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 今回 『アジアの布展 インド刺繍の世界』というテーマで開く展示会の会場となる
 ギャラリーTEORIYAとの付き合いは もうかれこれ20年になる。
 今回の展示会の前にも 2回ほどお世話になっている。

 TORIYAとの付き合いというより オーナーの多田米子さんとの付き合いといったほうが
 正しいだろう。
 委託で 布や服を預け、お世話にもなり、ネパール、インド、タイから日本に帰ると
 いつもお邪魔していたし、布知識を得るには格好の場所だった。
 多田さんは時間が許せば、日本の布の産地のみならず、アジアの国々、南米の布の産地を
 旅行し、その旺盛な知識欲にはいつも驚かされている。

 年齢も80歳を超えたようであるが、つい最近もミャンマーへ出かけ、
 現地の布の工房を見学してきたらしく、布に対する好奇心、知識欲は
 一向に衰える気配はない。
 売るための布の仕入れという気持ちは さらさらないらしく、
 布の産地を訪れるのも まったくの布に対する純粋な知識欲からだ。
 儲けようという気はさらさらなく、布の紹介、工芸の世界を 皆に広めていきたい
 という気持ちだけで ギャラリーを続けてこられたという人である。
 以前は 常設の織物も展示されていたが、今は催しの展示だけになってしまった。

 草木染、手紡ぎ、手織りの確かな技術もあり、今でも手紡ぎは日課の毎日である。
 80歳を過ぎても織物に対する情熱は衰えることもなく、がんばり続けておられる。

 今は 長年にわたって収集してきた布のコレクションの組織図を 専門家に
 解明してもらって、それを本にすることの手助けをしておられる。

 織物一筋に展示してきた東京では 稀有のギャラリー『TEORIYA』も
 多田さんの代で終わってしまうようだ。
 身体が元気なうちは 頑張りぬくという覚悟のようだが、
 とにかく 少しでも長く続けてもらいたいものである。

 多田さんにとっても 同じことだろうが、
 出会いからの20年という歳月は瞬く間に過ぎてしまった。
 まったく出会いというものは不思議なものである。


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  インド・カシミール地方の針刺繍の手仕事のウールショール 
  幅100cm x 長さ200cm


 冬が近づく日本の気候の中で 灼熱のラジャスタンの町バールメールのことを
 思い出すことは、なんとなく違和感をある。

 バールメールで唯一の宿、ダラムシャーラ(巡礼宿)セワサダン、石造りの建物は
 夜になっても 日中の太陽によって熱せられた石造りの壁や天井から熱は去っていかず、
 室温も35度近くあり、その暑さから逃げ出すためには まずベッドシーツとルンギを
 バケツの水に浸し、シーツをベッドに敷き、頭からルンギをかぶり、扇風機を回す。
 それが30分もしないうちに乾ききってしまう。
 当時のインドは 時々停電もあり、そんなときは最悪で、明け方の4時近くならないと
 涼しくならない。
 ラジャスタンの地元のインド人たちは 部屋の中では眠らず、皆、野外にベッドを
 持ち出し、寝ているのだ。

 睡眠不足の中で目を覚まし、宿の外にあるチャイ屋の1杯のチャイ(インド風ミルクティ)を
 飲むことから、その日が始まる。
 宿の前の通りでは、村からやってきた農民たちが ターバンをかぶり、ドーティを身につけ、
 行きかう。
 女たちはアクセサリーを耳に、腕に身につけ歩いている。
 朝の9時、10時ごろまでが耐えられるラジャスタンのバールメールの夏である。

 食べ物といえば、辛いインドカレーだけである。
 肉はマトンカレー、タンドリーロティ、野菜カレー、そんなものの繰り返し、
 唯一の救いは、果物だった。甘いぶどうが美味しかった。

 バザールのある駅前の通りを何度も行き来した。
 その通りで 小さな店に座り込んでいる若いインド人に出会った。
 当時まだ26,7歳 ラジャスタンのハンディクラフトを商いにしていた。
 インドのマルワリ商人の息子だった。
 父親は村で雑貨商をしていたが、彼は自分で商いの道を開くために 
 ハンディクラフトの商いに活路を見出そうとしていた。
 親に頼らず、自主独立の精神を持った青年だった。
 ラジャスタンは マルワリ商人の生まれた地域であり、マエスリー、アガルワール、
 ジェインといったマルワリ商人のカーストが このあたりには多かった。

 彼の名前は ラビシャンカール・マエスリーであったように記憶している。
 マルワリ商人は 菜食主義者であるが、彼は親に隠れて、オムレツ、酒ぐらいは
 飲んでいたが、肉類は受け付けなかった。
 まじめな性格で、いわゆるインド人と違って、口でいい加減なことを言うことは
 なかった。
 彼は 小さな縫製作業場も持っており、私の注文の品もここで作られるようになる。
 暑い中、3,4人のインド人たちが ミシンの前で 作業していた。
 彼らと 注文の品が仕上がると、打ち上げの宴会をしたものだ。
 酒は ラジャスタンのローカル酒 ドラウィスキー、サトウキビから造られ、
 良質のドラウィスキーを彼らが探してきてくれた。
 彼らは菜食主義ではなく、肉料理もなかなか美味しかった。
 暗い中庭に灯油ランプを灯しての宴会は 幻想的で楽しいものだった。


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   昔 ラジャスタンのバールメールで注文した布や小物


 12月8日から始まるインド刺繍の展示会であるが、この世界金融危機の中、
 どうなるのか心配だ。
 定期的に展示会を開いている知り合いに聞いても、あまりよくないという話を聞く。
 やっと案内状のはがきの注文を済ませ、ほっとはしているが 展示会のほうは
 大丈夫なのかという不安になっている。


 荷物を背負い、片手にバッグを提げ、オートリキシャに乗り込み、デリー駅へと向かう。
 デリー駅構内に入ると、赤帽を探し、その赤帽にチケットを見せると、荷を背負い、
 列車の停まっているプラットホームまで行き、席まで案内してくれる。
 荷物がたくさんあるときには 便利な赤帽である。
 夕方に発車したアーメダバード行きの列車は 朝の6時ごろにジョードブルに停車する。
 そこでバールメール行きの列車に乗り換える。
 1時間の待ち合わせだ。
 その間に プーリという揚げたロティとしし唐のような唐辛子のピクルス、そして甘い
 チャイ(ミルクティ)で朝御飯である。

 しばらく、ほとんど乗客のいない列車の中に座り込んでいると、
 列車は 砂漠の荒地に向かって動き出す。
 インドの砂漠地帯は 砂漠といっても 潅木がところどころに茂る荒地がほとんどだ。
 その荒地の中に転々と町が現れ、それが駅周辺である。
 4,5時間ばかり、荒地と町が交代に現れては過ぎていくのを見ているうちに 
 列車はバールメールの小さな駅へと滑り込んでいく。
 初めてバールメールを訪れたのが どういう理由だったのか 思い出せない。
 インド人から ラジャスタンの刺繍は バールメール周辺の村が中心だと
 聞いたせいかもしれない。

 駅を出ると 正面にバールメールのメインバザールのある広い通り、
 右側の道に行けば バールメールで唯一の宿 セワサダンという
 ダラムシャーラ(巡礼宿)がある。
 受付には 愛想の悪いブラーマン(ヒンズー教カーストの僧侶階級)のおじさんが
 いつも座っていた。
 いつも泊まるのは 2階のスペシャルルーム、バスルームつきの部屋だが、
 1泊30ルピーもしなかったように思う。日本円で2百円ぐらいだった。

 宿の前にはチャイ(インド風ミルクティ)を飲ませる店、煙草屋があり、
 暇なときはその店の主人や働いている少年たちとおしゃべりをして、仲良しになった。
 一度、ラジャスタンの村のローカルな食事、バズリカロティと野菜カレーをご馳走に
 なったことがある。
 小麦粉のロティではなく、バズリカという雑穀の粉のロティで 厚さが2センチほども
 あり、それにギーと呼ばれるローカルバターをつけて食べるもので、とても美味しい
 というしろものではないが、腹持ちがいいので、砂漠の中で生きる農民たちは 
 好んで食べていたようだ。
 ネパールの山岳民族がよく食べるコウドー(ひこくびえ)に似たものかもしれない。

 20年前のバールメールは 辺境の町で、暑い砂漠の中の町でありながら、
 ミネラルウォーターというものはなく、水といえば 塩気を含んだ少し塩味のする
 水だけだった。
 そのまま飲んでも美味しいはずもなく、お湯を沸かして インド製のネスカフェを
 いつも飲んでいた。


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 ニューデリーのパハールガンジのメインバザールにあるナブラングホテルは 
 マーケットロードの中間近くにあり、便利な場所に位置していた。
 ラジャスタンの果ての町で小物を注文するときには 布を除いて、必要な材料は
 デリーで調達する必要があった。
 そんなときには デリーで1番大きな雑貨や縫製材料の市場のサダールバザールに
 行くのが手っ取り早い方法だった。

 場所はニューデリーよりもオールドデリーに近く、
 そこに行くのに便利な乗り物といえば、馬車だった。
 馬車は コンノートプレスの入り口からサダールバザールを往復していた。
 その馬車も もう今では見かけることもなくなった。
 ニューデリー駅の前の通りに立って、馬車を待っていると 馬の足音とともに
 馬車がやってくる。
 手を上げて サダールバザールと行き先を告げると、御者はOKの合図をして 
 客を乗せ、馬車を進めていく。
 料金は、2,3ルピーだったように思う。

 サダールバザールは 迷路のようなバザールで バザールの内部には 
 小さな店が 何百軒と並び、それが迷路のような通路によって結ばれている。
 歩き回っているうちに 自分が一体どこにいるのかもわからなくなってしまう。
 このバザールではよくネパール人やチベット人に出会った。
 このバザールで仕入れたものをカトマンズの路上で売る商売をする人々である。
 ここは雑貨の卸売り市場なのである。
 ここでは小物に使う偽トンボ玉などをイスラム教の商人の店でよく仕入れた。

 このバザールの中には 商品を仕入れた客の荷を 頭の上に乗せて、
 バザールの外まで運び出す人夫たちもいて、狭い迷路のような通路を
 勢いよく行き来していた。
 このバザールにやってくると 昔ながらのインド人のエネルギーのようなものを
 いつも感じていた。
 同じように オールドデリーにあるチャンダニー・チョークにあるインドサリー・
 バザールもインド的な雑踏とエネルギーのあふれている昔ながらのバザールだ。

 2,3日ニューデリーに滞在する間に ニューデリー駅の2階にある外国人旅行者
 専用予約オフィスで ラジャスタンのバールメール行きのチケットの予約をする。
 オールドデリーからジョードブルまでは2等寝台、3段ベッドの寝台車である。
 お金に余裕のあるときは冷房車に乗ることもあった。
 4人部屋の個室で安全面では安心して乗ることも出来た。

 20年前のニューデリー駅では 今のように駅前に屯して、外国人旅行者に
 予約オフィスは閉鎖になったといって高いチケットを売りつける悪質なインド人は
 いなかった。
 今では外国人専用予約オフィスに辿りつくまで どれだけの悪質インド人の網を
 潜り抜けていく必要があるか、まったく困ったものである。
 かもになるのは どうも日本人が多いようである。

 昔のニューデリーのパハールガンジは 食べ物がまずかった。
 カレー料理は ムガール帝国の肉料理の影響で美味しかったが、
 いつもカレーでは飽きてしまう。
 パハールガンジは 貧乏旅行者のたまり場ではあったが、洋食も中華もインド風で
 仕方なく食べていたのは 焼きそばぐらいのものだった。
 ときどき ニューデリー駅前にある南インド料理の食堂で 南インド定食と魚フライを
 食べていたが、とにかく米の飯がまずかった。
 食べ物に関して言えば、カトマンズのほうがはるかに美味しい。
 それは昔からである。


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 今回 15年ぶりに開く展示会は 私がラジャスタンで手に入れた砂漠の民の刺繍布や
 刺繍の施されたアンティークな小物類がメインである。
 それと20年近く一人のデザイナーのために仕入れていたシルクサリー類の展示である。

 ここに一枚の布の中にパッチワークのように刺繍布を縫い合わせたタペストリーがある。
 この布を見ていると、20年近く前のラジャスタンの世界が 私の脳裏に広がってくる。

 私がラジャスタンに向かうときは いつもネパールのカトマンズが出発点だった。
 カトマンズからバスで インド国境近くのバイラワ・スノウリに向かい、
 そこで国境を越え、インドの使い古したおんぼろバスに乗り、
 鉄道のあるゴラクプールへと向かう。
 ゴラクプール駅で 午後1時頃発のアグラフォート行きの列車に乗り込む。
 こんなときは切符など買わない。
 列車の席に座り込み、車掌の来るのを待つ。
 車掌が来ると デリーに行くので2等寝台がほしいと頼み込むのである。
 列車にはいつもいくつかの余った寝台があり、それを把握しているのは車掌である。
 頼み込むと たいてい 3段ベッドの1番下のベッドを用意してくれた。
 賄賂など要求されなかったし、もしお礼として差し出した金額も20ルピーぐらいの
 ものだった。

 私がいつも利用する列車は まずUP州の州都 ラクノウを目指し、
 そこで2時間ほど停車して アグラへと向かう。
 荷物を置きっぱなしにすれば、なくなるのはわかっているから、
 駅構内の食堂へ行くときも荷物を背負って動くことになる。

 午後7時に再び列車は動き始めると 係員が 寝台の準備を始める。
 それまでは普通の座席である。
 冬場であれば、夏用の寝袋を出し、その中に入り込む。
 冬場の北インドは結構冷え込む。
 この列車は アグラ行きであるから、途中で別の列車に乗り換える必要がある。
 その駅に近づけば、教えてくれるように車掌に頼んでおけば、
 起こしてくれたように思う。
 その駅の名前はすっかり忘れてしまった。
 暗いプラットホームの上に立ち、ひたすら オールド・デリー行きの列車を待っていたことを
 今でも思い出す。

 やってきたオールド・デリー行きの列車に乗り込むと 
 1時間ばかりでオールド・デリー駅に到着したという記憶がある。
 喧騒のオールド・デリー駅の真っ只中に立つことになる。
 宿泊先はニュー・デリー駅の近くのパハールガンジのメインバザールであるから、
 オートリキシャと交渉することになる。

 その頃、パハールガンジでよく泊ったホテルは ナブラング そんな名前の
 小さなホテルだった。
 3畳くらいの部屋にベッドが一つ置かれ、浴室がついていた。
 浴室といっても水浴びが出来る程度のものである。

 まずはこのホテルに泊りながら、ラジャスタン行きの準備をしたのである。


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