い、リキシャ、荷運び、レストランの皿洗い、ウェーターなど 
 肉体労働に従事することが多い。

 このバグマティ川の川辺に寺院の中に住んでいる老女の顔を見ると、
 しっかりとしわが刻み込まれ、彼女の過酷だった人生を物語っているようにも思われる。
 日本の昔の農村でも このようなしわが刻み込まれた老人の顔をよく見かけたように
 思う。
 強い陽射しの中での毎日の厳しい畑仕事、生きるために厳しい風土のしがみつくように
 ひたすら生き抜いてきた人間の顔である。

 この老女のような人の歴史が刻み込まれたような顔は 今の日本ではあまり見かけなく
 なっている。
 ひとつには農業が機械化され、昔ほど過酷な肉体労働を強いることがなくなったという
 こともあるのだろう。
 4,50年前の農業といえば、本当に肉体労働がすべてだった。
 そんな時代には 日本の農民の顔も この老女のような顔に近かったような気がする。
 農民は農民の顔を持ち、職人は職人の顔を持つ。
 そんな時代だった。
 今では 農業人口は 3百万人である。

 今は 農民も、職人も数少なくなり、日本人の顔も どこかのっぺりしてきたようだ。
 一人ひとりの人間の歴史が、顔に表れてこなくなったようだ。
 個性的な人間が少なくなってきているのも 確かである。
 政治家の顔一つ見ても、この人に国を任せておけば、大丈夫という重厚感もなく、
 ふわふわとしていて、軽薄さだけが目立つ。
 存在感がないのである。
 実業家も、政治家も、サラリーマンも皆 同じような顔をしている。
 皆 器用さを身に着けてきたが、大地に根ざした、あるいはものとの強いかかわりを持つ
 たくましさを持つ人間は減る一方である。
 これでは 日本は危ないと思うのは 私だけだろうか。


++ブログランキングへの協力をお願いします。++
   ** 忘れないでね **
          ↓

 にほんブログ村ランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [https://www.blogmura.com/ にほんブログ村]

 人気ブログランキングに参加しています。
 *面白いと思ったら下のアドレスをクリック*
 [ http://blog.with2%2enet/in.php?590199 ]


.
hikaruno
hikaruno
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

標準グループ

美術・工芸

日本の政治

海外情報

ニュース

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
友だち(5)
  • yag*o*ama
  • アジアや世界の歴史や環境を学ぶ
  • ピタル…☆
  • はーちゃん
  • ミーヤー
友だち一覧

過去の記事一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事