エピソード

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 22年前に バンコクを訪れた頃は 中華街の端っこにあるカラッカダ・
 イーシップソーン(7月22日)・ロータリーの前のジュライホテルに泊まることが
 多く、もし、ジュライホテルに部屋の空きがなければ、台北ホテルにもよく泊まった。
 台北ホテルは 受付は2階で 1階には床屋や中国人の経営する飯屋があった。
 その飯屋では 小学校を卒業したばかりの子供たちが 立ち働いている姿を
 よく見かけた。
 田舎の小学校を卒業して この飯屋で働き始めたのだろう。
 当時は まだまだ田舎では 中学校に進学することは 誰でも出来ることではなかった。
 バンコクの中国人家庭などは豊かだったから、子供の教育には熱心だったが、
 バンコクでも貧しい家庭では 子供を中学へ進学させることは 容易なことでは
 なかった。
 教科書や学校の制服・かばんなどを揃えれば、2千バーツぐらいは必要だったはずだ。
 その頃は 貧しい家庭では月3千バーツを稼ぐのがやっとだった。

 ラーマ4世通りでは 子供たちが停車している車に 花飾りや薔薇の花を売っている
 姿もよく見かけた。
 親を助けてということもあっただろうし、自分の小遣いを稼ぐこともあったのだろう。

 バンコク最大の歓楽街 パッポン、タニヤ通り、スリウォング、シーロムあたりには
 夕方を過ぎると 2キロぐらい離れたバンコク最大のスラム クロントーイあたりから
 歓楽街に遊びにやって来ている子供たちも多くいた。
 外国人にたかる子供たちだ。
 中にはシンナー遊びにのめりこんでいる子供たちも多くいた。

 大人も子供も生きるためにもがいている姿がそこにはあった。
 歓楽街にやってくる子供たちの大半は 家庭が崩壊寸前にあり、家庭も片親の家庭が
 多く、親も食べることが大変で 子供のことなど構っておられないというのが
 実情だった。
 中学にも進学できず、スラムでの生活の中では 未来も見えず、仲間とつるんで
 歓楽街を徘徊する子供たちだった。
 タイが 経済成長へと向かう前のバンコクの子供たちの姿だった。
 戦後のどさくさの中の日本の子供たちも 同じような社会に生きていたのだろう。

 20年以上前のあの子供たちは 今はどうなっているのだろう。
 生きているのか 犯罪に巻き込まれ 刑務所へ行ったのか、運悪く命を落としたのか
 しかし、自由に自分の思うままに生きている子供たちの生き様だけは感じることは
 出来たそんな時代だった。

 そういう時代だったのである。
 今は そんな子供たちの姿を見かけなくなったが、今のタイが 子供たちにとって
 幸せな時代なのか どうかはわからない。


       いつのまにか少女は

            作詞・作曲:井上陽水


    いつのまにか青い空がのぞいてる
    思いつめた黒い雲は逃げてゆく
    君はどこで生まれたの 育ってきたの
    君は静かに音もたてずに大人になった
    Un un Un un un

    白い膚が光に触れまぶしそう
    髪の色は青い空に浮きたって
    燃える夏の太陽はそこまできてる
    君は季節が変わるみたいに大人になった
    Un un Un un un

    いつのまにか「愛」を使うことを知り
    知らず知らず「恋」と遊ぶ人になる
    だけど春の短さを誰も知らない
    君の笑顔は悲しいくらい大人になった
    Un un Un un un Un un un


   井上陽水 いつのまにか少女は
   http://www.youtube.com/watch?v=aKHKQ1btrlc


 当時のバンコクの子供たちの姿を眺めていると 井上陽水のこの曲が 心に沁みた。
 遠い遠い昔のことである。



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 バンコクに初めて訪れたのは25年前であるが、そのときは一晩のトランジットで
 何一つわからないまま、バングラディッシュのダッカを経由して、カトマンズに
 向かった。

 それから3年後の22年前から タイとの深いかかわりが始まっていく。
 タイでは 鉄道よりもバス路線の方が発達しており、タイ国内の移動は バスに
 頼ることが多かった。
 数え上げれば 一体 何百回 タイの地方への旅にバスを利用したかわからない。
 冷房のついていないローカルバス、冷房付のツーリストバスと数えようもないくらい
 乗った。 
 コンケンやパッチョンに住んでいた頃は どこに行くにしてもバスの旅だった。

 ネパールやインドでのバスの旅に慣れていた私にとっては タイのツーリストバスが
 どんなに豪華に見えたものか。
 リクライニングシートは 本物だし、冷房は寒くなるほど効いている。
 車掌は ひっきりなしに飲み物のサービスをしてくれる、箱入りのおやつはくれる、
 途中の停留地では 食事のサービスはあるはで それは至れり尽くせりだった。
 ネパール・インド世界とこうも違うものかと 驚くことばかりだった。

 20年以上前のバンコクの東北タイ、北タイに行くバス乗り場は 有名なサンデーマーケットの
 真迎えにあり、冷房なしの地方行きのバス乗り場と冷房付のツーリストバス乗り場の二つに
 分かれていた。
 鉄道のあまり発達していないタイでは バスの旅のほうが一般的であり、そのバス路線は
 タイコク内を網羅していた。
 始めの頃は ネパールやインドでもバスの旅に慣れていた私は、冷房付のツーリストバスの
 ことなど思い浮かばず、バスというものが冷房がないのが当たり前だと思い、バンコクから
 東北タイへの旅は 冷房なしのローカルバスを乗り継いで、コラート、ウドンタニ、
 ノンカイへと向かった。
 
 あのサンデーマーケットだって、地方へと帰っていく人々の土産ものを売るバザールとして
 始まったのかもしれない。
 20年前は 今ほどの規模ではなく、簡単に見て回れる規模で、それほどごった返しても
 いなかった。



 コンケンーバンコク、コンケンーチェンマイ、コンケンーノンカイ、バンコクーパッチョン、
 パッチョンーコラートーブリラムースーリン、 バンコクーウボン、バンコクーチェンマイ
 ーチェンライーメーサイ、バンコクーウタイ、バンコクーパッチョン、バンコクーパタヤ

 列車もよく利用したが 回数からすればバスの比ではない。
 ベトナム戦争時代に物資の輸送ということから 22年前の当時から タイは道路が
 整備されており、夜間のツーリストバスであれば 百キロ近いスピードで飛ばし、
 平均時速5、60キロの列車よりはるかに早く目的地に到着する。

 こんな夜行のバスに様々な思いを乗せて、あるいはバスの背後に多くの想い出を残しながら、
 タイの国内を旅した。
 楽しい想いばかりではなかったバスの旅だった。
 そんな旅の中での バスの中で感じていた心の状態が 今でも鮮明に浮かび上がってくる。
 

 そんなときには こんな曲が 頭の中で鳴り響いていた。


      夜のバス
           作詞・作曲:井上陽水

  夜のバスが僕をのせて走る
  暗い道をゆれる事も忘れ
  バスの中は僕一人
  どこにも止まらないで風を切る

  バスの中はとっても寒いけれど
  君の嘘や偽り程じゃない
  君のくれた青いシャツを
  今日は着ていないだけ まだ暖かいよ

  君なら一人で明日を 
  むかえる事も出来る

  夜のバスが僕をのせて走る
  広い窓もただの黒い壁だ
  なにもかもが闇の中に
  ただ、夜のバスだけが矢の様に走る


  井上陽水  夜のバス
  http://www.youtube.com/watch?v=FGD_UCMPPgM


 この曲が 胸に響くようなバスの旅は もうはるかな昔のことだ。
 タイでは バスの旅には 多くの想い出がある。
 それだけ 心が動くことが多かったのだ。
 今では 快く夜のバスの旅を味わうためには 気力・体力も許してくれなくなった。
 強烈に求めていた自分の世界があったから、耐えられたのだ。


 
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 インドの旅でもよくバスを利用した。
 インドはイギリスの植民地であったことから、鉄道も発達している。
 しかし、特別な急行列車を除けば、列車のスピードが遅い上に、駅での停車時間も
 長く、平均時速50キロ以下というのもざらだった。
 列車の旅ならのんびりしていいだろうということになるが 昔から過剰人口を抱えて
 いるインドのこと、列車の中の過密も半端なものではない。
 ACファースト、ACセカンドクラスならともかく、セカンドクラスの三段ベッドの
 寝台車などは 昼間は 誰でも乗り込んできて ぎゅうぎゅう詰めになる。
 普通列車でも乗り込もうなら、殺人的な状況になる。

 バスでも同じことで ローカルバスなど乗ろうものなら、バスの中はすし詰め状態で
 屋根の上に座り込んで目的地に行くなどということもあった。
 これにインドの気候の暑さが加わると、もう地獄の有様になる。

 25年前に真夏の砂漠地方 ラジャスタンでの旅をしたときがそうだった。
 ラジャスタンのナゴールという小さな町からマハラジャの城があるビカネールまでの
 7,8時間のバスの旅は凄かった。
 朝9時頃 バス乗り場に行くときには 太陽の陽射しも容赦なく照りつけ、気温は
 40度近くまで上がり、バスの屋根の上に荷物を載せるにも バスの屋根への鉄製の
 はしごが焼けていて 握ることにも難儀した。

 座る席は確保したが、砂漠の荒野を走るうちに気温はうなぎのぼり、バスの窓という
 窓は閉め切り、バスの中はサウナのようになってしまっているが、窓を開ければ、
 室内の気温よりも暑い熱風が入り込んでくるのだ。
 全くの耐久レースのようなものだった。

 しかし、インドのバスの旅が過酷なものばかりだとは限らない。
 外国人観光客の目玉である観光地デリー、アグラ、ジャイプールのゴールデン・
 トライアングルと呼ばれる三つの場所を結ぶ路線には 当時インドでは珍しい
 冷房バスが運行していた。
 高速道路らしき道を走るせいか、なかなかスピードも出た。
 途中の中継地点では 小奇麗なドライブインにも停まり、食事も出来た。
 私が良く利用したのは ピンクシティ ラジャスタンの州都で有名なジャイプールから
 ニューデリーまでの路線だった。
 6,7時間の夜の旅だったが、ビデオテレビも設置されており、それでインド映画を
 見ていると退屈することもなかった。
 インドのことだから、途中で冷房が壊れ、窓を開けて走るということもあったが、
 20年以上前のインドの旅にしては おおむね快適なバスの旅だった。

 地獄の沙汰も金次第という言葉は インドの旅のためにある言葉かと思われるほど、
 インドではお金しだいで快適な旅を手に入れることも出来た。
 どこでもというわけではなかったが、都市周辺ではそうだったが、田舎へ行けば、
 やはり苛酷な旅は 相変わらずだった。

 体力のある時代にインドのバス旅行が出来たことは 強烈ではあったが 
 忘れがたい想い出にはなっている。
 今の若者たちも 快適な旅ばかりを求めるのでなく、自分に挑戦するような旅を作ることも
 長い人生の中では役に立つのではと思う。
 ローカルなバスの旅では 外国人は自分ひとりということもよくあるし、そういうときには
 自分と向き合う機会にも恵まれるし、アジアの人々とも触れ合う機会にもなる。
 五感を拓き、第六感を養うには もってこいである。
 空気が読めない、感働きが出来ない今の若い人には 自己開発の旅にもなるはずである。



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 私が 外国で長距離バスというものを利用したのが 25年前のネパールでのこと
 だった。
 25年前に初めて外国生活を始めたのは ネパールのカトマンズからだった。
 当時のネパールのツーリストヴィザのルールでは 3ヶ月滞在したら、一度他国に出る
 必要があった。
 隣国といっても陸路で移動できる国といえば 当時はインドしかなかった。
 3年間 ネパールに住むつもりだったから、3ヶ月ことにインドで出国し、
 ヴィザを取り直すということは 避けることの出来ないものだった。
 最初の3ヶ月の滞在が終わりに近づき、インドへの出国が必要になり、
 その目的地をインドのダージリンと決めた。
 一番簡単な方法は ネパール・インド国境のバイラワ・スノウリへ行き、インドに
 出国し、再び、ネパールに入国する方法であったが、せっかくインドへ行くのだから、
 インド旅行も楽しもうと、ダージリン旅行を決めたのである。

 インドヴィザを取り、当時は必要だったダージリン入域パーミッションも取り、
 インド国境 カーカルビッタ行きのバスのチケットも予約した。
 初めてのインド行きであり、ネパールの長距離バスの経験だった。

 バスは 夕方の5時頃、カトマンズを出発した。予定ではカーカルビッタには
 13時間後の翌日の午前6時過ぎには 到着するはずである。
 このバスというのが 時代物のインドのタタ製のバスで、形だけのリクライニング
 シート、快適とは程遠いものだった。

 カトマンズ盆地の出口であるタンコットのチェックポストを過ぎて、バスが下りに
 入ると 辺りは夕闇に包まれ、時は夜の闇の世界へと向かっていた。
 カトマンズ盆地を出ると 見渡しても 電気の明かりなど見ることは出来なかった。
 遠くに明かりらしきものが見えても それは電気の明かりではなく、家々の夕べの
 食の用意のための燃える火だった。
 それ以外は 全くの暗闇だった。
 カトマンズ盆地の中を除けば、盆地の外は まるで 江戸時代にでも迷い込んだような
 気持ちがしたものである。

 途中の停留場所 ムグリンまでそんな暗闇の世界が続いた。
 ムグリンに バスは30分ほど停車し、乗客はそれぞれタカリ族の経営する食堂で
 ダール・バート・タルカリ、それに地鶏のカレーのネパール定食を食べることになる。
 このムグリンのタカリ族の作るダール・バート・タルカリは 美味しかった。
 25年前からタカリ族の作るダール・バート・タルカリは 健在だったのである。

 ムグリンまでは スムーズにバスの旅は進んでいったが、ヘタウダという南ネパールの
 東タライ地方の入り口を過ぎたあたりから、様子がおかしくなってくる。
 バスが30分ごとに止められ、乗客と荷物のチェックが始まったのである。
 夜行バスなのに30分おきに乗客と荷物のチェックがあるのでは 眠れたものではない。
 30分おきに5分、10分と停車するようでは バスもスピードを出せない。
 こんな状態がカーカルビッタまで続き、カーカルビッタに到着したのは 午前9時、
 バスの旅は なんと17時間に及んだのである。

 カトマンズに帰ってから、話を聞くと カトマンズでバスが出発した日、王宮のゲート、
 アンナプルナホテルなどの何箇所が爆破され、そのためにチェックが厳しくなったと
 いうことだった。
 まだ若かった時代であるから、おんぼろバスでの17時間の旅も耐えることが出来たが
 今では 到底 無理だろう。
 こんな目にあったら、疲れで2,3日は旅どころではないだろう。

 17時間のおんぼろバスを降り、ネパール側で出国手続き、インド側で入国手続きを
 済ませ、ジープで次の街 シルグリへと抜け、そこから 山の町 ダージリンへと
 向かうバスに乗り込み、2時間以上かけて、カルシャンという小さな町に到着した。

 初めてのバス旅行が こんなひどい状態であったから、このあと経験するバス旅行が
 すべて大して過酷なものだとは思えなくなったのは 怪我の功名である。

 ネパールには鉄道というものがないのだから、カトマンズ盆地から地方、インドへの
 旅行は インドのタタ製の使い古したおんぼろバスに頼るより仕方なかった。
 このバス、上り坂に弱く歩くような速さで カトマンズ盆地へと上っていくのである。
 これには あきれ果ててしまったものだ。

 ネパール滞在の3年間 ネパール・インド往復をこのおんぼろバスで 
 何度 繰り返したことか。
 その間 バス事故の多いネパールのバスの旅であるが、1度のそんな目に合わなかった
 ことだけでも運が良かったと言っていいだろう。



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