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祈り 中2の時から5年間経験した寄宿生活。 それまでの生活習慣になかったことが新たに始まりました。 それは・・<祈る>ということ。 始めは、遠くにいる家族のことばかり想い、 やがて、友達の事、進路のこと、何か大きな事件があった時はそのことを、 さまざまな一日の想いを静かに振り返りながら、 (5年間、一度も恋愛ごとで祈ったことが無いのが・・ちょっと寂しかった・・↓) 自分に問いかけ神様に問いかけ、心が落ち着くということを経験しました。 タイは仏教の国。 今回いくつかの寺院に行きました。 まずは暁の寺 これは、タイの何代目かの王様が明け方にここを訪れたときに 朝焼けに美しく照らされたこの寺院を見て名付けられたそうで、 三島由紀夫の「暁の寺」の舞台にもなっっています。 色とりどりのタイルがちりばめられたこの寺院は川べりに美しく聳え立っていました。 そのあと行ったのが、ワットポーと言われるところ。 ここはお釈迦様が亡くなられた時のあの格好=涅槃=のそれはそれは大きな像があり、 涅槃寺とも呼ばれています。 入って目にした時、瞬間言葉を失いました。 金色のあまりにも大きすぎる偉大なお釈迦様が横たわっていたのです。 さて・・ここで、不思議な音を耳にしました。 無数の鐘の音のような、鈴の音のような・・ その正体は、お賽銭でした。 このお賽銭は、108個・・すなわち四苦(4×9)八苦(8×9)を 合わせたとされる煩悩の数。それをひとつひとつ、 銅で出来た小さな甕にひとつずつ入れていく音だったのです。 シャリ〜ンシャラ〜ンとお賽銭が音をさせながら 一枚一枚手から離れ甕の中に入っていきます。 最初はお願いを唱えていましたが、不思議なことに、お願いはやがて 祈りに変わり、90枚目を過ぎるころには、感謝のような気持ちになっていました。 生活の中に 祈り があるということは 大切なことなのかもしれません。 美しい装飾のいろいろ アユタヤの涅槃像とお供え物 日本のお寺で、お線香の煙を体中にかけるように、
タイでは 蓮の花にお水をつけて、それを頭やからだにかけます。 大勢の方たちが本堂にひざまずいて、手を合わせ祈っていました。 祈り・・の中にある想いはひとそれぞれなのでしょうが、 この広い地球で、人々が救いを求めて祈る先の果ては ひとつの大きなひかりではないかと想いました。 |
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