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. くるん くるんと猫のひげ 通れる道を測るもの くるん くるんと猫のひげ さわればそこは通らない 夏がひとつ過ぎるたび 私の何かを連れていく 置き去りにされるのは 隙間だらけの時の抜け殻 秋が隠れて空気を冷やし 風を寂しい色にする 砂がトンネル掘るように こころの幅が削られる 縮んだ想いに猫のひげ 通れる道で立ち止まる 静かに続く晩夏の細道 戻れない道 季節の出口 ☆猫はひげの長さが自分の体の幅なんです。ひげが触るとそこは通れないという事を知っているのです。 花>ねこのひげ . |
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想いを『事前に』はかるアンテナなのであれば…
オイラはそんな物、無くて良かったと思っています。
楽しかった事も、哀しかった事も…色んな想いを味わって、今がありますからね。
凸ダブル成功♪
2010/9/1(水) 午後 9:11
レイさん♪
そうだよね。。。でも、一度哀しい経験をすると、どうしても恐る恐るになってしまう。。女心ってそういうものなんですよね。
なのに、W凸ありがとね〜♪
2010/9/1(水) 午後 11:04
綺麗なお花・・・ホントだ(^^)
ネコのひげみたい!!
ネコちゃんてそうなんですね!!
じゃあヒゲはホント大切にしてあげないと
短く切れちゃったら途中で詰まって出てこれなくなっちゃうね。
夏の終わり・・・さみしいですね。
2010/9/2(木) 午前 10:06
美しい ”ひげ” ですね。僕の両手でひげを曲げて「狭いけどここを通り抜けてお出で。たのしいことが始まるから」と言ってみたいな。
人の心も、「通行の可不可を計るセンサー」を持っていますね。詩と歌には、少し無理な恋を無理をせずあきらめた、行く夏の宵のかすかな後悔が漂っています。遠い青春時代、「ひげセンサー」を持たなかった僕は、恋の痛手を知っています。
2010/9/2(木) 午前 11:54
なっちんさん♪
おひげが短い猫ちゃん、時々いますよね。
私は犬を飼っていますが、本当は猫派なんです。
小さい頃から猫とずっと一緒に暮らしてきました。
猫ってね、見てるとおもしろいの。
不思議な生き物です。
夏の終わり。。いろんな意味で寂しいですね。
なっちんさんもお子さんたちがまた幼稚園の日々なんですね。
またお母さんたちの集まりがあるといいね♪
2010/9/2(木) 午後 1:57
Kenさん♪
恋は盲目。。という言葉がありますが、恋にはまると、センサーは役に立たないような気がします。
私はセンサーが敏感すぎるのかもしれません。
猫って強く見えるけど、結構臆病なんです。賢い猫もいるけれど、私は臆病な猫タイプかなって。
恋の痛手。。夏の陽射しのような熱さでしょう。日焼けするくらいの。
2010/9/2(木) 午後 2:00
ねこのひげ
こころを削られ
のみこまれても
引きたい気の
ゲーム続けたい
2010/9/2(木) 午後 2:11 [ ヤナ・ヤヌー ]
こりゃまた、ぴ〜ったりの写真だねぇ〜
“猫のひげ”・・・だね、まさに。。
「通れる道で立ち止まる」が切ない・・・
どうしたもんか、この先。。母と歩む狭き道______
2010/9/2(木) 午後 5:08
ヤヌーさん♪
私は、恋愛ゲームは苦手です;
2010/9/2(木) 午後 5:35
会長。。。。。。。
う〜〜〜〜〜んそう来たか・・・
ま、ゆっくり考えていこうよ。
楽しい事もいっぱいだからね!
2010/9/2(木) 午後 5:36
猫のひげ?
面白いタイトルだけど
きっとお茶目の 子猫の話かな
え! 花の名前なの?
子猫。。。期待していたのに
なぁんて冗談(笑)
そうなんだ 猫のひげの長さが 体の幅なのかぁ
ちょっと利口になれた
誰かにも教えてやろっと
『こまめさんは博学者だねぇ』て尊敬されるかも poti☆
2010/9/2(木) 午後 10:03
こまめさん♪
まずはお孫ちゃんにね!
自然界には不思議がたくさんですよね。
人の身体も。肘から手首までの長さが足の大きさなんですよね。。
あと、両手を拡げて指先から胸を通って反対側の指先までが身長だったり。。
雑学講座でした〜☆
ポチありがと☆
2010/9/2(木) 午後 10:41
あくまでも
ねこのひげのはなし。。
恋愛ゲームだとしても
その奥に
潜むものは。。
2010/9/3(金) 午後 7:13 [ ヤナ・ヤヌー ]
猫は気を引くことを好みません。
そっけないから、気になる。。。
引いたら追いかけてしまう人の心理を知っているのかも。。
2010/9/4(土) 午前 11:07
恋は盲目というのは、恋の表面的な一面に過ぎません。逆に、恋をすると何もかもが、いままで見えなかったものがすべて見えてきます。心と身体の、理性と感性のすべてのセンサーが働きだして。相手のことだけではなく、自分の知らない自分も見えてきます。こんな自分に恋をする資格があるのか、という自信喪失の自問自答から始まって。
恋における行動を決めるのは、自分の人生において「後悔」というものをどう位置づけるか、だと思います。お迎えが近い状態で過去を振り返るとき、後悔ばかりが走馬灯のように駆け巡る人生は寂しいですね。失恋に苦悩した青年期・壮年期を持つ方が、恋もせずその時期を過ごした場合よりはるかに豊かな人生ではないでしょうか?もちろん恋はたとえであり、仕事でも趣味でもなんでもいいのです。心を燃やした時期ーそれが苦悩であれ歓喜であれーがあれば、死に臨んでも、「十分生きた」という後悔のない心境になれそうな気がします。貴女のお考えは?
2010/9/5(日) 午前 1:34
Kenさん♪
まさにその通りだと思います。
恋は盲目。。状態でのセンサーはすべてが恋の為に<こうありたい><〜なら素敵>のように願う感度が鋭く研ぎ澄まされていきます。
恋に対して盲目になるのではなく、恋以外に盲目になるのでしょう。
希望や望みに夢中になる人は輝きを増します。それがたとえ真の輝きであろうとなかろうと。。
恋は人を詩人にする・・というのも一理ありますね。
負の体験は人生をぼろぼろにするとは限らず、むしろ、負を体験することによって、ゼロのありがたさを知り、正をより敏感に感じる力が生まれるのは確かだと思います。
後悔とか傷や哀しみの中から生まれるものこそが、感謝と共にある幸せであるのだと私は思います。
2010/9/5(日) 午前 10:49
お返事ありがとう。貴女の最後の2行、特に素敵です。
また、負、ゼロ、正と、数学で言う「実軸」上で思いを語るのも新鮮です。
2010/9/7(火) 午後 1:31
Kenさん♪
何度もありがとうございます。
数学者のKenさんに対してのコメントでゼロや負や正を使うなんて身の程知らずですね!笑
2010/9/7(火) 午後 4:21
知らなかった〜☆
ネコのひげにはそんな大事な役目があったんですね(^−^)
ぽちっ★
2010/9/7(火) 午後 9:23 [ * yuki * ]
ゆきちゃん♪
心も身体もみんな意味があって存在しているのでしょうね♪
ぽち、ありがと☆
2010/9/7(火) 午後 10:53