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もう一度、「私をスキーに連れてって」


1月28日の朝日新聞の土曜版に以下のような記事が載っていました。

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この記事を書いた記者が何歳ぐらいの人なのか(途中「30〜40代の記者たちは」という文があるので、おそらくワタスキ世代なんだと思いますが…)、またどういう観点や意図でこの記事を書いたのかによって、受け取り方も違ってくるように思いますが、まあ「とりあえず」(どっかで聞いたことのあるセリフですが…)、その記事をそのまま掲載してみます。


1月28日 朝日新聞「be」より


矢野と優
映画「私をスキーに連れてって」

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吹雪の翌朝。雪景色を楽しむように、林道を利用したコースをスキーヤーがのんびりと滑っていた=長野県・志賀高原で

■恋も経済も右肩上がり

 休日の昼下がり。白銀の世界にたたずむ長野・志賀高原プリンスホテル東館のロビーラウンジでは、スキーヤーたちがのんびりお茶を楽しんでいた。少しふぶいてきたためか、館内のショップもにぎやかだ。

 コーヒーを飲みながらラウンジで文庫本を読んでいた。ふと、松任谷由実の「サーフ天国、スキー天国」が聞こえた気がしてテレビの方を振り向くと、数人が映画「私をスキーに連れてって」を見ていた。

 私と同様、ユーミンの曲に敏感に反応したのは中高年カップルたちだ。白髪まじりの男性が画面に気付き、連れの女性に「いいねー」と話しかけると、彼女は「ここが舞台だったんだよね」と懐かしそうにつぶやいていた。

 経済が右肩上がりの時代。総合商社に勤める矢野文男(三上博史)は、残業もそこそこに会社を飛び出し、愛車でスキーに出かける。都心の自宅の大きなガレージで、タイヤをスタッドレスに替え、ユーミンのカセットテープをかけて出発。途中、近くの高級スーパー「明治屋」で食材を買い込んで高速に乗り、ひた走る。そこから、ゲレンデと東京を舞台にした会社員とOLの恋物語が展開していく。

 舞台となった志賀高原プリンスホテル東館は、87年11月に映画が公開されると、宿泊の予約が殺到した。普段は混雑しない2月の平日もいっぱいの状況に。ゲレンデにはOL池上優(ゆう)役の原田知世をまねた白のスキーウエアの女の子が急増した。当時、ホテルの広報担当だった竹内孝行さん(59)は「メインダイニングでは、高いワインがよく出た。フランス料理のコースも今より値が張っていて、最低でも1万円を超えていた」と言う。


 営業企画課長の村井宏通さん(36)は「私もあの映画が大好きで、あれを見て学生時代にスキーを始めたクチなんです」という。

 ただ、さっきのラウンジでは若者たちは終始無関心そうだった。村井さんがうなずく。

 「ホテルの若い従業員たちもそうですよ。あれを見て『何ですか、このくささは』っていう。そりゃそうかもしれません。彼女たちが生まれたぐらいの年の作品ですもんね」

 80年代後半は、映画やドラマや雑誌がこぞって「恋愛至上主義」を刷り込んだ。あれからおよそ20年。若い人々にとっては、バブル時代の恋愛物語は、もはや遠い国のできごとなのか。
志賀高原のホテルからは、ナイター照明に浮かび上がるゲレンデが見渡せる

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■いい意味で「見え」があった

 バブル時代の恋愛観、なるものを再認識したのは1年ほど前のことだ。

 「あのころの男の子って、女の子のことしか考えてなかったんですかね」

 19歳の女性タレントが、80年代の青春時代を回想する恋愛ドラマの記者会見の場で、物語の印象を問われて返した一言に、30〜40代の記者たちはどよめいた。

 慶応大経済学部教授の金子勝さんは「私をスキーに連れてって」に漂う「バブル感」が印象的だったという。数年前、学生にこれを題材に、バブル時代について講義したことがある。


 「スキーさえできればもてると思ったら大間違い。主人公は平凡なサラリーマンにみえて、医者や別荘持ちの友達がいる金持ち。だまされるな」。そう解説し、男子学生には、彼女の心を見抜く術として「いい車を持っていたとしても、彼女に呼び出されたら軽自動車で行け。それでふられたら、彼女は君ではなく君の車に恋をしていたのだ」と熱く説いた。


♪  ♪  ♪
 80年代は「恋愛マニュアル」がウケた時代。雑誌「ホットドッグ・プレス」や「ポパイ」がデートの手順や口説き方を指南し、70年代のフォークソング「神田川」の世界とは対極の軽く明るい恋が人々を魅了した。


 この映画も恋愛のウエットな部分はない。親も兄弟も深刻な悩みも葛藤(かっとう)も出てこない。しゃれたバーに仲間が集い、はやりのレストランでデート、ゲレンデのロッジで気のおけない友人とカクテル片手におしゃべり……。

 イラストレーターのリリー・フランキーさんは、学生時代に「ゴミのような生活をしながらウジ虫サークルにいた」(「日本のみなさんさようなら」)とつづる。そんな身にとって、「私を……」や「彼女が水着にきがえたら」などホイチョイ・プロダクションが手がけた映画は「登場するモチーフがSFのように遠かった。見るシーン、聞く言葉、すべて初めてで、驚きとショックの連続だった。ブッシュマンがコーラのビンを見たような気分」だったとしるす。

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仲間たちが集まったバー「ゼファーイン」の今=東京・代々木で

矢野と優が出会うのは志賀高原のゲレンデ。JR長野駅からは急行バスで約1時間30分。長野新幹線を利用すれば東京から志賀高原まで約3時間。今シーズンも首都圏からのスキーヤーやスノーボーダーでにぎわう。

 志賀高原プリンスホテル東館のメインダイニングは、映画の前半で矢野や仲間がお茶を楽しんでいる場所。近くにある横手山スキー場も登場する。

 東京で矢野が仲間と集まるのは代々木にあるバー「ゼファーイン」。原作のホイチョイ・プロダクションのメンバーのいきつけの店だった。現在は「リトルワンズカフェ」という子どものためのレストランに改装され、その一角にバーがある。いまも映画のファンが訪ねてくることがあるという。




♪  ♪  ♪
 主人公の矢野は26歳。一色伸幸さんがこの脚本を担当したのも同じ年齢だった。DVDの中で一色さんは、自分たちの世代の特徴を、根性や勉強や努力には熱心になれないが、自分の快楽には熱心、めんどくさいことはとりあえず笑ってみる、という雰囲気があったと振り返る。

 「あのころから恋愛は商品化されていった」と、この映画を引き合いに、恋愛至上主義が加速した80年代後半を自著「萌(も)える男」で読み解いているのは、ライトノベル作家の本田透さん。

 70年代の恋愛は、政治や社会に希望を失った若者が逃げ込んだカウンターカルチャー的な世界だった。ところが80年代、一気にポップになって表舞台に登場した。「恋愛は誰にでもできそうにみえたけれど、マニュアル通りにできない者ははじかれ、取り残されるようになったんです」

 以後、恋愛のマニュアル化はさらに進んだようにみえる。もてる方法をつづったミもフタもないタイトルの本が続々と登場する時代。

 「下流社会」の著者の三浦展さんは「でもあのころにはあった、人を楽しませようとする遊び心は、今はない。いい意味での『見え』もなくなっている」と指摘し、「恋愛があれほど盛り上がった時代はもう二度とこないかもしれない」という。

 今の恋愛はもっとカジュアルで、日常の延長線上にある感じだという。メールやケータイで簡単に相手とつながれるようになったことも恋愛観を変えたのではないか、と。映画では、デートに誘い、恋人が連絡を取り合う道具として固定電話や公衆電話が使われている。スキー場で仲間と連絡をとりあうのに使うのはアマチュア無線機だ。

 「当時は、家に電話して相手の親が出たらどうしよう、なんてどきどきしていた。相手に会うまでにいくつも壁があった。だから燃え上がったのかも。今の子はメールとケータイなしの恋愛を想像できるだろうか……」

 慶大教授の金子さんは、授業の後の学生の感想が心に残っている。「『先生、ひねくれてるー』と言われました。みんな冷めてるんですよね」


♪  ♪  ♪
 映画が公開された87年、日経平均株価は上昇を続け、翌年には3万円の大台にのった。日本は自信に満ちあふれていた。スキー人口も増え、レジャー白書によると、87年に1230万人だったのが、93年には1770万人とピークを迎えた。それが04年は760万人に減った。

 ゲレンデは、あのころよりはるかに滑りやすくなっている。


文・加来由子 写真・加藤丈朗
〈ふたり〉
 スキーはうまいが、街の中では平凡なサラリーマンの矢野文男と、同じ会社の秘書課の池上優が主人公。恋愛におくてそうなふたりを、クリスマスイブからバレンタインデーまで、矢野の中学時代の仲間たちが温かく見守る。そこはかとなく裕福そうな香りが漂う物語。



■ 印象的なユーミンの曲

総合商社に勤める矢野(三上博史)はクリスマスイブに中学時代からの仲間と出かけた志賀高原のスキー場で、優(原田知世)と出会い、一目ぼれする。東京で再会したいと電話番号を聞き出すが、二股をかけられていると誤解した優は、うその番号を伝える。

 ところが偶然、ふたりは会社で遭遇。優は同じ会社の秘書課に勤めていたのだ。矢野が再びアタックし、思いがかなう。ふたりは仲間たちとまた志賀高原にスキーに行く。近くの万座では、彼らの会社の企画で矢野もかかわったスキーウエアの発表会が開かれようとしていた。しかし、同僚の陰謀でウエアが会場に届かない。矢野や優が着ているウエアがあれば発表会は乗り切れるという。志賀高原から万座へ、ウエアを届けるために、優は吹雪の中を滑っていき、後で気づいた矢野も追っていく……。

 海和俊宏が技術指導した迫力あるスキーシーン、セリカGT―FOURでゲレンデを駆け下りるアクションシーン、「A HAPPY NEW YEAR」「BLIZZARD」「恋人がサンタクロース」など松任谷由実の曲が印象的だ。

 原作は「見栄講座」(83年出版)などのホイチョイ・プロダクション。監督は代表の馬場康夫で、映画公開当時は33歳だった。その後、「彼女が水着にきがえたら」(89年)、「波の数だけ抱きしめて」(91年)、「メッセンジャー」(99年)を手がける。

 「私を……」のDVD(フジテレビ・小学館・ポニーキャニオン)が発売されている。
  

◆味わう

 標高2305メートルの横手山の山頂にある横手山頂ヒュッテは、「雲の上のパン屋さん」として知られる。焼きたてのパンが評判で、レストランではパンとボルシチのセット=写真=などが味わえる。

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閉じる コメント(6)

すげぇ〜懐かしい!!1月頭に行くんですよ。志賀に。(^w^) ぶぶぶ・・・いやー早く来い来いお正月ぅ〜って気分です。

2006/12/13(水) 午後 9:37 ロッキー 返信する

「凍ってるね」って言葉、いいですよねえ〜。 http://blogs.yahoo.co.jp/hiro0425kawachi/19770867.html

2006/12/13(水) 午後 9:46 スノー 返信する

その言葉、自分の周りじゃあ、今でも使う人居ますよ。(-^〇^-)アハハハ 若者には通じませんが。。。

2006/12/15(金) 午前 6:28 ロッキー 返信する

自分としては、一番印象的なシーンは、おおみそかの晩、三上君が原田知世に会いに行って、道の途中で出会い、知世ちゃんが、「新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」と言うシーンなんです。年賀状で慣例化しているこんな普通のフレーズが、まさかこんなに印象的に使われるとは…。一色さんと馬場さんに一本。

2006/12/17(日) 午前 4:01 スノー 返信する

はじめまして‥♪この時期になるとまたDVD『私をスキーに連れてって』観てしまいますね〜♪今年は苗場のコンサート行かないんですけどね‥来年(笑)行きますょ!!二泊はしたいと思います。

2016/1/3(日) 午前 11:30 [ - ] 返信する

sasayama777さん

ご来訪ありがとうございます。
ワタスキは、やはり名画ですよね〜。
1987年の公開から30年近く経ちますが、いまだに…。
その後2008年には「銀色のシーズン」というスキー映画が公開されましたが、クオリティが全然及ばす…。
苗場…ですか?
しばらく行ってないなあ〜。
ワタスキの公開直後から、しばらくは苗プリ、シーズン前の9月からの予約開始直後に満室というのが続きましたね〜。
周辺の民宿や旅館も常に満室で、自分仕方なく現在の田代スキー場の向いの二居の民宿に泊まって苗場に通ってました。

2016/1/3(日) 午後 3:18 スノー 返信する

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