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御手洗と石岡の元に届いた松崎レオナからの手紙、そこには彼女のファンからの不思議な便りが同封されていた。それは祖父がアメリカに住むある女性に謝罪したい、そして箱根にあるホテルに飾られた写真を見せてほしいと願っている、という内容だった。お手上げの石岡に御手洗は不敵に笑う。これはとてつもない何かがあるぜ、と。
おや、nexから島田荘司が出てるじゃないか、という程度の興味で手に取った。奥付を見ると随分前の作品らしいし、さわりを読んでみるとどうやら歴史ミステリらしい。
戦中の芦ノ湖に一晩だけ現れた軍艦。
ロマノフ王朝の消えた皇女アナスタシア。
この二つの謎を追いかける物語だった。
アナスタシア問題というのがあることすら知らなかった身としては、虚実の線を引くこともできないままだったが、いつの間にやらのめり込んでいた。
大掛かりなトリックもないし、派手な事件が起こるわけではないのだが、積み重ねられた事実が論理的に解き明かされていく快感に巻き込まれていた。
アナスタシアにまつわる話については、自らを皇女であると名乗る女性を取り巻く現在までの論争の概略が簡潔にまとめられて、主流となっている否定派の論拠に石岡が乗っていて、読者としては「そこに何の問題があるのだろう?」と思ってしまう。でも、ここまでで御手洗が静かなのはきっと何かがあるのだろうと期待する。
そして、期待は叶えられる。
この中には作者の私見も入っているようなのだが、それにしても私見だとは思えないくらいに説得力がある。読めば読むほど、なぜその部分が無視されてきたのかが不思議に思えて仕方なくなってしまう。
歴史は決して歴史学者だけのものではなく、アプローチの方法は日進月歩で進化している。死者がどのように生きたのかについては、特にだ。歴史は一般的に文系的学問だと思われているが、その中で科学が果たす役割は非常に大きい。というか、なくてはならないものになっている。
本屋で働くようになり、何の因果か自然科学を担当するようになった。そのことで余計に学問を表す漢字が「門」ではなく「問」である理由が分かるようになった。それは決して一つの敷地に限定されるものではなく、広く問いかけられるべきものなのだと。
奇矯な振る舞いをし続け、母国語であるはずの言葉が話せず、自身が歩んできたはずの日々を語ることもできない。人相も変わってしまい、在りし日の面影が見出せない。アナスタシアを名乗る女性は、ただ愚かに自分は皇女であると主張するだけの、こういう人物だった。
ゆえに、偽者である。
これは表面的には揺るがない真実であるように思う。
ところが御手洗は言う――だからこそ、本物である可能性もある。
そこから始まる御手洗の推理。僕はここに、ミステリの醍醐味を見た。
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開架図書−ミステリ
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元探偵となった葉村晶は、ミステリ専門の古書店でのアルバイト中、白骨死体発見と肋骨の負傷という、もはやお家芸とも言うべき不幸に遭遇。入院先で同室となった元女優から失踪した娘を探してほしいという依頼を受け、方々に借りを作りながら探偵業を再開するも、借りが次々と因縁を呼びつけ、一筋縄ではいかない調査が始まる。
我が心の片恋人、葉村晶も四十路を迎えていたらしい。それでもスマホやらタブレットやらメールやらスパイカメラやらを苦も無く使いこなし、依頼人にも妨害者にも自分なりのスタイルで立ち向かう姿は相変わらず。
葉村晶は探偵で、自身も調査の仕事が好きなんだろうと実感している。それでもどうにもいわゆる物語中の“探偵”っぽくないのは、妙に生活感を与えるからだと思う。“探偵”は一旦事件に首を突っ込むと、寝食を忘れたりするけれど、葉村晶は食べたり食べなかったりで体調を壊すし、今回も冒頭に巻き込まれたトラブルのせいで、しょっちゅう病院に通って医師から怒られたりする。“探偵”は捜査を始めると他人のことなんて考えたりしないけど、葉村晶はその事件に関わる人々の思いや、協力者の立場を慮ってどうにか穏便にことを収めようとする。葉村晶の探偵活動には、捜査そのものに付随するそういう葛藤も含まれていて、それがなんとも人間くさく、彼女を生粋の職業探偵たらしめている要因だと思う。
そこに謎があれば報酬なんて不要だなどというミステリロマンチストなど、葉村晶に言わせれば「生活力の欠如」の一言で粉砕されることだろう。
もちろんミステリである以上、謎が解かれることが第一であって、そこに余計な要素を乗せたくなければ純粋なミステリ好きを探偵役として据えている方がシンプルだし、謎そのものの魅力を損なわないだろう。その謎の解き方の中に探偵としての魅力を発揮させることも可能だ。
しかし葉村晶の場合は、その生活感もひっくるめて全部が魅力だ。奇矯な振る舞いはなく、行動にはきちんと納得のいく理屈があって、その理屈も社会性を欠かない。あくまでも職業としての範囲内で最大限に能力を振るっている。本人に言わせればルールの中で行動するからこそ、結果を残すことができているということになるのかも知れない。
気は強いし行動力も並外れているけれど、あくまでも常識人であること。それが探偵・葉村晶の魅力なのだ。
さて、思う存分、愛を表現したところで、今回の彼女の活躍について。
老い先短い老婆の気持ちを納得させるため、だったはずの失踪人調査だったが、探偵活動をするための手続きとアルバイト先の勤務調整から入るというのはご愛嬌。そして依頼主の立場や失踪人たる娘の生い立ちの謎、さらには以前に調査していた探偵も消息を絶っていることが分かる。娘の父親候補にはおいそれと手出しのできない御仁も混じっており謎が深まる。そんな中、アルバイト先で面倒な知り合いが増えてしまい、身を寄せているシェアハウスに移住してくるなど、私生活の面でも厄介ごとが起きるばかり。不運な女の面目躍如、と言ってしまうと怒られるだろうか。いや多分、見本のような苦笑を見せてくれることだろう。
私生活も探偵活動もすんなり行かず、話自体も込み入って仕方がないのだけど、読んでいて混乱したり前の話を忘れたりということはなかった。複数の話が混線しそうになるタイミングで、少し前のエピソードが解決したり、探し物が見つかったりして重ねて説明がなされるためだ。このタイミングが絶妙で、説明っぽいくどさはない。3歩進んで2歩下がるというか、どんなに積み上げてもきちんと下の方が見えるような構造になっているという感じだろうか。
伏線が回収されたとき、登場人物のドヤ顔に対して「何の話?」となってしまうことが記憶容量の問題で起こってしまうことがある僕だけど、今回に限ってはきちんとついていくことができた。娘探し、父親推理、新しい同居人の不審な行動、同居人を追う警察の介入、前任の探偵の家族問題、自分自身の健康と将来……これだけの出来事を混線させつつも混乱させていない。この辺りの間合いは見事だと思う。
それぞれのエピソードを一つ一つ拾っていっても、発端から真相まできちんと解決されているし、その内容も満足いくものばかり。
驚天動地のトリックもどんでん返しもないけれど、人間がそれぞれの立場でそれぞれに生きてきた営みの中に隠された真実に迫っていく過程には迫力がある。事実を積み重ね、そこに可能性を探る推理を加えて、その推理に基づいて事実を探り当てていく。時に胸の悪くなるような事実や、どうしようもない人間の感情を突きつけられながらも、地道に調査を進めた先に、追い求めた結果がある。ご都合主義の入り込む余地の無い、徹底的にリアルな結果だ。
ただし、結果に対して探偵が影響を与えられるはずもなく、結果は結果という事実として葉村晶にもたらされて事件は、いや“仕事”は終わる。
余談だが、創作の一つのコツとして『主人公をピンチに追い込む場合、同情するな』というのがあるらしい(鯨統一郎『努力しないで作家になる方法』)。主人公に限らず、キャラクターに同情せず、肩入れせず、どんなに悲痛なことであってもそれが物語に必要な事実であれば突きつける必要がある。それを徹底することで物語は出来上がる。もちろん、ただただ悲惨なだけの話などは読みたくもないし、誰しもに救いのある話だって好きではある。でも葉村晶の携わる事件はそうではないし、非常に申し訳ないけれど、そうであってはいけないようにも思う。
それでも彼女の人生は続く。次の仕事があるかどうかは誰にも分からない。彼女はただ、請けた仕事に真摯に立ち向かうだけだ。
今回は長編文庫書き下ろしとして葉村晶13年ぶりの探偵活動だったそうな。再会がいつになるか分からないけれど、それでも多分、何年経ってもかっこいい彼女のことは好きなままなんだろうなと思う。
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泥棒を生業とする<俺>は屋根から転落して気を失ってしまう。そんな<俺>を助けたのは、両親が同時に別々の相手と駆け落ちをしてしまうという冗談のような不幸に見舞われた双子の中学生男子だった。<俺>の弱みを握った彼らは言う――僕たちのお父さんになって生活費を稼いでよ。
こうして<俺>と双子の擬似家族生活が始まった。 今さらの再読は、もちろんテレビドラマの影響。こっちのドラマ化も充分に今さら感があるけれど。上川隆也演じる<俺>の雰囲気がよいので欠かさずに観ている。あのイメージで原作に戻ってきたら、意外とこっちの<俺>はやんわりとしていて驚いた。めんどくせえとか言わないし。 近年は様々な方向へと作風を広げている宮部さんだが、割りと初期ということもあってミステリだ。それでも主眼は<俺>と双子の関係性だと思う。双子から体温を感じなかったのは意外な思いがしたけど、その分<俺>が非常に人間っぽくてよかった。 初めて読んだのは学生時代だったので、どちらかと言えば双子に年齢が近かったのだが、今となっては<俺>とほとんど同じくらいだ。しかも独り身。職業が全然違うけど、何となくどこまで行っても独りかなっていう境遇も似通っている。 そんなところに、自分を頼りにしてくれる存在が現れる。その戸惑い、喜び、そして失うことへの恐怖。理解できるなんてもんじゃないくらい、みにつまされる。特に、恐怖の部分が。 年齢を重ねれば、色んなものを失う。その時の寂しさや悲しみは側にあったときの楽しさや充足と反比例する。楽しければ楽しいほど、夏の強い日差しが影を色濃くするように、悲しみもまた深くなる。その経験は体に刻み込まれてしまう。手にした瞬間に引き出されてしまうほど。 <俺>と双子の関係は終わりかたちの可能性が始めから提示されている。でも、それが訪れるかどうかは分からない。可能性はゼロでも100でもない。何しろ子どもを捨てて出て行った両親の帰還が条件なのだから、どうなるか全く分からない。<俺>にとっては双子がどの結末を望んでいるかも分からない。ひょっとしたら双子自身も分からなくなっているかも知れない。 ここが面白いところだ。 結末を迎えたとき、自分がどうなるか。<俺>はそれがよく分かっているから、双子との距離感に頭を悩ませる。 こういう心理描写は、例えば彼氏とケンカして一時的に自分の元に身を寄せている女性、みたいな関係性でも描くことはできるんだろうけど、それだとあまりにも陳腐だし結末が自分たち次第になってしまってつまらない。単なる自己陶酔で終わりそうだし。 そうではなくて、保護者と被保護者という関係性にしているのがいい。<俺>の書類上の雇用者である柳瀬の言う「親はなくとも子は育つが、親は子がいないと育たない」という言葉がピタリとはまっていて、結局面倒を見ている方が、そのことによって生かされている状態になっている。依存とまでは言わないけど、頼られることで立っていられるという状態になる。 最終的に<俺>の導いた結論にも親近感を覚える。それでいいと思う。幸せな時間を大切にして何が悪いのか、世界に向かって声を大にして言ってやればいいのだ。終わりが来るのが分かっているからこそ、そこまでの一瞬ごとを大事にする。それだって、素直な大人の生き方に違いないのだから。 それにしても、いかにもシリーズになりそうな設定で続きそうな終わり方なんだけど、結局続編って出てないんだよなあ。ドラマ終わりくらいで出てきたりしないのかな。 |
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交通刑務所内で発生した密室殺人。受刑者が受刑者を殺して脱獄するという前代未聞の事態の影響は全国へと広がり、やがて地方の政治汚職までを浮き彫りにし始める。その根底にあるものは何か――関わる全ての人間を混乱に巻き込んだ事件は、やがて思いもよらない方向へと収束をする。
第55回江戸川乱歩賞受賞作。 単行本で店に並んでいた時から、乱歩賞史上最強とか問題作とか煽りが勇ましかったせいか、妙に気になっていた作品。もう文庫化されたというので読ませていただく。 予備知識なしで読んで、その後に色々な評価を当たってみた。 語りつくされた議論なんだろうけど、やはり気になったのは視点の変化。読者を振り落とそうとしているかのようなめまぐるしさで視点がグルグルと変わり続ける。人物や状況が定着する前に急に別の場所へ移ってしまうので、そこで一度ペースダウンを余儀なくされてしまう。途中で作者自身も振り落とされてしまったんじゃないかと思う部分もちらほら――もちろん、それはこちらの理解が遅かっただけなんだろうけど。 中心となる人物を作らず、あくまでも事件を核にして物語を作る。そしてその事件そのものを歪にして、話の転がりを不規則にする。結果、出来上がる物語はとても不安定なものになる。この不安定さや危ういバランスも含めた完成品を目指したのだろうし、文庫本で加筆された部分も合わせて読み終えてみれば、それは成功しているのかもしれない。自分の読み方や評価に自信はないので消極的な言い方になるけれど。 しかしそれは、どうにか事件の全貌をつかんで、全体像が見渡せたという達成感に過ぎないとも思う。 なるほどそういうことだったのかという感想は、ミステリにおいては欠かせないものだろうし、それを得ることがこの上ない快感であるのは間違いない。でも、この作品にはそこまでの気持ちは湧かなかった。 描かれた(描かれようとした)図はとても壮大で魅力的だった。 でも、表現の仕方がもう少し違えば――油絵ではなく水彩画であればというくらいの――もっと違う場所に導かれていたのかもしれない。 面白かったことは疑いがない。一体どこへ向かうんだろうとドキドキもした。 それでも広がった風呂敷の端々には手が届かなかったのかと思う。あまりにもたくさんの要素を盛り込もうとするあまり、核となるべき事件そのもの着色を入念にし損なった感がある。主人公は作らなかったのか作れなかったのかわからないけど、こちらが読むべき部分はどこだったのかもぼやけていたように思う。 否定的なことばかり書いてしまったが、本当の意味で完成していれば……と思っての言葉、です。 |
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推理小説家・鹿谷門実が受けた奇妙な依頼。出版社主催のパーティで知り合った同業者からの「自分の代わりにある集まりに参加して欲しい」というものだった。その理由は、2人の容姿が瓜二つだったから。集まりが催される会場がかの中村青司の手によるものだということに興味を覚えた鹿谷は、訝りながらも依頼を受ける。そして訪れたその館――奇面館で待っていたのは<もう1人の自分>を探しているという主・黒川逸史と、5人の招待客だった。主の意向で滞在する全員が用意された仮面をつけたままで過ごすという異様な時間、そして頭部と全ての指を切り落とされた奇妙な死体だった。
言わずと知れた『館』シリーズの第9弾。 綾辻行人や有栖川有栖の作品は、僕がミステリビギナーで体がしっとりと湿っていて、まだ視力もおぼつかなかった頃にお母さんの乳首までゆっくりと導いてくれたような感じで、あの時の喜びと言うか人生が始まった感じと共に記憶されている(←何言ってるの?)。 無駄話は省くと、つまりはものすごい衝撃的でビックリした印象が強いということ。十角館の驚き、孤島パズルのカタルシス、そのイメージはあまりにも鮮明で大きくて、今でも作品を読むときにはその記憶を参照しながらになってしまう。期待という以前のパブロフ的に驚く準備をしてしまうのだ。 というわけで、冷静な評価ができている気が全くしないので、感じたことを感じたままに書かせていただきます。 そんなのいつものことなのですが、今回はいつも以上に前置き(言い訳)が自分の中で必要なんです。それくらいに特別なのだということをご理解いただければ。 前作の『暗黒館』はひたすら“雰囲気”を楽しんだ記憶があるのだけど、今回は作者自身の「本格ミステリの庭で遊べるか?」という言葉通りに、純然たるミステリを楽しんだという印象。 作中、鹿谷がこんなことを言っている――こんなとんでもない状況は前代未聞ではないか、と思う。現実に起こった事件については云わずもがな、古今東西、さまざまなミステリの物語中で描かれた事件をみわたしてみたとしても。 ハードル上げてきたなあと思ったのと同時に、そういうスタンスで読めばいいんだなとも思えた。 張り巡らされた伏線は、それでも各人の視線や思考を介して分かりやすく配置されている。数も多いけどきちんと整理されていたので混乱はしなかった。回収も順序良く丁寧に行われていて、どこの話?と慌ててページを遡る……などということもなかった。殺人事件の解決もすっきりと納得できて、奇面館に集められた理由という作中最大の謎も“らしい”感じでまとめられていて楽しめた。 全員が仮面をかぶっているという奇妙さもあり、雪に閉ざされた山荘で繰り広げられる王道のミステリを読んだという満足感があった。 ……のだけど、どうしても「もう一声!」と言いたくなってしまうのだ。 不満、というものではなくて、次々とめくられるカードの終わりが見えても、まだあるよね、まだあるよね、実はココにもカードがあったんです、って出てくるんだよね、と求めてしまうことがやめられない。 この辺り、贅沢になっているのか三つ子の魂なんとやらなのか分からないけど、自分から進んで損をしに行ってる気がしなくもない。、 自分ばかりが損をしたり消化不良を抱えているのも悔しいので、ちょっとした不満のお話。 鹿谷が妙にノリ良く推理をするのはいかがなものか。こんな奴だったっけ?と何度も思ってしまった。巻き込まれ型の探偵の場合、やむにやまれぬ事情で推理をするというイメージなんだけど、今回は興味本位で推理をしていた印象。推理そのものが目的になっていて、そのために作品全体が妙に平和な雰囲気になっていた。殺人事件部分が、その割りを食ってしまった感も否めない。 好意的に解釈すれば、それも含めてミステリと言う型にこだわった結果だということもできるのかも知れないけれど、閉鎖空間であの状況であれば、もっと切迫した空気になって、疑心暗鬼が錯綜しまくってギスギスしてくれても良かったと思う。そこに陰鬱なカラーがあぶり出されて来るのが好きなのに。 ともあれ、楽しみにしていた『館』シリーズも、次で最終とのこと。最後は雰囲気と王道を融合させた大作と出会えることを願う。 |



