カトマンズ ネワールの街と文化

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 マッラ王国の64の職業カースト、そしてヒンズー教の4つのカーストによって、
 ネパールの仏教徒たちの社会はどのように変貌していったのだろうか。

 この時代にもインド、カトマンズ周辺から、やって来たインドの高カーストの人々との通婚を
 通して、支配階級である王族マッラを中心とした支配階級のシュレスタ・カーストの中も、
 細分化されていく。
 このシュレスタという支配階級に属するもの同士の結婚は許されたのである。

 マッラを頂点に、プラダン、ジョイシ、ラーズバンラーリ、アマチョ、マスケ、
 バディア、カルマチャーレ等のカーストが生まれ、彼らはヒンズー教徒であり、
 彼らの祭儀は インド系のヒンズー・カーストのブラーマンが行う。
 そのために、ヒンズー教のブラーマンのカースト、ラーズパディアというカーストも
 生まれた。
 支配階級の安定を図るために、インドの高カーストの人々を受け入れ、通婚を通して
 シュレスタ・カーストの人口増加も図っていったのである。

 一方、カトマンズに住んでいた多くの仏教徒たちは、四つのカーストに振り分けられていった。
 本来、平等であった社会にカースト制という固定的な身分制度が入り込んできたために
 仏教徒社会は仏陀の説いた教えとは、異なった社会へと変貌していくのである。

 仏教徒の高カーストとして、サッキャ、バジャチャーレ、その下にはサッキャから
 派生したトゥラダー、タムラカール、シルッパカール、スタビ、ラーズカルニカール、
 シッラカールなどの職業カーストの人々の集団、ウダースと呼ばれるカースト集団が
 形成されていった。
 経済的には優位に立っていたサッキャ・カーストに血のつながりを持つウダースという職業集団は、
 他の職業集団より、上に位置づけられたのだ。

 そして、その下には 人口の大半を占めるジャプーと呼ばれる農民カーストが
 形成されたが、マッラ王朝時代には 自作農というより、上位カーストの持つ農地の
 小作農という地位に甘んじていたのではと思える。

 さらに 又その下に、サッキャとは血のつながりを持たない職業集団が形成されていったのである。
 その集団には ランジットカール(染め、ブロックプリントを行う)
 チットラカール(タンカ、看板などの絵を描く)、マナンダール(食用油の製造)、
 タンドゥカール(米の生産)、ナッカルミ(鉄製品の製造)などのカーストの人々が
 属した。

 更に最も低カーストの集団ダリットに サヒ(食肉を扱う)、ポーレ(魚を取る)、
 チャミ(掃除人)などが属した。

 こうした身分制度を作り、固定していけば、国の統治は容易になるのである。
 職業集団を固定し、各集団同士の交流を禁止することで、民衆を分断していくには
 効果的な方法だ。
 封建的な国家では、こうした方法、社会システムが どこでも取られてきたのである。
 インド、江戸時代の日本でも同様のシステムがとられてきたが、日本においては
 かなり流動的であったが、インド、ネパールでは このカースト制度は絶対的なもの
 であった。
 このマッラ王朝時代に作られたカースト制度が、今なおネワール族の社会の中で、
 途絶えることなく、生き続けていることを考えると、まことに怖いことである。
 それを強化し、支えるシステムも細部にわたり、作られていったのだ。
 その制度をグッティという。
 このグッティという制度、全く複雑怪奇なシステムで、外国人である私にとっては、
 理解するのに苦労を要するものだった。。
 そのことは次回に説明しようと思う。


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 カトマンズに住むネワール族には昔からの多くの仏教徒がいる。
 カトマンズ盆地の仏教徒の歴史は、紀元前に成立したキラティ王国から紀元5,6世紀に起こった
 リッチャビ王国にまで溯ることができるようである。
 その頃のインドは、アショカ王が、インド全土を統一し、仏教を広めていた時代でもある。
 紀元前3世紀には、アショカ王は仏陀生誕の地、ルンビニを訪れ、カトマンズ盆地にも
 娘とともに訪れ、パタンに四つの仏塔を建てたといわれているが、それには確証はない。
 その仏塔は今でも残っていることは残っているが。
 その影響を受け、多くのカトマンズ住民の間にも仏教が広まっていったようである。
 ヒンズー教を信仰していたロッチャビの時代も 仏教には寛容で、カトマンズの最も幸せな時代で
 あったと、今日の人々の間でも話題に上る時代である。
 カースト制もなく、人々が平等に暮らしていた時代だ。
 ネパール周辺の国々から多くの人間が移り住み、通婚を繰り返し、ネワール族という
 民族の基礎が出来上がったのもこの頃のことだろう。
 今のネワール族の人々の顔を見ても、その多様性には驚くものがある。

 そんな幸福な時代も アショカ王以後、インドのグプタ朝に入ると、
 再び、ヒンズー 教が力を得て、ヒンズー教の教えのもとに カースト制を取り入れ、
 王をヒンズー教の神、ビシュヌの化身とする神権政治が始まっていくのである。
 こうした影響は東南アジアにも広がり、カンボジアのアンコールワットの時代の
 国王による政治、タイのアユタヤ王朝にも大きな影響を与えている。
 国王をビシュヌの化身とする神王思想は、国の統治を容易にしたのである。

 豊かな土地と穏やかの気候の中で 平和に暮らしていた人々の桃源郷のカトマンズも
 段々変わっていき、インドの変化の影響を受け始めるのである。
 今のインド・ネパール国境付近で勢力を持っていた仏教徒であったサッキャ族も
 グプタ王朝の迫害を逃れて、カトマンズ盆地に逃れ、仏教徒としての地位を築き始める。
 仏教徒が大半であったカトマンズ盆地の中では大きな勢力になっていったはずである。
 カトマンズの中でスワヤンブナートを総本山にする仏教徒、
 パシュパティナートを総本山とする支配層と国を二分していたはずである。

 リッチャビ王国も後期にはヒンズー教重視の政策に変わり、仏教徒も次第に
 圧迫されていくようになる。
 そんな時代に すでにネパールの各地で勢力を広げていたインドのクシャトリア・カーストの
 マッラ族がカトマンズに入り込み、力をつけ、リッチャビ王朝を倒し、
 マッラ王国を打ち立てることになるのである。

 ヒンズー教を国策とするマッラ王朝も サッキャ族を中心とする仏教徒の力を削ぐことに
 専念するが、チベット貿易で巨大な富を得ていたサッキャ族の力を削ぐことは、簡単なことでは
 なかったようだ。

 13世紀中期に成立したマッラ王国も14世紀中期のジャヤスティス王の時代になると、
 王国も安定し、ヒンズー教のカーストシステムを取り入れ、人々を職業によって
 64のカーストに分け、それをヒンズー教に従って、四つの階層に区別していったのである。
 カーストと職業によって、着る服装にも決まりを設け、制限を加えていき、身分制度による統治を
 確実なものにしていったのである。
 王国の大半を占める仏教徒を分断していくには効果的な方法だったし、
 力をつけていたサッキャ族の力を削ぐにも大いに効果を発揮したのである。

 このジャヤティス・マッラの時代に、マッラを中心とするヒンズー教徒シュレスタの支配階級と
 仏教徒である被支配階級に分かれていくのである。
 又、仏教徒の間にもカースト制を導入し、固定した身分制度によって 仏教徒同士の
 つながりを分断していき、仏教徒の力も削いでいったのである。


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 今日は天気もよいので、カトマンズに行ってきた。デジタル腕時計の電池が切れかけてきて、
 電池の交換をする用事もあった。
 いつも利用している時計の修理屋であるが、2年に一度、3年に1度では顔見知りには
 ならない。電池交換175ルピー、随分値上がりしている。
 電池そのものはさほどの値上がりであるとは思わないが、人件費が値上がりしているのだろう。

 そのついでに旧王宮近くの路地を散策してみることにした。
 このあたり路地が入組んでいて、うろうろと歩き回っていると、いつのまにかどこを
 歩いているのか わからなくなる場所である。

 うろつきまわっているうちに 中庭を見つけ、そこに入り込んでみた。
 そこには 仏陀の像が彫りこまれたチャディと呼ばれる仏塔があり、その正面にはビハールと
 呼ばれる仏陀の像を収めた建物がある。
 その中庭の周りには4階、5階建ての建物が建ち並んでいる。
 ここに住んでいる人たちは、ネワール族の仏教徒カースト サッキャと呼ばれる
 カーストの人たちが住んでいる。
 中庭は3箇所あり、ビハールやチャディが備え付けられている。
 そんなあたりの様子を眺めていると、一人の青年が、家の中から出てきて、
 ここに住んでいる人々のこと、二つのビハールのことなどを説明してくれた。

 ここに住んでいる人たちは 皆 親戚筋に当たる人たちで1つの家族から分かれていった人たちで、
 家族が増え、手狭になると、家を建て増し、いつの間にかこんな集落になってしまった。
 それでも足りず、多くの人たちはこの集落を出て、別の場所で生活を始めた。
 何百年にわたる彼らの歴史は 多くの枝分かれを作り出していったが、皆、サンガと
 呼ばれる組織で繋がっていると言う。その家族数は400近いという。
 この集落の中は濃厚な人間関係で結ばれている。何か困ったことがあれば、
 すぐに助け合う態勢が整っている。
 サンガの組織の中には委員会のようなものもあり、集落とその外に生活する人々との
 連絡を密にしている。
 1年に1度はサンガのメンバーがこの集落に集まって、つながりを確かめ合う。

 ネパールでは、バルタマンという重要な儀式があり、その儀式を済ませると、
 彼らの宗教に受け入れられたことになり、宗教な意味で一人前の存在として認められる。
 その儀式を得ていなければ、死んでも火葬されず、土葬されることになる。
 そういう重要な儀式においては、必ず、この集落にあるビハールが使われ、その中庭が
 祝いの席になる。
 このサンガでは 5年に一度まとめてバルタマンの儀式を行うと言う。
 サンガのメンバーは必ずこの場所でバルタマンの儀式を行わなくてはならない。

 カトマンズのネワール族は 千五百年にもわたってこのカトマンズ盆地に
 住み続けている民族である。
 リッチャビ王国、マッラ王国の中で、華やかな文明を開花させ、
 後にゴルカ王朝によって征服され、被征服民族になってしまった民族だ。

 それでも知恵を働かせ、たくましく生き抜いてきた民族だ。
 被征服民族として自らを護り、生き抜いていくために考え出したシステムが、サンガ、
 グッティと呼ばれる共同体である。
 このグッティと呼ばれる共同体は、すべてのネワール族のカーストの中にあり、
 濃厚な深いつながりを持つ共同体組織である。
 強固な血族集団を作ることで、新しい支配者からの圧力に耐えてきたのだろう。

 こうした強固な血族集団を持つネワール族の造り上げた住宅構造、都市構造も独特の
 ものがある。異なった集団は入り込めば、すぐさまわかる形にもなっている。

 250万人近いカトマンズ盆地の中で、比較的凶悪犯罪が少ないのは、ネワール族の
 造り上げた都市構造、グッティと呼ばれる共同体の力のお陰ではと思っている。
 そのネワール社会も人口増加の中で崩れつつある。
 ネワール族の造り上げた都市構造、共同体が崩れていったときには、
 カトマンズは犯罪都市に変貌していくだろう。

 まだ、カトマンズは、彼らが都市の核のような役割を担っている。
 性格的にはなかなか難しい民族ではあるが、長い歴史の中で、都市生活のための
 知恵を考え出してきた民族と言えば、ネパールの中では ネワール族だけなのだ。


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 前にも話したように私の住んでいる地域には ネワール族のタンドゥカールという
 カーストの人々がたくさん住んでいる。
 農業に従事するカーストのようであるが、かといって ネワールのジャプーと呼ばれている
 農民カースト マハルザンとも違うカーストの人たちである。
 彼らの主な仕事は 農業と米の商いだというが、それだけでもないようだ。
 いろいろな人に聞いているのだが、納得のいくはっきりしたカースト上の職種はわからない。

 つい先日、このタンドゥカール・カーストの84歳の高齢の葬儀を見かける機会が
 あったことから、タンドゥカールの人たちの宗教、生活習慣についていろいろ尋ねてみた。
 彼らの生活の中での年寄りたちの生活を中心に尋ねてみた。
 農業に従事するネワール族のタンドゥカールやマハルザンの人たちには、年間を通して
 多くの宗教行事がある。他のネワール族の人たち、上位カーストのシュレスタ、サッキャ、
 バジャチャーレと比べてもはるかに多い。
 カトマンズの祭りなども中心的な役割を果たしているのは、農民カーストの人たちで
 ある。
 祭りや宗教的な行事があるたびに一族一党が集まり、そのつながりを深めている。
 大きな行事であれば、集落全体がまとまりを見せる。
 家族・親戚、地域の同じカースト同士が協力しあうことで、その絆の深さを確かめ、
 同時に 神々とのつながりを深めていく。

 そんな農民カーストの世界には、年寄りたちにとって重要な行事がある。
 ジャンクーと呼ばれている行事だ。
 家に居る年寄りが 77歳7ヶ月7日を迎えると、その年寄りのための大きな祭事が
 ある。
 年寄りのために山車を造り、77歳になったことを祝い、神に感謝し、その山車に
 当の年寄りを乗せ、その孫たちが綱を引き、町中を練り歩く。
 年を取ることで、神々に近づいたことを喜ぶのである。もし、その年寄りに妻がいれば、
 妻がその年齢に達していなくても、一緒に山車に乗って 街の中を練り歩く恩恵に
 預かることができる。
 そして、その日から4,5日間は 神に感謝する祭儀、お祝いの会食を
 多くの家族・親戚とともに祝うことになる。

 その次は81歳になった時だ。今度は山車ではなく、81歳になった年寄りを乗せる
 神輿のようなものを造る。前と同じように孫たちが年寄りを乗せた神輿を担いで、
 街中を練り歩く。
 ネワール族のお祭りの際には、神々の像を担いだり、引いたりしながら、街中を練り歩く。
 それと同じ扱いだ。

 84歳になれば、今度は、年寄りを通常の入り口から運び出してはいけない。
 窓から、外へ運び出し、終われば、又、窓から運び入れなくてはならない。
 そして、一回目のジャンクーと同じように山車に年寄りを乗せて、街中を練り歩く。
 3回のジャンクーを経験した年寄りは神様と同じ存在に近づいたということで、
 家族・親戚は大喜びである。一族・一党に神々が繁栄をもたらすと信じているからだ。

 ネワールの農民カーストの社会では、年寄りは大切にされる。
 宗教行事などの手順は年寄りの支持が必要だ。様々の知恵、宗教的な教えは、
 年寄りから孫たちへと伝わっていく。
 カトマンズ盆地の中の人口は今や250万人を越えようとしているが、カトマンズの
 中心部でもまだまだ村的な要素の強い家族制度、共同体は 農民カーストの中では
 生き生きと生き続けている。ここには老人問題はない。
 老人を粗末にすれば、神々から見放されてしまうのだ。老人は神々に近い存在だ。
 宗教と家族制度が美しく機能している世界、家族同士のつながりの深い濃厚な世界だ。
 これは ネワール族が誇れる素晴らしい文化である。

 彼らは決して日本のように豊かな人たちではない。しかし、やるべきことは惜しまずに
 やる民族だ。
 こういうネワール族社会に生きている老人は決して孤独ではない。
 家族とともに生活し、家族のそばで当たり前のことのように穏やかな死を迎える。
 日本のように老人医療の恩恵を受けることなくても、死を自然に受け入れ、与えられた
 寿命を全うするだろう。家族に囲まれながら。


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 ドーナツでも買おうと 家から通りに出て、いつも行くパン屋に行くと、シャッターが
 下りていて、店を開けていない。
 いつもなら、近くの短大の学生たちが店の軒先に置かれている椅子に座り込んでいる。
 近くの道の中央には、何やら衣服らしいものが、かごの中に入れて、置かれている。
 近くにいた人に訊くと、いつも行くパン屋の家族、84歳の祖母が昨夜、亡くなった
 ためだという。
 死者は、家族や親戚の男たちによって、彼ら専用の火葬場へと運ばれていったと言う。
 ネパールでは、カーストによって火葬の場所か異なっている。カーストごとに専用の
 火葬場があり、他のカーストの人間は、その火葬場を使用することが出来ない。
 なかなか面倒なことである。

 死者の出た家の入り口には レンガが置かれ、死者を送っていった人たちを迎える
 準備が整っている。
 ここで死者に取り付いていた死の霊が 使者を送りに行ったものに取り付いて 再び
 家の中に入ってくることを防ぐためだ。
 使者を送りに行ったものたちは、このレンガの外で、家の内側に居る親戚の女たちに
 よって お払いを受け、家の中に入っていく。
 お払いをする女たちは、死者の直接の家族であってはならない。家族には死の穢れが
 取り付いているからだ。
 家族・親戚が集まると、食事が始まるが、家の外からやってきたものは、その家族とは
 一緒に食事はしない。
 死者の出た家族にはズットと呼ばれる死の穢れが取り付いているから、彼らの作ったものは 
 他のもの(外からきたもの)は食べてはならない。
 食べ物は自分たちで持ってくる。

 タンドゥカールの場合は 死者の出た家族には13日間 死の穢れが取り付いていると
 いうことから、13日間、彼らは他のものとは食事をともにしない。
 その間、鏡を見ること、テレビを見ること、髪を洗うことなど、様々のタブーがある。
 残った家族が楽しんでいる姿を見て、死者が蘇り、家に帰って来、怒りに任せて、
 他のものを再び死の世界へと誘うことを恐れるためだ。

 13日目にバジャチャーレといわれる仏教徒の祭事を行う人を呼んで祭儀を執り行ったあと、
 平常の生活に戻り、死の穢れから開放されることになる。

 この13日間には、家族の中では様々の祭事が行われるようだ。
 どれもこれも 死者が心置きなく、冥土の世界へと旅立ってもらうためだ。
 死者が 向こうの世界で困らぬように、ひとかけらの金、日常品を持たせるのも
 そのためだ。
 そこには死者に対する、あるいは死後の世界に対する彼らの深い精神世界がある。
 それは、今では日本では失われた世界だ。
 それらの様々の宗教的な装置は、生きていることを問うことでもある。
 死に対する怖れは、生にたいして大きな影響力を持っているはずだ。
 
 ネワール族の農民の世界にはまだこうした世界が残っている。
 死者をゴミ置き場に捨てるような日本とは違う。
 死者に対する恐れを失った日本では、凶悪犯罪はいくらでも生まれてくる。
 死に対する想像力を失った社会では、人間は単なるものに過ぎなくなっていく。
 人間を抑制する精神的な装置、知恵が 科学万能のもとに、あるいは経済重視の社会の中で
 失われてしまったのである。
 文部省の推奨する道徳教育でどうにかなるような世界ではないのだ。
 犯罪とは 社会を映す鏡であるし、人間の置かれている精神世界の象徴でもある。
 死に対する想像力の失われた世界では、人間の欲望に歯止めをかけることは出来ない。
 今日本はどこに向かおうとしているのだろうか。


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