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「ねずきちのひとりごと」より転載【拡散希望】 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「在日のタブー、朝鮮進駐軍」 ※「朝鮮進駐軍(ちょうせんしんちゅうぐん)」とは。 在日朝鮮人は日本と戦争をした事実は無いにもかかわらず、終戦と同時に「朝鮮進駐軍」を自称し、日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした。 ●終戦後 「朝鮮進駐軍」武装部隊が首相官邸襲撃● −−−−−−−−−−−− 「朝鮮進駐軍」部隊2000人による「首相官邸襲撃事件」が1946年起きた。 約2000人 の在日朝鮮人「朝鮮進駐軍」部隊が完全武装して首相官邸に突入。 日本の警官隊は当時武器の所持は禁じられていため、米軍憲兵隊に応援を頼んだ。 そこで米軍憲兵隊と「朝鮮進駐軍」との間で大銃撃戦闘へと発展した。 戦後の在日朝鮮人は、なんの国際法上の地位もないにも関わらず、勝手に自分たちを「戦勝国民である朝鮮進駐軍」であると詐称し、三万人もの武装集団となって全国主要都市に出現し暴れまくった。 在日朝鮮人集団は、武装解除された日本軍の武器と軍服を盗用して武装し、勝手に「朝鮮進駐軍」と名乗り、無差別に多くの日本人市民を殺害した。 GHQの 記録に残っているだけでも四千人以上の殺害記録が残されている。 戦後の治安が整っていない空白を良いことに、「朝鮮進駐軍」と名乗った在日朝鮮人は、土地の不法略奪、金品略奪、強姦、銀行襲撃、殺略、警察襲撃など暴れ放題の限りを尽くした。 「朝鮮進駐軍」と名乗る暴徒たちは、個々に部隊名を名乗り、各地で縄張りを作り暴れた。 これら「朝鮮進駐軍」 元締め組織が「朝鮮総連」、ヤクザなどになっていった。 国有地も、都心駅前一等地周辺も、軒並み不法占拠した。そしてそのまま、パチ ンコ屋、飲み屋、風俗店等々が出現し、そのまま彼らの土地として登記され現在に至っている。 農家、農協倉庫を襲い、貨車を襲撃、商店街、国の食料倉庫も襲い、食料や商品を根こそぎ 奪って行き、それらは全て戦後の闇市で売りさばき、暴利で財を成したのは彼らであった。 財を成したのは彼らは分派し、政治組織として社会主義、共産主義組織へと発展し、政界にも進んだ。 「朝鮮進駐軍」と名乗る在日朝鮮人暴徒たちは、通りすがりの市民に言いがかりをつけ集団暴行をはたらく。無銭飲食は当たり前、白昼に目に付いた婦女子を路上で集団強姦するなどを、日常茶飯事に繰り返した。 在日朝鮮人は「朝鮮進駐軍」部隊と名乗り、武装して、町をのし歩いた。 彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。 腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を振り回しては、手当たり次第に日本人を殺傷、暴行し、略奪の限りを尽くした。 通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをした。 善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。 こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。 警官が駆けつけても手も足もでない。 終戦後の警官が、一切の銃器の所持が許されていなかったのをよいことにして、 「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」 と、丸腰警官を殴り、ド突き回し、警備用の木刀や飾りのサーベルをヘシ曲げた。 戦後当時の「朝鮮進駐軍」は今日の朝鮮総連本部である。 −−−−−−−−−−−− 【昭和26年03月22日衆議院法務委員会】 【押谷委員】 お尋ねをいたしますことは、昨朝起りました朝鮮人による米兵に対する暴行事件であります。 昨二十一日の午前三時半ごろに、浅草の千束町の朝鮮マーケット附近におきまして、六名の米兵が多数の鮮人に取囲まれまして、集団的に暴力を加えられて、一名は死亡する、二名は負傷する、自動車も破壞されるというような不祥事を起したのでありますが、わが国の講和を前に控えて、今日日本の置かれたる国際的地位などから考え、この時期を思いまするときに、まことに遺憾しごくな事件だと考えます。 −−−−−−−−−−−− それでさすがに米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担当していた米第八軍司令官アイケルバーガー中将が、関東と言はず関西と言はず、はたまた北九州と言はず、不良朝鮮人活動地域に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機関銃を構へて不良朝鮮人共にピタリと狙いをつけ、ようやく鎮圧した。我々はその火器のきらめきを間近に見た。 この時、連合軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥の発した布告が、 「朝鮮人等は戦勝国民に非ず、第三国人なり」 という声名で、これぞ「第三国人」なる語のおこりである。 −−−−−−−−−−−− 当時の日本警察は拳銃の携帯が許されておらず、朝鮮人の横暴を止められなかった為、政府はマッカーサーに請願した。 これを受けて述べたのが、マッカーサーの 「朝鮮人は戦勝国ではない第三者だ」と言う三国人発言である。 1950年にGHQは日本占領を終結し、解放し、実質的に戦後は終わったとされています。 その際に朝鮮人は日本籍を剥奪され、韓国籍として朝鮮に帰れと命令しました。 不要の朝鮮学校と民団総連も廃止し解散請求しました。 すると在日朝鮮人は、なにを履き違えたか 「我々は先勝国民であり日本を統治する立場だ」と叫びだし、革命を叫んで、公共施設の不法占拠し火炎瓶や武器で武装して決起したのです。 警察も拳銃で対抗し射殺された人もでました 警察では対処できなくなり、GHQは軍隊の動員をして戦後初の戒厳令を敷いて朝鮮人による暴動を平定しました。 この戦後初の戒厳令が敷かれた朝鮮人動乱(正式名がない)事件は、日本の歴史からスッポリ抜けています。 死人も出ている事件なのに、日本の教科書には掲載されたことはありません。(日本各地で勃発しました、栃木や浅草などは戦場状態です) 逆に朝鮮民族学校の教科書には差別と弾圧として掲載され教育されています。 勿論、被害者側としてであり、立ち上がったのは国籍条項と朝鮮民族学校の廃校に対する 抗議としてであると述べています。 −−−−−−−−−−−− 以上「ねずきちのひとりごと」より一部転載させていただきました。 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-748.html ぜひリンク先で全文お読みになってください。 また、朝鮮進駐軍に関しては、以下のサイトのず〜っと下のほうにまとめられています。 http://aaarurururu.hp.infoseek.co.jp/ 戦後の朝鮮人の横暴や、土地の不法取得の話は噂話のようにして聞いていました。 教科書には載っていませんね。 実際に目撃した方が多数おられるであろうこの類の事件、 風化させないためにも、 身近なお年寄りに話を聞いてみてはどうでしょうか。
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転載ありがとうございます。
少しでも多くの人たちに知ってもらいたい、そして知っていることを証言してもらいたいと思います。
2010/1/15(金) 午後 7:44
在日特権
地方税→ 固定資産税の減免
特別区→ 民税・都民税の非課税 軽自動車税の減免
年 金→ 国民年金保険料の免除 心身障害者扶養年金掛金の減免
都営住宅→ 共益費の免除住宅 入居保証金の減免または徴収猶予
水 道→ 基本料金の免除 下水道→ 基本料金の免除 水洗便所設備助成金の交付
放 送→ 放送受信料の免除
交 通→ 都営交通無料乗車券の交付 JR通勤定期券の割引
清 掃→ ごみ容器の無料貸与 廃棄物処理手数料の免除
衛 生→ 保健所使用料・手数料の滅免
教 育→ 都立高等学校・高等専門学校の授業料の免除
通 名→ 仮名が公式書類にまで使える。(通名で口座を作って脱税し放題)
生活保護→ 家族の人数×4万円+家賃補助5万円 (仕事を持っていても給付対象から外されない)
私は税金を払いたくなくなりました。
2011/3/23(水) 午前 6:24 [ 反日デモは亜細亜太平洋の恥晒し ]
戦後の日本が本当に困っているときに日本国内で朝鮮人が起した、悪質な破壊活動のごく一部、
生田警察署襲撃事件 1945年12月24日、1946年1月9日
直江津駅リンチ殺人事件 1945年12月29日
富坂警察署襲撃事件 1946年1月3日
長崎警察署襲撃事件 1946年5月13日
富山駅前派出所襲撃事件 1946年8月5日
坂町事件 46年9月22日
新潟日報社襲撃事件 46年9月26日〜29日
首相官邸デモ事件 46年12月20日
尾花沢派出所襲撃事件47年10月20日
五所川原税務署襲撃事件52年11月19日〜26日
公共団体職員やその家族だけでなく、普通の日本人も何の理由もなく手当たり次第に暴行傷害された。 殺害された方もいる。
パチンコ屋がなぜ、駅前の一等地にあるかをご存じですか?
彼らは、戦後のゴタゴタの時に、朝鮮進駐軍と名乗って、後家さんや年寄り等を暴行して土地を手に入れました。
卑劣です。
外国人の信頼が大きく下がった事件です。
日本は昔からある意味、移民国家かも知れませんが、日本の国土では日本のため
2011/11/14(月) 午後 9:53 [ 今里から美しい日本 ]