使徒純師明聖典 憐岷善悪凡夫人 福音眞證興片州
Sito Junshi Myoseiten Renmin Zenmaku Bonpujin Hukuin Sinshoo Koohenshu
撰擇主旨弘悪世 環來生死輪転家 決以疑情以所止
Senjaku Shuusi Gu Akuse Genrai Shooji Rintenge Ketti Gijoo Yi Shooshi
即入幔内平和境 必以信心為能入 極重悪人受新生
Sokunyu Makunai Heiwakyo Hitti Sinjin Yi Noonyu Gokuju Akunin Ju Shinsei
![]() 2018/8/9
福音眞證興片州
「光は東方より」とは、聖書の預言である。この末の時代に、初代教会が復興して真の全き福音は日本より出でて全世界に及ぶというのである。キリスト教は思想ではない。霊の実在である。故に人は、「水と霊」のバプテスマによって新たに生まれ、神の国に入り、キリストの体なる教会の一員となり、この地に在って、霊肉の祝福を受け、人間最高の幸福者となる。しかし、それで世を改めるということではない。異邦人の数満ちて、主イエス キリストの再臨あり、地上に神の国は出現する、これは神の定めである。故に、
1、 主がこの真の福音を持ち行く器を全地の各地民族の中より起こし給わんことを。
2、 世の教会は、これを見て真のキリスト教会の在り方を知り従来の不満足な業をいっさい一掃し、まず「水と霊」との救いの関門より入り、「神よ、われ一切のものを新たにするなり」との聖言の実現せらるること。
至心信楽発異言
異言を語ることは、二つの様式がある。
1 神に向かって語ること、 すなわち 霊の祈り、 また霊の歌。
2 人に向かって語ること、 すなわち 異言によるメッセージ、異言による説教
これは異言の賜物を持った者によって恒になされる。
異言の祈りは、聖霊のバプテスマを受けた者には、みな恒に祈り得るのである
「父は他に助主 聖霊 を与えて、永遠に汝らと偕に居らしめ給ふ」
ヨハネ伝14:16
初代すなわち使徒時代の信者たちはみな聖霊を蒙ると、異言をもって主を崇め、異言の祈りもし、異言の讃美もした。而して、使徒ペテロは、「我らのごとく、彼らも聖霊を受けた」 使徒行伝10:47 と言い、異言を語ることをもって、聖霊のバプテスマの徴としたことに、だれも異存がなかったのです。
我らとて同様。どうして第三者に聖霊降臨の事実を知り得ましょうか。
「それは、彼等が異言を語り、神を崇むるを聞きたるによる」 使徒行伝10:46と、主の弟子たちのごとく言う他は道がないではありませんか。
新約聖書を通覧すると、聖霊経験なくして、真の基督者生涯が送り得ない
初代教会の信者は、みな受霊し、聖霊なき者は基督者にあらざりしなり
「キリストの御霊なき者はキリストに属するにあらず」 ロマ書8:9
「汝らの身はその内にある、神より受けたる聖霊の宮にして、
汝らは己の者にあらざるを知らぬか」 コリント前書6:19
「我キリストと偕に十字架につけられたり、最早われ生くるにあらず、
キリスト我が内に在りて生くるなり」 ガラテヤ書2:20
我建我會於此磐
キリストの体なる教会には、霊と真の礼拝あり、奇跡、徴、不思議が行われ、信仰はその信者の生活に活き、何ごとも神ご自身のご支配下にあることが、その常道である。しかるに現代キリスト教会は如何 その真のものを失って、唯々世俗的に堕落しているではないか、主は「偽善者よ、汝ら天地の気色を弁えること能わぬは何ぞや」と時の宗教家を警告し給うた。「今の時とは何ぞや」、真のキリストの体なる教会の出現の時との意である。
真の教会とは唯々「水と霊」による救いによってのみ復興するのである。
「人はパンに乏しきに非ず、水に渇くに非ず、エホバの言を聴く事の飢饉なり」
との預言が全世界に到来している。
真の教会に負わされた大使命は、
1、 この福音を全世界に持ち行くことである。
2、 この福音を持ち行く器が各民族に起こらんことを。
3、 「汝の栄光諸天をおおい」 速やかに、そのハレルヤの「讃美世界に満ちん」 ことを。
聖霊大降五旬節
よろこばしきこえあわせ 歌いてすすまん
われらの君なるイエスは 先立ち給う
霊讃歌 9番 「主の日は近し」
詩篇98篇1節
あたらしき歌をエホバにむかひてうたへ
そは妙なる事をおこなひ
その右の手そのきよき臂 かひな をもて
己のために救をなし畢 をえ たまへり
聖霊のバプテスマ
聖霊のバプテスマとは、内的には主の御霊が衷に宿り給うことであり、外的には
衷に宿り給いし御霊がその人の口と舌とを用いて語り給うことである。
聖書はその言葉を「方言」といい、「異言」といい、また「聖言」とも「新しき言葉」マルコ伝16:17 とも言っている。
もし我らが聖霊を待望するならば、必ずそのとおりの聖業がなされて、成る程これだと、霊感や、神の異象や、その他の聖業などが「聖霊のバプテスマでない」ということがわかる。
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