|
少し時期は過ぎてしまいましたが、お彼岸の頃になるとあちこちで彼岸花(別名曼珠沙華)を見かけます。 日本では古くから、毒があるためでしょうか、異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、と呼ばれたりしてきました。 この花はとても不思議で、花の時期に葉はなく、葉の時期に花がなく、両方ない時はすべてがなくなるそうで、韓国ではこのことから、花と葉が互いに想いあう「相思花」と言われてます。 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の名前の由来は仏教の経典からで、おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天からふってくるという意味があるそうです。 遠くギリシャ神話では、海の象徴ともされてきました。 日本でだけ哀しい花のイメージが持たれ、花言葉も「悲しい思い出」がつけられているのですね。 私はこの花を見るといつもある一冊の童話を思い出します。 それは、斉藤隆介さんの「花さき山」という童話。 あやという女の子が 迷い込んだ山に無数の花が咲いていた その花は 誰かが我慢したり 優しいことをしたり 自分のことよりも 他のひとのために想ってあげた人が いたときにその涙や想いで咲くというお話 優しいことをすると、どこかで花が咲くというお話です。 斉藤隆介さんの童話には、滝平二郎さんが切り絵の挿絵を描かれています。 「花さき山」に描かれた花はとても彼岸花に似ていますよね。 私の詩は、<想いで花が咲く>というものがとても多いです。 これはこのお話を読んで生まれた感覚なのかもしれません。 哀しいことや辛いこと、嬉しいことや楽しいこと、そういった感情が生まれたとき、 こころの何処かにある自分の小さな山に人は花を咲かせていくのでしょう。 さまざまな想いがひとつこころに湧くたびに花がひとつ咲く。。 咲いた花がひとつ増えるたびに、人として豊かに成長していけたら素晴らしいことだなと思います。 何故なら、こころに湧く想いはすべて自分自身でありひとつとして無駄なものはないからです。 哀しみの想いから咲きし花 果てぬほどの涙零れる 歓びの想いから咲きし花 暖かなヒカリの色に染まる 花ひとつ 想い湧きて咲く場所は こころの中の小さな山 争うための言葉より 微笑むための花ひとつ 傷つけるだけの言葉より 感謝のための花ひとつ こころの山に咲かせたい キレイな花を咲かせたい 人は人生で思い、悩み、苦しみ、泣き、傷つき、疲れた時に、無数の花を咲かせます。 それでも、それ以上の歓び、嬉しさ、楽しさ、幸せの花も咲くのだと思います。 こころの山に咲く花は暖かいヒカリの花であってほしいですね。 この詩のために先週彼岸花の写真を撮ったのですが、みんなぼけぼけでした。 それで、もう間に合わないと思って、今日雨の中を田んぼまで撮りに行ってきました。 .
|
全体表示
[ リスト ]


