平石耕一事務所オフィシャルブログ

平石耕一事務所第31回公演『拳(けん)』2019年4月公演終了しました☆感謝!

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安藤昌益がこの世を去ってから250年目の今年、平石耕一先生の
作・演出による
『自り伝』(ひとりでん)というお芝居が、昌益「自然真営道」発見の地、東京
千住で開かれます。
この日は、その稽古を見学させていただきました!

写真右手の髭の男性が安藤昌益こと根岸さん、中央に近い着物の女性が昌益の妻・
おいね役の榊原さん、中央の奥の赤いセーターの方が平石先生です。
イメージ 1

初めて、芝居の稽古を見させていただいてドキドキ。演出家と役者の間で繰り広げられる
緊張感がこちらまで伝わってきます。同じ場面を何度も何度も繰り返し、その都度演じ方
を変えていきます。そ
の度ごとに違ったお芝居に見えるのですから、出演者のみなさんの
引き出しの多さに感嘆しました。

セリフや仕草一つ一つの細部へのこだわり、まさに、「細部にこそ神が宿る」とはこの
ことか!


さて、『自り伝』というタイトルは、昌益が自然を「ひとりする」と読ませたことに起
因するのでしょう。

昌益曰く、「自然トハ自リ然ルヲ謂フナリ」

私たちは自然(しぜん)を「あるがままの自然」、つまり「天然」という意味で使い
ます。自然の反対は人工です。「人間と自然とは対立するものだ」と暗に意味づけて
いるわけですね。人の手を加えたもの(人工)は、もはや自然ではないのですから、
人間の営みや社会も自然とは相いれない、異なる次元のものだと考えがちです。

ですが、昌益は人と自然を対立させるのではなく、「人も自然の一部だ」として、同
一視・客観視します。人も社会も天然も同じ法則に則っていると考えるのですね。人
間の営みや人間社会の本来のあり方も、自然法則によるわけです。

この自然法則に従った、本来の人間社会を「自然の世」といいます。自然に働きかけ
ながら営みを続ける農民の生活を人本来の生き方だとし、そうであるから、「自然の
世」は差別や収奪がない社会だと観念されます。

ですが、実際の世は、支配者(聖人)の私欲による歪曲・破壊に満ちています。本来、
自然にそって実りを育み、富を生産する農民が「下」であり、その富を「掠め取る」
だけの支配層が「上」だという。果たして、自然との法則に従って、本来の生き方を
しているのはどちらなのか。農民ではないのか。しかし、現実は全く違う。「掠め取
る」だけの者たちが、偉いのだという。何と、この世は皮肉に満ちているのか!

学者や僧侶でさえ、差別・収奪構造の一部だと昌益は糾弾しました。善悪・上下は転
倒し、聖人の説く徳や孝こそは人々を秩序に縛り付けるイデオロギー。まさしく法は
支配なり。この差別的で破壊的な世の中を、昌益は「法の世」と呼びました。


「法の世」に生まれた農民たちは、社会の下層の人たちは、どのように生きていけばい
いのでしょうか。差別や貧困、秩序という名の暴力とどのように闘っていけばいいので
しょうか。

ただ、ありのままに生きること。
自り然る(ひとりする)こと。

そうなのです。自然の法則にそった本来の生き方をしているのは自分たちなのだという、
絶対的な確信。「自分こそが自然なのだ」というゆるぎない信念。これこそが、法の世
との様々な軋轢・摩擦・差別の中で生きていくチカラなのだ、社会を変えていく原動力
なのだと。


ちなみに、昌益と同時代の代表的な思想家、ジャン・ジャック・ルソーも、「自然状態」
という始原的な人間社会の有り方を仮定し、近世・現代の「契約社会」の本質と必然性
を読み解いていきました

人間の自然状態は一種の理想社会でありながら、弱肉強食もまた人の本能。自然状態=理
想社会は、人の本能によって、やがて崩壊するでしょう。だから、人が人として理性的で
あるためには、契約と
秩序をある社会を作るのが必然であると考えたのです。今では、
ルソー1人の思想というよりも、ヨーロッパ思想の底流と言っていいでしょう。

「自然状態」と「自然の世」。
「契約社会」と「法の世」。

同時代の人、ルソーと昌益。似たような思想に見えます。私は真逆だと思います。

ルソーは「契約社会」にこそ、人間社会の必然性・法則性があるのだとして、彼の
生きた近世を捉えます。「現実社会(契約社会)は合理的なもの」とみなすのです。
一方、昌益は「自然の世」にこそ、人と社会の客観性・法則性があるのだと主張し
ます。「現実社会(法の世)は矛盾している」と糾弾します。

確かにヨーロッパの近代思想は、理論的に精緻です。ですが、昌益の人と社会と自然の
捉え方の方に、僕は魅力を感じます。


法の世では、差別される側の人の思考・生活様式・常識の隅々にまで、その差別性が
刷り込まれているものです。差別されること、収奪されることを、当たり前だと思い
込んでいます。自らすすんで収奪されているようにすら、見えるものです。

『自り伝』は、法の世の江戸時代中期、自分の生き方を貫くことで、差別されている、
収奪されていることを自覚する人々の姿を描いています。そう、まさに「目覚める」の
です。

人々が目覚める触媒こそが安藤昌益。

昌益とその妻は、ただ「自り然る」こと、「自分らしく生きよ」と伝えることで、身の
回りの人々を目覚めさせていきます。支配する側は、この触媒を排除しようとします。
「自分らしく生きる」、ただそれだけで「法の世」の暴力性は、露わになっていきます。
人々は様々な摩擦・軋轢に悩みながらも、ますます「目覚めて」いきます。しかし、愛
する肉親は「夢の中」。未だ常識や秩序に縛られています。法の世で「自分らしく生き
ること」は、愛する者、信頼する者同士を引き裂いていきます。それでも、「目覚めた」
者は、「夢の中」に帰ることはできません。
この夢は悪夢だと知ってしまったからです。希望に向かって、前を向いて生きていくの
です。

自り然ること。このことに、人としての生きるチカラが宿るのだと、『自り伝』の稽古を
見ながら、そんなことを考えていました。

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