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リーダーとして反民主主義同盟の支持者を引き連れて、アセアン・サミットの会場に
侵入し、サミットを中止に追い込んだアリスマン氏を 逮捕したことから、反独裁同盟の
反政府運動は 過熱してしまったようだ。
今、私は日本にいるが、もし、バンコクで私が住んでいるアパートの近くでも、
こんな事件があったようだ。
*** 赤服、ペッブリーでムスリムを敵に回す ***
ネーション系のタイ語速報によると13日17:00頃、バンコクのペッブリー通り
ソーイ7の入り口周辺で、赤服軍団による住民の車やモスクに対する損壊行為に
怒った棍棒や刃物等で武装した住民約200人が集結し赤服軍団へ反撃する機会を
伺うと共に警察に向かって赤服の一味であると罵声を浴びせているという。
これに先立ち同日16:00頃、民主主義市民連合のシンパであるイスラム教徒の住民が
黄色い服を着てソーイ7の入り口付近で水掛に興じているのを通りすがりに目撃した
赤服軍団が襲撃したことから両者間で衝突となり、その際に赤服軍団がイスラム教徒が
多く住むソーイ5内にある飲食店のテーブルに火を放ったり、数台の車やモスクを
損壊したり バイクに火を放つなどするという事件が発生していた。
また、ネーション系の英字速報では、ソーイ7で水掛に興じていた人々と赤服軍団
との間で衝突が発生し、複数人が負傷を負った他、衝突の際に銃声が聞かれたと
報じている。
― タイの地元新聞を読む ―
このあたりは 時々 私も訪れる場所だ。
センセーブ運河のそばには 150年前からイスラム教徒 チャム族の住むバーン・
クルアの集落があるし、ペッブリー道路のソーイ7には 昔、南タイのパッタニーから、
連れてこられたイスラム教徒が住んでいる。
昔からこの場所に住み着いているイスラム教徒で モスクを中心とした地域の結びつきは強い。
歴代のタイの国王からこの土地に住むことを許され、王党派である人々である。
又、ペルシャ系イスラム教徒は ラーマ5世の時代までは 権力の中枢に入り込み、
多くの利権を中国人と分け合うぐらいの勢力を持っていた。
その有名な一族がブンナーク家であるが、ラーマ5世以降は 政治の中枢から離れて
いくことになる。
あまり政治的な信条を話す人々ではないが、国王によって護られてきたという意識は
あるようだ。
この意識は 中国人を含めて、長い間 バンコクに住みついている市民の共通の意識の
ようである。
ラッタナーコウシン王朝が バンコクに王都を定めて以来、地方の富(米、木材)は
中国人を通して 流れ込み、バンコク市民はその恩恵を預かっていたのである。
それはイスラム教徒も同じように恩恵を受けていたのである。
又、王都がバンコクに遷都する前の王都は アユタヤであったことから、中央タイに
住むタイ人もタイ人としてのアイデンティティは強い。
又、中央タイは土地も地味に富、洪水の心配はあっても、水には恵まれ、その豊かな
農業生産物にも恵まれていたのである。
一方、北タイはチェンマイを中心としたランナータイ王国、東北タイはラーンサーン王国、
ランナー王国とラーンサーン王国は 同じラオ族であることから、深い結びつきがあり、
それらの王族は親戚関係にあった。
中央タイのタイ人たちも 広い意味ではラオ族と同じ種族であったが、アユタヤ王国を
造る過程の中で、意識も言葉も変わっていったようである。
アユタヤ王国、ラッタナーコウシン王朝のシャム王国が力を増す中で、ランナータイ
王国もラーンサーン王国もシャム王国の支配下に置かれ、そこに住む人々は、搾取の
対象になっていくのである。
中国人は 王族・貴族の間に入って、米・木材の買い付け・流通、税の徴収搾取を
推進していく存在だった。
特に旱魃、そして 塩分を含む痩せた土地で生活する東北農民は いつも貧困にあえぎ、
長年にわたって苦しんできたのである。
ラーマ6世以降は たびたびの農民一揆、共産主義運動などで 時の政府と戦ってきたと
いう歴史もある。
バンコクに出稼ぎに出てくれば、言葉の違いから 「コン ラーオ(ラオ人)」と
馬鹿にされることも多かったのである。
だから、北タイ、東北タイの人間は どこか中央タイの人間に虐げられてきたという
気持ちがある。
議会制民主主義が出来るまでは 強権政治の中でひたすら我慢を強いられてきたが、
人口の多さから、だんだん発言力、影響力を増してきたのも事実である。
その象徴的存在が タクシン元首相であったわけだが、タクシン元首相が 北タイ、
東北タイ農民の苦しみをどこまで理解していたのかはわからない。
むしろ、上手く利用したという側面もないではない。
しかし、中央政府の眼を、東北タイ、北タイに向けさせることは出来た。
この辺のことを理解しないと、赤服集団と黄服集団との軋轢は見えてこないし、
タクシン、反タクシンの構図は見えてこない。
バンコクを中心とした中央タイに住む人々と北タイ・東北タイに住む人々のタイとう国に
対する意識は違うのである。
それは南タイに住むイスラム教にとってもタイという国に対する意識は違うのである。
今、赤服集団に対峙している兵士も警察も その内部は複雑だろう。
出身地の違いで、水平射撃をするものもいるし、わざと狙いをはずして射撃するものも
いるだろう。
今のままでは 混乱は深みにはまっていくばかりだろう。
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