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ヒノマチコのブログ
機械じかけの予言者

う〜ん。。。

「ヒノマチコ、ブログ更新してないなぁ」


な〜んて思っている方もいるのではないでしょうか。

そうなのです。只今ブログ更新出来ない状況になっているのです。8年も使っているパソコンの調子悪く、不具合だらけで何も出来ません。

よって、ブログ更新は今のところ思うように出来ません。近況の報告ということで、携帯から更新をしてみました。

そろそろ時間作ってビックカメラで新しいものを買ってこないとだな。それもいつになったら買いに行けるのか分からない。。。また、買っても初期設定含め、従来どおりの軌道に乗るのはまだまだ先かなぁ。。。

とりあえず、暫くは携帯からの更新を試みてみるのもいいかもしれませんね^ ^

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夏の備忘録

そういえばの。。。



8月の話です。

女房と子供達で群馬の草津温泉へ旅行に行っていました。
私は留守番です(笑)。

その時、女房が私へお土産で買ってきたのがコレです^^
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「D51地ビール」です!
そして、セイコーセカンドダイバー(植村ダイバー)を添えて^^
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「上越線ビール」だそうですね^^

もちろん美味しくいただきました!
缶ビールより、こういう瓶ビールの方に魅力を感じます。



さて、
さて、さて。。。



もういつの時だったか忘れましたが、女房と二人で夜に出かけた時があった。
子供が義姉の家へ泊りに行った時だったかなぁ。。。
どっかのカフェで食べたカキ氷。。。暑い夏の日ですね^^
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この日の御伴君は彼でした^^
オリエント「初代M-フォース(EX00)」
この時計を腕に嵌めると、不思議と気分が上がるんですよね(笑)



子供が外泊でいない時は、夫婦でしか行けないような所へディナーに行きます。
イメージ 4イメージ 5イメージ 6

美味しいお肉をいただきました!
この日の御伴君は「ビースト」です!
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オリエント「M-フォース(EX04)」
別の名を「ビースト」と呼称される図太い奴です^^



そういえば。。。

「CHRONOMETER(クロノメーター)」って知っていますか?
まぁ、高精度の精密な時計とでも言いますでしょうか。

では、こちらはどうでしょう。。。
「CLINOMETER(クリノメーター)」です。

うん!?
「クリノメーター」とは何ぞや!?

これがそれです。
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「クリノメーター」というのは、地層の走向や傾斜を測定する器具だそうです。

ふ〜ん、なるほどねぇ。。。φ(. . )




そんなこんなの夏の備忘録でした!



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お祝いは大事なこと

お誕生日おめでとう!


先日、いつも私を中心に家族のことを想ってくれている女房。
そんな優しい女房が誕生日を迎えました^^

毎年、「どこで何が食べたい!?」と聞きます(笑)。
いつも色々な洋食をつまみたいという答えが返ってきます^^

ということで、今年はホテルのレストランにて洋食ビュッフェをいただきます!



アヒージョだそうです。イメージ 1


ホテルオリジナルカレーだそうです。イメージ 2


お話と食べるのに夢中だった為、たいした写真は撮っていませんでした^^

まぁ、何を食べたかなんてことは重要なことではありません!

少しでも思い出に残るような楽しい時間を過ごすことが大事であります。


だから、思い出に残るような御伴君をご一緒させました(笑)。

この日の御付きは彼です!

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「タカノシャトー(城文字板)」


・・・の復刻で、リコーウォッチです(笑)。

オリジナルは流石に持っていませんが、いいデザインのいい時計です^^


プレゼントも渡し、何かといい時間を過ごすことができました!

女房もご満悦でした^^


私は人に祝われるより、祝う方が好きなタイプです(笑)。




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RICOH(リコー)
HUMMING(ハミング)
19石
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 この製品は1963年(昭和38)に登場した「ハミング」です。タカノ時計を引継ぎリコー時計となって初めての婦人機かもしれません。当時のニーズに応えたカレンダー付きの手巻19石ムーブを搭載しています。保油装置も上座を用いていますが、耐震装置は同時期の紳士機リコーダイナミックオート同様に、キフショックを搭載しているのもポイントです。当時の販売価格は6000円です。




RICOH(リコー)
HUMMING AUTO(ハミングオート)
33石
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 この製品は1963年に登場した手巻機「ハミング」の自動巻製品「ハミングオート」です。小さいムーブメントが特徴の婦人機でありながらも33石という多石ぶりには驚かされます。おそらく多石であることを鑑みれば1964年から65年あたりに登場した製品ではなかろうかと思います。当時の販売価格は8200円です。




RICOH(リコー)
CARIB(カリブ)
19石
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 こちらはリコーの婦人機「カリブ」という製品です。詳細はよくわかりませんが、この製品のデザインを見るに、1968年あたりからの製品になるのではないかと推測します。このムーブは上で紹介したハミングの系統機です。耐震はインカブロックとなっています。リコー婦人機にしてはいいデザインのウォッチです。
 リコーの婦人機は国産他社に比べてバリエーションが少ないのも特徴です。この時期になると開発も含め予算を掛けていないようにも思います。




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続・奥三河

設楽原古戦場へ



鳥居強右衛門の活躍の舞台となった長篠城に続き古戦場へ向かいます。

ちょっとその前に飯田線の長篠駅を覗いてみます^^
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俗にいう無人駅という駅舎ですね。
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さぁ、それでは武田軍によって包囲された長篠城ですが、ここから事が動きます。


待ちに待った織田・徳川連合軍がついに長篠の地に入ってきます!

くぅ〜〜!鳥居強右衛門に伝えたいですね!!



【織田軍】

織田信長(42歳)、織田信忠(19)
織田信雄(18)、柴田勝家(54)
滝川一益(51)、佐久間信盛(48)
丹羽長秀(41)、池田恒興(40)
佐々成政(40)、羽柴秀吉(39)
前田利家(38)、山内一豊(31)




【徳川軍】

徳川家康(33)、松平信康(17)
酒井忠次(49)、本多重次(47)
大久保忠世(44)、設楽貞通(42)
大久保忠佐(39)、奥平貞能(39)
松平伊忠(39)、菅沼定盈(33)
本多忠勝(28)、榊原康政(28)



この連合軍はそうそうたる名が揃っておりますね。
連合軍はおよそ38,000以上もの軍でした。
ちなみに武田軍はおよそ15,000の軍勢でした。

【籠城奥平軍】

奥平貞昌(21)、奥平勝正(40)
鳥居勝商(36)、松平景忠(35)
生田勝重(26)、山崎信宗(25)
奥平定次(24)、奥平勝吉(22)
奥平貞友(21)、松平伊昌(16)





皆さん若いですね。


一方、武田勝頼も若く、この時30歳でした。

【武田軍】

武田勝頼(30)、馬場信房(61)
内藤昌豊(54)、武田信實(52)
横田綱松(51)、山県昌景(47)
真田信綱(39)、三枝守友(39)
小山田信茂(37)、穴山信君(35)
真田昌輝(33)、土屋昌次(32)




長篠の戦場となる設楽原は長篠城の西側になります。

時は天正3年(1575年)、長篠・設楽原の戦いが始まります。


長篠城を攻める武田勝頼にとって、織田軍を負かすのに絶好の機会となりました。
しかし、織田連合軍には秘策があったのでした。。。
武田軍にとっては誤算の展開で、結果大敗に終わりました。

長篠城を包囲していた武田軍でしたが、徐々にその包囲網に穴が開きます。
早朝、城南の鳶が巣山へこっそりと徳川の酒井氏が4千もの軍を従え攻めます。
不意を突いた攻めに武田軍は太刀打ちできず南側は連合軍のものとなりました。
武田軍は連合軍が陣を構える設楽原方面に攻め入り戦へ突入していきます。

この長篠の戦いで最も有名になったなのが、火縄銃による鉄砲の戦です。

この戦にて大量に持ち込まれた鉄砲により、今後の戦での戦い方が変わりました。

まずは新城市設楽原歴史資料館にて勉強です^^
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ここは日本一の火縄銃の数が展示されているそうです。
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火縄銃をよく見ると綺麗な装飾紋様が入っているのに驚きました!


たくさん勉強させていただきました。
資料館の表に出れば信玄塚というものがあります。
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大塚と小塚という大小二つの塚があります。
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この塚は、武田軍12,000人以上を葬った場所です。
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武田軍の惨敗となった為、多くの死者が出ました。
ここにはその戦没将士を弔った福来寺という寺も建立されたそうです。
しかし、明治8年に廃寺となり、現在は塚と墓のみとなっています。
因みに織田徳川連合軍の死者は60名程度とのことです。


連合軍の総大将である織田信長は茶臼山に陣を構えます。
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実はここ、新東名の「長篠設楽原PA」から入れます^^
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茶臼山から見るPAです^^
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徳川家康の本陣跡です。
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長篠の戦で注目された場所へ行きます。
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「馬防柵(ばぼうさく)」です。
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もちろん当時の柵はもう存在していませんので、おそらくこうであろうの柵です。
雰囲気だけでも充分伝わりました^^



連合軍が調達した火縄銃は3000挺と言われています。
馬防柵を二重三重に構築し、射撃隊は列ごとに撃っては下がり準備する戦でした。
そうした戦い方は長篠合戦屏風図絵にも描かれています。

騎馬戦が得意だった武田軍は、馬防柵と火縄銃の前には太刀打ちできませんでした。
結果、数々の武田軍の主要な部隊は撃たれ、名だたる名将勇士を失いました。

武田勝頼は撤退をするしかなく、これにて連合軍の勝利となりました。

武田軍が長篠城を攻めてから連合軍に敗れるまで、20日間の戦でした。
因みに連合軍が長篠に入って三日間で決着が着きました。

この長篠の戦にて、長篠城を守り耐え抜いた城主「奥平貞昌」は改名します。
織田信長公より、その功績を称え「信長」の一文字を頂き「信昌」となりました。




どうでしたか?

長篠の戦いは?

このように、もうどうすることもできないほど攻められ降参寸前だった長篠城。
一人の武士の活躍により大きな援軍が進軍し相手を即成敗させてしまう逆転劇。

まるで、1968年頃のセイコーがスイスを負かしたように爽快感ある展開です。
長篠合戦が好きな方は1968年頃のセイコーも好きなはずです(笑)。


こうして現地にて肌身で感じ、体感し、目を閉じ、耳を澄ませばですね、
当時の合戦が聞こえてくるような思いになるものです。

そんなことを感じながら、新城の「道の駅もっくる新城」へ向かいます^^
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なんて立派な道の駅なのでしょう!
お昼時ということもあり、ここで小休止しましょう^^
この辺では有名な「五平餅」というご当地グルメを頂きます!
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どうですか!?これ^^
手間の掛かっていそうな立派な食べ物ですね!
味はですね、勿論最高に美味しかったです^^
焼き立てをいただきましたので、最高でした!

NHKの連ドラ「半分青い」で登場し、ちょっと有名になった五平餅。
旬な時期に味わえてちょっと嬉しく思いました(^o^)/



納得いく時間を過ごせました!これにて帰ることにします。

暑さと疲れもあり、途中の相模湾沼津SAにて1時間ほど昼寝をして帰りました。
私、移動中のSAで仮眠するほど休憩したのは人生初でした。
眠気を無理して運転するのはよくないですからね^^

昼寝したら気分がさっぱりし、ノリノリで帰れました!


短いですが、ちょっとした休日を過ごせました^^




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答えです!

訪れた城址公園はここ!!





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愛知県新城市「長篠城」です!!

そう、長篠の戦いで有名な所です^^

「奥平貞昌、織田信長、徳川家康の連合軍」 VS 「武田勝頼軍」の戦いです。

この戦、話すと長いので、ここでは割愛します。。。
こちらのユーチューブ動画でご覧ください^^

私はこの戦いの展開というのが好きで、一度は訪れたかった地でもあります。


まずは事の発端である長篠城を感じに来ました。
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看板の地図でお分かりのように、長篠城は川と川の合流点上に構える城でした。
この立地条件だったこともあり、難攻不落の城でもありました。
長篠城より東の徳川エリア、城より西の織田エリア。。。
城より北部の武田軍勢が何としても落としたかった城なのです。
織田、徳川を分断させるには好都合の城だった言われております。

武田信玄の跡を継いだ勝頼(信玄の四男)は、長篠城を攻めますが苦戦します。
長篠城主の奥平貞昌(のち信昌)は、500人の城兵と共に守っておりました。
一方の武田軍勢は15,000人で城を包囲していました。


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長篠城の食糧蔵を攻撃され、奥平軍は絶対絶命のピンチだったのです。

城主の奥平貞昌は徳川軍です。
もとの話はというと、奥平氏は徳川の人間でした。
いつしか武田軍の侵攻により武田側となったのです。
信玄没となり、それを機に奥平氏は再び徳川へ戻るように寝返った経緯があります。
結果、奥平氏は武田勝頼の怒りを買うことになりました。

まぁ、そんな経緯があったのです。
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食糧が底をつき、落城寸前の状況でした。

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こちらは堀。

一刻も早く、織田または徳川軍に助けに来てもらいたいところです。


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そこで活躍したのが、この磔にされている足軽の「鳥居強右衛門」です。
「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」名を「勝商(かつあき)」と言います。

籠城していても落城までは時間の問題であった長篠城。
そこで鳥居強右衛門は主君である奥平貞昌の為にもひと肌脱ぐのでした。

この状況を打開する為にどうしたのか。。。

城主の奥平氏は家康のいる岡崎城に援軍を要請することを決断しました。
また、岡崎城にいる家康は、武田軍の動きをすでに察知していたのです。
そこで岐阜城にいる信長公にも援軍の要請をしていました。
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家康の岡崎城


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信長の岐阜城




一方長篠城では、主君の命を受けた鳥居強右衛門が動きます。
武田軍に見つからぬよう夜中に城を抜け出します。
城沿いに流れる川に深く潜り、4キロも泳ぎ岡崎方面へ向け下っていったのでした。
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城側から下り方面の川を望みます。
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翌朝、鳥居強右衛門は脱出成功の狼煙をあげ、50キロ先の岡崎城へ走りました。
その日の内に岡崎城に着き、状況報告と援軍要請を伝えすぐに長篠城へ戻りました。
その時すでに岡崎城には織田軍も到着していました。
これで織田、徳川連合軍が長篠城へ向けて動きだすこととなりました^^

長篠城へ戻る途中、「援軍来る」の狼煙を再びあげました。
しかし、使者の鳥居強右衛門は帰城前に武田軍に見つかってしまうのです。
無事に主君のいる長篠城まで帰ることができませんでした。

結果、城前にて鳥居強右衛門は武田軍に磔にされるのでした。
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この時、武田軍より城に向かって、こう叫ぶよう説得されます。
「援軍は来ない、城を開ければ武田軍は厚くもてなす」と。。。

しかし!
鳥居強右衛門は「援軍来る、2・3日堅個に守れ」と叫ぶのでした。

残念ながら鳥居強右衛門はその場で処された。

この勇気ある死を無駄にしない為にも城内の士気はより高まりました。




それでは城内(本丸)側から見る鳥居強右衛門の磔場です。
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フェンス越しに覗いてみます。
目の前には川が流れています
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おそらく赤丸あたりなのでしょうが、何にも見えません。
伸びに伸びきった草木により全くと言って何も見えません。
でも、城内からはこのような位置で磔された鳥居強右衛門が見えたのでしょう。


それでは、今度は城の対岸に位置する磔場へと移動します。
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このように磔場跡に碑がありました。
この碑の裏に回り、城を眺めています。
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やはり対岸すらも見えませんでした(^_^;)。
もちろん当時はよく見えたのでしょうね。



鳥居強右衛門の墓参りにも行ってきました。
磔場の近くのお寺に墓はあります。

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墓の裏手には新東名があります。
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合掌

鳥居強右衛門の功績を称えた信長が立派な墓を建立するよう命じたそうです。


このように鳥居強右衛門の活躍により、長篠の戦いが本格的に開戦するのでした。


ちなみにこの日の御伴君は彼です。
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お馴染みの「ゼニスキャプテンエリート」です。
新城市の自然をイメージして、バンドをグリーンクロコ仕様にしてみました^^

アクティブに動いた夏場ということもあり、今回は防水性の効く現行品の旅です。

つづきはまた次回にいたします^^



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さて問題です!

ここは何処のお城でしょうか!?





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一人旅も、とうとう一人ぼっちになり訪れた城址公園。
いつかは来たかったこの場所。。。

ここがどこの城か分かる貴方はですね。。。

1968年〜71年頃の国産セイコーウォッチの高級機をオススメします^^



*ヒント:川がYの字になっている所のVゾーン(トライアングルエリア)が城址



答えと城址めぐりは次回ということで(笑)。





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みーんな赤色

右も左もみ〜んな赤




折角愛知県豊田市に来ていますので、満喫するための予定を考えておりました!
これでも事前に色々調べていたのですよ^^

それはですね、豊田といえばTOYOTAですね。
そう、トヨタスタジアムがあります。

はい、トヨタスタジアムでのJリーグ観戦です^^
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この日は「名古屋グランパス(ホーム)」VS「浦和レッズ(アウェイ)」です!
ちなみに私はですね、根っからの「浦和レッズ」ファンなのです。

レッズはアウェイでもその熱い応援が止みません!
ご存じのとおり、もちろんホーム戦は凄まじい応援です!
その昔、駒場、埼スタはよくバイクに乗って観戦しに行きました^^

それはそうとして、今回は楽しみなカードですね^^

実は、豊田の友人は今だトヨタスタジアムに行ったことがなかったようです。
今回がトヨタスタジアムのデビューです。
ちなみに友人宅から徒歩でも行ける近い所に住んでいます(笑)。

そして、今回のJリーグ観戦に際し、更に友人(助っ人)を誘いました!
愛知県は尾張旭市、豊橋市の友人を招き、計4人での観戦です!!
もちろん愛知県民はホームのグランパスを応援です。
私は一人アウェイのレッズを応援です(^_^;)

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実は今回車の中に自転車を搭載して出かけています。
折角ですのでスタジアムまで自転車に乗って友人と向かいました^^

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レッズはいつでもどこでも赤いのです^^
赤白黒といった色合いですね。


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グランパスも赤色系です。赤白黄といったとこでしょうか^^


スタジアム内は左も右も赤色だらけとなりました(笑)

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さぁ、いよいよキックオフとなります^^
レッズ特融のホームの歓声をかき消すかのような応援が始まります。
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熱いですねレッズサポーターは^^

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始まりました!
のんびり友人3人と観戦します。
レッズ負けちゃいかんぜよ。。。頼むよ。。。


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御伴君の「タイプ21」で応援します!!



大型スクリーンのスタメンを見ますと。。。
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グランパスのキーパーが。。。
どうやら「ランゲ」らしいです。。。\(◎o◎)/!

何かと御縁です。。。

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折角ですので、創業者が「ランゲ」となる私のドイツ時計とフィーチャリングです!

ちなみにグランパスの「ランゲ」さんはオーストラリア人です(^_^;)

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槙野選手に興梠選手お疲れ様でした!

結果、4-1でレッズは負けました(ー_ー)

グランパスのブラジル人FW「ジョー」のハットトリックが炸裂しました。
最近乗りに乗っているジョー選手にやられました。。。トホホ。。。


試合後は豊田駅前の飲食店にて4人で反省会です^^
みんな学生時代の友人ですので、楽しく思い出話と近況の話で盛り上がりました!

とにかく内容の濃かった一日でした(笑)。
犬山、各務原、岐阜、一宮、トヨタスタジアム、反省会。。。


助っ人友人は各々帰っていきました。

私は翌日帰るのですが、一人でも楽しむ為の予定をしっかりと考えていたのでした。




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