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久しぶりに本を読みました。 堀辰雄の小品といわれる『大和路・信濃路』に収められている「浄瑠璃寺の春」 本というにはあまりにも短い、全集のページにして、10ページにも満たない 短いものです。 高校3年生の時、<旅>というテーマで編集担当をした文集を 見つけて読んでいたら、この「浄瑠璃寺の春」についてエッセイを 書いていて、懐かしさからもう一度読んでみたいなと思ったのです。 読んでいるうちに、この短いお話の中に 私の目指している旅の原点を見つけました。 このお話は、彼自身が夫婦ともに連れ立って、浄瑠璃寺を訪れた時のことが 書かれています。 浄瑠璃寺は京都の南のほう、ほとんど奈良のあたりの山里にある小さなお寺です。 「浄瑠璃寺の春」は、見過ごしてしまいそうな草花への愛情で始まります。 途中の山道に咲いていた蒲公英や薺(なずな)のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなくなつかしい旅人らしい気分で・・・ しなければならないことが多すぎる毎日、考えなければならないことが多すぎる毎日。 草花を美しいと思い、鳥の声に足を止める。。 そんなことって、普段の生活ではなかなかないことです。 でも、旅は人の心をやさしくさせる何かがあります。 旅にいる自分は、さまざまなことに好奇心が旺盛になり、 普段は目にも止まらない池の水や石ころなどにも深い情緒を覚えます。 堀辰雄は、この作品の中で、この山門をこのように書いています。 僕たちはその何の構へもない小さな門を寺の門だとはきづかずに・・・ ある随筆家の浄瑠璃寺のエッセイでは、「鼻つく感じで余裕が無い。」と書かれていました。 寺のスケッチ・・といえばそうかもしれません。でも、受ける浄瑠璃寺の印象は 妙にせせこましいですよね。 確かに山門を入るとすぐに池なのですから窮屈であろうとも思います。 山門があまりにも小さいということは確かなことですが、 それを<気づかない>と感じてみることもできるのです。 このお話の中で、私が強く心が惹かれたのは、妻の言葉でした。 まぁ、これがあなたの大好きな馬酔木の花? 彼が妻に馬酔木の咲いているのを教えた時の言葉です。 妻の語りかけの中に、暖かい穏やかな愛情をとても感じました。 馬酔木の花に「あなたの大好きな」という言葉を添えられるやさしさ。 こんなふうに、同じ景色を眺めながら、 ともにいることを感じあえる旅 素敵だなって思うのです。 夕暮れの一時に昼めく瞬間があります。 透き通った張りつめた冷たい空気の中、私のだいすきな時。 空をふと見上げると、静かに雲が流れ、夕陽はいつの間にかずっとむこうに 沈んでいって、一番星が瞬いています。 しばらくその空気の中に、自分を静かにおいてみるのです。 私は、時々ひとりで出かけます。旅・・というのかどうかはわかりませんが。 近くであったり、遠くであったり、仕事の帰り道の遠回りであったり。。 そんな時、声にならない声で自然と語り、心をはだかにします。 すべてをあるがままうけいれて、きれいなものをきれいだと感じる時こそ、 松尾芭蕉の説く<漂白>が見えるような気がします。 何もかもを自分から取り去って、残る心の感情を大切にしたい。 それが恋の想いであったり・・。 過ぎ去った人に逢いたいという想いであったり・・。 そのときにある想いを抱きしめると 自分の本当が見えてくる。 失ってしまいがちな心を探すために旅をするのだなと思いました。 ☆画像→「名所・旧跡めぐり」より <浄瑠璃寺>
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