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1999年11月22日 月曜日
14時の時点で、熊谷では気圧1019.9hPa 気温18.0℃ 湿度42% 風は南南東 1.9m/s
青空が広がる非常に気持ちのいい天気であったと記憶している。
その日は、まだ小学生だった上の子が熱を出してしまったので、保育園児の下の子も休ませて自宅で過ごしていた。午後になって熱も下がり、やれやれとばかりに居眠りをしていた私は、異常な気配で目を覚ました。
音だ。と言っても、墜落の音が聞こえたとか、異常な爆音がしたと言う訳ではない。音が無くなってしまったのだ。我が家だけではない。窓を開けてみると、外も異様に静まり返っている。普段いかにたくさんの音があふれていたことだろうかと驚かされた。まるで人里離れた山の中にでも居るかのようだ。
そのうち、防災放送(ぼうさいさやま)が聞こえてきたのだが、各地のスピーカーで一斉に同じことを言うものだから音が反響しあって何を言っているのかさっぱり分からない。
しばらくして、近所の人が「飛行機が落ちたらしいよ」と教えてくれた。何でも、川越から帰ってくるのに信号が消えていてとても苦労したのだという。
そのうちに、一階の共用水栓に列ができた。私の住む集合住宅では電気ポンプを使って各階に送水しているため、上の階では全く水が出なくなってしまうからだ。
仕方なく、ダイエー(当時)に水を買いに行った人も居た。しかし、皆手ぶらで戻ってくる。話を聞くと、停電でレジが使えないということで、売ってもらえなかったらしい。POSシステムであるから仕方が無いのかもしれないが、何とも腹立たしいことだ。
さて困った。相変わらず「ぼうさいさやま」は何やらがなり立ててはいるが、例によって煩いだけでさっぱり状況が分からない。手元にラジオでもあればいいのだけれど。
この停電は私の住む地域では5時ごろまで続いたらしい。「らしい」と書いたのは、4時を過ぎたところで「脱出」することを決めたからだ。何しろ、小さい子を二人かかえて、水も電気も無い家の中にいることはできない。5時には暗くなってしまうので、その前にと考えたわけだ。
着替えと「お風呂セット」を持って車に乗り、500メートルほど走ったところで、信号がついていることに気づいた。どうやら、我が家は停電区域の端のほうにあったようで、すでに電気が回復しているところがほとんどだったようだ。
とりあえず、傍のファミレスに車を置いて一息入れ、子供たちに食事をさせた。日が暮れてから電気が回復した我が家に戻りテレビをつける。その時になって、やっと市内に自衛隊機が墜落したことを知ることができた。
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そういえば、入間にある協力会社の工場に行ったとき、話を聞きました。大変だったんですね。高圧線に突っ込んだとかでしたっけ?
2005/11/28(月) 午後 3:27
送電線を切ったあと、河川敷周辺に墜落しました。 ベイルアウトをぎりぎりまで遅らせたようです。
2005/12/7(水) 午後 0:18 [ hik*uk*tuus*i* ]
はじめまして、 この事故は、今でも覚えています。 パイロットは最後まで自分の命を犠牲にして 被害を最小限に勤めた結果がこのようなことだったと・・・・・・
2006/1/5(木) 午後 7:01
はじめまして 返信コメント遅れ申し訳ありません この事故の直後、パイロットの行動についていろいろと報道で言われましたが、地元に住んでいるものとしては、あの場所まで機体を持っていけて、そして落とすことができたというのはパイロットの技量はもちろんのこと、滅私の使命感なくしてはありえないと感じました。
2006/1/8(日) 午前 2:28 [ hik*uk*tuus*i* ]