発つ犬、足跡がわかる・・・

あっはっは〉┌(┌´,_ゝ`)┐〈もっほっ!ふぉ_!キモヲタニ_トホモ_クレイジ_よ、臭い息を吐くのはそれぐらいにしておけ♪

伊予の城

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伊予国:今の愛媛県の私メの攻城記。(予定)
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大洲城・攻

大洲城
イメージ 5



大洲城は平山城です。JR予讃線からも見えます。
大洲城の最大の特徴はなんと言っても!木造復元天守(4層4階)上2枚の写真とも真ん中の建物。
平成16年(2004年)に古写真などの史実をもとに伝統工法で本格復元されています。

鎌倉時代には物流要衝の地とみなされ、元弘元年もしくは元徳3年(ともに1331年)に宇都宮豊房が地蔵ヶ岳城を築いたことから始まるといわれます。
その後天正13年(1585年)には道後湯月城を本拠地とする小早川隆景の枝城・支城。
天正15年(1587年)には戸田勝隆が宇和・喜多郡16万石で入城。
文禄4年(1595年)板島(今の宇和島)に入った藤堂高虎は、豊臣氏の蔵入地(直轄領)大洲の代官となり、大洲城に入城。
慶長14年(1609年)脇坂安治が淡路国洲本より5万石。

元和3年(1617年)加藤貞泰が伯耆国米子より6万石で入城し落ち着きました。
ちなみに内治1万石で支藩・新谷藩が元和9年(1623年)大洲藩2代藩主・加藤泰興の弟・直泰により設立。いろいろあったらしいですが、本藩とも明治まで続きます。
老朽化などの名目に天守が解体されたのは、明治21年(1888年)のこと。


天守には台所櫓と高欄櫓が付き従っています。ただ従者の2櫓はともに国の重要文化財。
天守とこれらをつなぐ多聞櫓も同時に復元されたそうです。
他に城山直下の肱川沿いの苧綿櫓これも国の重要文化財。イメージ 8(開放して活用した方が・・・)
観づらいけど天守閣と苧綿櫓の位置関係。イメージ 1手前の水面は肱川

それとチョット離れてて行けなかった三ノ丸南隅櫓(大洲城最古の建築物) も国の重要文化財。
天守閣に向かう途中にある県指定文化財の下台所(食料庫)があります。(向かって右の写真では切れた建物)
イメージ 2

では天守閣の説明。(坂を上がったところから。高欄櫓と天守)イメージ 4

天守閣の現在の入り口は、台所櫓からとなっています。
奇麗で展示物も厳選されていました。どっこいしょ最上階(4階)には・・・イメージ 9

イメージ 10もう少し展示物欲しいな。
築城普請の様子もあったけど、ほかに具体的には思いつかない・・・

また台所櫓2階には上がってはならなかった理由があるならうまく説明してほしいな。

2.3階からは宇和島城などと同様階段が急(T_T)
(頭上注意を・・・ちょん髷注意みたいな表現で粋なコメントもありました!)イメージ 11
けど外の景色と天守や高欄櫓の窓から、お互いや台所櫓を見るのも楽しい♪
イメージ 6 サッサ イメージ 3サッサ イメージ 7
訪れた時間帯のせいか職員の方が吹き掃除を丹念にしてました。
この天守、破風も多いけど、通常最上階や張り出しにある華頭窓が2階に多く使われいるのも大きな特徴!
(確認してね!)ひこにゃんの彦根城ほどではないような気もしなくもないけど・・・

チョットした主張+α・・・http://blogs.yahoo.co.jp/himenowan442011/1198524.html


宇和島城・攻

宇和島城(鶴島城)
イメージ 1

宇和島城は平山城であり、既存12天守のひとつがあります。
天守は独立式・3層3階本瓦葺の約16mの層塔型、上の階に行くほど正方形の床が2m小さくなるそうです。
千鳥破風や唐破風などの多くの破風を纏った協和が保たれながらもダテモノな国の重要文化財の天守です。

そもそも、慶長元年(1596年)藤堂高虎が6年を費やし中世山城の板島丸串城の跡地に築城が始まったと言います。その頃は望楼型の天守を築いたといわれます。
城主は富田氏と代わり、さらに2代徳川秀忠より慶長19年(1614年)に伊達秀宗が宇和郡10万石に封じられ、元和元年(1615年)には入城。宇和島藩が成立。
明暦3年(1657年)宗利が7万石で2代藩主となり、弟の宗純に吉田3万石が分知されました。
寛文2年(1662年)宗利の時、天守以下、老朽化した城全域の改修に着手し、(この頃現天守ができる) 寛文11年(1671年)改修竣工。

ちなみに吉田藩は3万石で明治まで、宇和島藩は元禄9年(1696年)3代宗贇の時に石直しで10石に戻り明治まで続く。
宇和島伊達家は維新後伯爵と宗家と同格となるが、のちに明治維新への功労から侯爵と宗家を凌ぎました。


JR宇和島駅から、途中ビルから見え隠れする天守閣へ!
城山の東北口にたどり着き、家老桑折氏武家屋敷 長屋門にたどり着いた。
イメージ 12

昭和期にこの地に移築されたものだそうです。そもそも門の前に三ノ丸があり御殿などもあったようです。

門をくぐると犬の散歩お断り・・・とのこと。衛生上の観点でしょう。


城攻めにかかる山道を己の贅肉甲冑が重い・・・イメージ 13
井戸丸の石垣がみえる。
井戸丸は篭城などの時の水の確保のためか厳重に管理されていたものよう。井戸の底は柵の外からでは見えませんでした。

天守へ行く前に、藤兵衛丸にある先に城山郷土館に立ち寄った。
もともと武器庫で山の下にあった昭和期に移築されたものであった。


郷土館から出て感動した1コマ
イメージ 2


テクテク、テクテクテクテクイメージ 3 テクテク イメージ 4


玄関に掲げられた3つの家紋イメージ 6
3つの家紋を上から(判別できるかな・・・)
1.瓦にも多様されている九曜紋は伊達政宗が気に入ったので、細川家から権利をもらったらしい。
2.かの有名な竹に雀紋、宇和島笹と仙台笹があるんだって(当たり前か)
 これは上杉家に一族が養子にいく話があったため、引き出物として使用権を伊達家が獲得したらしい
 (政宗の曽祖父のころ)。
3.伊達家の始祖朝宗が12世紀に源頼朝から拝領された竪三引両紋もともとの家紋である
とのこと、後で訪れた宇和島市立伊達博物館に行って知りました。(旅先書庫にネタ仕込んどきます!)

\200の入場料を払う。おっ!かの有名な天守の雛形!!上から撮ろうイメージ 7

イメージ 8急な階段(T_T)


      イメージ 9殿様気分な宇和海の眺め
(江戸時代実際に一番目にできたのはメンテの役人だろうけど・・・)

南側からおりて・・・長戸丸へ、さらにくだり、立派な代右衛門丸石垣 イメージ 10

城山南の搦め手道口立ち上がり門イメージ 11種類は薬医門だって。


個人的な感想は、行きたいと前から思っていたので達成感があった。

歴史の息吹と郷土の愛も感じられた。展示物は万延元年(1860年)の修理の際に作成された雛形はそれなりにすばらしと思う。

ただし、お約束どおりの他の城の写真は、ほんとうにいるのかな?
半分か3分の1にしてでも宇和島城や藩の歴史などに割いたほうが・・・。あと昭和35年(1960年)の解体修理の展示は良いけど白蟻被害を強調しすぎじゃないかな〜。

いずれにしろ、石垣も修理・・・もしかしたら建物も復元・復興するのかな?
その時もっと魅力的な展示とお買上したくなるようなお城グッズ(資料など)を揃えてほしいと思った。
とはいえ、乗物・輿の折り紙は無料の上、かわいらしく一つ貰って帰った!

たどりつくまでの珍道中・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/himenowan442011/1117835.html


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