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ネパールの軍隊といえば、ついこの間 王制が廃止されるまでは 王軍とも呼ばれ、
王制を支える重要な組織であった。
今から240年近く前、地方豪族 プリティビ・ナラヤン・サハが ゴルカから兵を
率いて、カトマンズに攻め入り、カトマンズ盆地の中で王国を築いていたマッラ王朝を
征服し、カトマンズにゴルカ王朝を創始し、ネパール統一を開始するのである。
4,5百年前から インドを征服したイスラム勢力に押され、多くのヒンズー教カーストの
クシャトリア、ネパールではチェットリ族と呼ばれている武士階級が ネパールに
入り込んでくるようになり、ネパールの各地でその勢力を広げるようになる。
その中の豪族の一つ、ゴルカ地方を支配していたのが、プリティビ・ナラヤン・サハであった。
自分の支配地の中にいたグルン族、マガール族を兵士として訓練し、
彼らを前線の兵士として率い、カトマンズのネワール族のマッラ王国を征服し、
ネパール統一へと向かう。
上級将校はチェットリ族、前線の兵士は先住民族のグルン、マガール族というネパール軍の
基礎が出来上がるのである。
後には 東ネパールの先住民族ライ・リンブー族もネパールの下級兵士として加わるように
なるのである。
グルン、マガール、ライ・リンブー族を 前線の下級兵士として使いながら、
ネパール統一を果たしたゴルカ王朝は18世紀中期には インドを支配したイギリスの
東インド会社の勢力拡大を図るイギリス軍との戦いに明け暮れるようになる。
インド・ネパール国境に広がる密林地帯で イギリス軍はマラリアなどの熱病に悩まされ、
ネパール軍を攻め落とすことは出来ない。
死を恐れない上官の命令に忠実な先住民族 グルン、マガール、ライ・リンブー族からなる
前線の下級兵士の勇猛果敢さには ほとほと手を焼き、友好平和条約を結ぶのである。
そのときに 当時のイギリス政府が目をつけたのが、
イギリス軍傭兵としてのネパール軍兵士である。
命令に忠実でどんな危険な任務も厭わず、果敢に任務を実行するネパール人兵士を
イギリス軍の最前線の兵士として雇い入れることになる。
これは 当時 サハ家の王を幽閉し、専制独裁政治を行っていたラナ家に莫大な収入を
もたらすことになるのである。
イギリス政府に グルカ兵を供給することで 先住民族の命と引き換えに
イギリス政府から莫大なコミッションを得ていたのだ。
ネパールで 先住民族のグルン、マガール、ライ・リンブー族の人たちから耳にするのであるが、
チェットリ族は危険なときにすぐに逃げ出すから イギリス政府はイギリス軍傭兵として雇わない
と言う。
私はそうではないと考えている。
チェットリ族は 支配階級であったから、ネパールにおいても ネパール軍の上級将校の地位、
警察の上級警察官、官僚組織の上級職につくことが容易で、彼らは 何もわざわざ
イギリス傭兵のような命を落とすような危険な任務につくことを好まなかっただけでは
ないかと思う。
貧しい山岳地方に住む先住民族にとっては、イギリス軍傭兵の仕事はたとえ危険であっても、
唯一よい収入を得る手段だったのである。
第一次世界大戦、第二次世界大戦に20万人以上のグルカ兵がイギリス軍傭兵として働き、
4万5千人のグルカ兵が戦死し、フォークランド紛争、イラク戦争、アフガン内戦でも
多くのグルカ兵が命を落としている。
つい最近も アフガニスタンでイギリス軍傭兵であるグルカ兵が殺害されている。
今なお、危険なイギリス軍の最前線にはグルカ兵が配置されている。
こんな危険な任務についていても、昔に比べれば改善されたが、
生活保障は 正規のイギリス兵以下だし、戦死してもイギリス兵並みの保証は
ないというのが現状だ。
こんなところにもアジア人に対するイギリス政府の狡猾さが見え隠れしている。
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