|
治療教育講義でシュタイナーの意味するアストラル体やエーテル体、 自我とは一体何を指すのかという質問が出たので、これからシュタイナーからの引用と 自分なりの認識を書こうと思う。 また、トラックバックにしたのは、このシュタイナーなどの引用などに 私なりに人間とは何なのかに答えがあると思うからだ。 ただし、彼の見解には超感覚的認識が基礎にあって、容易に納得できるかどうかはわからないが、 少なくとも自分で彼の見解を吟味して、体験するなら、はっきりと眼の前に より正確な新たな人間像が現われると思う。 ちなみに強調はわかりやすいように 私が行ったのでシュタイナーの強調した部分ではありません。 神秘学概論 ルドルフシュタイナー著 高橋巌 訳 ちくま学芸文庫より 「肉体」という概念に光を当てるためには、大きな謎となって人生全体を蓋っている「死」の現象に先ず注目しなければならない。そしてさらにこのことと関連して、常に死の状態にある「生命のない自然」、つまり鉱物界にも注目しなければならない。(中略) 開示された世界の内部で言えば、つまり人間の物質体とは、人間が鉱物界と共有する部分のことである。 これに反して、人間を鉱物から区別するところのものは、肉体以外の人間本性である。 とらわれずに考察するとき、特に重要になるのは、人間が死ぬと、人間本性が鉱物界と同じ在り方を示すようになることである。===死体とは、鉱物界での諸経過にゆだねられた人体部分のことである。=== 人間本性の肉体部分には、鉱物界におけるのと同じ素材の力が働いているが、死にいたらなければ、肉体が崩壊することはない。肉体には鉱物界におけるのと同じ素材の力が働いているのに、その力は生きている間、より高次の目的に使えている。死が生じたときになって、はじめてその働きは鉱物界の働きになる。肉体の素材と力は、そのとき、肉体の形態を解体させるが、それは自らの本性に従った働きなのである。 このように人間の開示された部分と隠された部分とをはっきり区別しなければならない。実際、生きている間は、隠された部分が肉体の鉱物的な素材の力に抵抗して生き続けなければならないのだが、この抵抗がやめば、鉱物本来の力だけが作用しはじめる。(中略) 生きている間、物質の素材と力に、肉体を崩壊させないように働きかけているものは、「エーテル体」または「生命体」と呼ばれる。(中略) エーテル体は、このように人間の二番目の本性であり、超感覚的な認識にとって、 肉体よりもさらに高次の現実である。ここで超感覚的な認識がとらえたエーテル体について記述する前に その記述にどんな意味があるのかについて述べておかなければならない。 先ず、エーテル体が肉体のいたるところに浸透しており、肉体に対して一種の建築家の役割りを演じていることを、強調しておきたい。身体器官の形態のすべては、エーテル体の流れと動きによって維持されている。心臓は「エーテル心臓」に基づいている。そして脳は「エーテル脳」に基づいている。 エーテル体は肉体同様に分節化されているが、肉体よりももっと複雑に分節化されている。 ===肉体においては、各部分が互いに区別されているのに対して、エーテル体においては、すべてが 互いに生き生きと融合しあっている。=== ===人間は、肉体を鉱物と共有し、エーテル体を植物と共有している。すべて生きものは、 みずからのエーテル体を持っている。=== 超感覚的考察は、エーテル体よりもさらに高次の人間本性に向かう。この本性部分をイメージするためには、先ず眠りの現象に眼を向ける。エーテル体の場合に、先ず死の現象に眼をむけたようにである。 通常の意識に開示されたものを考察する限り、人間のすべての創造活動は、覚醒時に行われている。 しかし、この活動は、消耗した力をそのつど繰り返して睡眠から補充するのでなければ、 継続していくことができない。睡眠中は行動もしないし、思考活動もやめる。すべての苦しみ、すべての楽しみも、意識の中から消えてしまう。しかし、眼が覚めると、隠された秘密の泉からのように、意識の力が、再び、睡眠の没意識状態から立ち現われる。眠るときに暗い深みへ沈み、目覚めるときに再び立ち現われてくるのは、同じ意識なのである。 === 繰り返して没意識状態から意識を目覚めさせるのは、超感覚的な認識の意味では、 第三の人間本性である。それはアストラル体と呼ばれる。=== 鉱物素材やその働きだけでは、肉体の形態を維持することができず、そのためにはエーテル体の働きがなければならないように、エーテル体の力だけでは、みずからを意識の光に照らし出すことができず、 絶えず睡眠状態に留まり続けなければならない。エーテル体は、肉体の中で、ただ肉体の植物状態を維持することができるだけである。エーテル体が目覚めるのは、アストラル体の照明を受けたときである。 このアストラル体の働きは、人間が眠りに落ちたとき、消えてしまうように見えるが、 超感覚的に観察すれば、その場合も存在し続ける。ただその場合のアストラル体は、 エーテル体から離れて、またはそこから抜け出て、存在しているのである。(中略) 人間は、肉体を鉱物と共有し、エーテル体を植物と共有するが、それと同じ意味で ===アストラル体を動物と共有している。=== 植物は常に睡眠状態にある。このことが正しく判断できなければ、 植物も覚醒時の人間や動物と同じ意識を持っている、と誤解してしまうだろう。 しかし、それは意識について不正確な考え方をした結果に過ぎない。 植物が外から刺激を受けるとき、動物と同じような反応を示すことがある。 たとえば外から刺激を受けた植物が、それによって葉を閉ざすとき、そのような植物には感覚が働いている、と人は語る。 ===けれども、ある存在が外からの作用をうけて、一種の反応を示すということが意識の特徴なのではなく、その反応に際して、新たに何かを内的に体験する、ということが意識の特徴なのである。===
もしそうでなければ、鉄板が熱せられて延びるときも、それを意識の働きに帰してしまうことになりかねない。ある存在が熱せられたとき、内部に痛みを感じたとすれば、そのときはじめて、 意識の存在を語ることができる。 |
全体表示
[ リスト ]





はじめまして。内容難しいけど面白いですね(*^-^*)
2005/7/11(月) 午後 2:47 [ ヒナギク ]