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絵里の訓練の為に別府まで通っていた頃 週末は実家に集まり 総勢10人の夕食を済ませて 子供たちは入浴後パジャマに着替えて 歯磨きまでして帰ります。 この時は義母が夕飯の支度をしてくれるので 卑弥呼は子供の相手だけでよかったのです。 義母の手伝いは長男の嫁の義姉がしていたので・・・。 姪っ子もいつも兄弟のように過ごしました。 絵里はまだ言葉になりませんが 私にわかる言葉らしきものは発してました。 おしゃべりは苦手なので ツンツンと私の服のすそを引っ張り わかるでしょ〜〜とオメメで語りかけます。 ねずみちゃんもお兄ちゃんも この頃と今では全然違うのでUPしても怒らない・・かな |
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バレンタインの日に風邪から肺炎になり 地元の病院に入院して 痰が詰まって息が出来なくなり 人口呼吸器につながれて2週間 このままでは死なせてしまう!と思い 主治医(前に書いた絵里を殺す気満々の)を説得して 昭和天皇の大葬の礼のその日 救急車で大分から北九州の病院へ3時間30分の 大移動( 小児科医と看護士がそれぞれ1名同乗して) の始まりでした。 保育器に入れられた絵里の喉には管が入り 管の先にバグが付けられて 医師と看護士が交代でずっと3時間30分バグし続けるのです。 頭の上ではずっとサイレンが鳴り続けるので 耳も変になります。 船酔いと同じで車から降りても サイレンが鳴り続けるのです。 NICUに入院して1週間 手術予定の子が、虫歯で手術出来なくなりキャンセル。 その空いた手術室に絵里が入ることになり 私が身を寄せていた叔母の家に 夜遅く病院から電話が。 病人を抱えている時に病院からの夜中の電話なんて 怖くて顔がひきつりました。 「 あさって手術になりましたので、明日必ずお父さんと来てください。」 その手術から27日後、さくらの花にやっと間に合いました。 一緒に病室で過ごしたお姉さんと記念撮影。 |
要するに 心臓に空いた穴2つ、シルクのパッチワークで塞いだけど きちんと出来たかなぁ?と心臓まで管入れて 造影剤を流して写真を撮る検査の事で 手術と同じく全身麻酔をかけるので 危険な検査です。 9時間かけて手術を受けた時には死んでしまうのではないかと 生きた心地はしませんでしたが、 この時は大丈夫( 心臓は止めないから・・) と思ってました。 手術着に着替えた絵里りんと 隣のベッドのお姉さん よくかわいがっていただきました。 |
生きるか死ぬかの大事な時で 卑弥呼不安でいっぱいの頃です。 これが生まれて3枚目の写真。 NICUで写真撮りまくり・・はできないから。 |
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