別館−本楽家協会

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 またしても、本楽家協会会長・ちいらば様よりの厳しいご命令がくだった。
 年内に『本楽家かるた』を作れ――と。

 ルールは以下の通り。

 1.読み札
 a)短歌(5・7・5・7・7)であること。
 b)歌の中に「今年」出版された本(漫画も可)のタイトルを(1冊以上)盛り込むこと。
 c)その際は著者名も別途、明記すること。

 2.取り札
 a)読み札をイメージさせる絵をつくること。
 b)「絵」が写真でも可。
 c)絵はサンプルで示された赤枠内に収まること。
 d)緑の丸枠の位置(サンプルと同じ位置)を考慮してつくること。
 e)どうしても自分ではつくれない、という方は他の人にお願いするのも可。

 3.その他
 a)本楽家協会の会員は原則、最低(読み札、取り札1枚づつの)1セット作成必須。
  (しかし都合が悪い場合はもちろん、キャンセル可)
 b)非会員の方も自称本楽家の方であれば誰でも参加可能。
 c)作りたい文字がある場合はコメントで名乗りを上げてから作成。
  (早い者順)
 d)担当している文字を作り終えてから次の文字に名乗りを上げること。
  (一度に2文字以上、作る(名乗りを上げる)ことは不可)


 himaが託された文字は「ひ」。

 これを見たhimaはまず思いました――「無理です」
 それでもhimaはがんばりました。
 その成果というか成れの果てが今回の作品です。

 書名は米澤穂信『さよなら妖精』(2006年6月・創元推理文庫)より。
 最初は冬の吐息をイメージしていたのですが、取り札は雪になってしまいました。なぜでしょう。

 とにかく書名を入れるというのが難しく、ちょっと強引なものになってしまいました。割と気に入ってはいますが、さてどんなものでしょう?

 絵についてはかんべんしてください。画像の処理をどうしていいのか分からず、なんだか妙に粗くなってしまいました。クリックするときれいに表示されるみたいなんですが……よろしければどなたかよい方法を教えていただければ。

 ひょっとしたら、もう少し読み句のほうはいじるかもしれませんが、ひとまずは、50音に穴を空けないという(低い)目標は達成です。

 本当にこれでカルタができたら楽しいでしょうね。

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 本のタイトルリレーである。

【本のタイトルリレー】
 ルール:お題として受け取った本のタイトルの一部(単語、品詞)、あるいは全部を含んだ別の本を次の人が紹介する。つまり、前の人の挙げたタイトルが「罪と罰」だったら、「罪」か、「罰」、苦肉の策として「と」(?!)の含まれたタイトルを探して回答とし、次の人に回す。

 という、なんとも遊び心満天の企画。
 そしてこれこそ、本楽家協会の一員として避けては通れぬ課題なのだ。

 ――などと言いつつ、入会直後の6月中旬に回していただいておきながら、今までなかなか次の方に回すことができずにいた。もしこれがお正月の恒例行事のたすきだったら、と思うと背筋が凍る。

 回してくださったおじゃさんはじめ、協会員の皆様、ご迷惑・ご心配をおかけしました。

 さて、今回おじゃさんから回していただいたお題は『最後の注文』。この中にある『最』『後』『注』『文』もしくは『の』が入ったタイトルを探して感想を書くわけだ。
 こうして記事にするまで一ヶ月近くを要してしまったが、何も放置していたわけではなく(当たり前だ)、お休みのたびに本屋を巡ったり(ただの習慣)、部屋にある(整頓された)本棚を眺め回したり蔵書のリストに検索をかけたりして(すぐ終わります)、該当する本を探していた。

 当初は、ものすごく簡単に考えていた。本屋に行けばあっさりと見つかるに違いない、と。
 『最』は『最後』とか『最高』とか『最も』とか、いかにもタイトルに入っていそうな字だし、『後』も然り。『注』は難しいか、え〜っと、『お注射しましょっ!』とか……うん、ありそうだけど絶対に何かが違う。あと、あまり趣味じゃな……こほん――咳払い。『文』も本のタイトルなんだからあって当然。確か『文学部なんたら教授』っていうのがあったはず。

 しかしここは、ジャンルをあえてミステリでしばる(と言っても『注射しましょっ!』とは関係ありません)ことにしよう。

 ――とまあ、軽く考えていた。
 割と最初に見つかったのは島田荘司『最後のディナー』。しかしどうやら『龍臥亭』を読んでからの方がよさそうなのでスルー。綾辻行人『最後の記憶』も思い出したけど、あまりおもしろくなかった<記憶>があるのでこれもスルー。
 さて次は……と、ここで完全に行き詰る(早い)。

 自分の部屋の捜索も血眼で行う。そのとき、ふと天啓が。そういや『ほうか<ご>探偵隊』があるじゃないか――って、平仮名だろ。ん? ほうかご? ちょっと待て、と本棚をもう一度見てみて――見つけた。

 既読であるし、会長であるちいらばさんの提唱されている「自分が読んだことのない新しい本の発見」という趣旨には反している気もするが、ここは「再読による再発見もまた新たな発見」という屁理屈(も理屈)をこねて大目に見てもらうことにして――

 こちらを。

 ――――――――――――――――――――――――――――――

 『放課後』 東野圭吾 (講談社文庫)

 いわずと知れた東野圭吾のデビュー作であり、乱歩賞作品。

 「マシン」のニックネームを持つ女子高教諭・前島。彼は命を狙われている――と感じる出来事に幾度か遭遇し、校内にその犯人がいるのではないかと恐怖を抱えながら仕事をこなしていた。しかし、問題児や自分が顧問を務めるクラブ員、淡々と授業を受ける生徒たち、心を通わすことのできない同僚たちとの毎日は平凡そのものだった。そんな中、校内で密室殺人が起こる。
 前島は自らの身に起こったこととの関連を考え、学校と警察のパイプ役を買って出るが、事件は混迷を極める状況に陥っていく。

 落ち着いた作品、というのが読後の印象。
 とんでもないトリックがあるわけでもなく、目を見張るような謎がひそんでいるわけでもない。そして悪魔的なロジックが披露されるわけでも、ない。
 大谷という刑事と前島という教師、2人が探偵となって殺人事件を追う。そして徐々に明らかになる断片的な知識を少しずつつなぎ合わせていき、最後には前島だけが真相に到達することになる。もちろん、ゴールのテープを切ったのが前島だけだったと言うことに関しては十分な必然性がある。
 ゴールのテープを握っていた人物、つまりは犯人はそれほどに意外ではない。動機も、深刻ではあるものの類型的と言ってしまえばそれまでのものだ。
 大きく小さく張られていた伏線は、ラストに向かう寸前に一気にその頭をもたげて、振り返った僕に向かって光を放つ。前島のいくつかの行動がきっかけとなって一気に発動するそれは、まるで伏線の見本であるかのようだった。後から読み返してみてわざとらしいくらいの方が、効果的だし説得力もあるというものだろう。

 命を狙われるというサスペンスフルなスタート、謎の多い密室での殺人、衆人環視の中での第二の殺人、周囲の人間の怪しい行動、そして最後に待っていたもう一つの結末。
 要素は多く、趣向は凝らされている、しかし印象としては落ち着いた作品。語り手である前島のキャラクターによるものも大きいのかもしれないが、女子高という華やかに思える場所を舞台にしているにしては、ひどくトーンが暗かったのが原因だと思う。
 これが暗澹たるラストを暗示するための仕掛けだったとしたら、それはそれですごい。
 ただやはり、あれだけ多くの素敵な生徒たちが登場するのだから、もう少し明るい感じを盛り込めたのではないだろうか。そうしていれば、その明と事件の暗とのギャップが生まれて振り幅の大きさが出たような気もする。

 今回の本旨であるタイトルのことで話をすれば。
 『放課後』というノスタルジーを誘うタイトルの内容をこのように味付けであることの意外性は大きい。そもそもこんなに暗い『放課後』なのに教師が主人公とは、これいかに。教員にとって生徒が帰る放課後ほど楽しいものはないというのに。
 そういえばこの次の作品のタイトルは『卒業』だ。あれもちょっと救いのない話だった覚えがある。
 学校と言う場所。そこが内包する様々な可能性を、改めて感じた。『彼氏彼女の事情』の真秀さんのように。



 それにしても……僕も前島のような姿勢を貫けるだけの知識と余裕があれば、もう少し教員と言う仕事に対して前向きになれたかもしれないなあ、と久しぶりに引き出し奥に眠っている教員免許のことを思い出してみたりした。それはたった7ヶ月しか有効利用されなかった、2枚の……紙切れ。

 ――――――――――――――――――――――――――――――



 というわけで、お題は『放課後』――

 『放』
 『課』
 『後』

 ――の3文字を含むタイトル、ということになります(よね?)。

 東野圭吾も『しのぶセンセにさよなら 浪花少年探偵団・独立編』あたりに今回のお題の漢字を入れてくれていたらよかったのに…(言いがかり)…
 すいません、苦しいお題を選択してしまいました。どなたにお届けするかは、ゲストブックに内緒で書き込ませていただきます。その折には「若造が、無理難題を……」と微苦笑を浮かべて処理していただければ幸いです。

 最後にもう一度、遅らせてしまったことをお詫びして、任を終えたいと思います。



 ふ〜、やれやれ(……おっと、まだみなさんがこっちを見ている……)。

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 本楽家協会――それは真に本を愛する者たちの集う貴族的サロンである。
 そのメンバーの一人がある日不可解な状況で殺される。悲しみに暮れる残されたメンバーだったが、その涙が乾く間もなく彼らの前に新たな死体が――

 ――現れるわけではありません。真実は一行目のみにあり、です。

 本楽家。
 最初に目にした瞬間、この言葉に一目ぼれをした。この短いフレーズの中に語りつくせないほどのたくさんの思いを感じたからだ。
 本が好きで本を楽しむ。
 シンプルな行為の中だからこそ、とても深い感情がそこにあると思った。

 この本楽家。提唱者であるちいらば(http://blogs.yahoo.co.jp/chiiraba)さんによれば、

 1.とにかく本を読むのが好きな方。
 2.本(雑誌、マンガ含む)や書皮、栞、蔵書票、蔵書印など本関連のものを集めるのが好きな方。
 3. 図書館や新刊書店、古本屋などをぶらりと行くのが好きな方。
 4. 本を作ったり、売ったり、貸したりするのが好きな方。
 5. ただただ本を眺めているのが好きな方。

 とのこと。
 4.の「売ったり」以外はピッタリと当てはまる。本関連のものを集める、という優雅な趣味はないけれど、本を買うのは大好きだしズラリと並べて愛でるのなんて病的に好きだ。いや、病気だ(本好きはみんなかかっていると信じるけど)。
 つまりは僕も本楽家を名乗ってもいいということになる。

 そして冒頭の一文に戻る。
 世の中にはこの本楽家の集う協会があるとのこと。実はずいぶん前、その存在を知ったときにすぐさまその門を叩こうかと思ったのだが、なんとなく自分ごときには敷居が高いような気がして引き返してしまったのだ。
 しかし、やはり「本楽家」という魅惑的な響きの誘惑に打ち克つことができず、せめてその末席にでも加えていただくことで胸を張って「本楽家」を名乗らせていただこうと一念発起……の割には、姑息にもタイトル下の<一言メッセージ>において会長・副会長両名にお伺いを立て、万全の準備をしてから再び門の前に立った。
 ロッカー志望の少年はギター一本を抱えて東京に出てくると言う。まさに裸一貫で。
 僕は愛用のブックカバーだけを片手に携えてここまでやって来た。一応服を着て。

 1. 自分が「本楽家」であることを認めること。
 2. 「本の楽しみ」をテーマに記事を書くこと。
 3. その記事をこのまえがき記事にトラックバックすること。

 入会条件は以上の3つ。
 ……やばい、ブックカバーだけじゃダメじゃないか。
 すごすごと僕は家に帰り、そして門の代わりにキーボードを叩いている。魂を込めて。



 さて、本題。前置き長すぎ。

 どうして本を読むんだろう――と時々考える。有栖川有栖は作中・有栖川有栖に「ゲームなんてやってたらあっという間に人生が終わってしまう」みたいな意味のことを言わせていたが、本だって同じだと思う。いやむしろ、本の方がその力は大きい。 
 それなのに、どうして本を読むんだろう。部屋の中でこうべを巡らせるとマンガがぎっしりと詰まった本棚があり、押入れを開けると文庫本のはみ出したラックが並んでいる。ドアを開けても文庫はあるし、廊下に出てもマンガがある。我に返って思う。こんなにいっぱいどうするつもりだろう、と。まあ、読むんだけど。

 ところで僕の両親はほとんど本を読まない。親戚に家にもそんなに本はない。せいぜい叔父やいとこのマンガくらい。考えてみると、僕は本のあまりない環境の中で育ってきたことに気付く。
 だけど僕は小さな頃から本ばかり読んでいたらしい。小さな頃は漫画家になると意気込んでいたし、高校時代には小説家になると言い出して母親を大いに心配させた。自分の人生を本とともに歩もうという思いは、物心付いたころから僕の中にしっかりと根付いていたのだ。
 夢はどれも破れたが、その思いだけは今も消えていない。

「マンガと小説がなくなったら死ぬ?」なんて質問には「そんなわけないでしょ」と答えることにしているが、人生の色が大いに褪せてしまうことだけは確かだ。

 どうしてそこまで生活の中の大きな位置を本が占めているのか。もちろん、本を読むのが楽しいからだ。
 ではなぜ、本を読むのは楽しいのか。

 楽しいものは楽しいのだ――と言ってしまうのは簡単だ。理屈を越えたところで、一種習慣となった行為を繰り返しているのだ、と。
 だけど、それではつまらない。せっかくだからもう少し考えてみたいと思う。

 僕は残念ながら僕以外の何者でもなく、世界とはあくまでも僕の手の届く範囲、見ることのできるものがその全てとなる。そして僕の時間は有限で、繰り返すトライアンドエラーの回数もある程度制限されている。
 僕自身の底が浅いだけの話なのかもしれないが、やはり人の世界はただそれだけではあまり楽しくないんだと思う。 
 だけどそれを知っているだけで何もしないのでは、あまりにも自分自身かわいそうだから、人は切ないほどの抵抗を試みる。その方法が仕事だったり家族だったりもっと別の趣味だったり、とそれぞれだろうけど、人は自分の世界を充実させるために単純な生命活動以外の何かを探す。

 その探求の中で僕が巡り会ったのは、本だった。
 虚構の物語がつづられた文章。優しい言葉や辛辣なフレーズ、日本語と言う地球上で最も複雑(怪奇)な言語を駆使してつむがれる、たくさんのストーリーに触れ、泣いたり笑ったり考えさせられたりできる。めいっぱい想像をふくらませて言葉から映像を生み出すこともできる。書く人によって、言葉とはかくもたくさんの表情を持つものなのかと、自分が普段使っている言葉の奥深さに酔うこともできる。
 スポーツの汗、家族の笑顔、仕事の達成感、音楽の感動――そういうものに共通する充足感がそこにある。
 それを、楽しいと思う。

 僕はこの複雑(怪奇)な日本語が好きだ。詳しくもないし、満足に操ることもできないが、その奥深さにやられている。だから、それがずらりと並んで輝きを放つものを手に取るのは、自然なことなのかもしれない。
 つづられることで意味をなす文章はもちろん、平仮名は目で楽しむこともできる。加納朋子の『ささらさや』など、この柔らかな字面が最高だ。
 そこにはたくさんの言葉があるから。
 だから、本は楽しい。

 だが、本はそれだけではない。
 その中に僕のものではないたくさんの世界を内包していて、平面的で小さな紙の上には、ものすごく広くて無限とも思える時間が流れている。僕はそれに触れることで自分のものではない人生の中で様々な思考や感情を喚起させてもらう。
 本は、世界を充実させてくれるだけではない。もう一つの世界が、そこにはある。住む場所も、見えるものも、触れるものも、性別すら違う。全く別の世界がそこにあり、僕はしばし“ここでない場所、今ではないとき”に赴き、僕ではない誰かになることができるのだ。
 つまりそれは、もう一つの世界を、人生を生きるということ。
 それをすることで充足感や喜怒哀楽のような感情的な部分とは少し違った場所にある、うまく言葉にはできない何かをやわらかく刺激してくれて、体のどこかにある、これもまた的確に表現はできない何かを確かに満たしてくれる。
 それを、楽しいと思う。

 ――小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います。

 もはや注釈を入れる必要もないほどに有名になった、北村薫氏の至言。
 自分の感情を他者の言葉にゆだねるのも情けない話だが、やはりここはこの言葉にすがりたいと思う。
 そこにたくさんの世界があるから。
 だから、本は楽しい。

 言葉と。
 世界と。
 それらにあふれているから本が好きで、こうやって僕は本を楽しんでいる。

 ほら、全然伝えることができない。
 これは僕の言語修行と人生経験が足りないからに違いない。
 だから今日も明日も来年も、なんだったら来世でも、僕は本を読もうと思う。



 最後に。
 よく考えたら、僕は探求なんてしてなかった。
 本はただ、そこにあった。僕は巡り会うべくして本のいる場所まで導かれたんだと思う。つまりは、運命の出会い。
 きっと運命の赤い“スピン”が、僕の“のど”にかかっていたに違いない。



 ――と、こんな感じでございます。会長様。
 僕も協会の末席に加えていただけますか? 茶坊主でも副会長様の給仕でも、なんでもやりますので。

 それにしても、この文章を書くこと自体が楽しかった。ステキな題材を与えてくださってありがとうございました。

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