タイ 事情

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 首相官邸に集結していた反独裁民主主義同盟の赤服集団の解散によって、現政権側の
 事後処理が進んでいるようだ。

 14日に反独裁民主主義同盟幹部、タクシン元首相を含む14名に対する逮捕状が
 発行されたのに続いて、16日には 46名の反独裁民主主義同盟の支持者に対して
 逮捕状が発行された。
 そして、チェンマイ(北タイ)、ウドンータニー(東北タイ)の反独裁民主主義同盟
 強硬派のラジオ局が閉鎖され、バンコクでは反独裁民主主義同盟系のテレビ局DTB
 の家宅捜査が行われる予定である。

 昨年のPADの首相官邸占拠、スワンナブーム国際空港占拠に対する対応振りと比べると
 そのはっきりした違いには 驚くべきものがある。

 そんな中、15日 バンコクを流れるチャオプラヤ川にかかるラーマ9世橋近くで
 反独裁民主主義同盟支持者である二人の若者の遺体が見つかり、猿ぐつわをされ、
 手を後ろ手に縛られ、頭には鈍器で殴られた跡があったと言う。
 二人の若者は バンコク都内の企業に勤める警備員で 13日に首相官邸のデモに
 出かけると言って、バイクで出かけたまま、行方不明になっていた。

 15日には 活動家や市民団体などが、軍隊によるデモ隊制圧で死者の出た可能性が
 あるとして、行方不明者の捜索を支援する不明者捜索センターを立ちあげた。
 これは、デモ隊側が、「軍隊が射殺したデモ参加者をどこかに運び去った」と
 主張していることによるもので、同センターは、行方不明者の特定が犠牲者の特定に
 つながるはずと話している。


 今回のバンコクでの反政府デモほど バンコク対地方をいう対立の構図をはっきり
 させたものは 今までなかった。
 しかし、地方の人々の願いを代弁してくれる指導者たちを失ったことも確かである。
 これからは 地方農民たちや地方で生活出来ずに出稼ぎに出て行かざるを得ない人々の
 中から、リーダーを生み出す努力をしていく必要があるだろう。
 それは民主主義のためというより、自らの生活の向上のためである。

 軍事政権後の2007年の総選挙で国民の力党は480議席中233議席を獲得したが、
 選挙違反を理由に2008年12月に憲法裁判所によって 解党処分になった。

 今後、政界の政党の勢力分野が どう変わっていくのかはわからないが、
 複雑さを増していくことは確かだ。
 今回のことで軍が発言力を増したことは確かだ。
 これまで 民主化の中で役割を果たしてきた民主党も 軍や旧支配層の御用政党に
 成り下がる可能性も大である。


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 軍による赤服集団強制排除によって、バンコクの混乱も終息に向かっているようだ。
 昨年の11月、12月の黄服集団 PADの行った首相官邸占拠、スワンナブーム国際
 空港占拠の折とは、全く違う対応振りには驚いてしまう。

 タイの英字新聞にこんな記事が載っていた。

   *** ドバイの国王に タクシン元首相を受け入れないように要請 ***

 4月14日(火)、バンコクのモスリム・コミュニティは 次のように言っている。
 モスリムの住民は タクシン元首相が タイで暴力的な行動を行った赤服集団の
 リーダーであったことを理由に タクシン元首相を受け入れないように ドバイの
 国王に要請した。
 タイのアラブ首長国連邦大使館を通して、この請願をドバイの国王に提出することに
 なるだろう・・・。

 大筋はこのようなものであった。
 http://www.nationmultimedia.com/worldhotnews/30100532/Dubai-King-asked-not-to-welcome-Thaksin
 詳しく知りたい方は 上記を参照

 これを読んでいると ペッブリー道路 ソーイ7の騒動の狙いは ここにあったのか
 と思えてくる。
 イスラム教徒居住区に 騒動を持ち込み、モスクを荒らす。そしてイスラム教徒の
 反発を引きだし、世界のイスラム教徒に訴え、特に元タクシン首相が しばしば
 訪問しているドバイへの入国を阻止する目的が 見え隠れしている。

 私はこの地域によく行くが、イスラム教徒の居住区特有の穏やかさがあり、この場所が
 どうして騒動に巻き込まれたのか 不思議に思っていた。
 どうも反タクシン派の策力の匂いを感じてしまう。
 あまりに出来すぎているからである。

 ソーイ7の入り口付近の目立つ場所でで 黄色い服を身につけ、水を掛け合うと
 いうのも尋常ではない。
 1,2キロさきのアヌサオリ・チャーィ(戦勝記念塔)は反独裁民主主義同盟の集会場に
 なっていたし、このペッブリー道路の先にはプラトゥ・ナーム、そしてディーン・デー  
 ンへとつながる。
 混乱の中心地で 黄色い服を着て 水を掛け合っているなど、凶器の沙汰である。
 ここでの騒動は 意図的に仕組まれたもののようだ。

 バンコクの各所で起こった赤服集団が引き起こしたと言われている騒動には 
 どうもこうした意図的な策略が 多くあったのではと思えてくる。

 反独裁民主主義同盟系のテレビ局は閉鎖され、情報も政府側のものが一方的に流された
 ようである。

 バンコクは 旧支配層の本拠地である。
 昔からの支配階級 王族、貴族、経済界(中国系タイ人)、軍、警察の中枢が 
 いざとなれば 一体化してことにあたるという姿勢が鮮明だった今回の対応振りだった。
 昔から住みついているバンコク旧市民は バンコクの都市人口の20%であるとしても
 200万人近いシンパを抱えている。
 10万、20万人程度の動因では 太刀打ちは出来ない。
 敵の本拠地で戦っているのであるから、余程の数の動因が必要なのは明らかなことだ。

 反タクシン派の昔から使われてきた策力、策謀の前に 今回の反政府運動は
 上手く押さえ込まれてしまったようだ。
 策略、策謀においては はるかに熟練している旧支配階級である。
 バンコクで200年に渡って、権力を握っていたバンコクの支配階級打破は 
 一筋縄ではいかない。

 反独裁民主主義同盟が 今後どういった運動を展開していくのか、簡単なことではない。
 正攻法だけでは やっていけないことがはっきりわかったはずである。
 どこかの国の政党間の争いも同じ様相である。


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 リーダーとして反民主主義同盟の支持者を引き連れて、アセアン・サミットの会場に
 侵入し、サミットを中止に追い込んだアリスマン氏を 逮捕したことから、反独裁同盟の
 反政府運動は 過熱してしまったようだ。

 今、私は日本にいるが、もし、バンコクで私が住んでいるアパートの近くでも、
 こんな事件があったようだ。

   *** 赤服、ペッブリーでムスリムを敵に回す ***

  ネーション系のタイ語速報によると13日17:00頃、バンコクのペッブリー通り
 ソーイ7の入り口周辺で、赤服軍団による住民の車やモスクに対する損壊行為に
 怒った棍棒や刃物等で武装した住民約200人が集結し赤服軍団へ反撃する機会を
 伺うと共に警察に向かって赤服の一味であると罵声を浴びせているという。

  これに先立ち同日16:00頃、民主主義市民連合のシンパであるイスラム教徒の住民が
 黄色い服を着てソーイ7の入り口付近で水掛に興じているのを通りすがりに目撃した
 赤服軍団が襲撃したことから両者間で衝突となり、その際に赤服軍団がイスラム教徒が
 多く住むソーイ5内にある飲食店のテーブルに火を放ったり、数台の車やモスクを
 損壊したり バイクに火を放つなどするという事件が発生していた。

  また、ネーション系の英字速報では、ソーイ7で水掛に興じていた人々と赤服軍団
 との間で衝突が発生し、複数人が負傷を負った他、衝突の際に銃声が聞かれたと
 報じている。 

                         ― タイの地元新聞を読む ―


 このあたりは 時々 私も訪れる場所だ。
 センセーブ運河のそばには 150年前からイスラム教徒 チャム族の住むバーン・
 クルアの集落があるし、ペッブリー道路のソーイ7には 昔、南タイのパッタニーから、
 連れてこられたイスラム教徒が住んでいる。
 昔からこの場所に住み着いているイスラム教徒で モスクを中心とした地域の結びつきは強い。
 歴代のタイの国王からこの土地に住むことを許され、王党派である人々である。
 又、ペルシャ系イスラム教徒は ラーマ5世の時代までは 権力の中枢に入り込み、
 多くの利権を中国人と分け合うぐらいの勢力を持っていた。
 その有名な一族がブンナーク家であるが、ラーマ5世以降は 政治の中枢から離れて
 いくことになる。
 あまり政治的な信条を話す人々ではないが、国王によって護られてきたという意識は
 あるようだ。
 この意識は 中国人を含めて、長い間 バンコクに住みついている市民の共通の意識の
 ようである。

 ラッタナーコウシン王朝が バンコクに王都を定めて以来、地方の富(米、木材)は
 中国人を通して 流れ込み、バンコク市民はその恩恵を預かっていたのである。
 それはイスラム教徒も同じように恩恵を受けていたのである。
 又、王都がバンコクに遷都する前の王都は アユタヤであったことから、中央タイに
 住むタイ人もタイ人としてのアイデンティティは強い。
 又、中央タイは土地も地味に富、洪水の心配はあっても、水には恵まれ、その豊かな
 農業生産物にも恵まれていたのである。

 一方、北タイはチェンマイを中心としたランナータイ王国、東北タイはラーンサーン王国、
 ランナー王国とラーンサーン王国は 同じラオ族であることから、深い結びつきがあり、
 それらの王族は親戚関係にあった。

 中央タイのタイ人たちも 広い意味ではラオ族と同じ種族であったが、アユタヤ王国を
 造る過程の中で、意識も言葉も変わっていったようである。
 アユタヤ王国、ラッタナーコウシン王朝のシャム王国が力を増す中で、ランナータイ
 王国もラーンサーン王国もシャム王国の支配下に置かれ、そこに住む人々は、搾取の
 対象になっていくのである。
 中国人は 王族・貴族の間に入って、米・木材の買い付け・流通、税の徴収搾取を
 推進していく存在だった。
 特に旱魃、そして 塩分を含む痩せた土地で生活する東北農民は いつも貧困にあえぎ、
 長年にわたって苦しんできたのである。
 ラーマ6世以降は たびたびの農民一揆、共産主義運動などで 時の政府と戦ってきたと
 いう歴史もある。
 バンコクに出稼ぎに出てくれば、言葉の違いから 「コン ラーオ(ラオ人)」と
 馬鹿にされることも多かったのである。
 だから、北タイ、東北タイの人間は どこか中央タイの人間に虐げられてきたという
 気持ちがある。

 議会制民主主義が出来るまでは 強権政治の中でひたすら我慢を強いられてきたが、
 人口の多さから、だんだん発言力、影響力を増してきたのも事実である。
 その象徴的存在が タクシン元首相であったわけだが、タクシン元首相が 北タイ、
 東北タイ農民の苦しみをどこまで理解していたのかはわからない。
 むしろ、上手く利用したという側面もないではない。
 しかし、中央政府の眼を、東北タイ、北タイに向けさせることは出来た。

 この辺のことを理解しないと、赤服集団と黄服集団との軋轢は見えてこないし、
 タクシン、反タクシンの構図は見えてこない。

 バンコクを中心とした中央タイに住む人々と北タイ・東北タイに住む人々のタイとう国に
 対する意識は違うのである。
 それは南タイに住むイスラム教にとってもタイという国に対する意識は違うのである。

 今、赤服集団に対峙している兵士も警察も その内部は複雑だろう。
 出身地の違いで、水平射撃をするものもいるし、わざと狙いをはずして射撃するものも
 いるだろう。
 今のままでは 混乱は深みにはまっていくばかりだろう。



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 *** 
 タイ政府は11日、午後1時過ぎアリスマン氏が率いるパタヤ赤服集団に東南アジア諸国連合
 (ASEA N)会議開催ホテルに突入されたことを受け、パタヤ地区を中心とした
 チョンブリー県に非常事態宣言を発令した。

 同集団が会議開催ホテルに突入したことを受け、11日の会議開催を中止することを決定していた。
 また12日予定されている会議は、今後の状況を見極めた上で発表するとしているものの、
 中止となる可能性が高いと見られている。

 この非常事態宣言を受け、今後軍部または地元警察が赤服集団を強制排除に動くものと
 見られており、付近では緊張感が高まってきている。(タイランド通信より)
                                     ***

 元スダーラット派所属下院議員で歌手としても知られるアリスマン・ポンルゥアンローン氏と
 いう名を見て、23年前、ネパールのカトマンズでの3年の滞在から日本への一時帰国の際、
 立ち寄った頃のバンコクのことを思い出した。

 歌手アリスマンは 当時のタイミュージックの中で 頂点のような存在で 人気絶頂を
 誇っていた。
 その頃のバンコクの街を歩いていれば、必ずどこからか 彼の歌が流れていた。
 大きな経済成長を迎える前のバンコクには 古い建物が残っており、繁華街のパッポン
 あたりを除けば、まだまだのんびりした時代だった。

 バンコク庶民と上層階級と生活の場所は はっきりと分かれ、まだ中産階級の台頭は
 なかった。
 貧しいか、金持ちか それがはっきりしていた時代だ。
 金持ちである上層階級は 庶民の生活には関心もなかったし、庶民にとっても
 金持ちである上層階級は雲の上の人たちであり、関心もなかった。
 それぞれが 互いに干渉しあうこともなく、タイ社会は 穏やかで安定しているように
 見えたものだった。

 そんな雰囲気の中で、アリスマンの歌うスローテンポの叙情的な歌は タイの人々の
 心を捉えていた。
 アリスマン自身が貧しい家庭に生まれ、食堂でウェーターの仕事をしていたところから
 歌手としてのチャンスを掴んだという生い立ちも 人々の共感を読んだのだろう。

 23年前のバンコクを思い出すときには あのアリスマンの甘いテナーの歌声が
 頭の中に浮かんでくる。
 Arisman - Tur Lam iang
 http://www.connemara.net/video/index.aspx?videoid=cSAuTERF0cs

 Arisman - Jai Mai Dan Pho
 http://www.connemara.net/video/index.aspx?videoid=0jilLEBLAWU


 この20年間でバンコクは大きな変貌を遂げ、音楽もハイテンポな欧米風な音楽に
 変わっていった。
 アリスマンがスローテンポで歌っていたラブソングは 時代遅れになってしまった。
 もう タイでも懐メロになってしまったのである。

 そして、反独裁民主主義同盟幹部 元スダーラット派所属下院議員 アリスマン・
 ポンルゥアンローンとして反独裁民主主義同盟を支持する数百人の人々を率いて、
 パタヤで開催されているアセアン・サミット会場であるホテルに入り込み、アセアン・
 サミットを中止に追い込んだ立役者として脚光を浴びることになった。
 情報によれば、アリスマン氏は 現在 当局によって 逮捕されているということだ。
 今日12日は 逮捕されたアリスマンを釈放するようにと 反政府運動は 過激さを
 増している。
 首相官邸占拠、スワンナブーム空港占拠をしたPADの幹部を逮捕することなく、
 現在に至っているが これでは今回のアリスマン逮捕は UDD側も納得はしないだろう。
 今 タイ政府は 公平、公正な対応を問われている。
 公平、公正が保証されない限り、混乱は収まらないだろう。


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 4月11日午後、反独裁民主主義同盟が アセアン・サミット会場であるパタヤにある
 ロイヤル・クリフ・リゾートホテルになだれ込み、中止になった。

 昨年のPAD(民主主連合)によるスワンナブーム国際空港占拠、今回のDAAD
 (反独裁民主主義同盟)によるアセアン・サミット会場占拠といい、
 タイの治安組織はどうなっているのだろう。
 開催日程は決まっており、反独裁民主主義同盟のデモ隊がやってくることは
 予測出来たにもかかわらず、デモ隊の侵入を防げなかったのはどういうことだろう。
 これでは 国内の政治的な対立が 解消されない限り、タイでは 国際的な会議は
 安心して開催できないという国際的な不信を定着させただけだ。
 日本から出席した麻生首相もとんだ期待はずれの結果に終わってしまったようである。
 それは韓国、中国、インドにしても同じことである。

 予測した事態に対応できない今のタイ政権は 一体どうなっているのだろう。
 2006年に起こったタクシン政権追放のための軍によるクーデター、2年間に
 渡る成果のなかった軍事政権、軍事政権によって選ばれた裁判官による憲法裁判所の
 判決による解党命令、そうした不自然な形で、ここ2年以上 タイの政治は、
 運営されてきた。

 その裏側には 旧支配勢力と新興勢力との利権をめぐる10年に渡る軋轢がある。
 旧支配勢力はバンコクを中心とした地域とタイ南部地区に支持層を持ち、
 新興勢力は 北タイ、東北タイを地盤に持つ。
 はっきり言えば、旧支配勢力は 今では 少数派である。
 バンコクにおいても、中国系タイ人、王族、旧貴族、昔から住みついているバンコク
 市民の支持を得ているが、都市人口が1千万に近づいているバンコクでは 
 地方からの出稼ぎ住民が増え、バンコクでも少数派になっている。
 そうした特権階級を支えているのが タイの国軍であり、警察組織であるが、
 今回の警察の治安部隊の対応振りを見ていても、今の政権を支持しているとは
 到底思えない。

 ここまで来てしまうと、解決の方法は 総選挙しかないだろうが、
 せっかく手にした権力、利権を 旧支配勢力が簡単に手離すとは思えない。

 地方を地盤にする反独裁同盟も 地方できちんとした組織作り、農民や労働者への
 啓蒙に努めなければ、本当の意味での支持者を得ることが出来ず、資金がなければ、
 反政府運動の際、人集めも出来ないだろう。
 支持者の大半は 貧困層であり、手弁当でも運動に参加できる余裕はない。
 今は資金の出所はあるだろうが、それがいつまでも続くものではないことは明らかだ。

 タイにも 世界金融危機による不況の影響は これから大きく出てくるだろう。
 地方で食べることが出来ないからバンコクに出稼ぎに来ている人々の帰っていく場所は
 ない。
 失業者が増えれば、バンコクの街の治安すら難しくなってくる。
 今回デモに参加した人たちの大半は 日当と弁当を求めて参加した失業者たちだろう。

 明日から タイの最大行事 ソンクラン(水かけ祭り)が始まる。
 失業者たちは 郷里に帰ることも出来ないだろう。
 郷里に帰るバス代、汽車代、お土産代を 算出するのは 物価高の今、簡単なことではない。
 この不況の中、ソンクランの際に出るボーナスも期待できないだろう。

 全く行方の見えないタイの政治である。


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