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世界中にまだ 北京オリンピックの余韻が残っている。
インターネット料金の支払いのために ラーマ1世通りに出て、
スーパーマーケットロータスに行きかけると、道端に大勢の人たちがあふれている。
パトカーのサイレンが鳴り響いているので、王族関係者の行幸かと思ったが、
それにしては、警備の体勢ではない。
近くにいたタイ人に訊くと 北京オリンピックで金メダルを取ったボクシングの選手の
祝賀会のパレードで、今から、国立競技場脇の室内競技場に入っていくところだと云う。
タイのテレビのスウィッチをひねると、メダル獲得者のことが、報道されている。
タイは ボクシングで金と銀、女子重量挙げで金、女子テコンドーで銀を獲得した。
タイでは 金メダルを取ると、国と企業から1500万バーツ、
銀メダルだと1000万が贈られるということだ。
その後のテレビ出演、広告などを加えると 手にするお金はそれ以上だ。
日本の貨幣価値からすれば、1億円以上の計算になる。
タイの庶民がこれだけのお金を手に入れようとすれば、
宝くじでも当てるより方法はない。
タイの中学での若者の給料が、6,7千バーツであることを考えれば、
メダルを取ることは 現代のシンデレラ物語である。
中国でも、韓国でもこんなケースはよくあるものなのだろう。
能力が拮抗していれば、勝ってメダルを取るという動機付けは、こうしたシンデレラ
物語は大きな支えになるだろうし、勝ちにもつながるものだろう。
国のためというより、自分の未来をかけてオリンピックに参加しているのだ。
1964年 日本で 東京オリンピックが 開催された。
このオリンピックで体操、バレーボール、柔道、レスリング、重量挙げなどの競技で
多くのメダルを取ることができた。
その当時の選手は 国のためという気持ちのほうが強く、報奨金など期待も
していなかっただろう。
ただひたすら、国家の名誉のためという意識の方が強かったのだろう。
オリンピックに参加しているものも、観戦している国民も同じ気持ちだっただろう。
戦後20年、まだまだ敗戦のしこりが残っている時代だった。
あれから、44年の月日が流れ、北京オリンピックが開催された。
日本選手の意識も国のためというより、自分のため、自分を支えてくれた人のためと
いう意識の方が強いのだろう。
日本という国のために頑張れといわれても、ぴんとこないのも事実だろう。
金メダルを取っても、名誉は得ることは出来、名を残すことが出来たとしても、
後の生活に対する保証がなければ、勝つという動機付け、意志には大きく影響を
与えていくだろう。
今回のオリンピックを見ていてもそんなことを強く感じてしまった。
精神主義だけではどうしようもない時代になっているのである。
今の日本では オリンピックは 国家意識の高揚の役割を果たさなくなっている。
そういった部分がなくなっただけでも、日本にとっては よいことなのかもしれない。
その方が参加する選手にとっても 精神的負担は少ないだろう。
時代が変わっているのと同じように、オリンピックの意味も日本人とっては
変わってきている。
他の国とっては、どうかは知らないが、日本にとっては
『オリンピックは参加することに意味がある』
それで充分な気がする。
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