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どうか、どうか、下にある「前向上」から読んでやってください。
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(その1から続き)
千佳ちゃんが紅茶に口をつけた。そういえば千佳ちゃんは、あまり目の前の箱に手を出してない。隣の行人がやたら食べてるから遠慮してるんだろうか。そういえばダイエットとか何とか言ってたな。常楽寺さんは一向に気にする気配がないけど。
「そうだ、一つ気が付きました」
なつみの頭が弾かれたように持ち上がる。ぴょこん。
「うちの名前は、略しにくいんですよ」
ほう。一同が妙に納得した。
おや、行人が読了間際の文庫にスピンをかけてしまった。この発言に何か意味でもあるんだろうか。
「なるほどな」成瀬が言う。「推理研究会だと、間に小説が入ってもいいけど、推理研になる」
「ミステリー研究会だと、ミス研ね」村山が言う。この子がこれほど饒舌なのも珍しいな。案外呼ばれて上機嫌なのかもしれない。好物なんだろうか。
「ミステリクラブは特に略す必要を認めないわね」常楽寺さんがまたも流れるように言う。「表記上は、MCと簡略化できるわけだし、それほど長くない」
言われてみれば、確かに。
「でも、ミステリー愛好会はやっぱり長いですよね」
なつみが身を乗り出す。ようやく自分の言いたいことが全て伝わって嬉しいんだろう。嬉しさついでか、また一つ手に取った。……太るぞ。
略してミス愛……言いにくいな。これは上江さん。
「そろそろ観念して、わけを言ったら?」
今日子さんが上江さんに迫る。
と、その時。
「ヒントは、上江さんが食えない人、ということですよ。今日子さん」
行人がポツリと一言。
「上江君が食えない人……ってどういうこと? それがヒントなの?」
眉をひそめる今日子さんの隣で、上江さんが少し考えてから言う。
「……四谷、それは違反ヒントだ」
わざわざこういうことを言うということは、このヒントはきちんと的を得ているのだろう。でも、それが分かったからといって答は分からない。上江さんが食えない人だということはよく分かるんだけど、それが今の話題とどういう関係があるんだろ。ますます謎を深めた張本人は、相変わらずうまそうに口を動かしている。
「行人クン、答、知ってたの?」
千佳ちゃんが聞く。もしそうならこいつが会話を無視して口を食べることにのみ使っていたこともうなづける。
「いいや……うん」はい、お口ゴックンだ、行人クン。「……ごめん。今気が付いた。外野として参加してたら、気が付くことがたくさんあってね」
ということは、これまでの中に答を示唆するものがあったということか。
もっとも、答というのもおかしいか。単に、どうしてここはミステリー愛好会という名前なのか、というだけのことだし。
「ここでの問題を整理してみようか。成瀬、どうだ?」
行人が主導権を握り始めた。
「ええっと、まずはどうして『ミステリー愛好会』という名前なのか」
「そうだな、それから?」
「候補は二つあった」
「そう、そのうち一つが消去されて『ミステリー愛好会』略して『ミス愛』は命名された」
あ、そうか。
「キーになるのは『略す』ってことか」
僕の言葉に行人はうなづく。口元には皮肉っぽい笑みと――砂糖。ニヒルなんだか無邪気なんだか。
「そしてもう一つのキーは、さっき列挙された名前の中に『愛好会』と並んで候補に挙がった名前は入ってなかったということだ」
「どうして分かるんですか?」
なつみの質問はもっともだ。しかし行人は平然と答える。
「上江さんが列挙するのを遮ったからさ」
「……気付かれてたか」
上江さんが「あちゃあ」という困惑顔になる。確かにあの時、上江さんは僕たちの会話の流れを強引に遮ったような気がする。
と、そこで、
「ああ、そういうこと」
常楽寺さんが少し明るい声を上げた。上江さんを見て呆れたように笑う。
「ホント、下らない理由ですね」
「だろ? だからあんまり深く話したくなかったんだよ」
どうやら常楽寺さんは気が付いたらしい。行人の言葉を聞きながら情報を整理して答に向けて収束させていっていたんだろうか。あの分厚い学術書を読んだ後のクールダウンにもなってなさそうだけど。
それにしても、列挙された中には入ってなかったのか。じゃあ、どういう名前だったんだろう。作った理由はミステリが好きだから、で間違いはないはずだから、その方向性で考えていけばいいんだろう。愛好会のほかに、それが好きな人が集まるサークルにつけられる名前……なにかあったか?
「同好会!」
考える僕の横で、千佳ちゃんがポンと手を叩いて声を上げる。そのボリュームが大きかったので、不覚にもちょっとビクッとしてしまった。
落ち着いてから思う――そうか。それがあった。
「ミステリー同好会」
僕と成瀬、それに今日子さんがハモる。
村山となつみが「ああ」と大きくうなづいた。
言われてみないと気が付かなかったけど、よく考えたら、愛好会よりも同好会の方がよほど一般的な気がする。隣で千佳ちゃんもニコニコ。
そしてそのニコニコは僕の思考を柔らかく答えに導いてくれた――そういうことか。
「分かっちゃった、私」
「僕もだよ」
上江さんが苦笑。
「そこまで行けばもはや解答は終了だな。そう、その名前がイヤだったんだよ」
「どうしてですか?」
イマイチついていけてなかったなつみがここぞとばかりに上江さんに問い質す。
「それそれ」
上江さんはなつみが手にしたものを指差す。
「へ?」
なつみは手にしている食べ物をしげしげと眺める。ここで成瀬と村山が同時に声を上げた。
「ああ、そうか。略さなくちゃいけないんですよね」
「なるほど、分かりました。確かに私もイヤです」
「え? え?」
同回生の納得に納得がいかないなつみは二人と手にしたものに何度も視線を行き来させる。
「なつみ、それは何だ?」
行人の問いになつみはポツリと一言。
「……ドーナツ、ですよ」
そう、なつみの手にあるのは、昔ながらの形のドーナツ。オールドファッション。
「答は、最初から俺たちの目の前にあったんだよ」
言いながら、行人は僕たちが囲んでいる長机の中央にある細長い三つの箱を指差した。その箱にはこう書いてある――ミスタードーナツ。
思えば、上江さんがバイトをしてる知り合いにもらったということで、突然三箱も抱えてボックスに入ってきたところから、今日は始まったんだ。最初にいた五人だととても三箱も食べ切れないから、今日子さんと後輩たち四人が呼ばれることになった。しかし、九人いても三箱は多かった。行人は三人分くらい食べたけど。
「ミスタードーナツ、略して?」
行人がなつみに訊く。
「……ミスド」
「じゃあ、ミステリー同好会、略して?」
「あ、ミス同!」
一同、沈黙。のち、爆笑。
ボックスを包み込む笑いが収まって、解答編を切り出したのは命名者。我らが会長。
「な、下らない理由だろ? ミステリー同好会って略すと、そのままミスタードーナツになっちゃうんだよ。だからこっちはやめにして愛好会の方にしたんだ。本当は愛好会もあまり気に入ってはなかったんだけどな。言いにくいしな」
「やっぱり言いにくいんじゃん」
今日子さんに肘で突かれて上江さんは笑った。僕たちも笑う。
「あれ? そうなると、四谷さんのヒントはなんだったんですか?」
「ん?」
行人が出したヒントというと、あれか――上江さんが食えない人。
「ドーナツに引っかけた簡単ななぞなぞでしょ? 四谷」
常楽寺さんが言う。
「そう。答がドーナツになるなぞなぞ」
「なんだそれ?」
「分からないか?」
考えてみる。どんなんだっけ?
「真ん中が食べられない食べ物、みたいなやつだよね?」
どうして僕が考え始めると千佳ちゃんが正解にたどり着くんだろう。リンクしてるのかな。それはそれで嬉しいような、でも向こうの方が回転が速いわけだし、複雑な気分だな。
「それと上江さんと、どういう関係があるんですか?」
「ま、これも下らないんだがな」
行人は成瀬の言葉に少しだけ苦笑する。
「上江さんは会長なんだから、当然『ミステリー愛好会』の中心人物だろ。その人が食えないっていうことさ。つまり――真ん中は食べられない」
「座布団一枚、ですね」
なつみの一言で、締め。
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