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小さい頃、夜京都の街を歩いた記憶があるのは、大晦日から元旦にかけての<をけらまいり>(参照→八坂神社HP)くらいでしたが、最近はいたるところでライトアップされていて、夜出かけないともったいないような場所がいくつかあります。 東山の界隈、八坂神社あたりでは、高台寺、知恩院などでも夜間拝観があり、とても幻想的な京都を味わうことが出来ます。 高台寺は昨年初めて夜のライトアップに行った時、池に写る紅葉を見て、精霊が住んでいるのではないかと思うほど感動しました。→精霊が住むところ で、今年も行ってきたのですが、今年は残念なことに風が少しあったため、池に波が立っていました。 今年こそは写真を綺麗にって意気込んでいたのも、みんなボツでした。。 デジカメ上ではやった!と思っててもPCで見たらみんなぼけぼけ。。20枚くらいすべて撃沈↓でした@ 大体写真の技術なんてないのですから、まともに撮ってもだめなんだなって思って気持ちを切り替えていろいろ撮ってきました。 まず知恩院の三門を撮りました。 知恩院では今ライトアップされていて、三門がとてもひかりに映えています。 不思議な幾何学模様にしばらく見とれてしまうほど…。 でも、夜中にこの門が夢に出てきてうなされてしまったんです。。。(どうしてだろう。。) これは円山公園の枝垂れ桜です。 春、ここは多くの人でにぎわいます。 八坂神社の横道から知恩院へと続く道の途中にあるのですが、今の時季は誰も立ち止まって見ていく人もありません。 私の、そして母がだいすきだった枝垂桜。 ちょうど夕陽が沈む時間で見上げるととても幻想的でした。 咲いていない桜の花が見えるのです。 しばらく想いを馳せて見ていたら、カラスが飛んできました。 花のない枝に、なんとカラスの似合うことでしょう。 京都は応仁の乱の時、たくさんの人が亡くなり、その死体にカラスが群がり、疫病がはやりました。 芥川龍之介の「羅生門」にはそのときのことが描かれています。 カラスも、この木もきっと多くの人々を見てきたのだろうなと思うとなんだか胸が熱くなり撮った写真です。 さて、これはピラカンサの実をまるでむしゃむしゃ食べようとしているような鬼瓦だなと思いませんか? 多くの観光客でにぎわう人々を横目に、いつもは静かな通りなのに、よくもまぁこんなに人がいるもんだと高い所から見物しているようなおどけた鬼瓦。。 そんな気がして撮りました。 最後の一枚は、ただの灯りです。 お茶を飲みにはいったカフェのつるし電灯があんまり可愛くて、下から撮ったものです。 目玉親父みたい!(*^ - ^*)ღღღ 目というものが目の前のものを見るとき、大抵そのものに対して考えや感情が湧きます。
それはとても自然なことであり、そのときの心のあり方で異なり、また起こった想いに捉われず見過ごしてしまうことや、気がついていながらそのままにしていることもたくさんあります。 物に対する見方というのは、人それぞれです。 だから、おもしろい。 私がきれいだと思ってみている景色でも、他の人にはそうは写らない場合もあり、他の人がきれいだと思って見ている風景でも、私の中の記憶や思い出のせいで、私にとっては寂しい風景の場合もあります。 そういう異なるふとした感情や想いを表わそうとする時、私は詩を書いてみようと思うし、ある人は写真におさめ、絵を描く人もいれば、歌を詠む人もいる。。 そして生まれたものが、またそれを見たり聞いたりすることによって、自分の想いをかぶせたり、新しい感情や感動を起こす。。 芸術…なんてとても大それた言い方ではありますが、芸術の一番の源にあるものは、見たり聞いたりしたときに湧く小さな感動であることに変わりはないのだと思います。 このブログひとつにしても、毎日たくさんの方が新しい作品や記事を更新している。 PC上でいろんな素敵に出逢えるって、ほんとに楽しいことだなとつくづく感じました。 .
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