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『ジャンプSQ.』の公式HPで公開されているアミュー『この音とまれ!』(ジャンプ・コミックス)の作中オリジナル筝曲「龍星群」を聴いた。

 もう10回以上は観たと思うが、何度観ても目のまえの映像が信じられない。最初に観たときはただただ圧倒されて呆然とし、二度目に観たときは自然と涙が出てきた。いま観ても油断するとちょっと涙ぐんでしまう。そうだ! 私はこういう曲が聴きたかったのだ! 私が待ち望んでいたのはまさにこの曲だ!! まだ観ていない方はとにかく一度観てきてほしい。原作のコミックスを読んでいない人でも、おそらく一発でそのすごさがわかるはずだ。それくらいすばらしい曲であり、見事な演奏である。


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 前回の『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)の書評を著者の千葉雅也さんご本人が読んでくださったようだ。おかげでやる気が出たので、続きを書いてみた。
 
 誤解のないように最初に断っておくけれども、前回わからないと言ったところは、謙遜でも皮肉でもなく、ほんとうにわからない。考えに考えて、「これはこういうことだろうか?」とそれらしい解釈を思いついたところも、あとで考えなおしてみると、ただわかったと思い込みたいがためにひねり出した屁理屈じゃないかとさえ思えてくる。今回もずっとそのくり返しだ。だが、ただどこがどうわからなかったかを書き連ねているだけの記事でも、著者ご本人が読んでくださるなら、もしかするとどこかでそこのところをわかりやすく説明していただけるかもしれない。それならこの長ったらしい記事も無駄ではないだろう。以下、敬称は省略する。

・有限性について
 
・有限化について
 
・肯定について


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 紀伊國屋書店が主催する「紀伊國屋じんぶん大賞2013――読者と選ぶ人文書ベスト30」の大賞を受賞した哲学者の千葉雅也のデビュー作『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)を読んだ。
 
 この本は昨年2013年に刊行されたときに購入し、年内には読み終えていたのだが、うまく感想を整理することができなくて、書評を書くのがずいぶんと遅くなってしまった。やる気が起こらなかったせいもある。一昨年くらいから哲学そのものに限界を感じていて、本書も「こんなものを読んでいてなんになるのだろう」と思いながら読んでいた。とはいえ、いままでずっと続けていた学問を放棄するというのは、それはそれで勇気がいることである。いまのところ私にはそのふんぎりがつかない。だからおそらく、しばらくはこんな調子でダラダラとこの手の本の感想を書き続けることになるだろう。皮肉な話だが、その意味で本書の「切断の哲学」というテーマには興味を引かれた。

・非意味的切断について
 
・偶然性について
 
・超越論的愚かさについて――千葉雅也と國分功一郎


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 先週11月2日に、名古屋のAnoterInfernoで毎月開催されているhighfashionparalyzeのヴォーカリスト・kazumaさんのバーイベント、BlindFleshLounge riz-knight vol.25にお邪魔してきた。
 
 そこでkazumaさんから直接YouTubeで公開しているライブの動画をシェアしてくれと依頼されたので、ここで紹介しよう。hfpの音源の発表は1st single「spoiled/蟻は血が重要である/形の無い 何よりも 愛したのは お前だけが」以来2年ぶりだ。それにしても、最新の音源がライブ映像とは! ファンとしては最高の幸せである。

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 前回は、哲学者の國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)第珪呂泙任ドゥルーズ論を読んできたので、今回は第絃楼聞澆ドゥルーズ=ガタリ論を読んでいくことにしよう。
 
 今回もずいぶん更新に時間がかかってしまった。時間がかかった理由は、書いているうちにだんだんどうでもよくなってきて、途中で何度も放り出しそうになったからである。考えれば考えるほど、國分の解説がドゥルーズの哲学の理解としておかしかろうが、それ以前にものの考え方としておかしかろうが、どうでもいいことじゃないかという気がしてくる。だいたいの読者はそんなことには気づかずに、勝手になにかをやる気になったり、勇気をもらったりしているのだから、そういう人たちがこの本を読んでなにか有意義な仕事に取りかかるのなら、本書は十分に意義のある仕事だったと言えるだろう。ただ、私にとってはそうではなかったというだけのことだ。
 
 これを書いているあいだ、「こんなことを考えている暇があるなら、もっと有意義なことに時間を使ったほうがいいんじゃないか」という疑問がずっと頭から離れなかった。本書で國分がしていることは、けっきょくのところ問題を的確に把握するための準備でしかない。そしてここで私がしているのは、その準備が不十分だとひたすらケチをつけることだけだ。こんなことをしていてもいかなる問題についての考察も深まらないし、いつまで経ってもなにもできない。誤解のないように断っておくけれども、記事のタイトルにした「哲学を捨てる勇気」とは、國分の『ドゥルーズの哲学原理』に対する論評ではない。いま私に必要だと感じているものである。
 
 それでも、どう読むのが正しいのか自分の頭で考えて判断したいという気がある人は、以下の議論につきあってほしい。せっかく書いた記事だし、読んでもらえれば私も嬉しい。私としてはけっこういいところを突いていると思うのだが、どうだろうか?

・「二人で書く」という実験とはなんの方法か
 
・分裂分析は「失敗を目指す」実践の理論を乗り越えたか
 
・ドゥルーズの習得の理論と分裂分析
 
・分裂分析の課題



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