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ときどき カトマンズの中心にあるラットナ・パークに行き、
この公園に集まるネパールの人々の様子を眺めることがある。
公園のベンチに座り込み、所在なさげに日長一日 この公園で過ごしている人、
公園の芝の上に座り込み、議論を戦わす人たち、香具師を取り囲んで香具師の口上、
パフォーマンスを楽しむ人々、仕事を求めて村からやってきたけれど、仕事を
見つけることが出来ず、ぼんやりを座り込んでいる人、この公園には どこかしら、
人間の喜怒哀楽が色濃く漂っている。
人間が生きているという実感を 確実に感じさせてくれる場所でもある。
そんな大人たちに混じって、子供たちの姿もよく見かける。
そんな中に 悪童めいた二人の少年がいた。
年齢は 13,4歳だろう。
ネパールの子供は 栄養状態が充分でないせいか、日本の子供に比べると小さく見える。
しかし、その顔つきや目つきを見ると、日本の子供よりずっと大人びて見える。
世界をしたたかに生き抜いているという面構えすら感じさせる。
彼らに民族名を訊くと バウン族(ヒンズー教カーストの僧侶階級)だと言う。
彼らの服装からすれば、決して豊かな暮らしの家で育ったとは思えない。
しかし、こう言えば、こう切り返すというバウン族特有の理屈っぽさは
充分に併せ持っている。
日本でも昔はこんなしたたかな顔つきをした子供たちがいた。
大人顔負けの生活力を持っていた子供たちだ。
子供の顔をしていても 一人前の大人に近い存在だったのかも知れない。
ネパールでは 大人になるとは 独り立ちして、自分の力で食べていくように
なることだ。
それは 年齢とは関係ないものだ。
今は昔に比べると少なくなったけれど、私が初めてネパールにやってきた25年前には
ローカルな食堂、ネパールのチアー(ネパール風ミルクティ)を飲ませる小さな店では
子供たちが立ち働いていた。
汚れた皿やコップを洗うのは 村からやってきた子供たちの仕事だった。
村で育った素朴さとカトマンズという彼らにとっては都会で生き抜くしたたかさが
奇妙に両立しているという不思議な子供たちだった。
今の日本でこうした雰囲気と顔つきを持つ子供を見かけることはない。
雑草のようなたくましさを持った子供も若者も日本では少なくなってしまった。
生活は豊かになり、飢えもなければ、冬の寒さにも耐えることはなくなった快適な生活、
動物としての人間の能力が すっかりそぎ落とされてしまった子供や若者たち、
それと同時に生きる意欲、エネルギーまでもが失われているのではと感じられる。
便利さと快適さを追求し、発展を目指し続けてきた先進諸国、
未だに日本の50年前の生活をしている後進諸国、
どちらに生活する人間のほうが 人間としての生活力を
持っているのか、考えてみることがある。
環境に対する適応性、劣悪な状況に置かれたときの対応能力、
ひとたび大きな災害に見舞われたとき、今の日本人は大丈夫かと心配になる。
国や政府が充分に機能しているときには どうにかなるだろうが、
その能力を超えてしまったときには 個人の持つ生活力、適応力が
試されるときである。
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