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時が静かに流れ
母が亡くなってから もうすぐ二ヶ月
私の好きな夏という季節は 知らない間に秋の入り口
先週 京都に行ってきました
父が眠るところに 母を連れて行く旅
そこは 嵯峨野の手前 高い空にはきれいな白い雲が流れていました
竹林のむこうから 風が静かに母の想い出を運ぶように流れてきます
大堰川にかかる渡月橋から 水を見ると澄んだ流れがこころにしみこみます
ここにいると 時のたつのも忘れてしまうくらい安らかな暖かい気持ちになります
それは 頭の上に思いっきり拡がる大きな大きな空と そこにいる人を包み込むように
たくさんの樹々を抱きながら 小倉山をはじめとする低い山並が優しくたたずんでいるからなのでしょう
幼い頃 父や母のふるさとであった京都に幾度となく連れてきてもらいました‥
いつのまにか 一人で来れるようになり そして今日 このふるさとのどこもかしこにも
しみこんでいる様々な想い出が 私のこれまでの人生のずっと奥の方で静かに流れてきていたことを
感じました
そして 母をこの地に帰してあげたこの時にその流れが そっと湧き出てきたのでしょうか
嵯峨野で 私はふと‥とても懐かしい・・・でも 何かしらもの悲しいきもちにずっとさいなまれていました
この山のどこかに もうひとり私のたいせつな人が眠っています
実際眠っていることすら 私にはまだよくわからないくらいの想いが常にあるのですが
あまりにも早く駆け抜けていってしまった一人の少年のことを ずっと考えていました
お香の香りがどこからともなく流れて来たときに 蓮の美しい花やお釈迦様の慈悲深い瞳が目に浮かび
初めて 彼のところに行ってあげなければ と想ったのです
もうだいじょうぶだよ‥ きっといいところにちゃんといるのだから‥
もうきっと 彼のこと‥受け入れられるよ‥
そんな気が強くこころに沸き起こりました
夜 少し町を歩きました
新京極の人の流れは さまざまな人生を描いているようで
見ているだけで 何となく寂しいような それでいて 誰かがそばにいてくれる一体感が
あるような そんな不思議なきぶんに浸りながら‥
京都のおいしい物を食べて 妹たちとそこら中を歩きました
むかし よく行ったわね‥懐かしい気持ちでいっぱいで 口には出さないけど
あのお店 このお店‥ いろいろな場所を通るたびに それぞれの想いが
笑顔のすきまから涙となって流れては消えていくのでした
朝の鴨川を橋の上からのぞきました
澄んだ水面に写る柳の枝が一緒にそよぐように 川が流れています
小さな魚がたくさん泳いでいる様は まるで私を見ているよう
川の流れに流されているようで流されていずに 同じところに停滞していて
ほら‥もっと先を見なさいよ! 流れに上手に乗って自然に生きて行きなさい!
って そんなふうに教えてもらった気がしました
鞍馬の山の奥の貴船
河床でお食事をするので有名な場所です
ここでは まるでこころを洗うがごとくに涼しい風を舞わせながら
豊かな水が 山々の自然をすべて養うくらいの勢いで
そう‥それはまるで知らない間にそばでずっと育ててきてくれた父や母の
愛情のように力強く流れていました
上賀茂神社の境内で 私は小さなほこらをみつけたのです
そこは大津皇子をまつっていたほこらでした
大津皇子が謀反を起こしたと策略の渦の中で流されて 恋しい人を慕いながら
歌を詠んだという悲しい逸話が書かれていて 遠い万葉の昔にこの地で彼が想い慕って
いたことが 何だかつい最近の近い人の話のような気がして 思わず胸がきゅ〜んと
なってしまったのは その近くに鏡のようにひっそりと音も立てずに流れていく川を
見つけたからなのでしょうか
想い というものは ほんとうにこころの奥底の方でひっそりとあるべきものなのでしょう
さまざまな流れに出会ったこの二日間
これから いったいどんな流れが 私の人生に起こるのでしょう
気がつくと 私たちは常に流れの中にあるのだと思います
時という大きな流れ 人の波の流れの中にいるということ
瞬間瞬間で沸き上がっては消えていく想いという流れ
時間も環境も自分のこころの変化でさえ すべて流れに支配されながら
生きているのですね
雲が姿を変えながら空を流れること
気まぐれに かすかにも 激しくも 吹きながら風が流れること
川や海が豊かな水を運びながら流れること
蝶々やとんぼが飛びながらつくる音楽のような流れ
自然の流れは それぞれがそれぞれであるからすばらしく
いたるところにこうした流れがあるのは
きっと それらを感じる時にあなた自身の流れにうまく乗りなさいと
自分自身を見つめ直す大切さを教えてくれる尊い自然の恵みなのかもしれません
決して 流されることなく 自然に流れていくことこそ 私という軌跡になるのですよ
ということなのかもしれません
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