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明石城(喜春城)・・・兵庫県明石市(旧播磨国)
明石城は元和3年(1617年)信州松本城主より明石藩10万石の藩主となった小笠原忠真は、2代将軍徳川秀忠より築城命令が出されたことから始まります。
当初は明石城の西方、明石川河口西岸にあった船上城に小笠原忠真は入城していましたが、命令により姫路藩主 本多忠政と相談しながら、築城から町割りまで行いました。
3箇所築城候補地がありました。人丸山(赤松山)には大きな池が西には明石川があり城の防備に役立つとして人丸山に定りました。このあたりは室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨、備前、美作の守護赤松満祐が、6代将軍足利義教を暗殺し、領国播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である嘉吉の変で激戦地だったそうです。 徳川秀忠は普請奉行として播磨林田藩主 建部政長ら3名を派遣し、普請費用(土木工事費用)として銀一千貫(時価31億円相当)を支給しました。
地の利を利用し、幕府と明石藩の共同事業として元和5年(1619年)正月から普請が始まり、作事工事(建築工事)は一国一城令で廃城となった伏見城、三木城など用材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えらます。
天守こそ天守台のみで築かれませんでしたが、本丸4隅に3層3階の櫓を持つ巨大な城が元和6年(1620年)には完成しました。 苦心して明石城を築城した小笠原忠真は、1632年(寛永9年)豊前国小倉藩に転封となり、半年ほどの幕府直轄地の蔵入地(俗に言う天領)となりました。
1633年(寛永10年)信濃国松本城より (戸田)松平康直が7万石で入城、家督相続し松平光重は1639年(寛永16年) 美濃国加納藩(加納城は岐阜城の後継城)に転封。 入れ替わりで大久保忠職が7万石で入城しました。10年間後の1649年(慶安2年)肥前国唐津藩に転封。 その後丹波国篠山城より(藤井)松平忠国が7万石で入城、その子松平信之と共に名君として知られ、林崎掘割の用水路や一里塚の設置、海岸の防風林の造成、新田の開発に努めたそうです。 1679年(延宝7年)松平信之は、大和国郡山藩に転封となると、郡山にいた本多政利が6万石で入城しました。
しかし、領内を収める事ができず1682年(天和2年) 僅か3年後、苛政を責められ陸奥国岩瀬藩に1万石に減知転封となりました。(その後改易・他藩預かり)
いずれにしろ50年間は西国の要地として譜代大名による入れ替わりが激しかったようです。
(越前・結城)松平直明が6万石で入城し、以後明治維新まで10代189年間親藩 結城松平氏の居城となりました。2代藩主松平直常の1739年(元文4年)には城の大修築が行われたようです。 8代・松平斉宜は11代将軍・家斉の子で、2万石の加増を受け 8万石。同時に10万石格となりました。 幕末は佐幕派となり鳥羽伏見の戦いでも幕府方として参戦しまし<たが、その後、明治政府に帰順しました。 1881年(明治14年) 本丸北東の艮櫓が、神戸市の相生小学校(現、湊川小学校)の用材として、解体されてしまいました。これをきっかけに、旧藩士など有志による保存活動が行われ、1883年(明治16年)明石公園、1898年(明治31年)には 皇室の御料地となりました。 1901年(明治34年) 宮内省により、本丸北西の乾櫓は解体されてしまいました。しかしながら本丸未申櫓、巽櫓は修理されたのがせめてもの幸いです。 1918年(大正7年)兵庫県が御料地を借り受け県立明石公園として、昭和4年(1929年)御料地全域の払い下げとなりました。 1995年(平成7年) 阪神・淡路大震災により大きな被害を受けましたが、1999年(平成11年)修復が完了。同時に未申櫓と巽櫓を繋ぐ塀が復元されました。 現在明石城はJR明石駅の北、明石公園を構成しています。新幹線は残念ながら・・・西明石駅なので・・・。
在来線ホームからみる明石城も立派ですが・・・架線が
とりあえず東入口から入りました。
三の丸にはいりますしたが、北上して東ノ丸へ
で苦心して上って
すぐ東ノ丸入口をでて写真をw
夜勤明けできつい中、2基の櫓に直行せず、すぐ出て行ったのは心理的に結構つらかったで〜す。
東ノ丸から・・・そうそう石垣立派でしたよ、積み直しているところもありましたけど、巨城ですね〜。
本丸や稲荷郭の北側池・沼が多かったです。湿気が多いため1739年(元文4年)の城の大修築が行われたのかなと今思っています。ところによっては転用材が多かったからすぐ老朽化したのではとありますけど。
散策中は知らない情報だったけど。猛烈な暑さも加わり自販機が・・・憧れの存在に・・・。
ぐるりと・・・西側へ球場があるけど自販機どこかよくいわか・・・。
ぉおお。天守代用の櫓(このとき未申櫓の言葉すら頭に浮かばなかったですw)
下のから東へ抜けていこう!!
スタズタ・・・コケ
で本丸ね。あがろう。
げぇ!
あぁぁll!コテ。と ちょうど木の根っこのところでゴロ寝
10〜20分寝てたら3.4人上り下りしてたんで・・・。起きてまたのぼり・・・。水道がとてもありがたかったです!
巽櫓・・・天守の代用でなかった方の櫓、うすうす/窓開いてるんで入れるのかも!
土日(祝?)2基の櫓晴れてたら中には入れるらしい両方かどっちか?
入れました。土・日・祝日(天候により変更有)奇数月 坤櫓 偶数月 巽櫓 時間 10:00 〜 16:00 とのことです。
訪問は一応8月っす。受付の年配の女性から「どちらから」「大分です」「・・・。九州の?」とそんな話と櫓のお話を聞きました。
中では年配の男性が明石城の歴史を説明してくれてましたが・・・。きつくてそれどころでは・・・。二階には入れないのかw
なら坤櫓へ
遠目に眺めて天守台の跡へ上って
そのうちかつての2基が本丸に復活すればいいな〜と思いつつ降りました。
自販機をやっぱ球場近くで見つけてほっとしました。その間巨大な天守台を、元々天守自体を築くつもりがないから巨大化したのかも、とか思いましたw
最後に↓坤櫓と
↓巽櫓を遠望。
正面入口から岐路JR明石駅へ。
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