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 佐藤奈加子は大阪のデザイン会社に勤める傍ら、副業としてライターもこなす31歳。朝起きるのがつらく、贅沢が苦手。
 佐藤重信は建設会社に勤める31歳。東京から大阪への転勤にも特にこだわりなく首を縦に触れる31歳。あれこれ考えるのが億劫で、片づけが苦手。
 年齢も苗字も同じで、誕生日も同じ1月4日、色々な偶然が重なった2人は偶然出会う。お互いの存在を少しだけ意識しながらも、32歳までの1年間を別々に過ごす2人のそれぞれの毎日。
 
 
 
 物語を読むというのが、非日常をに没入することを目的としている娯楽なのだとしたら、この作品を読むことは完全にその目的に添わない。上に書いたのは粗筋というか物語の導入のようなものだが、正直に言ってあれが全てだ。2人の前に死体が現れるわけでもなく、激的な恋愛が展開されるわけでもなく、出会いからして、そういや仕事で共通点の多い人と会ったなあという程度の日常の一部だ。あれこれと自分の考えや思いを抱えながら、それを横に措いてやるべき仕事をこなす。以前に読んだ『ポトスライムの舟』の中にもあったが、仕事はあくまで金銭を得る手段という割り切りと言うか諦めが感じられ、輝かしいサクセスストーリーにはなり得ない。
 上の一文にこう付け加えるとより鮮明になる――ただ、それだけの物語。
 いっそ、それ“だけ”の物語とくくってしまってもいい。そういう話だ。
 
 ただ、その“だけ”をこれほど読ませてくれるのが津村記久子という作家だ。
 
 僕の中で、津村記久子をどの位置に置くかが難しい。
 登美彦氏のように「ああ、もう大好きだ」とありがた迷惑(1:9)な叫びを放つことはないし、北村薫のように思わず「先生」と呼んでしまうほど敬愛することもない。そのほか、名前を見れば飛びついてしまう作家陣の中で、この人の位置付けは難しい、ただ決して、何となく読んでいる人ではなく、間違いなく読みたいと思っている。
 奈加子と重信のように、共通点を探すと分かりやすく2つある。生年が一緒、そして大学時代に過ごした場所が一緒。大学はお東さんとお西さんというお隣同士。カップル等間隔の法則とか牛若丸とかで有名なあの界隈ですれ違っていてもおかしくない。
 その程度のことなのだが、独り勝手に猛烈な親近感を抱いている。無理矢理に結び付けようと思えば、偶然にも僕が書店に勤め始めた頃に、偶然にも氏が芥川賞を取り、偶然にも僕がノルマとして掲載された『文芸春秋』を買い、偶然氏の作品を好ましく思ったという運命的な偶然の作用もあった。おそらく書店員になっていなければ、出会うことはできなかった人なのだ。
 
 出会ったこともない作家に個人的な親近感を抱いてばかりだと色々と心配な気分になってくるので、そろそろ作品のことを。
 同じ年齢ということもあるのだろうけど、いちいち身近な表現や題材や感じ方が多い。普通なら簡単に「共感できる」と言えば終わりなんだろうけど、それだと少し遠い感じがしてしまう。これが本当に無関係だったり自分からはるか遠い登場人物だったら、逆にそのキャラクターに感情移入したり、その言動に共感したりできるのかもしれないが、そういうのとは種類が違う。
 端的に言葉にすると――あ、こいつ知ってる――という感じか。
 奈加子にしても重信にしても、どこかにいる他人として認識できるのだ。平面から浮き上がるリアリティ……なんてものじゃなく、自分と同じ時間を生き、自分と似たような視界を持つ人として存在を確信できる。作中の重信の言葉を借りれば「生まれてからほとんど同じだけの古さになってる人」ということか。もちろん、津村記久子も含め。
 
 例えば。
 「ああでも『野菜摂れるしね』なんて、二十代では言わんかったんやけどなあ」という重信の言葉。このあと、奈加子もカフェインで目が覚めるとかほうれん草で貧血が防げる、などの事例を挙げて「常識を体が感受するようになってくるのがわかる」と応じる。
 この会話からは30代という年齢に慣れてなくて、20代の頃のように老け込みたがることも気恥ずかしく、かといって中年に踏み込むこともできない中途半端な座りの悪さがにじみ出ている。決して若くはないのは分かっているが、その頃の記憶は鮮明に残っていて、老いを感じるほどでもないにしても、確実に積みあがった経験で人生の波には乗れていて、ある程度の先行きは見通すことができる。立っているのはそれなりに見晴らしのよい交差点。その見晴らしのよさが落ち着かないのだ。錯覚かもしれないという恐怖からも逃れられないし。
 
 例えば。
 友人から誘われた奈加子の心の動き――あんまり会うのもどうかと奈加子は思ったのだが、その「どうか」っていうのも人とやっていく上でけっこうわがままなんじゃないの、自分の中での反駁があったので、また飲み会に行くことに決めた。
 このめんどくささ(笑)
 行きたくなければ行かなければいいし、行きたいなら行けばいい……んだけど、本当にどっちでもないのだ。だったら次善の策としての選択をする。打算と言うほど汚れてはいないけど、理性と言うほど清潔でもない。それに対して納得して行動するために『自分からの反駁』という手続きを必要とする。
 
 例えば。
 それでいい、と思う。
 何の根拠もないけれど、自分は自由だと感じた。
 それの何が悪いのだろう。
 ――という言葉。
 合間合間に挟まれる、自分のための言葉。こぼれるつぶやきは、どれも覚えがあるものばかり。生活は安定していて、一時の乱れもそのうち正常に戻ることも知っている。先々の収入も把握できていて、生活に困ることはない。「〜たい!」と強く思うことはなく、「〜たらなあ」程度の願望にとどまることばかりだけど、それで大した不満もない。周囲と自分を比べたときに、若干足下に揺らぎを感じることはあるけど、あれこれ考えているうちに立つべくして立った場所だということが分かって、そこから見える景色に安心できる。大体のことは――物理的にも精神的にも――1人何とかなってしまえて、他人の手を煩わせる方がよほど後を引いてしまうことを知っている。
 それでも。
 後ろ暗いことはない。何も悪いことはしていない。白状することは何もない。それでどうしてこんなに立っているのがやっとなんだ。
 ――そんな風に膝から下の力が抜けていくのを感じる。
 
 漠然と日々を送っていることは知っているし、ある視点から見れば恵まれた立場で贅沢を言っているといことだって分かっている。周囲のことも、周囲の中で立つ自分の姿も、大体は正しく把握できているつもりで、その物分りのよさのせいで身動きが取れなくなるのだ。日々湧き上がる感情はたくさんあるけど、それに身を任せてしまえるほど度胸もなければ自分を信用もできていない。何もいらないと思えるほど何もない毎日でもないし、身を任せてしまった後にどうなるかの見通しだって立ってしまう。この辺りにも中途半端な年齢が祟っている。
 智に働けば角が立つし、感情に掉させば流される。それを知っているから、レールの上を惰性で走る感情を行方は言葉でポイント変更をして決める。留めることはできなくとも、端っこを走っていてほしいときがあり、ど真ん中を爆走することを許したくなるときもある。完全に制御はできないと分かっているから、せめてそれくらいの融通を利かせてほしくて、言葉で自分の状態を規定する。
 
 これでいいんだ、と。
 いつかそのうち心に身を委ねる瞬間の準備だけはしながら、今はこの場所で生きていくと決めている。
 そして、それでいい、と思う。
 
 以前に『ポトスライムの舟』の感想を書いたときに僕は作品からこんな言葉をもらったと書いている――まあ、とりあえずそのまま生きてみれば。
 今回、同じようにもらった言葉は――多分、あんただけじゃないよ。そんなもんだよ。
 読み終わってもれたのは、安堵のため息だった。こんな作品、他にあるだろうか。
 
 
 
 思いつくままに羅列した言葉は、気を抜くと自分の現状を書き連ねただけに思えてくる。でも確実にこれは作品の感想であるとも言える。
 津村記久子は、自身と同じ年代の人物を軸に作品を描いている。それはつまり、いつだって同世代の姿を描いているということだ。その時にしか描けないことを美化も陶酔も特別視もせず、フラットに見つめ続けていくのだろう。
 だとしたら、これからも同じように古くなっていく僕にとって、津村作品を読むということはその時その時の自分の姿を鏡に映すのと同じことになるの。これから先、どのような姿がそこに写るのかは知らない。だけどおそらくずっとずっと読み続けていく作家なのだろうと思う。
 
 こういう感想を与えてくれる作家を、単純に「好き」という分類でくくっていいのか、結論はまだまだ出そうにない。

閉じる コメント(7)

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はじめまして。私にとっても津村さんはちょっと独特な(スペシャルじゃなくて)位置づけの作家さんです。改めて記事を読んで納得しました。ありがとう。

2011/5/12(木) 午前 8:15 abe

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わわわ。はじめましてじゃなかったかも。ブログのタイトル変わりました?失礼しました〜。

2011/5/12(木) 午前 8:16 abe

>abeさん
はじめまして……ではないですね^^;でもずいぶんなご無沙汰だったので、新しい気持ちでよろしくお願いいたします。津村さんは独特だという点で共感してもらえて嬉しいです。また感想などお話させてください。

2011/5/14(土) 午前 0:57 かとちん

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「古くなってゆく自分」というのはなかなか興味深いです。自分と同世代の作家さんはなまなましくて手が出せないでいますが、これなら読めるかなあ、と思います。
「その物分りのよさのせいで身動きが取れなくなるのだ。」←ははは、と力のない笑いをしてみたりして^^;

2011/5/16(月) 午前 0:38 ang*1jp

>あんごさん
こういう投げやりな雰囲気が漂う表現が魅力です。基本的に叙事的で他人事みたいな語り口なので、生々しさは薄いかと。いや、余計に温度を感じるかも知れませんが。でも、是非読んでいただきたいですね。
あはは。なんとなくでも分かってもらえると嬉しいです。見晴らしがいいと行き先に困るんですよね。

2011/5/16(月) 午後 8:26 かとちん

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はじめまして。
先日初めて津村さんの本を読みましたが、書かれてる感想、すごくわかります・・・!
>端的に言葉にすると――あ、こいつ知ってる――という感じか。
身近な誰か、ではないけど、私この感じすごくわかる、というのが散りばめられてますよね。
普段は非日常を楽しみに本を読んでいることが多いですが、こういう日常の本も楽しめるようになったなんて、、、と感慨深くなりました。

初めてなのに、いきなり長くてすみません;
TBさせていただきました(_ _。)

2015/2/14(土) 午前 9:47 [ uny*r* ]

> uny*r*さん
初めまして。お返事が大変遅くなって申し訳ありません。
手触りのある日常もここまで突き詰めてくれると読めるという感じがします。新刊が出るのがこれほど楽しみな作家さんも少ないですね。

2015/3/10(火) 午後 7:08 かとちん

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