弁護士の法的独白

一介の弁護士がニュースについて語るブログ。

「靖國論」について

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

「第7章」について

 第7章は,戦後に抑留されて亡くなったり,BC級戦犯として処刑されたりした方の物語です。

 こうした話を知っておくのは誰にとっても大切なことであると思いますが,全てを事実として鵜呑みにすることもできません。

 また,事実である部分についても,それが原因で相手国や国民を憎悪するようでは,相互の憎しみが積み重なるばかりで,最悪のスパイラルです。

 日本人には被害者の側面もあると言いたい気持ちはよくわかります。しかし,それを他国民に対して言ってみても他国民が納得するわけがなく,何のメリットもないという現実を認識すべきです。


 145頁に,「日本は未だに戦争責任を果たしていない」と指摘する人物が出てきます。

 私は法的賠償問題は解決済みと考えていますが,それであの戦争がなかったことになる訳ではないです。「未来永劫」かどうかはわかりませんが,少なくともまだ現時点では,あの戦争を起こした責任について,日本はアジア諸国に配慮する必要があると思います。


 同じく145頁には,「日本の被害ばかりを言い立てるのでなく,加害の事実にも目を向けるべきです」と指摘する人物も登場します。

 この人物に対して,小林氏は,「完全に降伏して抵抗の術もない者を報復裁判にかけた加害の事実があるか」「都市に原爆を投下して一般人を大虐殺した加害の事実があるか」と反論します。

 しかし,「裁判」という方法でなくとも「完全に降伏して抵抗の術もない者を殺害した加害の事実」は多分あるでしょうし,「原爆」を使わなくとも「一般人を大虐殺した加害の事実」はあるでしょう。そうした「加害の事実」に目を向ける必要がないと言わんばかりの主張は,私には理解できません。



 「第8章」について

 180頁で,小林氏は,「パール判事こそは,国際社会を普遍的な法の下に置いて秩序づけたいと願った真の平和主義者・理想主義者だった」としています。それはそのとおりでしょう。

 今後戦争が起きても,戦勝国が一方的に敗戦国を裁くのではなく,法に則った裁判が行われることは,理想かも知れません。

 しかし,その理想に辿り着くための方法は,東京裁判を否定することではないでしょう。日本が戦勝国的立場になったときに,パール判事のように行動することで,その信念を示すべきです。



 「終章」と「あとがき」については特にコメントはないのでまとめておきます。


 小林氏は「民主主義が嫌い」と言います(201頁)。しかし,民主主義に代わって,いかなる政治体制が望ましいのか,わかりません。現状が気に入らないから何か変えたいというだけで,ビジョンがありません。


 小林氏は「政教分離は異常なイデオロギー」と言います(202頁)。では,政教分離を緩めたら,小林氏が理想とするような社会に近づくかと言えば,そうではないです。

 例えば,政治が深く宗教に関与できるようになれば,靖国神社解体論者が首相になって,直接的に靖国神社を弾圧したり,靖国神社に対抗する勢力を助長させたりする可能性だってある訳です。

 小林氏の論は,「政教分離」の中の自分にとって不都合な側面ばかりを見て,実は自分が「政教分離」によって護られている(または今後護られる可能性がある)ということを,全く看過しているように感じられます。 


 夏休みで時間があったので,長々と書いてしまいました。

 この本は靖国神社に関する知識を簡単に得られるという点で価値があると思いますが,小林氏がこの手の言論を今後とも続け,それを支持する若い世代が相当数生まれるということについては,何だか気が重くなる感じがするのでした。

「第3章」から「第6章」について

 第3章は終戦直後に自決した方の話です。

 私は,この自決は,多様な価値観に接する機会がなく,唯一与えられた価値観を一心に信じた若者の悲劇であると思います。その唯一の価値観に同化することで,この若者が報われるという感覚は,私にはありません。

 小林氏に言わせれば,それが戦後教育の「洗脳」の成果ということでしょうが…。
 このあたりは感性の違いという面もありますから,どうしようもないですね。


 第4章,第5章については,特にコメントはありません。

 第6章は福岡地裁の平成16年4月7日判決に関する話です。

 http://courtdomino2.courts.go.jp/Kshanrei.nsf/webview/9150D634B0A70BFC49256EA50001E63B/?OpenDocument

 結論部分(114頁)の,「国の弁護団は,首相の公式参拝が政教分離に反しないという『本質論』から弁護を組み立て直すべき」との点については,愛媛玉串料訴訟の最高裁判決がある以上,法律家としては,全く取り合えないと言わざるを得ません。

 111頁で,小林氏は,政教分離を貫徹しようとすれば,国が宗教建築や仏像を国宝として保護することや,宗教系私学に助成することも憲法違反になる,というのですが,これはそうとも言えないでしょう。

 国と宗教が一切関わらないことは不可能というのは小林氏の言うとおりですが,その中で,許される関わり方と許されない関わり方を線引きする必要があります。

 仏像の国宝指定や宗教系私学の助成は,国が当該宗教を信仰するという目的がほとんどないのに対し,首相の参拝行為はまさに信仰の発露ですから,「目的効果基準」に照らしても,両者の結論が分かれることは合理的であると思います。


 それより,この章で小林氏が同判決を言い渡した裁判長を「サヨク裁判長」と断じている点は,問題だと思います。

 憲法学者や法律実務家の少なからぬ割合の人が,首相の靖国参拝については違憲の可能性があると考えています(私も首相の参拝の状況次第で違憲になる場合もあるという立場です)。

 確かに,本件の判決文には「そこまで書かなくても」という部分もありますが,結論自体は,サヨクと言われるほどバランスを欠いたものではないと思います。

 また,小林氏は「自分は危険を顧みず戦っている」という論調ですが(178頁),それはこの裁判長だって同じことです。

 裁判官は,3年に1度転勤があるため各地の官舎に住んでいる人が多く,地元の人であればどこに住んでいるか見当がつくことも多いです。たとえ住居がわからなくても,職場の法廷では常に人前に身を曝しているわけです。

 右寄りの意見を書く人より左寄りの意見を書く人の方が暴力の被害を受ける危険性が高いことや,裁判長はリスクを冒しても収入面で何のメリットないことなどを考え合わせれば,自分と意見が違っても,その勇気には一定の敬意を払うべきです。

「第2章」について

 30〜34頁で,小林氏は「1985年の中曽根首相の参拝まで,中韓が首相の靖国参拝に反発したことはなかった」としています。

 確かに事実としてはそうなのでしょうが,そうだからと言って,1985年以降,中韓が首相の靖国参拝に異を唱えてはならないという理由にはならないでしょう。


 34頁では,小林氏は「靖国参拝を国際問題にでっち上げたのは朝日新聞」としています。

 この点,「マスメディアが自国の政権を批判をすると,結果的に他国を潤す」ということは少なからずあることと思われ,特に国際的な情報流通が大量・迅速になっている昨今では,マスメディアには一定の自制が必要な場面もあるとは思います。

 しかし,それを根拠に政権批判を封ずるかのような主張は疑問です。
 いま大切なのは現に発生した火事をどう処理するかの問題であって,火をつけたのが誰かを論じることは本質ではないでしょう。


 35頁で,小林氏は,サンフランシスコ講和条約第11条の日本語訳は誤訳であると主張していますが,「the judgments」を「裁判」と訳すか「判決」と訳すかでそう大きく意味が変わるとは思えないです。日本の法律家としては,裁判と言えば判決・決定・命令の総称という認識ですから(刑事訴訟法43条参照)。

 実際,下記から参議院外交防衛委員会議事録(平成17年6月2日)を検索し,発言027,028のやりとりを見て頂くとわかるように,日本政府は,同条項を「少なくともこの裁判について不法・不当なものとして異議を述べる立場にはない」という趣旨のものとして締結したということですから,「the judgments」の日本語訳が何であるかを議論する意味はないと思います。

 http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_srch.cgi?SESSION=26297&MODE=1



 同じく35〜36頁で,小林氏は,同条項が「国際法上の慣習」に違反しているとも主張しています。

 しかし,私も以前ブログで書きましたが,サンフランシスコ講和条約は,日本と,アメリカ・イギリス・オランダ・韓国・フィリピン・ベトナムなど各国との戦後補償問題を解決する点でも重要な条約です。日本に不利な条項は無効とし,有利な条項の効力だけ主張することはできないでしょう。

  http://blogs.yahoo.co.jp/hinabeneko/2586722.html


 東京裁判が戦勝国による裁判であり,法治国家の国内における刑事裁判とは異質なものであることは明白です。A級,BC級を問わず,手続的にも結果としても,問題のあるケースが相当あったことは事実でしょう。

 私自身,そのことについて,悔しい思いがない訳ではありません。その悔しい思いを公にする人がいてもいいとは思います。

 しかし,それは日本国の対外向けの公式見解であってはならないはずです。

 日本政府も他の締約国も,日本が東京裁判に異議を述べないことを前提にサンフランシスコ講和条約を締結し,同条約をもって日本は独立国として国際社会に復帰しました(その趣旨が同条約第11条で明確になっているかどうかはともかくとして)。

 もし仮に,日本政府が「同条約11条は無効」「東京裁判は不法・不当」との見解を公式に発表するようなことがあれば,それは締約国である米英のみならず,国際社会全体の大問題に発展するでしょう。その影響の大きさを考えると,(日本国の公式見解として)東京裁判に異議を述べようとすること自体,およそ非現実的です。


 42頁で,小林氏は「中国人の伝統的・民族的な死生観は敵に対する『絶対的不寛容』である。仇敵を殺害してその肉や肝を食い,遺体にむち打ち,骨を粉にして飲み,子々孫々まで許さない」と書いています。

 私は,人を国単位でひとくくりにし,「○○人とはこういうもの」という論法が嫌いです。人を,個性を持った人格として見ず,その民族・国籍で判断するやり方です。このような考えに賛同する人が,小林氏の読者層に増えるとしたら,恐ろしいことです。


 46頁で,小林氏は「(日本人は)近隣諸国の理解を求めて…日本人でなくなるまで,日本の文化・民族の根幹を溶解し尽くすまで譲歩し続けるのだろうか?」,「グローバリズムとは…日本の文化も伝統も捨て去ることか?」と問いかけています。

 この問いの根底には「靖国に参拝しない人は日本人ではない」という小林氏の信念があると思いますが,その前提自体,私には受け入れがたいものです。「自分と違う信条を持つ人は日本人ではない」と言っているに等しく,明らかに言いすぎです。


 48頁では,小林氏は,「(靖国神社を)いっそ解体してしまいたいと欲望する日本人がいる」と言っています。

 これは事実認識としてどうなのでしょうか。
 以前のオウム真理教については,まさに教団自体を解体してしまおうという動きがあったわけですが,首相の靖国神社参拝に反対する人であっても,靖国神社を消滅させようという人はごく少数だと思います。中韓も公式見解としてそこまでは言っていません。やや被害者意識が過剰ではないでしょうか。

「第1章」について

 14〜17頁で,小林氏は「(A級戦犯もBC級戦犯も)連合国が(東京裁判で)裁いた『戦犯』は『罪人』ではない」とし,東京裁判が国際法上の根拠を持たないことは世界中の法学者の常識と述べています。

 私は国際法については全く素人なので,国際法上,東京裁判がどの程度正当性を有するものなのかわかりません。

 ただ,東京裁判を実施した旧連合国やその他の国々が政府の公式見解として東京裁判の正当性を自ら否定することは絶対にあり得ないでしょう。そうした中で,その不当性を主張することは,無意味であるばかりか,孤立を招く結果になりかねないと思います。

 私の認識では,国際社会は必ずしも法が支配していない領域です。大切なのは,国際法学者の意見ではなく,各国政府の公式見解であろうと思います。


 17頁の「祭神名票」について,私はこの本を読むまで知りませんでした。

 小林氏は,厚生省が「祭神名票」という書類で,戦没者を靖国神社に通知し,靖国神社がこれを受理して祭神を合祀していたことをもって,「国民の総意を受けて,国が彼らをご祭神として認定した」というのですが,これはあまりにも論理の飛躍があります。

 靖国神社が誰を祭神とするかは靖国神社の自由であることは論を待たないところです。
 厚生省は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」や「恩給法」の支給対象者を靖国神社に通知していたのでしょう。「祭神名票」の名称は不適切であることから昭和46年に廃止され,このような通知自体も昭和61年には廃止されているようです。


 22頁で小林氏は,「日本国が靖国神社を守る器量を取り戻さなければ,日本人の復活はない」と述べています。

 小林氏が復活させたい日本人の内容が必ずしも明らかではありませんが,「国のために命を捨てる覚悟を持った人間」ということでしょうか。

 国民がそうした覚悟を持つことは非常に重要なことですが,この価値観の多様化した時代に,戦前同様の靖国神社信仰という方法でそれを養成しようという試みは,事実上困難と言わざるを得ません。

 具体的にどういう方法が可能かはわかりませんが,目指すべき方向性は,単一の価値観で支配して否応なく「覚悟」を押しつけることではなく,多様な価値観を認めつつも自発的にそのような「覚悟」を持っているという状況だろうと思います。


 23〜26頁では,小林氏は国立慰霊施設構想を「国営のカルト宗教」などと批判しています。

 確かに,やり方次第ではそうなる心配がない訳ではありませんが,たとえば,ひめゆりの塔にしても,広島の平和都市祈念碑にしても,宗教色の薄い慰霊施設は実現可能であると思います。

 私自身は,首相が靖国神社に参拝するかしないかが論点である以上,新たな慰霊施設をつくるかどうかは二の次の問題と考えていますが。

「序章」について

 同書5〜6頁で小林氏はA級戦犯分祀論を批判しています。
 私は,A級戦犯を分祀するかどうかは靖国神社自身が判断すべきことで,少なくとも靖国神社を信仰していない者が口出しすべきではないと考えています。そして,現在では,靖国神社がA級戦犯を分祀しないとの立場を明確にしている以上,もはやA級戦犯分祀を論ずる実益はないと思います。

 ただ,靖国神社の宗教教義を決めるのは靖国神社自身のはずですから,靖国神社が決断すれば,A級戦犯分祀は可能だったはずです。

 少なくとも,当初,靖国神社に対してA級戦犯分祀を働きかけた政治家たちは,「A級戦犯に対して拒否反応を持つ国内勢や中韓に配慮しつつ,靖国神社に参拝できる」という妥協の道を探ったということであり,その姿勢は評価されるべきであると思います。

 誰もが自分の主張を通すことだけに固執して妥協を知らないとすれば,民主主義は「むき出しの多数決」であり,知恵がありません。


 8頁では,小林氏は「戦後の日本人が戦前の日本人を批判するという風潮自体に,大きな疑問を覚える」と述べています。そして,「(戦後の日本人は)戦争さえしなければ戦前の日本人より優れているとでも思っているのだろうか?」とも。

 この考え方には賛同できません。歴史に学ぶということは,先人の行為の善を善,悪を悪と評価することだと思います。ある行為を善とするか悪とするかの評価が,人によって分かれることはあるでしょうから,それは大いに議論すべきです。しかし,「国のために命を懸けた人を悪人呼ばわりするな」と言わんばかりの論法は,思考が停止しています。失われた命の輝きに眩むことなく,善悪を冷静に判断すべきです。


 9頁では,小林氏は「『七生報国』と言い残した英霊たちの前で『不戦の誓い』とは何事だ!?」と述べています。

 小林氏は,「国を護ること」と「戦争をしないこと」は矛盾すると考えているようですが,私はそうは思いません。例えば,現に日本に向けて他国の軍隊が進軍しているときに首相が「不戦の誓い」をしたとしたら,「何を呑気なことを」と言うのもわかりますが,現在の国際情勢において日本の首相が「不戦の誓い」をするのは大変結構なことではないでしょうか。


 10頁で,小林氏は「(小泉首相は)堂々と8月15日に参拝して中国大使館員を引き上げさせるのがよかろう」と述べています。

 これは無責任な発言であると思います。
 確かに,8月15日に首相が参拝しても中国がそこまで強硬に反発するかどうかはわかりませんし,仮に中国が大使館員を引き上げたとして国際社会が日本を支持するか中国を支持するか未知数という面はあります。

 しかし,「仮に中国大使館が引き上げた場合,日本にどのような影響が及ぶことが予想され,それに日本はどのように対処するのか」というビジョンなくして,「そのときはそのとき」という程度の見通しでは,非常に危ういです。


 小林氏が「敗者(A級戦犯)にも正義はある」と言いたい気持ちはよくわかります。「正義」は言い過ぎとしても,「言い分」はあるでしょう。

 その「言い分」を,声高に叫ぶべきなのか,悔しいと思いつつ飲み込むべきなのか,それは誰もが冷静に考えなければならないと思います。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
hinabeneko
hinabeneko
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事