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母の希望で、お墓の納骨はせず、散骨になったのですが
調べてみると、価格も安く(お墓を買ったり、供養をしてもらう費用に比べれば・・ですが)役所などへの特別な許可申請もいらないことがわかりました
でも、もちろん他人の私有地に勝手に撒いたり、川や湖など、飲用水に利用される場所や、海でも漁業をおこなう場所ではマナー違反となるようです
散骨を行う会社は全国にあり、海洋葬をおこなう場合、参加人数にもよるけど、船のチャーター代を含めて15〜20万円くらいでできるようです
海にお花と一緒に撒かれるなんで、素敵ですね
母は港湾を管理する会社に定年まで勤めていたので、死んでからも海かいっって
言われるかもしれませんが(^_^;)
それから、樹木葬というのもあって
墓石の代わりに、木を植えるようです
その代わり、線香はNGね、燃えるから・・
しきたりの縛りがないと、すごく自由な発想で故人のために考えることができています
結婚式場に勤めていた時、それぞれが、素敵なセレモニーをプロデュースしていました
葬儀も、自由な発想で、自分らしくプロデュースできる時代なのかもしれませんね
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母が がんに なりまして・・・
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母の葬儀は本人の希望もあり、家族葬
家族葬は香典も辞退するので、香典返しもいらないし
家族だけで形式にとらわれず行うことができて
核家族も多くなった現代に合った形かも?
私が以前参列したなかで、心に残る知人の葬儀があります
会場には生前の写真がたくさん飾られ
僧侶の読経の代わりに、
家族、友人が思い出話をスピーチ
最後にみんなで歌を歌いました
無宗教の人が多いのに、結婚式や葬式だけは宗教的なしきたりに従うのって、どうなのかな?
葬儀屋さんや、故人が信じてもいない宗教にお金を払うくらいなら
残された家族、友人の心に残るような素敵な葬儀になるためにお金をかけた方が、私は素敵だなって思いました
母はきょうだい三人が仲良く集まることを望んでいたので、葬儀後も法要ではなく、メモリアル的に美味しい食事を食べましょうということになりました
常識外れで不謹慎と思われる方も当然いるでしょうが、私は、子供の頃に見た、おじいちゃんの葬儀で立派な僧侶が二人か三人来て、最後に僧侶が笑って帰って行った事の方が不謹慎に思えたから
家族葬で、母の思い出話をしながら見送ることができた今回の葬儀は素敵でした
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最後まで自分の意思決定で治療を選び尊厳を保って亡くなった母
強い人でした
そんな母の血をひく姉も相当なもの
葬儀は家族葬との母の遺志もあり
小さなお寺の横にある部屋を借り
家族だけのお別れ
棺に入った母は亡くなった人がよく着ている白い着物ではなく
いつも来ていたパジャマ
の上に、旅行の時によく着ていたお出かけ着をかけられていました
鉄道に乗って旅行するのが好きな母が、自分が訪れた場所を日本地図に記していたのですが、その地図と
甘いものが大好きだったので、おまんじゅう
そのほか好きだったものを枕元に
手にはお箸を持ち(食いしん坊だから)
花好きな母にふさわしく、花で周りを取り囲まれ
写真に収めたいくらい、素敵な棺でした
戒名は極短
お坊さんの読経も短く
祭壇もシンプル・イズ・ベスト
無宗教の母だから、お坊さんや葬儀屋さんに無駄なお金を使うより、本当に必要なことに使ってというはず
姉がケチなわけではありません
葬式の時によく出るまずい弁当も取らず
姉が用意してくれたお菓子やお茶をいただきました
シンプルだけど、心に残る葬儀だったから
母も喜んでくれるかな?
墓もつくらず、海にお骨を撒く海洋葬にし
法事、法要をせず、代わりに毎年家族で集まってご飯を食べることにしました
お坊さん、葬儀屋さんには申し訳ないけど
葬儀ビジネス戦略に乗らない母も姉も強い人です
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がんを患っていた母が他界しました
ホスピスは、病院と違って木がたくさん使われた内装の病室
大きなソファーもあり、トイレも広く
窓からは木々が見え、鳥の声で目覚める
そんな環境をとても気に入り、「ここを終の棲家としたい」と喜んでいました
ホスピスではフラワーアレンジメントやヨガにも参加しました
温泉も引かれており、気持ちよかったと言っていました
子宮癌の手術が三年半前
その時には余命宣告二年
手術の後遺症で腸閉塞
入院ひと月
抗ガン治療の苦しみで嫌気がさし
抗ガン治療を途中で無理やり終わらせ退院
その後一年ほどは気持ちも体も沈んだ状態でした
でも、少しずつ体調も良くなり、外出も楽しめるようになっていました
母の癌はもしかしたら消滅したかも?なんて思えたし、本人もそんな風に思っていたみたい
エビフライ食べに行く約束をしていたのですが、九月ごろ、胃腸の調子が悪いから食べに行けないと言っていました
母の体調を心配した姉が無理やり病院を受診させ、九月下旬に入院
お腹のリンパが腫れて腸を圧迫したために食べ物飲み物を受け付けなくなっているとのことでした
手術や放射線治療を母は拒否
ホスピスを探すことになりました
それから二週間ほどでホスピスに入ることができました
ホスピスの環境が良く、水分を少しとることもできるようになっていました
いずれ、癌が体をむしばんでゆくとしても、まだ半年くらいは大丈夫・・と本人も、周りも思っていました
まさか、こんなに早くお別れが来るなんて
でも、先週の電話が元気無いように思えたんだよね・・
体の状態より、食べ物、飲み物自分の口からとることができなくなってきて
食いしん坊の母はつらかったみたいで
「死にたい」ってドクターに漏らしていたそうです
ちょっと眠れるように、精神安定剤のようなものを入れてもらって
眠る時間が多くなって
それから二日後、朝、姉が洗濯物を取りに行くと、寝息を立てて寝ていて
午後、再び病室を訪れたときには息をしていなかった
本当に、静かな最後で
看護師さんも誰も気付かなかったようです
眠るような最後
ずーっと苦労続きの母でしたが、最期は安らかでした
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親子のつながりって、不思議なものがあります
私には、もう社会人になっている息子がいます
離婚して離れて暮らすようになっても(息子は父親の方に行きました)三か月に一度くらいは顔を見せに来てくれていました
それが、一年前くらいから、ぱったりと来なくなり、メールをしてもそっけない返事
そのうち、メールアドレスを変えたのか、メールさえも届かなくなり
でも、能天気な私は、彼女ができて、やっと母離れしたか、なんて思っていたのです
このたび、母が死を目前として、元気なうちに孫である私の息子に会いたいと申すものですから
着拒覚悟で息子に何度か電話し、留守番電話に、おばあちゃんの容態について伝えました
すると、やっと連絡が取れたのですが
久しぶりに話すと、この一年、いろんなことがあったと話してくれました
息子の父親、つまり、私の元ダンナが再婚
新しい嫁さんが、息子と元ダンナの家に住み始めたそうです(まあ、当たり前ですが)
新しい嫁さんはけっこう何かと細かく、神経質な性格らしく
ちょっと息苦しくなってきたみたい(おおざっぱな私や息子とは真逆)
息子が彼女を連れてきたときも、何かと言われたそうで
息子は限界に達してちょうど先週、家を出て、新しく部屋を借りたとのことでした
私に連絡してこなかったのは、新しい嫁さんに気を使っていたのです
母の病気がなかったら、息子のSOSにもきずいてあげれなかったな〜と思うと、母に感謝
そして、家を出たタイミングで連絡できたことに、不思議なつながりを感じました
心残りは、新しい嫁さんに、息子の小さい時のビデオや、息子が子供の頃に作った絵や作品を捨てられてしまうこと
新しい嫁さんにとっては、価値のないものがまだ、あの家には残っていたから
私の残した本や雑貨は即処分対象だったみたい(そりゃそうだ)
でも、子どものモノは違うでしょう
元ダンナにとって、息子が小さかったころの思い出ってなんだったんだろう・・・と思うと腹立たしくもあり
再婚するなら、新居借りろよ、と文句言いたい
もっと早く知っていたら・・全部持ってきたのに
これも、離婚の代償
でも、息子の思い出は心にあります
そして、息子も新しい家庭を作って
これから新しい思い出を作っていくでしょう
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