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言わずと知れた、伊坂幸太郎の同名小説が原作。
最近、少し遠いところへ旅立ちつつある伊坂幸太郎にとって、あの作品は一つの到達点だったように思う。
それがどのように映像化されたのか、期待半分、怖いもの見たさ半分で劇場へ足を運んだ。
結果は大満足。
印象を語るならば、機能美にあふれていた原作に、温かな血が通ったという感じだろうか。
以前、原作の感想記事で、これは徹底的にフィクションで、だからこそ紙の上のリアルをとことん追求できた、と書いた。それはまさに紙の上での話だった。様々な角度からの視線を絡み合わせ、一つの事実に死角を作らずに描き切る。張り巡らされた伏線は余すことなく回収し、何もかもを有機的に結びつけた。
これはまさに機能美と呼ぶべき、芸術品だった。
映像ではあの青柳が堺雅人という立体を得た。登場人物それぞれが視覚的に表情を得て、作中でもキーとして使われる「イメージ」を確立した。
そこでこの物語で描かれていたもう一つのエッセンスがよりクリアに立ち上がった。
それは人と人の絆、だ。
青柳と関わり、彼の無実を信じ、彼の逃亡を見守り助ける人たちの思いが鮮明になり、学生時代を共に過ごした4人の思い出の重みが明確な質量を持つようになった。
原作は事実を積み重ねて、事件を描き出した。
映画は思いを積み重ねて、人々を描き出した。
そんな風に感じた。
そして、そのどちらもとにかく面白かった。
学生時代の4人がビートルズについて語るシーンがある。
「4人の絆を、もう一度つなぎ合わせたかったんじゃないかなあ……」というセリフが印象的だった。
冒頭で、堺雅人が横断歩道を渡るシーンがあった。カメラは真横の水平位置。かの『アビイ・ロード』のジャケットをイメージしたシーンだったのだろう。ひょっとしてあるかもと思った、学生時代の4人での同じようなシーンはなかったけど、その分だけ“一人で渡った”ことが強調されたように思う。それは逆説的に一人ではないという絆の強さを表していたのではないかと思うのは、こじつけだろうか。
それならそれでもいい。そう思いたいという気持ちが芽生えたのは事実で、大事にするべきはそれだろうから。
これまで映画監督という存在を意識したことはなかったけど、『アヒルと鴨』『ジャージの二人』『フィッシュストーリー』と続いてこれだと、もうこの人の力がすごいんだと考えるしかないなあ。
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