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訪れた城址公園はここ!!
愛知県新城市「長篠城」です!!
そう、長篠の戦いで有名な所です^^
「奥平貞昌、織田信長、徳川家康の連合軍」 VS 「武田勝頼軍」の戦いです。
この戦、話すと長いので、ここでは割愛します。。。
こちらのユーチューブ動画でご覧ください^^
私はこの戦いの展開というのが好きで、一度は訪れたかった地でもあります。
まずは事の発端である長篠城を感じに来ました。
看板の地図でお分かりのように、長篠城は川と川の合流点上に構える城でした。
この立地条件だったこともあり、難攻不落の城でもありました。
長篠城より東の徳川エリア、城より西の織田エリア。。。
城より北部の武田軍勢が何としても落としたかった城なのです。
織田、徳川を分断させるには好都合の城だった言われております。
武田信玄の跡を継いだ勝頼(信玄の四男)は、長篠城を攻めますが苦戦します。
長篠城主の奥平貞昌(のち信昌)は、500人の城兵と共に守っておりました。
一方の武田軍勢は15,000人で城を包囲していました。
長篠城の食糧蔵を攻撃され、奥平軍は絶対絶命のピンチだったのです。
城主の奥平貞昌は徳川軍です。
もとの話はというと、奥平氏は徳川の人間でした。
いつしか武田軍の侵攻により武田側となったのです。
信玄没となり、それを機に奥平氏は再び徳川へ戻るように寝返った経緯があります。
結果、奥平氏は武田勝頼の怒りを買うことになりました。
まぁ、そんな経緯があったのです。 食糧が底をつき、落城寸前の状況でした。
一刻も早く、織田または徳川軍に助けに来てもらいたいところです。
そこで活躍したのが、この磔にされている足軽の「鳥居強右衛門」です。
「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」名を「勝商(かつあき)」と言います。
籠城していても落城までは時間の問題であった長篠城。
そこで鳥居強右衛門は主君である奥平貞昌の為にもひと肌脱ぐのでした。
この状況を打開する為にどうしたのか。。。
城主の奥平氏は家康のいる岡崎城に援軍を要請することを決断しました。
また、岡崎城にいる家康は、武田軍の動きをすでに察知していたのです。
そこで岐阜城にいる信長公にも援軍の要請をしていました。
家康の岡崎城
一方長篠城では、主君の命を受けた鳥居強右衛門が動きます。
武田軍に見つからぬよう夜中に城を抜け出します。
城沿いに流れる川に深く潜り、4キロも泳ぎ岡崎方面へ向け下っていったのでした。
城側から下り方面の川を望みます。
翌朝、鳥居強右衛門は脱出成功の狼煙をあげ、50キロ先の岡崎城へ走りました。
その日の内に岡崎城に着き、状況報告と援軍要請を伝えすぐに長篠城へ戻りました。
その時すでに岡崎城には織田軍も到着していました。
これで織田、徳川連合軍が長篠城へ向けて動きだすこととなりました^^
長篠城へ戻る途中、「援軍来る」の狼煙を再びあげました。
しかし、使者の鳥居強右衛門は帰城前に武田軍に見つかってしまうのです。
無事に主君のいる長篠城まで帰ることができませんでした。
結果、城前にて鳥居強右衛門は武田軍に磔にされるのでした。
この時、武田軍より城に向かって、こう叫ぶよう説得されます。
「援軍は来ない、城を開ければ武田軍は厚くもてなす」と。。。
しかし!
鳥居強右衛門は「援軍来る、2・3日堅個に守れ」と叫ぶのでした。
残念ながら鳥居強右衛門はその場で処された。
この勇気ある死を無駄にしない為にも城内の士気はより高まりました。
それでは城内(本丸)側から見る鳥居強右衛門の磔場です。
フェンス越しに覗いてみます。
目の前には川が流れています
おそらく赤丸あたりなのでしょうが、何にも見えません。
伸びに伸びきった草木により全くと言って何も見えません。
でも、城内からはこのような位置で磔された鳥居強右衛門が見えたのでしょう。
それでは、今度は城の対岸に位置する磔場へと移動します。
このように磔場跡に碑がありました。
この碑の裏に回り、城を眺めています。
もちろん当時はよく見えたのでしょうね。
鳥居強右衛門の墓参りにも行ってきました。
磔場の近くのお寺に墓はあります。
墓の裏手には新東名があります。
合掌
鳥居強右衛門の功績を称えた信長が立派な墓を建立するよう命じたそうです。
このように鳥居強右衛門の活躍により、長篠の戦いが本格的に開戦するのでした。
ちなみにこの日の御伴君は彼です。
新城市の自然をイメージして、バンドをグリーンクロコ仕様にしてみました^^
アクティブに動いた夏場ということもあり、今回は防水性の効く現行品の旅です。
つづきはまた次回にいたします^^
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この記事に











おはようございます(^_^)
日野さん・・やってくれましたね!
鳥居強右衛門・・
強右衛門の行いは家康を始め信長もいたく感銘を受けたそうですね!
我が軍勢と一緒に城に帰ろうとの言葉に城では仲間が闘っているので私は城に戻りますと言った強右衛門!
三河武士の真骨頂です!
その行動に敵である武田軍の武将も感銘を受け武士の中の武士!と称え磔の姿を絵にしたそうですね。
長篠城でしたか!
強右衛門の生きざまをこの記事で思いだし涙腺がゆるんでしまってます。
そして・・実は・・なんですが・・
JRの駅に「鳥居駅」と言う駅がありましてその名は鳥居強右衛門からとった名前だ!と言うのを知って数年前に訪れたんですよ。
鳥居強右衛門や武田軍の勇将の碑に手を合わせてきました。
いやー、長くなりそうなのでこの辺で終わりにしますが、日野さんもこの戦の展開がお好きだったとは・・なんか嬉しいです。
[ kot***** ]
2018/9/11(火) 午前 9:34
返信するつづきです。
前回訪れた際は小一時間ほど滞在しただけですのでじっくりと訪れたくなっています(^_^)v
多分行くんだろうなぁ(^_^;)
[ kot***** ]
2018/9/11(火) 午前 9:38
返信する長篠城でしたか(^^)
私も行ってみたい場所です。
新東名の長篠SAからの展望台から合戦場跡等は見たことがあるのですが、下に降りた事がないのです(^_^;)
キャプテンエリートはヤッパリ素敵です。
緑のクロコバントも決まってます(〃▽〃)
[ has***** ]
2018/9/11(火) 午前 9:59
返信する> kot*****さん
こんにちは!
やっちゃいましたよね〜^^
長篠城行ってきちゃいましたよ!
タカさんも過去に行かれたのですね!
そして鳥居駅。。。実は次回の記事にて出てきますので暫しお待ちを(笑)。車で行きましたけど、ちゃんと訪れてきました^^
それにしてもまさか長篠の話が通じるとは。。。私も嬉しく思います!
この長篠の戦いには、逆転劇の中そこにはドラマがある戦でした。いつかは自身で足を運び、時を越えて直接体感したく思っていた地だったのでした^^
2018/9/11(火) 午後 1:41
返信する> has*****さん
そうなんです!
長篠城こと愛知県新城市が舞台の古戦場です^^
新東名の長篠設楽原PA・・・もちろん行きましたよ〜!あそこは茶臼山ですから織田信長総大将の本陣跡ですからね。是非とも新城市に行く機会がありましたら、いや、奥三河に行く機会がありましたら新城市にも寄ってみてください!武田の騎馬隊の数々の馬の足音、火縄銃の数々の銃声が聞こえてくるような気がします^^
キャプテンエリートグリーンバージョンも、思いのほか自然の景色とマッチしていました(笑)。
2018/9/11(火) 午後 1:57
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