カトマンズ ネワールの街と文化

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 カトマンズは、相変わらず、残暑が厳しい。今日は、自転車での移動を避けて、
 歩いてカトマンズに向かうことにする。
 昨日と同じ、道筋と歩く。
 パタンとテクを結ぶ橋の上まで来ると、パンチャミというお祭りのため、
 大勢のバウン族、チェットリ族の女たちが、近くの寺院のお参りのためにごった返しているのが
 見える。
 皆、一昨日のティーズのお祭りと同じように赤いサリーを身にまとっている。

 交通整理のために、三人のおまわりさんが、橋の上に立っている。
 一人は、バウン族の女のおまわりさん、もう一人は、その親戚だと言う男のおまわりさん、
 残る一人はグルン族の男のおまわりさんだ。
 どうして、おまわりさんという言い方ををしたかというと、
 彼らが如何にも田舎から来ましたという雰囲気だったからだ。
 「今日はお祭りで賑わっているね。」と声をかけると 愛想良く「そうだ。」と答えてくれる。
 彼らもお祭りを楽しんでいるのである。
 ネパールの下級警察官は、一概に愛想が良く、気さくである。
 「村はどこなの。」 「ジリから歩いて2日かかるのよ。」
 「田畑はどのくらいあるの。」 「結構あるわよ。40ロプニくらい、食べるのには、充分よ。」
 そんな他愛のない話を10分近くして、橋の向こう側に渡ると、人、人、人である。
 道の両側には、露天商が座り込み、安い服、下着、ステンレスの器、
 神様の写真などを売っている。
 こういう場所は危ないのだ。スリたちの仕事場なのだ。
 あたりの様子に必要以上に気をつけながら、この場所を通り抜ける。

 テクからカリマティへと向かう大通りを渡ると、旧王宮へと向かう坂道がある。
 その坂道を上る途中にパチャリ・バイラワと名づけられたローカルなネワール料理の店がある。
 前に通った時に目をつけていた店だ。
 今日は、ここで昼食を摂ることに決めていたのだ。
 店の中は、ネパール人のみである。こういう店にしては、こざっぱりしている。
 水も、フィルターウォーターで、安心して飲める。
 ネワール・カザ(ネワールの軽い食事のための料理)の店の特徴であるが、
 店の中に入ると、料理がステンレスの大きな器に入れられて、並べられているので、
 メニューがなくても、どういうものがあるか一目瞭然である。
 今日、私が食べたものは、鶏肉入りの焼きそば、ホクソウ(水牛の肺に穀物を詰めたもの)、
 セクワ(水牛の肉をたまねぎと一緒に炒めたもの)しめて65ルピーである。
 こういう店は、夕方になると、居酒屋に様変わりするのだ。
 酒のつまみになるものは、充分に揃っている。
 ネパーリ・ロキシー(米焼酎)をソーダで割りながら、
 ネワーリ料理を食べるのも、又、楽しである。


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 この頃は、カトマンズの中心部、旧王宮広場を中心に歩くことが多い。
 今日は、いつもとは、違う道筋で、カトマンズの方向へと向かうことにした。
 パタンからテクに架かる橋を渡ると、川岸に捨てられたゴミの臭気が、襲ってくる。
 テクから旧王宮広場に続く道の入り口、坂道を登っていくと、
 そこから、昔からのネワールの住居が始まる。
 マッラ王朝時代のカトマンズの街の南の端に当たる。
 道は入組んでおり、路地が網の目のようにある。
 いつもは、旧王宮方面からテクの方に下って来るのであるが、
 それなら、坂道を降りてくれば、自然にテクに出ることになる。
 今日は、反対の方向から入ってきたので、わかっていると思っていた道も、
 案外わかっていなかったことに気づく。
 地元のネワールの人に聞くと、左に行けば、旧王宮広場の西側、
 右に行けば、旧王宮広場の東側に出ると言う。

 今日は、カトマンズのネワールのマッラ王朝時代の王宮に向かう道筋を辿りたかったので、
 左側の道を選ぶ。
 王宮に向かうにしたがって、住居は密集してくる。
 路地裏に入り込んで、わざと、道に迷ってみる。
 こういう街なら、迷ってみた方が、面白い発見があるものだ。
 そして、小さな広場を探す。
 ネワールの住居は、広場を真ん中にして、建てられているのだ。

 このあたりで一番大きな広場に入り込んでみると、そこはマハルザン(ネワールの農民カースト)
 だけが住む場所であった。
 この隠れたような広場の中に入り込んでも、追い出されるようなことはない。
 この頃は、私は すっかり、ネパール人に見えるらしく、いろいろ尋ねると、
 変な怪しいネパール人のように思われ、警戒されてしまう。
 「自分は日本人で ネワールの文化に興味を持っている。」と話すと、やっと安心してくれて、
 相手から笑顔が出てくる。そして、いろいろなことを尋ねても気楽に答えてもらえる。

 このマハルザンのトール(地区)、すべて農民カーストであるが、ほとんどの人たちは 
 農地を売り払い、持っているとしても 少し野菜を作ることの出来る程度のものだ。
 もう農民では、なくなってしまっているのだ。
 土地を失った農民に残されているものは、一体 なんだろう。

 すぐ近くの小さな広場を持つ建物の一群も、マハルザンの住居だった。
 入り口に、水牛の角が飾ってあり、その量を見ると、初めはぞっとするものだ。
 その下には、祠がある。水牛は、ネワールの貴重な蛋白源である。
 その水牛に対して、毎年決まった時期に祈りをささげていると言う。
 ランジットカール(ハンド・プリント職人)の住む広場に迷い込んだり、
 マナンダール(菜種油づくりカースト)の住む広場に迷い込んだりするうちに、
 街の中心部に近づき、王宮に到達した。


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 今日は、マッラ王朝時代のカトマンズの街の範囲が、どの程度の規模であったのか、
 足で確かめたかったので、マッラ時代のカトマンズのネワールの王宮を出発点にして、
 探策してみた。
 一度に歩き回るのは、無理なので、王宮周辺を歩いてみた。
 王宮のすぐ近くには、プラダン、サキャ、バジャチャーレなどの上位カーストの住居が、
 あるはずだと思っていたが、意外にも、タムラカール(鉄職人カースト)、
 マナンダール(菜種油作り、油売りカースト)などの低カーストの住居が多かったのである。

 そのすぐ外側に、上位カースト、プラダン、サキャ、バジャチャーレ、
 ジョイシー(占いをする)の住居は並んでいた。
 しかし、彼らの住居のすぐ横には、立派な共同水場であるヒティーが造られていた。
 ヒティーというのは、マッラ王朝時代紀元13世紀から18世紀後半)に共同水場として
 建設されたもので、今も人々の生活の中で生きている。

 カトマンズの人口増加の中で、水不足に苦しむ新住民が、地下水を掘りまくり、
 それが、ヒティーの地下水に影響を与え、あるものは、水が涸れ、他のものも、
 昔に比べると、水量が落ちているようだ。
 ヒティーの水は、地下水を利用し、今なお、飲料水としてその用途をなしている。

 通りかかった娘たちが、喉の渇きを癒したり、近所に住むものは、水浴したり、
 洗濯したりしている。
 ネパールの中世にこれだけの知恵を持っていたネワールの民は、大したものである。
 ヒティーの中には、素晴らしい石造りの彫刻もある。彼らは、いつも神々とともにあったのだ。
 こういう知恵、公共に対する意識を見ると、今の政府の無能さ、庶民を省みない傲慢さが、
 浮き上がってくる。
 ヒティーの脇の坂道をビシュヌマティ川に向かって下っていくと、その下りに合わせて、
 段々と、住んでいる人たちのカーストも下がっていく。
 又、ヒティーも規模も小さくなっていくのだ。
 シュレスタ(官吏)、マハルザン(農民)、サイ(屠殺を仕事とする)、
 そして、川に一番近いところに、ポーレ(掃除人カースト)の住居がある。
 それは露骨なほどはっきりした住居の区分けであった。


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 このブログを書き始めて、カトマンズを散策する機会が多くなり、街中にある路地裏に
 入りこんだりする機会が増えてきている。
 それとともにネワールの文化にも再び興味が湧き始めてきた。

 今のネワールの文化というより、13世紀から18世紀中頃まで栄えたネワールの
 マッラ王朝時代の文化や人々の生活に思いを馳せることだ。
 もう少し若ければ、ネワール語とネワール文字の習得に精を出し、
 マッラ王朝時代の歴史を解き明かし、この時代の人々の生活を生き生きと
 再現してみたいと思うが、今、そのエネルギーは、私にはない。

 カトマンズの繁華街の通りを歩いていると、所々に狭い路地があり、そこに入り込むと、
 門のような入り口があり、そこをくぐると、突然のことのように四角い広場が広がる。
 四面を住居に囲まれた広場だ。
 その中心に仏塔、仏陀の彫刻、神々を祭った小さな建物があったりする。
 そして、四面を囲む住居の一廓には必ず祭儀を行う寺院がある。
 住居に囲まれたこの広場と住居をトールと呼び、一つの地域共同体を形成している。
 どの住居からも、広場や他の住居が見渡せ、このトールに生活する人々の姿を見ることが出来る。
 
 あるトールは、マナンダール(ネワールの食用油の精製と販売に従事するカースト)中心とする
 トールであったり、トラザー(ネワールの貿易を主に商いにしているカースト)中心のトールで
 あったりする。
 数は少ないが、他のネワールのカーストも生活している。
 こうしたトールには、必ずバザッチャーレと呼ばれているネワールの仏教徒の祭儀を司る
 僧侶カーストが住んでいる。
 トール、トールによって、他の住民は、様々のネワールのカーストによって構成されている。

 広場を中心とした生活は、このトールに住む人々の日常生活を密にし、
 豊かな共同生活を用意したことだろう。
 幼いときから、同じトールで生活してきたもの同士の強い連帯は、一生続くであろう。
 人々が、都市で生き生きと共生して行くための装置を、街を作っていく際の建物の構造のなかに
 埋め込んでいくやり方は、すばらしい発想であるし、卓越した知恵の結果のように感じられるのだ。
 こうした知恵は、もう一度見直してみるだけの価値はあるように思われる。


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