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誰しもが、ふと考える死。 きっと誰もが忘れながら意識の底に眠っているのが死への恐怖。 そして、その恐怖を乗り越え、人間の生きる事の意味とは? 稲盛和夫さんの経営哲学の著書の後半がずっと仏教的哲学への道のような感じで戸惑ったが、個人・法人を問わず生きるとは、人生の経営を意味することで共通する。 「生は苦、老は苦、病は苦、死は苦、総じて生きることは一切苦なのである。」 まだ20歳になるかならないか読んだ成人釈迦の四門出遊の故事、死生観。 この誰しもが通る人生苦に対して、どのように対処することが出来るのだろうか? 一度話は変わるが、金持ちになるという哲学について論理的追及の末、周囲に取って価値ある人間であること、多くの人を喜ばせるビジネスを立ち上げることこそが、金持ちになる道であると気づいた。 その為に、本当に人の為、人に役立つという視点に立つには、私心的欲望でなく、より多くの人に喜ばれる公共のニーズを学ばなければならない。即ち、欲で眩んだ目で物事を見て判断しても上手くはいかないということだ。 足下、募金をしたり、職場でもなるべく笑顔を作り、また相手の仕事がスムーズにいくよう努力・配慮、コミュニケーションをする事を心がけている。当然、周囲・上司の信頼度が増し、上手くいく。 さらに、組織の一員として勝手な自己判断をしない。こんな毎日を繰りかしていると自ずと自己を活かす道は周囲との調和だとつくづく思わされる。 また、そのような事を繰り返しているうちに、自分という意識、アクが抜けてきて、自己への執着、自己という概念、そして自己が失われるという死に対する恐怖が抜けてくるのではなかろうかと思った。なぜなら、人間もまた自然という組織の一部であるから、役目を果たしたら、やがて自然に帰らなければならない。死の先には、また別の組織としての再生があるのだろうか?そこまでは測れない。 また、その事から目を転じ、人の一生の意味というのも、職業などを通じ、どれだけ自分の人生を他の人間・周囲の人の役(人の組織)に立たせられるかではないかと思う。 怪我をすると体の細胞・組織が止血と再生までしっかり働いてくれる。人間だけが生き物であるにも関わらず他の動物よりもはっきりと己を自覚するに到った。それが人間を人間たらしめる素晴らしさであると同時にレールを外れる生き方をも選択できる自由を与えるものでもある。であるが故に、理性によるコントロールによって欲望をコントロールしなければならないのが人間の正しい生き方であると結論づけられる。
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DIARY
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おはようヾ(*´∇`*)♪
あら、何だか壮大なテーマに挑んでますねw( ̄o ̄)w オオー!
顔を突き合わせて話をしても自分の考えが伝わりずらいテーマですし、その内容が哲学から始まって会社経営の部分に及んでいることでコウジさんの真意を理解するのは難しいですね。。。もともと5000字程度のスペースで思いを伝えるのは限界があるものですから、何回かに分けてコラム形式で言葉を端折らずに書かれることをおススメします♪
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2010/9/20(月) 午前 10:19
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とりあえず、総論としての感想だけコメントさせてもらいます♪
生きることの「苦」を「快」に変化させる手段として、「心を満ち足りた状態にする」というのはわたしもそう思います。。。ただ、そのための前提を「他人の幸せ」に置かれていることについて少し疑問が残ります。。。つまり、自分が食うや食わずの状態で、他人に食べ物を差しだすといったキリストの教えのようなことが現実的かどうかということなのです。。。結果的に他人の喜ぶ顔を見ながら飢え死にしていくことでホントに満足感が得られているのか。。。個人的に「自己犠牲による多数の幸せの実現」にはいささか納得できないところがあるからです。。。
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2010/9/20(月) 午前 10:20
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言い換えれば、わたしが人間ができていなくて、聖人と呼ばれる方には程遠い存在だということを暴露しているに他なりません(笑)
ただ、わたしは、自分が幸せにならないと他人は幸せにできないと思っているので、順番が逆なんですよ。。。
とりあえず、ファーストインプレッションですからいくつか誤解があるかもしれません。。。もしそうであればごめんなさい<(_ _)>
考えたことに傑作よ+.゚(*´∀`)b゚+.゚グッ♪
byアスカ...φ///ιδ川
2010/9/20(月) 午前 10:20
ひさしぶりデス。
冒頭の死生観。。スゴくよくわかるなあと思いマシタ。。
普段は、詩に対する恐怖心はないんだケド、
そうゆう人間ほど、いざとなったらジタバタするのかもしれない
・・・そんなコトを思う今日この頃です。
2010/9/20(月) 午前 11:56 [ シャアくん ]
ルナさん
こんにちは。一番にコメントありがとうございます。!僕は小さい頃から、生・老・病・死という人間が避けては通れないテーマに恐れおののきつつも、また考えないようにしていたんですが、最近、肉親・友人・自身の老いの兆候を目の当たりにして、生きること、人間の一生を見定めなければならない時期に来たんだと思ってます。悔いのない人生を真剣に模索するために。
そして、こんな私の妄想哲学をご理解いただけて大変嬉しいです。
皮肉にも他人の決めたレールに逆らうことで、また金持ちになるという経営哲学の論理的展開によって、ルナさんが書かれた循環過程に入ることをはっきりと自覚しました。同じ苦しむなら、豊かになる為に苦しみたいものですね。
2010/9/20(月) 午後 4:53
アスカさん
こんにちは!
もう美少女フィギュアから死の哲学まで、何でも来いです。
最近、手塚治の本を読んだので、尚そんなテーマに憑りつかれてしまったのかもしれません。死を見つめて人生を設計するみたいな。
昨日、突如として思い浮かんだ死という問いに対する今の答えなので、備忘的日記みたいなものなので、読み手を意識するなら、読み易いように何度にも分けてまとめた方がいいでしょうね。織田信長ならきっと中身の説明はしません。
2010/9/20(月) 午後 5:10
→率直な疑問いいですね!
「心を満ち足りた状態にする」のは、僕も同じです。誰しも同じでしょう。ただ実は、その前提を「他人の幸せ」には、置いていないのです。そこは説明を端折った部分です。詳しくいうと、お金を稼ぐということに置いてます。シビアに言うと、売る為に、そして長く他人に売り続けて、お金(注文)を稼ぐことのできる需要のある商品(自分含む)を提供しなければならないという意味です。これこそ究極の利己主義です。
2010/9/20(月) 午後 5:23
→キリストの例については、ここで僕が論じる訳にはいきません^^;
何せ、キリスト教信者ではありませんし、擁護者ではありませんから。多分、おそらく、あの特殊な事例は、きっと究極の自己犠牲、さらには常識人が理解できない思想(死後の世界の利益??)につながるようなものだと思うので、尚の事、ここで僕が意見を述べるのが適当な事例であるとは思いません。常識の理解の外のお話です。
2010/9/20(月) 午後 5:35
→僕は成人ですが、聖人になるつもりはありません。自分の利益が最優先です!もっというと他人に勝ち、自己が生き残る為の戦略ともいっていいでしょう。職場にメイクをしていったり、お洒落をすることも、自分の為というより、自分を受け入れてくれる職場・友人・恋人の為ともいえるでしょう。リウォードが見込めるからリスクを先に取るというのが、実は言いたいことなんです。リウォードがないなら人に親切にする必要なんか全くないと言い切れます。まあ、そう言い切ると周りが見えない独善者になるので、情けは人の為ならずという言葉で締めくくらせて貰います。たくさんのコメント、真面目なご意見どうもありがとう♪
2010/9/20(月) 午後 5:51
シャアさん
お久しぶりです!コメントありがとうございます♪
お元気でしたか?
昨日よもやまと色々と考えていたら、今から人生苦をしっかりと見つめ、それに対して準備して置くことが大事なのでは?と考えるに至った次第です。
2010/9/20(月) 午後 6:04
死について、まだ、深く考えた事がないのですが、バリバリやれるのは、7年くらいかと思っています。
趣味の世界の方ですが・・・。
2010/9/21(火) 午後 2:57
お久しぶりです!!
澁澤龍彦の「快楽主義の哲学」という本が好きな私です♪
仕事がうまくいって、
皆と仲良く平和にできるのは幸せですが、
何かに深く感動したり、
運動したり、恋をしたり・・・・
これは自分を抑えて人のためのみに生きていては、
感じることの出来ない快い楽しみだと思っています。
なので、
周りのためを思う謙虚な生き方もいいですが、
少しは自分の声をきいてあげたい、
今日この頃です♪
自分のためと思って頑張ったことが、
結局、まわりのみんなのためにもなってる気がしマース♪
コウジさん・・・
いや、シャア・アズナブル様のお考え好きで〜す!!
2010/9/21(火) 午後 11:10 [ まるちゃん ]
昔、子供の頃、「死」というものは怖くて怖くて。
いつの頃からだろう、そこまで恐れの対象で無くなったのは。
きっと、今を生きるのに精いっぱいだからだと思います。
ただし、身近な人の死や大病、ペットの死、自分の病気をきっかけに、恐怖が襲いかかってきますけど。
2010/9/22(水) 午前 0:11
姉御様 コメントありがとうございます。
一生懸命頑張っている姉御さまなら、何を言っても正解だと思います。自然と理に適います。どうぞ、自分の心の声を聞いて上げてください!
何かに深く感動したり、運動したり、恋をしたりは、とても大切ですね。こういった情操が育たないないと人と共感できたり、幸せを感じたりできませんもんね。ここでも他人の存在が登場しますが。
2010/9/23(木) 午後 2:50
続き→
マズローの自己実現論は、人間は順次高次の欲求を追及するものと位置付けておりますが、自分を抑えるというのではなく、より高次の欲望を追求するためのコストだと思ってます。でも、結局見返りを見込めるからするものなんですが。
謙虚な振る舞いは、職場で他人をコントロールするのに有効です。自分の立場というものが、周りの人達に認められることで保てるものですから、特にプレイヤーではなく、監督として人を扱うポジションになれば部下が喜んで働く環境を作る為にも、意図的に採り入れたいと思ってます。それもまた一つの自分の個性の活かし方だと思うんですよ。上手く出来ているか分かりませんが。気をつけています。^^
シャア・アズナブル…という言葉を聞くと、血が滾ります^^
ありがとうございます。頑張ります!
2010/9/23(木) 午後 2:51
フォウさん 子供の頃に怖かった死、明日死ぬとは思わないけど、確実に人生の階段を昇っているんだな〜とふと感じました。久しぶりにあった親戚や友人の老け込みように驚愕したからです。
2010/9/23(木) 午後 3:09
「生きることは一切苦」という言葉は、曹洞宗のお寺さんの法事でよく読まれる般若心経にも出ていたような。
「エチカの鏡」という番組の最終回で「死」を扱っていました。
森久美子さんのお父様の最期の様子が語られていて、感銘を受けました。
足が動かなくなり、手が動かなくなり、だんだん上まで麻痺が進んできて、カッと目を見開いた瞬間、「これが死というのものか」とおっしゃって亡くなったそうです。
実況中継のように客観的に状況をご自分で話していたので、看取っていたお医者さん達が、「そうなのか」って言っていたということです。
誰にでも訪れるものなのに、行った先が分からないのもあって、不安や恐怖が先立つものですが、今、生きている時間を精いっぱい生きたいですね〜。
いつ死んでしまうか分からない小さな幼虫たちを見ていると、命についていろいろ考えます。
厳しい生存競争にさらすのが自然でしょうけど、手元にいると一匹でも多く長生きさせたくなり、ついいろいろ手をかけてしまいます。
2010/9/24(金) 午前 11:27 [ - ]
エチカの鏡、たまに見ます。
死の実況中継は、生々しいですね。
なぜ、人は生まれ死ぬのだろう。そんな疑問が子供の頃から心の底にあり、いつか解明したいと思っていました。今、ノーベル賞の授賞式の模様がTVで流れておりますが、誰か科学的に解明して欲しいですね。そうしたら、本当に生というものの意味を知り、正しい考え方をし、有意義な人生になるんじゃないかと思うこの頃です。
でもそれは、きっと単に人間個人の生死ではなく、大きな宇宙の自然の一部としての働きといった全体を発見する結論になりそうですが。
最近、特に生まれの良し悪しなんかも考えるようになりました。ある人は生まれた時点で金持ち、或いはエリートに生まれ、ある人は貧しく貧乏に生まれ、さらに貧しさを繰り返す。それは、貧乏な人が宝くじを当てても、殺されたり破産したり。世の中の原理はきっとプラスとマイナスといった科学的原理で過去・未来と生死を越えて続いていくんだろうなと思います。妄想ですね。意味不明でしょうw
2010/10/6(水) 午後 11:55
生きている事は確かに「苦」の連続ですね。
昔は「死」って怖かったけど、ここ2年くらいは「いつか私も必ず
死ぬ。それまでに何が出来る?何をしたい?」と考える様になりました。
死ぬ時に「何だかんだ言っても幸せだった・・・」と思いたいからです。
2010/10/9(土) 午後 10:03 [ ひなた ]
ひなたさん
後であわてない為に死の為の準備は必要だと思います。何書いているんでしょうか^^;
最近、次の生まれ変わりというのを考えるようになりました。
それというのも、現実だって、今何をやるかによって明日を変えられる訳で、全ては原因と結果、そして次の原因の連続です。こうやって考えると、ある原因があって、ある環境下に生まれてきて、またある原因を作って世を去る。また人間はロボットのように老化他DNAに色々とプログラムされているというじゃありませんか。消滅して終わり・ジ・エンドで消えて無くなるというのは不自然だと思うからです。恐らく宇宙や大自然は、我侭を決して許さない大きなシステムになっていると、小さな論理から全体の論理を推察する訳なのです。
人生苦を生きがいに変え、自分らしい自分を掴む事、幸せを実感できるように努力する事なんだと思ってます。
2010/10/9(土) 午後 10:48