カトマンズ バグマティ川の辺にて

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 カトマンズという街は 変わった街である。
 カトマンズ盆地の中の人口は 今や3百万人に届こうとしているのに カトマンズの
 中心部から歩いて2,30分のところに 田舎を感じさせるような場所がある。
 私がカトマンズで住んでいるバグマティ川の川辺の周辺がそうなのである。
 わずかばかりであるが 田畑も残っており、農民たちの農作業を通して、季節感も
 感じることが出来る。
 バグマティ川周辺には 広い河川敷もあり、牛や山羊の世話をしている人々の姿も
 よく見かける。

 環境汚染の進行の只中にあるカトマンズ、ひどい電力不足と水不足の中でも 
 カトマンズにやってきて 年間 何ヶ月か楽しく生活できるのも こんな地域に
 住んでいるお陰かもしれない。

 このバグマティ川周辺には 人間の生活の形のすべてが揃っている。
 古い寺院もあれば、火葬場もある。
 スラムもあれば、分譲高級マンション、高級住宅もある。
 その上 田畑もある。
 ゴミ捨て場もあれば その中から お金になるビニールやペットボトルを集める
 人たちの集落もある。
 このあたりを散策していると 飽きることはない。
 毎日が 人間ドラマの連続なのである。

 つい先日も バグマティ川のカトマンズ側の岸辺沿いに歩いていたら、
 いつも挨拶をかわすチェットリ族の家の前に 生まれたばかりの子牛がいた。
 まだ立ち上がることもおぼつかない様子で、家の者たちは 母牛のところへ連れて
 行って しきりに母乳を与えようとしていた。
 そんな子牛も 1週間もすれば 顔つきも足取りもしっかりしてきて、すっかり
 牛らしいの姿に成長している。
 額と耳の後ろを掻いてやると 最初は警戒心から嫌がっていたが、慣れてくると 
 私の顔を覚えてくれたようだ。

 再び、子牛のところにやってくると、茶色の別の子牛がいる。
 別の母牛から生まれた子牛である。
 黒い白斑の子牛は 黒い母牛から 茶色に白斑の子牛は 茶色の母牛から生まれたと
 聞いた。
 まるで同じ母牛から生まれた姉妹牛のように仲良く座り込んでいる。
 私の姿に慣れたせいか、額を掻いてやってみたり、耳の後ろを掻いてやっても
 嫌がらない。
 日を追うように成長する姿には目を見張るばかりである。

 こんな光景をネパールの首都カトマンズで それもカトマンズの中心部から歩いて
 2,30分のところで体験できる。
 実に持って カトマンズは不思議な街である。
 カトマンズの持つこうした面を知らないと カトマンズの楽しさも半減してしまう。
 ツーリストの溜り場 タメル地区ばかりに滞在していれば、雑踏と街の汚れしか
 知らないことになってしまう。
 すべてがごっちゃ混ぜのなかにあるそれがカトマンズの魅力の一つでもある。


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 バグマティ川の岸辺にある二つのシバ寺院の裏手に バイラブ神(シバ神の破壊神と
 しての化身)を祭ったパチャリ・バイラブ寺院がある。
 随分古い寺院らしく その由来はリッチャビ時代(1500年前)あたりまで遡る
 ことが出来るようだ。
 この寺院のプザーリ(神様の世話をする人)はネワール族の農民カースト マハルザン 
 である。
 カトマンズにあるバイラブ神を祭ってある寺院では どこもプザーリは 農民カースト
 マハルザンのようである。

 又、この寺院の周辺には 多くの火葬場がある。
 カトマンズのネワール族の仏教徒のカーストや農民カースト、下位カーストの人々の
 ための火葬場で、その火葬場はカーストごとに異なっている。
 ヒンズー教を主に信仰するシュレスタ・カーストの人々は パシュパティナート寺院にある
 彼らの火葬場で火葬される。

 先日、このパチャリ・バイラブ寺院に行くと 寺院の一角から 宗教歌のようなものが
 耳に飛び込んできた。
 歌と楽器の音のするところに行ってみると、4人の男たちが トライアングル、手押し
 オルガン、シンバル、タブラを演奏しながら、唄うことに没頭していた。

 農民カースト マハルザンの人たちが演奏しているのかと思ったが、どうも使う楽器が
 違うようだ。
 カーストを尋ねてみると サイ・カースト(家畜の堵殺、肉を扱うカースト)の人たちだった。
 彼らが演奏している部屋の正面には 怒り狂った女神 カーリが 夫のシバ神を
 踏みつけているタンカが飾られていた。
 どうも彼らは 女神 カーリを讃える音楽を専門に演奏するようだ。
 ネワール族の最下位カーストのデオラ(魚とり、豚の飼育、汚物の処理をするカースト)
 の人々も バドォラカーリ(女神 カーリ)の祭られている寺院のプザーリである。

 ネワール文化の奥深いところは 包容力、受容力の深さ、幅の広さである。
 何でも取り入れるという貪欲さである。
 インドのヒンズー教では 純粋性を尊ぶあまり、排他的になってしまうし、
 インドから4,5百年前から入り込んできたネパールのバウン・チェットリ族にも
 同じようなところがある。

 ネワール族の文化は カトマンズ盆地の中に入り込んできた人々の持つ文化を
 どんどん 受け入れ、その混合によって発展してきた文化であるが、
 ネワール族の王朝 マッラ王朝時代のジャスティス・マッラ王によって、
 インドのカースト制を導入するあたりから、カーストが固定され、生き生きとした混合、
 融合の文化の傾向が失われ、次第に衰退の傾向に向かい、最後には ゴルカ地方の豪族 
 チェットリ族のプリティビ・ナラヤン・サハに征服される原因を作ってしまったようである。

 私としては 現在のネワール族の人々が 昔のネワール族の混合、融合の精神を理解し、
 再度、生き生きしたネワール文化の再生を望むものであるが 一旦固定してしまった
 カーストの枠を取り外すのは至難の業のようだ。

 ネワール族の大半を占める農民カースト マハルザンの人々は 今でも混合、受容の
 精神を残しているが、どうも上位カースト シュレスタ、サキャ・バジャチャーレの
 人々は カーストにこだわる傾向が強いようである。

 サイ・カーストの人たちの演奏を聴いて、寺の外に出ようとすると 
 変わった石造りの像が 眼に入った。
 通りかかりの人に訊くと 音楽の神様であると教えてくれた。
 音楽の神様は サラサティだと思って訊き返すと、サラサティはシタールの神様、
 この神様は 音楽全般にわたる神様だと言う。
 神様の名前を教えてもらったが、あまり長すぎる名前で忘れてしまった。



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 バグマティ川の上流探索を終え、自転車を押しながら、いつもの私の散策コースの
 一つであるラナ家独裁制時代に ラナ家によって建てられたナラヤン寺院の前まで
 帰ってきた。

 ラナ家独裁制時代に建てられた寺院に祭られているヒンズー教の神様は シバ神、
 そして、ナラヤン神(ビシュヌ神の化身)、あとは 数は多くないが ラーマ王、
 クリシュナ神などもいる。
 寺院の形も インドのものを模しているといった感じが強い。
 チェットリ・バウン族が重要視する神様と カトマンズ盆地土着の民族 ネワール族の
 重要視する神様は 異なる。

 ネワール族の場合は パルバティ(シバの奥さん)が重要な神様であり、バグワティ、
 バールクマリ、カーリーと名前を代え、いたるところにこの神様を祭った寺院がある。
 もう一人の重要な神様は シバとパルバティの子供であるガネーシャ信仰も根強い。
 他には シバ神の化身 破壊神 バイラブ神もカトマンズのネワール族の重要な神様で
 カトマンズの大きな祭り インドラ・ザットラでは 大きな役割を果たしている。

 この川辺のナラヤン寺院 ラナ家によって建てられたが 今から60年前のラナ家
 独裁制が終止符を打たれてから 荒廃していくばかりである。
 私がこの寺院の周辺が好きなのは 崩れ行くものの持つ美のようなものを感じるから
 である。

 前置きが長くなったが、このナラヤン寺院の外では ネパール映画のロケが行われて
 いた。
 邪魔にならないところに自転車を置き、その様子を眺めていると、その中のスタッフが
 私に話しかけてきて、この映画の監督は 日本人であるという。
 よくこんな場所を見つけたものだと感心した。
 日本人スタッフは 日本人監督と助手の二人のようだった。
 話を少し聞くと、ネワール族の女性作家によって書かれたラブストリーを映画化する
 とのことで、俳優はネワール族の俳優かと思ったら、タマン族のハンサムな30を半ば
 越えた俳優だった。
 この日のカットは ナラヤン寺院の前を悩ましげに歩く主人公の姿だった。

 このナラヤン寺院の人間模様を眺めにやってくる自分にとっては 映画のロケという
 せいか、なにやら場面にしっくりこないうそ臭いもののように見えた。

 異国に身を置いて生活するということは 自分が映画の中にいるような気持ちに
 なることも多い。
 カトマンズにいると 毎日毎日が 新鮮な発見の連続で飽きることがない。
 人々との会話、生き生きとたくましく生活するカトマンズ庶民、表情豊かな子供たち、
 どれをとっても 映画以上に心を動かすものが多い。
 こんな中にいると 映画など見ようという気にはならない。
 架空の映画の世界より、現実のカトマンズの人々の姿の方が はるかに映画的である。

 カトマンズ庶民やその子供たちが何を感じ、どんな思いの中で生活しているのか、
 民族やカーストの違いの中で生まれてくる生活感情、軋轢、貧富の格差、幸福のあり方、
 そんなことを見つめ続けていると 飽きることはないカトマンズでの生活であるし、
 このバグマティ川の岸辺には 多くのドラマがあり、人々の多様な生き様がある。

 この世界は 映画以上に魅力的なものだし、視覚と聴覚だけを使う世界と違って、
 五感と第六感を使う世界であり、ざらざらとした手触りのある世界である。
 ラブストリーより この川辺に住む人々や朝夕の寺院や人々の生活場所を 
 ドキュメント映画にするほうがはるかに感動的で面白いだろうと思いながら、
 この映画のロケ地を後にした。



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 毎日のようにバグマティ川の川辺を散策しているうちに このバグマティ川の
 上流のどの辺りまで行けば、汚れきった川の水が川らしい水の流れになるのか
 興味が湧いてきた。
 まだこうした好奇心とそれを確かめる体力が残っていることを嬉しく思う。
 カトマンズの街の中心部に行くには あまりに混雑が激しく、あまり利用することが
 なかった自転車に空気をいれ、朝8時に家を出て、バグマティ川沿いに造られた
 大通りを バグマティ川上流に向かって自転車を走らせた。

 カトマンズとパタンに架かる橋の下を潜ると 左手に 1年ほど前から出来始めた
 川辺のスラムが見えてくる。
 そのスラムを横目に見ながら、自転車を走らせると 道は舗装道路から砂利道へと
 変わってゆく。
 いくらマウンテンバイクの体裁をしているとはいえ、タイヤなど普通の自転車と
 変わらず、大した安定感はない。
 アメリカの造成した川辺の公園の横を通り、私の好きなナラヤン寺院のある区域に
 入ってゆく。
 バグマティ川の水は 当然汚いままである。
 ナラヤン寺院の近くに架かる小さな橋を渡り、パタン側からカトマンズ川に入る。
 ここまでは私のいつもの散策のコースである。

 カトマンズ側の川に沿った道を上流に向かって進んでいくと、川が二つに分かれている。
 一つはどぶ川のような細いもの、もう一つは本流のように見えた。
 その川の分かれ目の丘の上にネパール人の若者がいたので 
 「バグマティ川の上流はどこか」と尋ねると 
 小さな細い川の流れを指差し、大きな本流の方はマノハラという川の名前だと言う。
 ネパールでは 川のことを ナディと言ったり、コラと言ったりする。
 このマノハラはコラと言われている。
 小さなどぶ川のようなバグマティ川の上流に向かっても、再び街中に入っていき、
 パシュパティナート寺院方面に向かうだけである。
 これでは面白みがない。

 バグマティ川本流のように見えたマノハラ川の上流に向かうことに決めた。
 川に沿って 自転車を走らせ、カトマンズを囲むように造られたリングロードを超えて
 しばらく行くと いつの間にか川沿いの道はなくなり、先に進めなくなってしまった。
 近くの新興住宅の中の細い道の中をぐるぐる回っているうちに やっと川辺に
 出ることが出来た。
 しかし、そこは今までのような街並みの風景ではなく、のびのびとした田園風景が
 広がる場所だった。
 しかし、カトマンズの中心部から10キロほど離れたこの田園地帯の周辺では
 宅地造成がどんどん進行しており、この田園地帯も早晩 住宅地域に変わって
 いくのだろう。

 川の水も きれいとは言えないまでも どぶ川のあの黒ずんだ色ではなく、茶色っぽい
 水の色で、川の岸辺では その川の水を使って女たちが洗濯をしている。
 その向こうには 広々とした畑地も広がり、農民たちが 畑仕事に精を出している。
 すぐ近くには 竹と萱で組んだ温室のようなものがある。
 ネパール人に聞くと きのこ栽培をしているという。
 バグマティ川の川辺のバラック建てのスラムを見慣れていた私にとっては、
 一瞬スラムかと見間違えてしまった。
 カトマンズの市場で売られている平茸やマッシュルームはこうした場所で作られるのだ。

 田園地帯の中の道をゆっくり走り抜けていくと、再び川に出合ってしまった。
 女たちが洗濯をしていた小川のような川ではなく、川らしい川であり、
 車の行き来できる立派な橋もかかっている。

 橋の下の川の中州の中で ネパールの南部タライ地方からやって来た家族が 
 砂利を集め、生活の糧を稼いでいる。
 日長1日の重労働で得ることの出来る収入は、2,3百ルピー 家族5人が
 生活するにはやっとの額だ。
 食べる ただそれだけの生活である。
 この川の名前は ハヌマンテ川 水量はないが それなりの川幅はある。

 わかったことは バグマティ川は カトマンズ盆地を流れる一つの川ではなく、
 カトマンズ盆地の中のいくつかの川が集まり、カトマンズの中心部で一つの川に
 なっているということだ。
 なんともあっけない幕切れだった。

 今度は バグマティ川下流に向かって パタン側の川沿いの道に向かって 
 自転車を走らせ、帰路へと向かった。
 ここに至るまで 3時間の時間を要してしまった。



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 今年のカトマンズの水不足は 例年になく、ひどい状態である。
 自宅を持たない間借り住まいのカトマンズ庶民たちは 洗濯、食事後の洗い物の
 水を求めて右往左往している。
 政府から供給される5日ごとの1時間の水道水の供給では 焼け石に水といった
 状況だ。
 その上、春から夏にかけての季節も変わり目に降る雨も降らず、いきなり季節は
 夏へと突入してしまった。

 降らない雨は 街のところどころにある救いの神であったドゥンゲ・ダーラ(マッラ
 王朝時代に造られた石造りの共同水場)にも大きく影響を与え、水の出ないドゥンゲ・
 ダーラも増えてきている。
 土地付の家を持つ金持ちたちは 井戸を掘り、地下水を汲み上げ、水不足に対応して
 いるが、貧しい庶民たちの間借り生活では そんなことも出来ない。
 水の手に入る場所では どこでも庶民たちの人だかりである。

 バグマティ川の岸辺に沿って散策していると 水の湧き出る場所を利用して、
 洗濯に精を出す人々の姿を見かけるのが カトマンズの風物詩と行っても良い。

 バグマティ川のカトマンズ側には 水の湧き出る井戸が少なく、あっても湧き出る水の量が
 少なく、狭い水場で 押し合うように洗濯している人たちを見かける。
 私はいつも顔を出す川辺の寺院 シバ寺院の近くに ラナ家が150年前に建てた
 インドの叙事詩 ラーマーヤナで有名なラーマ神を祭ったラーマ寺院がある。
 その先に広場があって、その広場のすぐ下の川べりに 小さな水場がある。
 朝から夕方まで 洗濯する人、水を汲みに来る人で絶えない水場だ。
 混みあうと 水場が空くまで 広場に座り込み 順番を待っている人も大勢いる。

 その広場には 水の出る二つの井戸があるが 錠がかけられており、
 水不足に苦しむ庶民には 解放されていない。
 この二つの井戸が この広場のすぐ近くにあるラーマ寺院のもので 
 寺院のためにしか使用が 許されていないのである。
 バグマティ川の岸辺には チェットリ・バウン族の支配体制を確立したサハ家、ラナ家 
 の建てた寺院、火葬場が多くある。
 特に寺院は 民衆のためにというより、自らの権力の誇示のために建てられ、
 民衆の信仰とは遠いものだった。

 ネワール族のマッラ王朝時代に建てられた寺院などは 今なお、カトマンズ庶民、
 特にネワール族の人々に支えられながら、生き続けている。
 寺院の造りも 誰でも入りやすく、近くにはドゥンゲ・ダーラと呼ばれる水場も
 造られ、寺院のすぐそばが 庶民の憩いの場にもなっている。

 ネワール族の信仰の形、すべての人々を受け入れるという姿勢が 寺院の姿にも
 現れているのに対して、王室寺院であったパシュパティナートを頂点したサハ家、
 ラナ家の建てた寺院は 信仰の純粋性を強調して、すべての民衆を受け入れるものでは
 なかった。

 その信仰の形、姿勢というものが 寺院の衰退にも大きく影響を与えている。
 サハ家、ラナ家の寺院を訪れてみても 王室寺院であったパシュパティナート寺院を
 除けば、ほとんど参拝者の姿がないというのが 現状である。
 こんなところにも チェットリ・バウン族による支配体制が 民衆とともにあったものでは
 なかったことが、証明されている。

 水不足で困っているカトマンズ庶民の姿を見ても 水の穢れを嫌って、井戸を
 解放しない信仰とは何か、チェットリ・バウン族の作り出した信仰とは 
 何であったのか、疑問も湧いてくるのである。
 どうもチェットリ・バウン族には 受容・寛容の精神に欠けるようである。


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