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二尊院

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嵯峨野の落柿舎を越して
こころもからだも澄んでくるような竹林を通り抜け
まもなく実りを迎えようとしている稲の田んぼを横切り
さらに山のほうにむかって歩いていくと
ひっそりとした山門に行きつきます

そこが小倉山 二尊院です

石ころの参道を歩いていくと 今はたくさんの種類の萩が
そこらじゅうに咲いています
薄桃色や茜色 白い色
小さなかわいらしい花も こうしていっせいに咲くと
春の桜の美しさにも負けないくらいです

ふと目を上にすると おびただしいほどの数のもみじの樹が
一面でした 
今はまだほかの木々とともにおなじ緑の葉っぱに混ざっていますが
もう少し先の紅葉の季節には きっとここは燃えさかる炎の道と
なることでしょう
そんなおかげで 訪れる人はまだ少なく ゆっくりとこの山のなんともいえない
不思議な奥ゆかしさに浸りながら 静かに歩いていくことが出来たのかもしれません

二尊院は 釈迦如来と阿弥陀如来を本尊とするところからつけられた名前
その昔法然上人が住居を構えていた地でもあります

本堂の横にある小さな石段を登っていくと
法然上人を奉った小さな廟があります
小倉山に抱かれているようにひっそりとたたずみ
私はその前に立って 中をうかがったときとても懐かしい感じがしました 
決してきらびやかなものはなく ただそこにあるだけ・・・のような
小さな祠の中の空気が ひんやりと からだにすっと染みこんでいくような感じがしたのです
廟の中に奉ってある石のモノリスに向き合ったとき
その瞬間 自分の魂が一瞬からだを離れて何億光年もむこうにある
光の国へ飛んでいってまた戻ってきたような気がして
ほんとうに大切なものは人間の力には支配されない 
とらわれているうちは本物ではない・・・何か大きな魂の縁を感じたのです

その真正面にさびれた納骨塔があります
その納骨塔を前にして 私は祈りました
ここには 私の大切な人たちが眠っています

初めて訪れた納骨塔を見て 私は少し驚きました
扉のかんぬきはさびていて 名前が彫られた石碑は
長い年月の風雨にさらされていたんでいて 何年も誰も手をかけていないような状態
私はイエスキリストの聖杯のことを思い出しました
イエスが手にしたとされる聖杯は 映画「ダヴィンチコード」でとりあげられたのとは
別の意味で 聖書では イエスの血を注ぐものとしてカトリックでは大変尊ばれるものです
後の人々は 絢爛豪華な宝石や金の聖杯をつくり ミサに用いてきましたが
大工の父を持つイエスが手にしたとされる聖杯は 木でできた素朴で粗末なものでした
たとえ見た目は粗末でも その中にいれられたぶどう酒はイエスの血であり
真実の泉であったように この納骨塔の中にいる人々はお釈迦様の尊い教えの光の中で
釈迦如来の真実の道を唱えてきた法然上人の廟の前でひっそりと静かに
浄土に帰依しているのだなと安らかな気持ちになりました

小倉山二尊院を 訪れたとき 言いようもない懐かしさにとらわれて止まなかったのは
本堂のさらに山の上のほうから 浄土に帰依している人々の魂が私を呼んでくれて
いたからなのでしょう

  懐かしき 縁者とともに 少年の 歓びの顔 光にまみれて


帰り道 境内にある鐘をひとつつきました
この鐘の音をこころの耳に大切にしまって この場所を後にしました
(二尊院の鐘の音のサイトです ↓)
http://www.kyotocity-taxi.com/kyotodata/00kane_nisoin.htm


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飛来☆星ラ
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