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プロレス「スポーツ・エンターテインメント」としての脆弱性

プロレスを再びブームに乗せるためには2つの要因が必要だと思います。
すなわちップロレスの技術的な進歩イベント=興行の再構築です。
まず、今回はプロレスの最大の欠点である八百長を消す事から起こる技術的転換を論じてみたいと思います。

プロレスはスポーツではない
最近のプロレスは「エンタメ」と言われるものが主流になっています。
たいした身体能力がなくても、技術レベルが高くなくてもリングに上がってプロレス技を見せれば「プロレス」と定義されてしまいます。
その結果、主に首都圏周辺で興行が集中し、ファンの財布を消耗させています。
後楽園ホール2,000人という箱をきちんと埋められる団体はNOAH・ドラゴンゲート・全日本・大日本に限られ、DDTや新日本はイレギュラーで1,500人を切るようになりました。
それは団体の力もさることながら、受け止める観客の側が選別・淘汰をし始めたことだと推察されます。
月に一度、年に数回ならいざしらず、毎週末・昼夜に連発されればおのずと買い手の主導でマーケットが動いていくものではないでしょうか。

そのなかで現在の「エンタメ」がクローズアップされるのには2つ原因があります。
ひとつはもちろん未熟な鍛錬でもショウが成立するということ。
「プロレス」以外の演出によって観客を集めることが出来ることです。
もうひとつは、これは弊害というべきなのですがマスコミの扱いが格段によくなる点です。
新聞や雑誌のネタとして、メカマミーや鈴木みのるの毒舌や永田の顔芸やM字ビターンは素晴らしい商品になります。
一方で、きちんとした技術力があるとされるKAIENTAI-DOJOが取り上げられる事はほとんどありません。
大技に頼らない「プロレス」を教えているTAKAの興行が1,000人程度しか集まらないのは「知られていない」せいだと言われています。実際柴田や健介を招聘すればあっという間に膨れ上がることからもそれは確かだと思います。
有名になり興行を成功させるためには「技術」よりも「マスコミ受け」を重要視しなければならない。
ここに「プロレス興行」が「エンタメ」に偏る理由が見えます。
プロレスメディアが荒廃の責任の一端を担っているのです。

スポーツ・エンターテインメントへのシフトチェンジ

かつて、たった十数年前までサッカーは超マイナースポーツでした。
日本リーグは観客がたった数十人だったことは日常茶飯事で、企業の福祉の一環でしかありませんでした。
それがいまや全国的な熱狂を呼ぶプロスポーツになりました。
浦和レッズの年間観客動員数は75万人。アウェーの試合を含めれば100万人を動員することができます。
その浦和のクラブ収入は約60億円。かつて新日本の黄金時代のプロレス・マーケットとほぼ同じ額です。
逆に、プロレスを再びブームにするためには観客動員の具体的目標を100万人と設定できると言えるのです。

しかし、プロレスは現在「エンタメ」に偏っています。その結果、プロスポーツとしての技術レベルが著しく低下して試合内容で観客を満足させることができません。
そのために演出が前面に出てしまい、観客から「八百長」というイメージを持たれてしまうのです。観客は、目の前で展開される「闘い」よりも「オチ」を捜してしまいます。
そして試合の内容よりも結果を見て「まあ、こんなもんだろう」と自分の予想と照らし合わせてしまう。

カードを見て結果を予想し、そのとおりに終わる。
これではスポーツにはならない。プロスポーツとは、高度な技術を「見せる」事で観客を魅了する娯楽=エンターテインメントなのです。
その高いレベルで競い・争い・闘うから「熱狂的な応援」をするファンが集まるのです。

プロレスが真に復興するためにはプロスポーツへの転換が必要なのはこのため。
「エンタメ」を捨てなければ・「プロレスは八百長だ」というイメージを払拭できなければ復興する事は出来ません。
100万人を動員するには「エンタメ」ではエネルギーが足りないのです。

「総合格闘技の風がそよぐプロレス」の萌芽

大ブームを起こした格闘技が大きな曲がり角に来ています。
地上波を失ったPRIDEは規模を縮小し、PRIDE武士道は終了しました。
資本の集約によりアメリカマーケットに進出したものの、これに日本のスポンサーはついていきません。
PRIDEとしてはアメリカで成功し、その錦を飾って日本に逆輸入を図ってブランドとしたい所ですが、今のところ成功したとは言えないのが現状です。前回30億円を掛けたと言われるプロモーションはほとんど回収できていません。頼みのアメリカPPVは10万カウントを割り込んだそうです。

結果として日本人の中・軽量級の総合格闘家は大きな目標を失いかけています。
アメリカで興行するのに日本人の、しかもヘビー級が主力になる興行にミドル以下の選手が呼ばれることは少なくなるでしょう。やがて収入源を失った総合格闘家が街に溢れ出します。

柴田勝頼の時代がくる。
柴田勝頼のプロレスは異端です。
妥協なき攻防と隙を見せない間合いと無限の闘志とを併せ持ち、徹底的に無駄な動きを削り落としたソリッドなプロレスをします。
相手が「受けてくれるだろう」という甘い攻撃は否定し、「受けざるを得ない」「受けたほうがダメージが少ない」と判断した技しか受けてくれません。また自身の攻撃も「受けざるを得ない」ように追い込んで攻めていきます。
この結果、柴田の試合は途方もない集中力=求心力を発生させ、息もつかせない攻防を見せてくれます。
いつフィニッシュに繋がるか予想が困難で、その動きのひとつひとつを見逃す事を赦してくれません。
油断しているとあっという間に極めてしまい、そして説得力十分の誰も反論できない強さを持って終わらせてしまいます。

「エンタメ」といわれる現代のプロレスと対極にある「ソリッド」プロレス。
その鋭さについて行けるプロレスラーは現在ほとんどいません。柴田勝頼の試合数が極端に少ないのはこのためです。これは600人を超えるプロレス界の怠慢だと言わざるを得ません。

この柴田勝頼が活きる道は、ひとつには総合格闘技の舞台に踊り出ること。HERO'Sにおいて柴田勝頼を世に問うてみること。プロレスのタフさと総合格闘技の切れ味を融合した「ソリッド」を真剣勝負の世界に知らしめることをボクは願って止まない。
もうひとつは、彼ら総合格闘技をプロレスに呼び込むこと。
格闘技の最大の魅力は勝つことへの執念とその技術がもたらす殺気です。
選手の纏う緊張感は、かつてプロレスラーが持っていた・いまはほとんど失われてしまった「怖さ」と同義で、プロレスの復興とはこの「怖さ」をリングに取り戻す作業に他ありません。

柴田が門馬戦や健介戦先だってのハワライ戦で見せた「緊張感」によって全ての興行が支えられていたといってもいいでしょう。プロレスの復興とはこれによって成就するものと確信しました。

柴田勝頼。門馬、毛利、ハワイアン・ライオンなどの総合経験者。「強い」ホンモノのレスラーを育てようとしている健介オフィスの弟子たち。ハードヒットを遠慮なく繰り出し、恐れずに受けてみせる選手たち。
彼らが結集し「八百長」という言葉を挟めないような「プロレス」を展開していくことは、結果として試合の価値と勝ち負けの重要性を格段に上げて尊敬を得るようになる。
それこそがプロレスが「プロスポーツエンターテインメント」になるための橋頭堡となるのです。
プロレスにそよぐ総合格闘技の風とは戦さ場の緊迫した空気の事
いまこそプロレスに「闘い」を取り戻しましょう。
もう「八百長」とも「プロレスごっこ」とも呼ばせてはいけません。

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